祖母からたまに電話がかかってくる。誕生日であったり、なんとなくであったり、決まりはない。ただ、だいたいわたしが仕事をしているときなので、一回で出られない。かけ直すと、たいがい出ない。携帯電話を、いつもバッグに入れっぱなしにしているから気づかないのだ。
やっとつながっても、そんなに会話が弾むわけでもない。どうしてんの、元気なの、ごはんちゃんと食べてんの、こんな時間まで仕事してんの、お酒飲みすぎてないか、わたしが上京してから、会話の内容はほとんど変わらない。最近、「夫さんは元気か」が追加されたくらい。
祖父は、三年ほど前に亡くなった。脳梗塞をやり、半身不随になった。身体はほとんど動かず、しゃべることもできなくなった(それでも認知症ではなかったらしい、会いに行くと、きょとんとした顔でわたしたち孫の顔を見たが、たまに笑顔を見せた)。しばらく家族で介護をしていたが、わたしも妹も家を出てしまって、どうにも手が足りなくなってホームに預けた数年後、老衰で亡くなった。突然だった。
祖父が半身不随になったのは、わたしが中学生のころで、もうよくよくしゃべることもできなくなっていたので、実は思い出らしい思い出がない。ただ、祖母は、動ける、しゃべれる、笑う、たまにとぼけたことを言って周りを呆れさせたりもしたが、認知症の気もないので、祖父と比べると思い出らしい思い出がたくさんある。
祖母はからだを動かせるが、からだのなかが弱い(祖父は反対に、内臓がひたすら元気だったよう)。透析治療をずっとしている。薬もたくさん飲んでいる。年齢も年齢である。だからたまに、父なんかは、「たぶんもう長くないだろう」なんてことを言っている。それは、いのちがうまれたときから決まっていることであるし、この世ではとても自然なこととされていて、わたしも、悲しみはあれどそのときを受け入れる気持ちを持っている。
祖父が亡くなったとき、すこし危うい予感がした。肩の荷が降りたではないけれど、祖母はずっと祖父の世話をしていたから、気がゆるんでそのまま追いかけてしまうんじゃないか、なんてことを妹と話した。そのときから三年ばかり経って、そのあいだにわたしは結婚をし、祖母はわたしに「ずっと貯めていた」ものをわたしてくれた。
早いうちにあげないと、いつ死んじゃうかわからないから。
そんなことを冗談めかして言うので、わたしも冗談で返した。
昨日の夜、父から家族のライングループにメッセージが届いた。それまで、妹が自分の子どもが鬼滅の刃のパジャマが欲しいと言っていると、そういう他愛もない話をしていた。
なぜそのタイミングだったのか、「4月13日に、おばあちゃんが脳梗塞で倒れて大きい病院に運ばれた。左半身麻痺状態で、今も入院している。なんとかしゃべれるけど本人がとても落ち込んでるから電話してやって」とのことだった。
4月13日って、もう十日以上前のことである。なんでそんなに大切なことを今さら言うのだと怒りたくなったが、いやもしかしたらたいしたことがないから、今言ったのかもしれない、とにかく電話をしてみようと、祖母に電話をかけた。
めずらしく、すぐに出た。バッグに入れっぱなしではなかった。
もしもし、という声がいつもより小さいというか、細い、というか聞き取りにくい。大丈夫なの、とはきけなかった。
もうだめだよ。
祖母が、すこし(おそらく)笑いながら言うから、泣いた。なんか、お父さんがさっき言うから、知らなくて、なんで今さら言うんだろうね、と文句を言ったら、「言えなかったんじゃない」と返ってきて、言えなかったのか、と思った。
じいじと一緒だわ。
そう、なんの因果なのか、祖母は、祖父と同じ状態になってしまった。たくさん祖父の世話をしてきた祖母、そのせいで苦労ばかりしてきた祖母。なんかやっぱり、わたしはなにも言えなかった。
結局、祖母がどうしてんの、元気なの、ごはんちゃんと食べてんの、こんな時間まで仕事してんの、お酒飲みすぎてないか、いつもと同じことを言った。そしてやっぱり最後に、「夫さんは元気か」ときいた。わたしは泣いているから、ぜんぶ、うん、で答えた。
いつもと同じ会話なのに、それが最後になる気がして、たぶん祖母からそんな空気を感じて、また電話するねとしか言えなかった。
わたしはもしかしたら、祖母にもう会えないのかもしれない。人が亡くなるのに立ち会うことは、少しずつ増えてきているし、これからどんどん増えていくだろう。身近な人を亡くしていくだろう。
祖母はきっと、今病院でひとり、さみしい思いをしている。わたしは今日、いつもどおり仕事に行った。
祖母が入院したという病院を調べたら、原則面会禁止とあった。でも、それはわたしたちだけではないし、その病院には祖母以外にも多くのひとが入院していて、さらに多くのひとが働いていて、さらにそのひとたちの家族が大勢いる。大人になると、多くのことを「しかたない」で済ませてしまうこともある。けれどきっと、祖母は今さみしいと思う。
生きていると、さみしいことがたくさんある。わたしは祖母のさみしさも、自分のさみしさも、父のさみしさも、知らないひとのさみしさも、うまくぬぐえない。
ただ明日、わたしはいつもより早く起きて祖母に電話をかけるだろう。
わたしはずっと「わたしにできること」しかできなかった。けれど祖母はそんなわたしにいつも、ありがとねと言った。