今日もめくるめかない日

桜桃忌/太宰治


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 桜桃忌が近いので太宰治のことを書こうと思う。

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 実はわたしは昔から太宰治が好きなのである。太宰治といえば「何回も自殺する暗いひと」というイメージがあるかもしれない。たしかにそういう一面もある(というかこういう一面の印象があまりに強すぎる)。太宰治は人格・作風ともに退廃的。読んだことはなくとも「人間失格」のなんとなくのあらすじを知っていればイメージはつくだろう。むしろあらすじを知らなくてもタイトルだけで「く、暗いよ……」となりますね。人間失格って……あまりに有名な作品なのでなんか普通に受け入れていたけど、あらためて考えると暗すぎるよ。

人間失格」は太宰治自身をモデルにした遺書的な作品といわれており、脱稿一カ月後に入水自殺をしている(!)。ただ本当の意味での遺書もしっかり残されており(太宰の入水自殺に関しては無理心中など諸説あるが)、太宰治自身をモデルにした作品はほかにもたくさんある。大体においてクズ野郎である。わたしは小説を読むとき、「物語自体をたのしむ」はもちろんだけど、「物語性がなくても人間のくら~~~い心情を読んでたのしむ」節がある。さらに言えば「そんな心情を描いた作者の心情を想像してみる」ことに興味がある。そういうわけで太宰治の退廃的で破滅的で自意識過剰的で虚無的な作風が好きなのだと思う。あと周囲の顔色をうかがう癖のあるわたしは、単純に「この気持ちわかるわ……」が多い(わかっていいのか?)。

 

 太宰治といえば愛人と心中するも自分だけ生き残ったり(2回目の自殺)、薬物中毒に陥ったり、結婚し子ができても(結婚は二度目)愛人を二人つくり、うち一人は妊娠出産(認知し太宰治命名、作家として活躍されています)、玉川上水で心中をしたのはもう一人の愛人とだ。現代に生きていたら炎上どころではない(いや当時でもどうかと思う)。

 玉川上水太宰治と心中した山崎富栄の日記「雨の玉川心中」は青空文庫で公開されています。こちらのリンクは遺書。

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 破滅的な人生と死生観が太宰治の文学にはにじみ出ており、卑屈や羞恥を隠そうとする、ということを隠さずでろでろと垂れ流し、綺麗に言えば「どこまでも人間くさい」作風。ただ(当時の言葉を借りれば)女々しいという評もちらほら。そんな太宰の文学を面と向かって「きらい」と言ったのが三島由紀夫であるけれど、このあたりのエピソードもおもしろい。

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 うじうじしていてすぐ死ぬことを考える、女性にだらしない、酒ばかり飲むし薬物中毒、果てに結核になる……など救いようもない感じがするけど、作品すべてが暗いわけではない。たとえば日記形式の中編小説「正義と微笑」。これは太宰治の弟子堤重久の弟、堤康久の日記をもとに書かれたユーモラスでさわやかな(!)青春小説。

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「人には負けたくないし、さりとて勝つ為には必死の努力が要るし、どうも、いやだ。」

「自分のささやかな成功を、はたから大騒ぎされるのは、理由もなく、恥ずかしいものだ。みんなが僕を笑っているような気さえした。」

 

  16~17歳という多感な時期の少年が俳優をめざし悩んだり行動したり落ち込んだり……ときどき日記が適当に書かれているのもリアルでおもしろい。

「まじめに努力して行くだけだ。これからは、単純に、正直に行動しよう。知らない事は、知らないと言おう。出来ない事は、出来ないと言おう。思わせ振りを捨てたならば、人生は、意外にも平坦なところらしい。磐の上に、小さい家を築こう。」

 上記の結論にいたるまでの青春譚、この引用文だけでもすごくさわやかなかんじがするね! そんなに長くない作品だしまずは明るい太宰から、という人におすすめ。

 

 また、太宰治源実朝の小説を書きたいとずっと思っており、できあがったのが「右大臣実朝」。吾妻鏡の文章を引用しながら実朝の側近が思い出話を語る……という作品だ。歴史の知識がないとこちらは難しいので(吾妻鏡もわからぬ…)、読むのに時間がかかった。結局「太宰治源実朝が好きだったのだな、ふむ」という読後感に落ち着くなど。ただこちらにかんしてもおもしろエピソードがあり、「右大臣実朝」を発表する前に、太宰治は短編を一篇発表している。「鉄面皮」という作品。これはタイトルそのままで、「短編を書かないといけないのに、実朝の長編を書いている最中であるから実朝以外のことは考えられないんですけど……それなら実朝の予告をしておくか! 厚かましいわけであるけれども、どうせ私はつらの皮が厚いよ、というわけで題名は鉄面皮」という短編である。

「どうしても「右大臣実朝」から離れることが出来ず、きれいに気分を転換させて別の事を書くなんて鮮あざやかな芸当はおぼつかなく、あれこれ考え迷った末に、やはりこのたびは「右大臣実朝」の事でも書くより他に仕方がない、いや、実朝というその人に就ついては、れいの三百枚くらいの見当で書くつもりなので、いまは、その三百枚くらいの見当の「右大臣実朝」という私の未完の小説を中心にして三十枚くらい何か書かせてもらおう、それより他に仕方がなかろうという事になったわけで、」

 それより他に仕方がないわけではないだろうと思うが、こういった書き出しのあと、執筆中の「右大臣実朝」の文章をそのまま載せている。「でたらめばかり書いているんじゃないかと思われてもいけないから、吾妻鏡の本文を少し抜萃しては作品の要所々々に挿入して置いた。」などやはり太宰らしい卑屈さを見せながら、こういうお茶目(?)な一面もあるのだ。

 

 そしてこれはもういろんなところで言われているけど、太宰治の真骨頂は女性独白体の作品。女性の心情をこれでもかというくらいリアルに描き(献身的な面だったりが多いのでそういう点は現代ではリアリティの枠に当てはまらないかもしれないが)、繊細な描写は多くのひとのこころを掴むはず。

「あさ、眼をさますときの気持は、面白い。」(女生徒)

「ぷつッと、ひとつ小豆粒に似た吹出物が、左の乳房の下に見つかり、よく見ると、その吹出物のまわりにも、ぱらぱら小さい赤い吹出物が霧を噴きかけられたように一面に散点していて、けれども、そのときは、痒かゆくもなんともありませんでした。」(皮膚と心)

「あわただしく、玄関をあける音が聞えて、私はその音で、眼をさましましたが、それは泥酔の夫の、深夜の帰宅にきまっているのでございますから、そのまま黙って寝ていました。」(ヴィヨンの妻

「おわかれ致します。あなたは、嘘ばかりついていました。私にも、いけない所が、あるのかも知れません。けれども、私は、私のどこが、いけないのか、わからないの。」(きりぎりす)

「桜が散って、このように葉桜のころになれば、私は、きっと思い出します。」(葉桜と魔笛

 

 それぞれの書き出し。読みやすく、人間失格などのようにただひたすら暗くなる……ということもないのでなにか惹かれるものがあったらぜひぜひ読んでほしい!(どれも短編です)。「女生徒」はある学生が太宰治へ自分の日記を送り、それを小説にした……というエピソードもあるね。「パクリじゃね?」みたいな意見もあったみたいだけど、先述した「正義と微笑」も人の日記をもとにしているし、「斜陽」もしかり。有名なフレーズ「生れて、すみません」も実は太宰治が考えた言葉ではないというのも周知である。「小説にできるものはすべてつかう」みたいな精神があったのであろうか、退廃的でありながら文学や文壇に貪欲だったのだろう。

 

 いわゆる「文豪」と呼ばれる作家の作品はどうもとっつきにくかったり、聞きなれない言葉ばかりでよくわからんというイメージもあるかもしれないけど(実際わたしもある)、どんな人だったんだろうということから調べてみると、作品もおもしろく読めるかも! わたしも近現代の小説についてはまだまだ勉強不足なところがあるから、まずは太宰治と親交があった作家たちから読んでゆきたいなあという思い。

 また、太宰治について描かれているこちらの映画がおもしろかった。さすが蜷川実花監督……という映像美もたのしめるし、キャストもたいへん豪華。ただ、小栗旬さん演じる太宰治があまりにクズなので、「こんなひとの作品読みたくないよ……」となる可能性も否めない(それはそれで監督や出演者たちの力量なのだろうか)。アマプラで観られるよ。

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