今日もめくるめかない日

祖母

 祖母からたまに電話がかかってくる。誕生日であったり、なんとなくであったり、決まりはない。ただ、だいたいわたしが仕事をしているときなので、一回で出られない。かけ直すと、たいがい出ない。携帯電話を、いつもバッグに入れっぱなしにしているから気づかないのだ。

 やっとつながっても、そんなに会話が弾むわけでもない。どうしてんの、元気なの、ごはんちゃんと食べてんの、こんな時間まで仕事してんの、お酒飲みすぎてないか、わたしが上京してから、会話の内容はほとんど変わらない。最近、「夫さんは元気か」が追加されたくらい。

 祖父は、三年ほど前に亡くなった。脳梗塞をやり、半身不随になった。身体はほとんど動かず、しゃべることもできなくなった(それでも認知症ではなかったらしい、会いに行くと、きょとんとした顔でわたしたち孫の顔を見たが、たまに笑顔を見せた)。しばらく家族で介護をしていたが、わたしも妹も家を出てしまって、どうにも手が足りなくなってホームに預けた数年後、老衰で亡くなった。突然だった。

 祖父が半身不随になったのは、わたしが中学生のころで、もうよくよくしゃべることもできなくなっていたので、実は思い出らしい思い出がない。ただ、祖母は、動ける、しゃべれる、笑う、たまにとぼけたことを言って周りを呆れさせたりもしたが、認知症の気もないので、祖父と比べると思い出らしい思い出がたくさんある。

 

 祖母はからだを動かせるが、からだのなかが弱い(祖父は反対に、内臓がひたすら元気だったよう)。透析治療をずっとしている。薬もたくさん飲んでいる。年齢も年齢である。だからたまに、父なんかは、「たぶんもう長くないだろう」なんてことを言っている。それは、いのちがうまれたときから決まっていることであるし、この世ではとても自然なこととされていて、わたしも、悲しみはあれどそのときを受け入れる気持ちを持っている。

 祖父が亡くなったとき、すこし危うい予感がした。肩の荷が降りたではないけれど、祖母はずっと祖父の世話をしていたから、気がゆるんでそのまま追いかけてしまうんじゃないか、なんてことを妹と話した。そのときから三年ばかり経って、そのあいだにわたしは結婚をし、祖母はわたしに「ずっと貯めていた」ものをわたしてくれた。

 早いうちにあげないと、いつ死んじゃうかわからないから。

 そんなことを冗談めかして言うので、わたしも冗談で返した。

 

 昨日の夜、父から家族のライングループにメッセージが届いた。それまで、妹が自分の子どもが鬼滅の刃のパジャマが欲しいと言っていると、そういう他愛もない話をしていた。

 なぜそのタイミングだったのか、「4月13日に、おばあちゃんが脳梗塞で倒れて大きい病院に運ばれた。左半身麻痺状態で、今も入院している。なんとかしゃべれるけど本人がとても落ち込んでるから電話してやって」とのことだった。

 4月13日って、もう十日以上前のことである。なんでそんなに大切なことを今さら言うのだと怒りたくなったが、いやもしかしたらたいしたことがないから、今言ったのかもしれない、とにかく電話をしてみようと、祖母に電話をかけた。

 めずらしく、すぐに出た。バッグに入れっぱなしではなかった。

 もしもし、という声がいつもより小さいというか、細い、というか聞き取りにくい。大丈夫なの、とはきけなかった。

 もうだめだよ。

 祖母が、すこし(おそらく)笑いながら言うから、泣いた。なんか、お父さんがさっき言うから、知らなくて、なんで今さら言うんだろうね、と文句を言ったら、「言えなかったんじゃない」と返ってきて、言えなかったのか、と思った。

 じいじと一緒だわ。

 そう、なんの因果なのか、祖母は、祖父と同じ状態になってしまった。たくさん祖父の世話をしてきた祖母、そのせいで苦労ばかりしてきた祖母。なんかやっぱり、わたしはなにも言えなかった。

 結局、祖母がどうしてんの、元気なの、ごはんちゃんと食べてんの、こんな時間まで仕事してんの、お酒飲みすぎてないか、いつもと同じことを言った。そしてやっぱり最後に、「夫さんは元気か」ときいた。わたしは泣いているから、ぜんぶ、うん、で答えた。

 いつもと同じ会話なのに、それが最後になる気がして、たぶん祖母からそんな空気を感じて、また電話するねとしか言えなかった。

 

 わたしはもしかしたら、祖母にもう会えないのかもしれない。人が亡くなるのに立ち会うことは、少しずつ増えてきているし、これからどんどん増えていくだろう。身近な人を亡くしていくだろう。

 祖母はきっと、今病院でひとり、さみしい思いをしている。わたしは今日、いつもどおり仕事に行った。

 祖母が入院したという病院を調べたら、原則面会禁止とあった。でも、それはわたしたちだけではないし、その病院には祖母以外にも多くのひとが入院していて、さらに多くのひとが働いていて、さらにそのひとたちの家族が大勢いる。大人になると、多くのことを「しかたない」で済ませてしまうこともある。けれどきっと、祖母は今さみしいと思う。

 生きていると、さみしいことがたくさんある。わたしは祖母のさみしさも、自分のさみしさも、父のさみしさも、知らないひとのさみしさも、うまくぬぐえない。

 ただ明日、わたしはいつもより早く起きて祖母に電話をかけるだろう。

 わたしはずっと「わたしにできること」しかできなかった。けれど祖母はそんなわたしにいつも、ありがとねと言った。

 

 

水曜日の夜に家出をしたことがある

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 中学生のころだった。今でも覚えている、水曜日の夜、わたしは家出をしたことがある。

 あれは夏休みの夕餉、わたしは父母妹ひとりの四人家族で、揃って食卓を囲んでいた。食後に西瓜が出て、それをしゃくしゃく食べていたとき、直接のきっかけはさすがに忘れたけれど、突然父と母の喧嘩がはじまった。

 我が家は基本的に仲がよく、それでも子どもは中学生&小学生、父と母は三十代半ば、当時はいろんなストレスもあっただろう、それなりに喧嘩が勃発していた。多くのこどもがそうであろうと思うけど、親の喧嘩はいいものではない、なんでおかあさんたちは子どもの前で喧嘩なんてするんだろうね、なんて夜の子ども部屋で妹とぷんぷんと文句を言ったことも何回もあるが、ふたりの年齢に近づきはじめている今、そりゃあ喧嘩くらいするわなと思う。子どものわたしにとって、両親は「おとうさん」「おかあさん」、先生が先生であるように、親の役割をするひと、というのがあった。いや父も母もそのまえに人間なのだから、完璧に振る舞うなんて無理な話。

 しかし当時のわたしはそんなことはつゆ知らず。喧嘩の原因はなんだったろう、西瓜のことで言い争っていた気がする(絶対しょうもないことだ)、ぎゃあぎゃあとけっこうな大声で喧嘩をはじめるものだから、反抗期という頃合いも相まって、わたしは食べていた西瓜を投げ出し、「ふたりが喧嘩を続けるんならわたしはこの家を出ていく!」と怒鳴ってそのままそばに置いていたケータイだけを手に取り、ほんとうに家を飛び出したんであった。

 

 ちなみにわたしの実家は静岡の田舎にあり、住んでいるところはわりと山のなか、すこし歩けば国道に出て、三十分ほど歩けばやっとコンビニ、という、まあまあな場所だった。

 当時のわたしの格好といえば、中学指定のジャージをロールアップ(ジャージをロールアップって……)にてきとうなTシャツにビーサン。これが格好いいと思っていたファッションだけど、今なら言える、そんな恥ずかしい格好のまま、とりあえずてくてくとコンビニまで歩いていった。

 ちなみにちなみに、わたしの家のそばには祖父たちが住んでいる本家(わたしが住んでいたのは母屋と呼ばれていた)があり、歩いて十秒という近さなのだけど、そこに家出をしてもそれ全然家出にならんというわけで、わたしは夜の冒険(三十分先のコンビニがゴール)をするべく歩いたのであった。

 

 田舎の夜は星が綺麗というけれど、これはほんとうにそうであって、住んでいたときはその景色が普通であったけど、上京してあまりの星の見えなさに、都会というものを知った気になったりならなかったり。とにかく、見上げればどばんと流れてゆく星に、家出中である自分のセンチメンタルを重ねぽてぽて国道を歩いてコンビニに到着。

 コンビニはローソンとファミリーマート、道路を挟んで向かい合うかたちで二軒あり、わたしはまずファミリーマートへ入って雑誌の立ち読みをしたのであった(財布がないから)。しかし読みたいファッション誌などはだいたい紐でくくられており、「ザテレビジョン」なんかを端から端まで見るしかなかった。

 ケータイで友人に「家出した」とメールを送れば「うちっち来る?」(「っち」が方言だと上京後に知った)とやさしいことばが返ってくるも、あんたの家はここから歩けば二時間くらい、一文なしのわたしには、バスに乗ることもできやしない(ちなみに電車はない)、そんなわけでやさしい申し出を断り、コンビニで一夜を明かしてやろうじゃないのと決意を固めたのであった。

 

 テレビ欄をすみずみまで読み、今期のドラマ情報ならお任せあれという具合になったころ、そろそろ店員の視線が気になって、向かいのローソンへとってけて。そこでもやはり紐がかかっていない雑誌をすみずみまで読んだら時刻は〇時をまわったくらい。そんな時間まで外に出ていたのははじめてで、というかわたしの家族がだれひとり連絡をしてくれないのはどういうことなの、ちょっと不安になりつつも、わたしは家出をしたのであるから家族のことは思い出すまい、再び雑誌に目を移すと、店員さんが「あのー家出じゃないですよね」とおそるおそる話しかけてくるものだから、ひいっとなって「ち、ちがいます」と言ってすぐローソンを出た。

 中学指定のジャージをはいているのだからもしかしたら学校に言われてしまうかも(というかそのへんで中学校はひとつしかないから、仮にジャージを着ていなくてもすぐバレただろう)、そういうところにびびりのわたしは仕方なく家に帰ることにしたのだった(寝るところもないし)。

 

 深夜〇時をすぎてひとりで歩くことははじめてだった。田舎といえど、国道では車がすこし行き交っている。わたしはまたあまりに綺麗な星空を眺めながら、適当なTシャツにみすぼらしいジャージにビーサンで、家路をぽてぽて歩いた。

 たぶん小説とかだったら、そういうときの夜空はなんだかすごく特別に見えて、忘れられないものとなったりするんだろうけど、べつにいつもと同じ星空で、けれども行きより帰りのほうが、なんとなく、星が増えているような感じもした。まあ夜更けになったからだろうけど。

 

 玄関は空いていた。田舎は鍵を閉める習慣がないから、と思うけど、わたしの帰りを待っていてくれたのかと少しほっとした。

 

 いそいそ布団に入ってその日は眠り、翌日なにか言われるかと思ったら、ぜんぜんなにも言われなくて、父も母も仲直りをしたのか、なんかとてもふつう。なんでなにも聞いてこないんだろとややむずむずしながら朝食を食べていると、妹が驚くべき発言をした。

 

「昨日のトリビアおもしろかったね!」

 

 トリビアとは、「トリビアの泉〜素晴らしきムダ知識〜」という2002年から2006年にかけて水曜日に放送されていたバラエティ番組で、たいへん人気があった。我が家ももちろんその番組のファンで、毎週欠かさず観ていたわけだけれども、む、娘が家出をしているというのにトリビア観てたのこの家族!?

「えっわたしが家出してたのにトリビア観てたの……!?」と絶望を感じながら聞くと、「えっ家出してたの!?」と返ってくる。いや家出するって言ったじゃん。

「おばあちゃんちに行ってるのかと思ったよ〜なははは」

 のんきな笑いである。めくるめく家出譚は、やはりめくるめからず終わった。鍵があいてたのもたまたまである。田舎だから鍵を閉めていなかったんである。

 

 なぜ水曜日の夜に家出したのかを覚えているかというと、家族がトリビアを観ていた、という事実を忘れていないからである。へぇ。

 あの日見た星空も、すみずみまで読んだテレビ欄も、声をかけてくれた店員さんの顔も、もう思い浮かばないけど、わたしはたしかに、水曜日の夜に家出をしたことがある。

 

「イ・オ・ン」と唱えれば本当に自分も飛べると思ってた

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 昔わたしは痛かった。相当痛かった。というのも自分の思考回路がすべて少女漫画や小説に乗っ取られていたからである。自分へ密かに想いを寄せている男の子がいると思っていたし(やばい)、自分の家がいつか下宿にならないか本気で望んだし(まだ許せる)、筆箱を隠されたときは「好きな子ほどいじめたい」のアレだと信じたし(現実見て)、幼馴染みと転校してきた男の子がわたしを取り合う日がくるのではないかと夢想したし(現実見て)、わたしには未知なる力が秘められている、目覚めるのはいつだろうとか考えていた(まだ目覚めていないよう)。
 書いていて悲しくなってきたけど、まあとにかく痛かった。心の中で思っているだけならまだ可愛げがあるが、わたしの厄介なところは夢見がちな思想を実行に移してしまうところだった。

 

 

「りぼん」がわたしのバイブルだった

 わたしは生粋のりぼんっ子だった。読んでいたのはもう20年くらい前(20年!?)当時りぼんで活躍していた漫画家は、藤井みほな先生、高須賀由枝先生、亜月亮先生、小花美穂先生、吉住渉先生、椎名あゆみ先生、倉橋えりか先生、松本夏実先生、槙ようこ先生、森ゆきえ先生、津山ちなみ先生、少しあとに酒井まゆ先生……ってキリがないんだけど、わたしがとにかく超絶ファンだったのが種村有菜先生、有菜っちだった。

 がっつり「漫画」というものに触れたのは多分りぼんが初めてで、たしか出会いは友達の家だった。友達が毎月買っているのを見て、最初に何を読んだかは忘れてしまった……が、とにかく「おもしろーい!!」となって、付録に憧れて(トランプだったと思う。一枚一枚キャラの絵が描いてある、めっちゃかわいかった)、応募者全員サービスの品物が欲しくなって、親にねだった。わりとすんなり毎月買ってもらえることになった。

 小学生なので、恋愛というものをよくわかっていなかったようななんとなくわかっているような曖昧なときだった。でも転校生の男の子がやってきたときはやはりざわついたし、女子で取り合いというようなことも起こっていた気がする(田舎なのでそれまで男の子がクラスに二人しかいなかったのも、転校生に憧れを持った原因)。
 でもとにかく恋愛に憧れを持ち始めたころで、そんなときに出会ったりぼんがわたしのバイブルになるのは必然といえよう。
 あととにかく絵がかわいかった。ぜんぶかわいかった。よくカラー表紙は切り取ってファイルに保管していた。そのなかでもとくにわたしが好き!となったのが種村有菜先生だった。
 そのとき「神風怪盗ジャンヌ」を連載されていて、恋愛、怪盗、天使、悪魔、チェスの駒、変身、生まれ変わり……って夢見がちガールの心を掴むのにこれ以上のものはあるのか。ぶっちゃけわたしはジャンヌになりたいと思っていた。新体操のリボン振りたかった。ロザリオ欲しかった。
 りぼんに出てくる女の子は、みんな強くてかわいい。スーパー女子高生寿蘭みたいな底抜けの明るさを持っていたり、紗南ちゃんみたいなひたむきさを持っていたり、八重蔵のことを思いやる麻衣みたいな優しさを持っていたり(しかし今にして思えばよくりぼんで描いたなあという漫画だ。めっちゃいいと思う)、まろんのような健気さを持っていたり。りぼんの女の子たちは、全員わたしの憧れだった。「こんな恋愛してみたい」ではなく、「こんな女の子になりたい」という気持ちのほうが強かった。で、そんな女の子になれたら自然と同じような恋愛ができると思っていた。恋愛のバイブルというよりは生き様のバイブルだった。小学生のときの。

 

強くなるおまじない

 小学校を卒業してしばらくしても、りぼんを読んでいたと思う。そのころはもうお小遣いももらっていたから、「RMC」(りぼんマスコットコミックス!!!)をよく本屋で買っていた。ああ懐かしいなあーー寿らいむ先生の「紅MIXすぺしゃる」、朝比奈ゆうや先生の「近距離恋愛」「インチキ恋愛G」「偽りのライオン」、槙ようこ先生の「ソラソラ」、亜月亮先生の「Wピンチ」、亜月亮先生の「Wピンチ!!」、藤井みほな先生の「すーぱー☆プリンセス」、……こどものおもちゃ、猫の島、ベイビィ☆LOVE……ってキリがないんだって。ちなみに「NANA」は高校生で大ブームになるので、このころはまだ矢沢あい先生を知らなかった。すでにクッキーだったのかな。

 もうとにかく崇めていた有菜っちのコミックスももちろん買ったわけで、「かんしゃく玉のゆううつ」(懐かしさで涙出そう)、そして「イ・オ・ン」。

 

www.s-manga.net

種村有菜の初連載作品。ごく普通の女子高生だった依音は、「超能力」に夢中な天才少年・帝に恋したその日から、自分の名前を唱えると不思議な力が出せるようになって――!? 種村有菜が贈る、ファンタジック・学園ラブコメディ! 続編となる、13年ぶりの新作「イ・オ・ン」番外編32Pも収録! あとがき/種村有菜Amazonより引用)

 文庫で出ていた。欲しい。当時と絵柄は変わっているけど(当然ながら)、やっぱかわいいいいい。あと番外編32P!?やばいね。……まあそれは置いておいて、主人公の依音には特別な力がある。自分の名前をゆっくり「イ・オ・ン」と唱えると、物を浮かせることができる。これにはなんやかんやの理由があるのだけど、重大なアイテムとなるのが透明なガラスのような物質で、まあとにかくなんやかんやでこの物質が作用して依音の特別な力につながる(気になる人は読んでね)。
 この「イ・オ・ン」というのは、超能力を使うときの呪文のようなもので、でもそれと同時に彼女の強くなるおまじないだった。これを唱えると、なんでもできるような気になって、強さを手に入れることができるのだ。これを読んだのは中学生(コミックスを買ったからね)。まだりぼんを卒業できていなかったわたしは当然のように依音に憧れた。しかし力を使うのに重要なアイテムを持っていなかった。ガラスのような物質である。なのでシーガラスを持つことにした。
 

 シーガラスとは海に落ちてる波に打たれて丸みを帯びた瓶のかけらである(母曰く「ゴミ」とのことだ)。これをめっちゃくちゃ大事に持ち歩いて、ことあるごとに心のなかで「イ・オ・ン」と唱えていた。やばいな。目の前のシャーペンがふわっと浮くところを、一体何百回想像しただろう。自分が宙に浮いて注目されるところを何万回想像しただろう。ついには「わたしの名前じゃないからいけないんだ!」と「イ・オ・ン」ではなく、まじで自分の名前を唱えるようになった。ふざけんな。プールの水浮かせたかったわ。

 ほんと、ふざけんなと思うけど、当時はわたしのおまじないだった。依音が「イ・オ・ン」と唱えて勇気が出たから、わたしも勇気が出ていた。自己暗示すごいし漫画の影響力はとんでもない。

 

りぼんを卒業しても少女漫画はつねにそばにあった

 

中学生半ば、りぼんを卒業し別マに移行。「ラブ★コン」と「高校デビュー」で、やっと「恋愛への憧れ」が強まった。マーガレットはマーガレットでまたよかったよね……。先に挙げた二点は完全に大谷、ヨウ派だけれども、当て馬男子の魅力に気づく記事もあるからよかったら読んでください。

mrsk-ntk.hatenablog.com

 

 りぼんでは女の子自身に憧れたけど、ここは中学生、いや高校生になった身。「こんな恋愛してみたい!」と恋愛自体に強く憧れを持つようになる。中原アヤ先生、河原和音先生、いくえみ綾先生、山川あいじ先生、くらもちふさこ先生……今わたしが大人でよかった。読みたいと思ったらすぐ買えるからね。りぼんよりちょっと大人になって、林間学校で遭難したり体育倉庫に閉じ込められちゃったり突然昔引っ越した幼馴染みが登場したりなんとも思っていなかったはずの男友達に好意を持たれたりする恋愛に、憧れを持った。りぼんを卒業しても夢見がちガールは健在だったので。

 まあしかし実際のわたしはそんなにモテなかった。高校では何人か彼氏ができたもののすぐフラれていた。このへんもわりと黒歴史爆発してるのだけど、これはまた機会があれば。高校生活も少女漫画に毒されていたわたしは、「イ・オ・ン」と唱えることはなくても、やはりやばいところがあった。自分を少女漫画の主人公と思っている節があった。
 高校生の頃、ある男の子と付き合って、でもまあなんやかんやでうまくいかなくて、というのもわたしが勝手に「これは恋じゃない……」とか意味わからんこと考えて(少女漫画みたいにドキドキしたり四六時中その人を考えなくちゃ恋じゃないと思っていた)、ひとつ年下の子だったのだけど、振った。「友達に戻りたい……」とか言って振った。男の子は悲しそうな顔をしていた、ような気がする(わたしが勝手に美化しているだけかもしれない)。
 まあとにかく放課後、誰もいない教室で別れ話をして、このシチュエーションも少女漫画に毒されていたわたしにとって最高のシチュエーションだったから、別れ話をしているというのに気分は大盛り上がり。切ないはずなのに、その切なさを存分に感じていたわたしはまるで「主人公」だった。やばいな。

さらにやばいのが、その教室からグラウンドに向かって「わたしたち、ずっと友達だよーっ」とか叫んだこと。

 やばいの範疇を超えている。少女漫画の主人公にでもなったつもりなのか。そう、わたしは少女漫画の主人公になったつもりになっていた。そんなわたしの行動を言いふらさなかったあの子は、なんてできた人間だったんだろう。もう覚えていないかもしれないけど(むしろ記憶から消し去ってくれ)本当にありがとう。君のおかげでわたしの高校生活は地に落ちることなく終わった。

 

強い女の子になりたかった

 少女漫画に登場する女の子はみんなかわいかった。愛されていた。それがとても羨ましかった。わたしもそんな女の子になりたかった。ただの黒歴史というかあのころの思考回路はマジでダークマターなんだけど、とにかく強くてかわいい女の子になりたかったのだ。というか、なれると思っていた。なぜか知らんけど。「イ・オ・ン」と唱えれば、わたしも空を飛べると思っていた。まあ飛べなかったんだけど。

 魔法陣を描いてベームベームを召喚した気になっているころはまだよかった。クレヨン王国のジュエリーコンパクトで遊んでいたころはまだよかった。セーラームーンのステッキで「ムーンヒーリングエスカレーショ―――ン」とか叫んでいるころはよかった。かわいげがあるで済まされるから。

 今はもう名前を唱えたりとかしないし、自分の家が下宿になるとか夢想しない(なったらよかったのに……)。有菜っちがマーガレットで「猫と私の金曜日」の連載をはじめたときは「え、大丈夫か……?ここはりぼんじゃないんだ、ああああ表紙がまたファンタジックになってるわたしはかわいいと思うけどほかのマーガレット読者は受け入れてくれるのか……!?」と冷静に心配をできるほど大人になった。でもわたしはどこかでまだ、いちばんに憧れているあの告白シーンを再現出来たらと考えている節がある。フィンがアクセスに告白するシーンだ。「ずっと好きだったんだからぁっ……」って何回妄想したと思ってんだ。

 あの頃痛かったな、マジ黒歴史、はははっとか言えるほどには大人になれた。でも当時抱いていた憧れはたぶん一生嘘にならない。わたしは今でも強くてかわいい女の子に憧れている。そのおかげでたまにTwitterでポエミー現象が発生するからね。あいたたた。

ナイルパーチの女子会/柚木麻子

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 だいたいにおいて、この世の中は不確かなものが多すぎる。正しさと間違い。幸福と不幸。感情、愛情、友情。どれも明確なかたちはないけど、あるとされているもの。指標にされるもの。そして縋りたくなるもの。
 かたちがないとはなんて厄介だろうとつねづね思うけど、「ナイルパーチの女子会」を読んで、その思いはさらに強くなった。

※多分にネタバレを含みます。

 

 

ナイルパーチの女子会/柚木麻子

books.bunshun.jp

丸の内の大手商社に勤めるやり手のキャリアウーマン・志村栄利子(30歳)。実家から早朝出勤をし、日々ハードな仕事に勤しむ彼女の密やかな楽しみは、同い年の人気主婦ブログ『おひょうのダメ奥さん日記』を読むこと。決して焦らない「おひょう」独特の価値観と切り口で記される文章に、栄利子は癒されるのだ。その「おひょう」こと丸尾翔子は、スーパーの店長の夫と二人で気ままに暮らしているが、実は家族を捨て出て行った母親と、実家で傲慢なほど「自分からは何もしない」でいる父親について深い屈託を抱えていた。
偶然にも近所に住んでいた栄利子と翔子はある日カフェで出会う。同性の友達がいないという共通のコンプレックスもあって、二人は急速に親しくなってゆく。ブロガーと愛読者……そこから理想の友人関係が始まるように互いに思えたが、翔子が数日間ブログの更新をしなかったことが原因で、二人の関係は思わぬ方向へ進んでゆく……。(文藝春秋BOOKSより引用)

 

 単行本の初版は2015年。たしかすぐ話題になって、書店で平積みされているのをよく目にしていた。なぜそのとき手にとらなかったのか、別に明確な理由があるわけでもないけど、強いて言うなら「いやな予感」がしたんじゃないかと思う。

 女子会、女子力、オトナ女子、女子っぽさ。少し昔と比べれば、今はわりと女子女子言語もなくなってきたように思うが、なんでもかんでも「女子」をつけるあの風潮に嫌気が差していたんだろう。それで「女子会」だなんてタイトルにあるし、帯など見れば「女同士の友情」といったことが書かれているのでなんとなく敬遠していた。印象に残る表紙なので、おそらく何度か手にはしているはずだ。けれどページを開くことはなかった。当時は「興味が出ない」の一言で片づけていた。それはたしかに本心だったかもしれない。ただ、あれから六年経った今、読み終わって感じるのは「あのころ読まなくてよかった」ということである。だから無意識のうちに遠ざけていたんじゃないかなあなんて思ったり。

 

二度目からの距離の詰め方

ナイルパーチの女子会」は、志村栄利子と丸尾翔子の二人が主人公である。三人称で書かれており(だけど一人称のような書き方でもある)、交互に二人の視点で物語が進んでいく。「どちらのほうが自分に近いか」ということを考えるのはそもそもナンセンスだけど、栄利子の言動や行動の原理が手に取るようにわかる、そしてわかってしまうことは、自分の過去を暴かれているみたいでとてもしんどいことだった。

昔からこういうことがよくあった。例えば、二度目のデート、二度目のキス、二度目のセックス。一度目で舞い上がり、妄想が膨らみ過ぎたあまり、肩すかしを食らったことが数え切れないほどあった。(本文より)


 そう、どうしていつもこうなってしまうんだろう。一度目はうまくいく、相手も楽しそうだった。それなのに、二度目になるとどうして距離を置かれてしまうんだろう。原因は明白だった。一度目で距離が近くなったと思いすぎて、自分から距離を詰めすぎてしまう。相手が引く。たとえばこれが恋愛事だったら、「相性が悪かった」「思ってた人と違った」と身勝手な言い分でごまかすことができる。だってもう会わないから。だけど女友達は違う。女友達に引かれること、嫌われることは自分のすべてを否定された気になる。

 人付き合いにおいて、「なにかを間違えた」と思うことは簡単だ。だけどその間違いを認めて、さらに後腐れなく関係を修復することは、なんて難しいことだろう。しかしとにかくこじれたままは嫌なのだ。女友達に、「あなたってそういう人だったんだ」と思われることは、なにより怖いことだ。同性に嫌われることは、おそろしい。

 栄利子は翔子のブログのファンである。たまたま近くに住んでいて、あることがきっかけで翔子が「おひょうのダメ奥さん日記」のブロガーだということを知った栄利子は、純粋な気持ちで彼女とコンタクトをとる。同い年の二人が仲良くなるのは簡単だった。正反対に見える二人が、友情を構築するのは、たった数回会うだけでよかった。

 しかしあるとき、翔子のブログが更新されなくなる。ただたんに、実家に帰っていたから更新されなかっただけなのだが、それまで毎日更新されていたこと、メールの返事もないことから栄利子の心配が爆発する。ブログの記事や写真から翔子の家をつきとめ、押しかけた。ブログを更新しなかったのは、たったの四日だけだ。距離の詰め方があきらかにおかしい。おかしいと思うのに、その行動の理由がわかる。

 だって友達だから。心配だから。メールの返事がないなんて、嫌われたと思ったから。そうじゃないのだと確認したいから。安心したいから。

 もしも異性に嫌われたら、諦めがつく/諦めざるを得ないと考える。だけど女友達は、「逃したくない」と思う。わたしは、女に嫌われる女は価値がないとさえ思っていた。女に好かれてこそいい女だと思っていた。打算的なくせに打算ができない、「そういう女」が、結局いちばん嫌われるのに。けれどそんな馬鹿みたいな「自分の価値」を考えている時期がたしかにわたしにはあって、だから「あのころ読まなくてよかった」のだ。きっと自分を武装している(つもりの)ものがどんどんはがれて目も当てられない姿になっていただろう。いや、違うな。それは今だからこそ感じることで、当時読んでいたら、安心を覚えてしまっていたかもしれないなと思う。

 

悪口を聞くと安心する

 翔子のブログは勢いがあり、書籍化の話も出ている。それにともなって、翔子は出版社の人間や有名な人気主婦ブロガーNORIと知り合いになる。NORIは子どもがいながらしっかり働いていて、さらに家事も完璧にこなすスーパーママ。翔子のブログはいつしかNORIの名前がよく登場するようになる。栄利子はもちろんそれに嫉妬する。「おひょうのダメ奥さん日記」はダメなところがよかったのだ。適当に、だらだらと毎日を過ごしているからよかったのだ。それなのにNORIに教わった料理を公開するなど「おひょう」らしくない記事が続いていく。そんな記事を見るたび、栄利子の胃が重くなる。そういうとき、栄利子がとった行動が、翔子のブログのアンチコメントを検索することだった。

「おひょうのダメ奥さん つまらない」ですぐさま検索をかけた。息継ぎする暇もなく、某巨大掲示板の否定的なコメントがいくつか見付かった。(本文より)


 アンチコメントを見ると「自分だけが抱えている感情じゃないんだ」「自分は正しいんだ」と安心できる。学生時代、わたしもそうだった。自分から離れていく女友達が憎くて憎くて、だけど離れていったのは自分のせいかもしれない、そう思うと憎み切れなくてどうしていいかわからないことがあった。そんな感情を持ってしまう自分は欠落人間なのだと思った。けれどだれかがその子の悪口を言っているのを聞いたとき、すごく気持ちが楽になったのを覚えている。「嫌っていいんだ」と思えることは救いだった。だけど不思議なのは「それでもわたしだけはわかってる」とどこかで女友達への思いを捨てきれなかったことだ。憎いのに、悪口を見てうれしいのに、自分も悪口を言いたいのに。仮にわたしと女友達のあいだに何本もの糸がつながっていたとして、すべての糸を切りたいわけではなかった。どれか一本だけでも、いつでも手繰り寄せられるように、糸を残しておきたかった。個人的にはこの場面がいちばんつらかった。責められてるみたいだったから。

 

たとえ永遠でなくても「本物」の友情はあるのか

 女友達がたくさんほしかった。だけど、男の子といるほうが楽だった。「もしも異性に嫌われたら」と前述したけど、恋愛感情が絡んでいない男の子に対して「嫌われたらどうしよう」と思うことなんてなかった。男の子からは、嫌われないと思っていた。嫌う嫌わないじゃない。興味がある、ないなのだと考えていた。
 女の子は嫌う。嫌だと思うと、嫌う。女の子から嫌われないように一挙一動に神経をとがらせるのは疲れる。だからきっとわたしは、一度目が成功したら気が緩んでしまうのだ。

 栄利子も翔子も女友達がいない。どちらもうまくつくれないのだ。だから少しでも自分に気持ちを寄せてくれたと思う出来事が起こったら、相手の気持ちを考えずに自分の気持ちを押し付ける。栄利子が会社の年下の派遣社員の女の子に言われた「今度、色々相談に乗って下さい」、翔子がNORIに言われた「いつでも連絡して。どんな相談でも聞く」という社交辞令を、二人は本気で信じて相手に過度な期待を寄せる。

 もうやめてくれ、と読みながら何度も思った。つらくてしょうがない。心臓がもたない。どうしてこんなにも人付き合いが下手になってしまうのか、どうしてそんなに「女友達」に依存してしまうのか。どうして、すこし考えればわかることなのに執拗な態度をとってしまうのか。
 それは支えを持っているか、持っていないかの違いなのだと思う。仕事、パートナー、立場、人気度、女友達、信じられるもの。客観的に見れば、栄利子も翔子も「持っている」。栄利子は優等生でバリバリのキャリアウーマン、翔子は穏やかな夫と結婚し、書籍化の話もくるほどブログが人気。それなのにこの二人には「何もない」のだ。寄りかかれるものがない、あるいは寄りかかってもすぐ倒れてしまう(と思い込んでいる)ものしかない。せっかくできた女友達に寄りかかったら、お互いを支えきれなくて結局二人とも倒れてる。倒れた先で助け合えればいいのに、それができなかったのは、友情のかたちを描けなかったからだ。自分ひとりだけで理想の友情を思い描き、相手も同じかたちを思い描いていると信じ切っているからだ。
 ひとりでは友情は成り立たない。自分と他者がかたちをつくっていかなくてはいけない。かたちの見本があるなら、どんなによかっただろう。

「男女の友情は成立しない」なんてよく言うけれど、「女同士の友情が必ず成立する」わけではない。嫉妬して、わからないのにわかったふりをして、共感して、(ちっとも共感していないのに)共感して、ときどき独り占めしたくて、認められたくて、優位に立ちたくて、心配したくて、知らないことはなくしたい。それらは本当に、本物の友情なのか。永遠に続くことのほうがはるかに少ない友情は、偽物なのか。そんな問いに対する答えは、終盤、最後の最後にあった。

 永遠につくられなくても、いっしゅんだけ、たとえば自転車を二人乗りしたときに手に入れたような無敵感を共有したしゅんかん、それを永遠に持っていけるなら、それはもう本物の友情なんじゃないかって、圭子との会話を読んで思った。

 理想的な、うつくしい友情を築き上げるのは難しい。女同士の友情を疑問視したばかりだけど、女友達をつくるのはときに怖いけど、だけどまだどこかで言われ続けている、「女の敵は女」、「女同士ってどろどろしてる」、「女は結局友情よりも男をとる」、「女ってマウントとりまくってるんでしょ?」……こんな意見に対して真っ向から否定したい、だれかとの友情を見せつけてやりたいと思う自分もいたりする。

 

幸せになって、当て馬男子

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推しになるのはだいたい当て馬男子

 最近はあまり時間が取れないが、よく漫画を読む。わりと幅広く読むほうで、「絶対このジャンルがいい!」とかそういうのはない。しかしだいたい夢中になっていたのは少女漫画であった。夢中になる度合いがほかジャンルと比べて常軌を逸していた。夢中になるものには推しが存在する。その推しになる人物の多くが当て馬男子と呼ばれるキャラクターだった。

 当て馬男子。この言葉が存在することを知ったのは数年前だけれども(「じゃない方男子」という言葉もあるよう)、当て馬男子に惹かれる傾向は十五年ほど前の高校時代からあった。当て馬男子とは、ヒロインのことを好きになるが結局報われない、不憫な二番手男子のことである。

 ただ、二番手に位置づけられている人が全員推しというわけではない。高校デビューではなにがなんでもヨウ、ラブ★コンではなにがなんでも大谷だった。また、パフェちっくの壱と大也のような、最初から「ここが三角関係になるのね」とわかるもの、あるいは「ど、どっちを選ぶの……!?(展開が読めない)」と当て馬男子要素がないとあまり燃えない。当て馬男子は、なんというか「あ、この子当て馬だわ……」とわかる男子のことなのだ(あくまで当て馬男子という点で見たときに燃えないというだけで、パフェちっくめちゃくちゃ好きだったけどね。かなしいかなやはり壱派)。

 当て馬男子はだいたいヒーローの友人あるいはライバル的なポジションにいて、最初はヒロインのことなんて眼中になかったくせに(あるいは最初はまったく登場しない)、あれ? 気付いたらこいつのことめちゃくちゃ考えてる……そこからひたすら一途になる俺、「いいから俺にしとけよ」みたいなセリフを出してくれる展開が激アツだった。

 私がはじめて出会った当て馬男子(当時はそんな言葉もなかったが)、彼によって私の好みが決められた気がする。高校時代、友人が持っていた漫画だった。友人宅へ遊びに行き、気軽にすすめられてふんふんと読んでドはまりした。寝ても覚めても彼のことを考えては胸が締め付けられた。イケメン、優しい、S属性あり、ツンデレ、ここぞというときにあらわれる、なんかもうすべての要素を兼ね揃えたスーパー当て馬男子だった。それが彼だ。

赤星栄治 CRAZY FOR YOU/椎名軽穂

www.s-manga.net

君に届け」で有名な椎名軽穂先生の作品。天然いい子ちゃんな主人公幸、自然女たらしなヒーローユキに振り回され傷ついたりするんだけども、そんなとき颯爽と登場するのが赤星くんだよ。不器用ながらも幸がつらいときいつもそばにいてくれたんだよ。ずっと幸のこと好きでいてくれ頼む。そしてどうか報われてくれ……最後まで願っていた。ごはん食べてるときも宿題をするときも眠る前も登校中も授業中も赤星くんのこと考えていた時期があって、マジ罪な男だった。シャツの柄以外、完璧な男だった。

  相馬蛍 ラストゲーム天乃忍

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 意地悪、おしゃれなのに田舎出身たるギャップ、世話焼き、案外しっかり者、ふだん素直じゃないのにたまにいきなり素直になる、さらに後輩属性がプラスされたとんでもない当て馬男子。九条への気持ちを自覚したあとの蛍くんやばい。ただ蛍くんの不憫なところはマジで入り込む隙がないよね……って読者すらも思ってしまうところ。いや漫画なので、この二人が最終的にくっつくんでしょっていうのは必ずあって(もちろん例外もあるが)、でもそんななかでも、ヒロインがちょっとふらりと気持ちが揺れるとかそういう場面があって、一瞬でも当て馬男子が報われることがある(結局そのあとふられるのでこれはこれで不憫)。しかし蛍くんの場合はそういうのがない。期待させない。いや、ちょびっとあるんだけどない。蛍くん自身もそれを自覚しているのにめっちゃ一途に思っちゃうから、なんかもう抱きしめたい。

花沢類 花より男子神尾葉子

books.shueisha.co.jp

 言わずと知れた名作。やっぱり道明寺よりも花沢類なんですよ。だって絶対花沢類のほうがかっこいいじゃんか……。普段ぼーっとしてるくせに、いきなりかっこよくなる瞬間やべえ。推せる当て馬男子の絶対条件として(むしろこれがないと当て馬男子とはいえない)、「ヒロインが傷ついていたら駆けつける」というのがあるけど、まさかニューヨークにまで駆けつけるとは思わなかった。ニューヨークって。駆けつけすぎだろ。当て馬男子は気持ちを自覚した瞬間の行動力がすごいのだ。ヒロインのことしか考えてないのだ。そういうとこも推せる。あと美作はもっと頑張って。

 当て馬男子はなぜ報われないのか

 これは簡単なことである。「ヒーローを好きでいるヒロイン」を好きになってしまうからである。不憫。私は彼らの幸せを願ってやまないのだけど、「彼らの幸せ=ヒロインとくっつく」ことだと思っているので、正直に言うと「最終回あたりでヒロインの友達的なポジションにいる女の子といい感じになりそうな雰囲気」を許すことができない。ていうかヒロインのこと一生涯思って彼女とかつくらないでほしい(鬼畜の所業)。

 当て馬男子のくくりとは少しずれるかもしれないけど、ご近所物語の田代勇介も推しだった。彼はバディ子と良い感じになりつつも、最終的に歩とくっつく。……いいんだよ。幸せそうだし歩はいい子だし。大人なんですから、各々が思う道を進めばいい。バディ子だって修ちゃんとなんだかんだうまくいくのかもしれないし、それが互いの幸せなのかもしれないけど、

だけど私は勇介とバディ子がよかったんだよーーー!!

 それ以外考えられなかったのだよ……歩はほんとうにいい子だから憎めないところもううう、くそうという気持ちが生まれてしまうので、「ほかの女の子とくっつく」展開はまったく望んでいない。べつに自分が好かれているわけでもないのに、相手の気持ちが離れてしまったような寂しさを覚えてしまうのだ。
 赤星くんも蛍くんも最終回では、決定的な「誰かと付き合う」展開はなかったが、なんとなくこれからをほのめかすような、「俺も別の人見つけて幸せにならなきゃな、フッ」みたいに前を向こうとしている感じがある。

やめてくれ。別の人を見つけようとしないでくれ。一生ヒロインを好きなおまえでいてくれ。

 その点花沢類ときたらマジ最強だ。賢者か。つらいこともあるかもしれないがずっとつくしのことを想っていてくれ。

当て馬男子には幸せになってほしいと思っている

 別の人を見つけないでくれと思いながらも私は彼らの幸せをめちゃくちゃ願っている。ただ、続編とかサイドストーリー的なものは怖くて読めない(本当は読みたい気持ちがあるんだけど、もし別の人と結婚なんてしていようものなら地雷。それで言うと赤星くんの未来をうわさには聞いてるけど読めない)。私が望む彼らの幸せは「とにかく一途に主人公のことを想い続けて、何かのはずみで主人公と幸せになる」こと。おそらくほとんどありえないのでマジ不憫。

ちなみに最推し

草摩夾 フルーツバスケット高屋奈月

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 実は当て馬ポジションだと思っていた。透は由希とくっつくんだろうな……と思っていた(最初に登場したのが由希だったから)。しかし真知の登場あたりから少しずつ私の期待は膨らんでいった。もしかして夾くんが報われる……!?  透も夾くんが好き……!? というか透のことを好きだと自覚した夾くんやばい。顔優しすぎ。思えば思うほど夾くんのことが好きになった。別荘編&修学旅行編マジ最強だった。きっと私は報われない男子だから好きなのではなくて、「報われないとわかっていても好きでいる」男子が好きなのだ(夾くんはとにかくいろんな意味で報われないと自分で思っている。本当に報われてよかったね………)

 勝手な願いだけれども、報われなかった彼らには、どっかの世界線でなんとか報われていてほしい。なのでどうか幸せになって、当て馬男子。

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小説とわたし(書く)

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 小説を書くのは苦しいことである。最近思う。わたしは公募に挑戦しているただの素人であるので、偉そうなことはなにも言えないけれど、(読む)のほうで「自分の発言に自信がない」と書き、それをすこしでも払拭したいと思っているので、書くことに対して自分がどう思っているかを残しておきたい。

 

 だいたい、この世の中にはおもしろい作品がこんなにも溢れかえっているのだから、わたしが書く意味とかないよな、というのはつねづね思ってしまう。なるべく考えないようにするけど、いろんな作品を読むたび思う。

 たとえばわたしは推敲という意味では何度も自作を読むけど、応募し終わったあとはもうこわくて読めない。おもしろくない、と自分で感じてしまうのがこわいのだと思う(そして百発百中それを感じるだろう)。こんな気持ちで応募した作品は、そりゃあ選考に通るわけもなく、今のところ結果は芳しくない。

 

 小説を読むのはすきでも、書くのがすきかと訊かれたら、どうだろう。すこし考えて、すきではないよな、と思うけど、じゃあどうして(いちおう)書き続けられているのだという疑問も浮かぶ。わたしは自分がなぜ書いているのかわからない。

 明確な理由を持っている人もいるだろう。書きたい永遠のテーマみたいなものが決まっている人もいるだろう。作品ごとに伝えたいものがある人もいるだろう。わたしはそういうのがない。ないというか、わからない。わからないまま書いている。

 テーマというのは必ずなくてはならないもの、とは思わない(たまにあったほうがいい談義がされているようだけど)。これは作品によってだ。だからテーマ云々に悩むことはそんなにないのだけど、「なぜ書いているか」を知りたいという気持ちはずっとある。

 生きがいではない(書けなくなっても生きてゆけると思う)。趣味でもない(趣味だったら楽しい方向に書いていく)。褒められるための道具でもない(褒められることは気持ちのいいことではなくなった)。

 今まで何度か考えてきたなかで、自己表現というのがいちばん近いと思っていたけど、最近は違う気がする。わたしは(読む)でも書いたけど、自分のかたちをわかっていないから、表現できるものがない。

 だからもしかしたら、書くことも、わたしにとっては自分を知ることなのかもしれない。それって結局自己満足、ということばで片づけられてしまうんだろうけど、それを自己満足にしないためには、デビューするしかないのだ。

 だから結局書くしかないんだろうけど、なんて苦しいことだろう。書いても書いても意味があるとは思えない。めくるめかないにもほどがある。なぜ書いているかを知りたいと同時に、本当は答えを見つけずにいたいと思っている。その答えが見つかったとき、わたしは書けなくなるような気がするからだ。かたちができあがっていないうちは。

 

 このまえ、一つの賞に作品を送った。三月末が締め切りだった賞といえば、だいたい見当がつくだろう。そこに応募することはひとつの目標だったから、なんというか力尽きたじゃないけど、今なんとなく書きはじめることができないでいる。

 受賞なんてするわけない、と思っているほうが楽だ。駄目だったときのための予防線。だけどなにかの選評だったか、「受賞しないと思って出す作品はその時点で負けている」というようなことを読んだ覚えがある。わたしは自信のある作品をつくりだせなくて恥ずかしいし、今ずっと負けている。なにかに、だれかに、ずっと負けている。

 負けているのがわたしのかたちなら、それを違うかたちに変えてゆきたい。わたしが書く意味はないかもしれないけど、書きたいという気持ちならまだかろうじてある。

 

 

 これは余談だけど、新人賞などの選考委員のことばを読むと、やる気に満ち溢れたり、逆に「むりだ……」となったりする。どの賞もラスボス感があってかっこいい。なかでもすきなのは、新潮新人賞の選考委員をつとめる又吉直樹さん。

「生まれたときから作家になることを義務づけられていた人など存在しないのだから、誰が書きはじめてもいい。誰にでも小説を読むことが許されているように、誰かが小説を書きはじめる自由も守りたい。」

 

 ことばは意味のないものが多いけれど、ときどきふいに、だれかにとって意味のあるものになったりする。

小説とわたし(読む)

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 小説を読むのがすきである。昔からそうだった。おもしろさを教えてくれた作品は数知れず、ただきっかけとなったのは、最年少W芥川賞受賞ということで盛り上がった金原ひとみさん「蛇にピアス」、綿矢りささん「蹴りたい背中」。わたしは当時中学生くらいだった。

 

 たぶん、物語というのが先天的にすきだったのだと思う。小さなころは絵本をひたすら読んでいた記憶があるし、小学生から高校生のあいだまで、いちばん好き/得意なのは国語だった。進学先も、のぞんで文系を選んだ。

 もちろん漫画もドラマも映画もすきだけど、小説ほど「特別」には感じない。それからノンフィクションも、あまり夢中にならない(エッセイはすきなんだけど)。

 小説のなにが特別なんだろうというのをときどき考える。小説にかぎらずだけど、「〇〇のどこがすきなの?」という問いに対して、はっきり答えられることは少ない。ためしに夫に「サッカーのどこがすき?」と訊いてみたら、「わかんないよ。ずっとやってたことだし」と返ってきた。わたしからしたら、これは納得の答えだ。いきなり訊かれても具体的な答えをすらすら言えるくらい、明確な「すき」を持っていたらどうしようとすこし懸念していた。

 

 小説のなにがすきなのか、たとえばわたしが突然そう訊かれたら、「おもしろいから」としか言えないような気がする。だけど(わたしにとって)おもしろくない小説を読むときもある。だから一概には「おもしろい」とは言えない……などとぐだぐだどうでもいいようなことを考えてしまい、結局「なにがすきか」言えなくなって、「ほんとうに自分は小説がすきなのだろうか」なんてところまで思考が行きつく。

 こんなことになってしまうのは、どこかで「小説を読む自分のことをすごいと思ってもらいたい」というようなことを考えているからではないかと、すこし不安になる。もちろんそんな自覚はなく、「おもしろいから」読んでいるわけだけど、でもときどき思うのだ。夢中になって本を買って、本棚に並べて満足して、読んだ報告をツイートして、それが目的になってるんじゃないか、とかそういうことを思うのだ。

 わたしは作品を読み終わったとき(漫画や映画でもそうなんだけど)、まずほかの人の感想を読んでしまう。自分がどう思ったか、ももちろんあるけど、答え合わせをするように、ほかの人の意見を探してしまう。これは自分自身の性格なんだと思うけど、いつもわたしは自分の発言に自信が持てない。小説を読んでいるあいだに、いろんなことを感じたりするのに、だれもそんなことを言っていないとわかったら、自分の意見を引っ込めてしまう。だから余計に「小説を読んでいるポーズ」になっていやしないかと不安になるのだと思う。

 

 小説のなにがすきなのか、そう訊かれて答えられないのは、ただ自信がないからだ。本当に自分がそう思っているのか、確証を持てないから、ごにょごにょとごまかしてしまう。

 わたしは三十年ほど生きているけど、いまだ自分のかたちをつかめない。自分がどんな人間なのか、どんなことを思うのか、どんなことがうれしいのか、どんなことがいやなのか。正直に言うと、よくわかっていない。もともと人に流されやすい性格のうえ、基本的にNOと言えない日本人なので、面と向かってだれかを責めたりすることも苦手だ。

 唯一、なんとかすこしばかりの自信を持ってすきだと言えるのが(理由はうまく言えなくても)、小説だった。小説を読むと、自分を知ることができる。どんなことを感じるのか、どんな場面にこころが動いたのか、どんな場面に嫌気がさしたのか。ただそれを発言できるほど、自分のかたちはまだできあがっていない。

 だけど間違いなく、わたしのかたちをつくってくれるのは、この世にあふれるたくさんの小説だった。わたしはわたしのかたちを知るたびに、小説のことをすきになっていくのだと思う。