今日もめくるめかない日

地図が読めることはもはや思いやり、話しかけられ率が高いなら本当はスマートに道案内をしたい

 平均的な「話しかけられ度」がどんなものかよくわからないからこれは私感でしかないけれど、わたしは見知らぬ人に話しかけられ率が高いと思う。とはいっても「ヘイ! よかったらお茶しない? イエーイ!!!!」みたいな声のかけられ方をされたことはない。たいてい道案内、もしくは謎の褒められが発生する。


 たとえば、わたしは短大生のころ八王子のセブンイレブンでバイトをしていたのだけれど、そこにお客さんとしてやってきたザ・ギャル!なイケイケお姉さん。その人のレジ打ちをしていたら突然、「えー! まつげ超長くないっすか!? それ地ですかあ!? つけまですかあ!?」という具合に話しかけられた。もちろん顔見知りではなく、わたしは戸惑うばかりである……。たしかにたまに「あんたはまつげが長いね」と褒められることはあったけれど、見知らぬ人にいきなりまつげを褒められたのは初めてのことであった。「地まつげです」と答えるとお姉さんはわたしのことをたいそう羨んだ。その日から、わたしの身体のなかでいちばんの自慢できるのはまつげになった。

 

 また、一人で電車に乗っていたとき……あのころはシュシュというヘアアクセサリーが流行りに流行っていた時代であった(なんか2021年も流行っているらしい。調べたら思った以上にシュシュがでけえ)。

stylehaus.jp

 わたしがしていたシュシュはもう少し小さいやつだったんだけど、とにかくそれをつけていたら電車内で、突然おばあさんに「まあ~~!! 素敵な髪ゴムねえ!」と話しかけられた。知らないおばあさんであったが、話しかけられるままなぜか会話に花が咲く……。

 

 ほかにも数年前、社員旅行で沖縄へいざ行かん、老若男女で飛行機を待っているとき、なぜかピンポイントで「今からどこへ行くのですか?」と見知らぬおじいさんに話しかけられるなど。「沖縄です、うふふ」と答えると、「おっいいねえ」なんて返されたけれども、同じ沖縄行の便を待っているのだからあなたも今から沖縄でしょうに(ご家族と旅行という風であった)。

 

 また、新宿駅を歩いていると、突然若い男性に「え? よしこ? よしこー!!」と呼びかけられたり(わたしはよしこという名ではない。よしこがだれなのかは謎のままである)。


 このように妙ちくりんな話しかけられ方をすることもあるけれど、基本的には道案内が多い。わたし自身は圧倒的なこじらせ人見知りのくせに、話しかけやすいオーラみたいなのが出ているのだと思う。
 しかしわたしは道をよくたずねられる人間にとって致命的な欠点を抱えていた。地図を読むのがマジで苦手なのである。

 

 昔、地図の読めない女なんていう本が売れたことがあったけれど、どうも女性が空間把握能力に欠けるのは幼少のころブロック遊びをしてこなかったからなのでは、なんていう説もあるようだけれど、女とか男とか関係ないさ、ただとにかくわたしは地図を読むのがマジで苦手なのである。
 正直言ってGoogleマップがないとどこにも行けない(このアプリがなかったころわたしはどうやって生きていたんだろう?)、まずiPhoneを体の前に出して目的地と方向が合っていることをいちいち確認、五秒に一回は立ち止まってGoogleマップで現在地を確認、目的地が近づいてきたが目的地が見つからないときに、「到着しました」とアナウンスされてしまった日には、まだ案内を続けて体はまだついていないのよと絶望的な気持ちになってしまうくらい、とにかく地図が読めないというか方向音痴なのである。
 
 このご時世で話しかけられ率は若干低くなった気がするが、それでもやはり話しかけられる。先日も通勤中に「もし、○○幼稚園に行きたいんですけれども」と四十代ほどの女性に話しかけられた。その女性が手にしていたのは、紙の地図である……。おそらくGoogleマップを印刷してきたもので、「ここに行きたいの」と地図上の目的地を指さされるが、まず現在地をぱっと見つけられない。Googleマップのあの青いアイコン降ってきて……。
 話しかけられたときは音楽を聴いていたのでとっさに右耳のワイヤレスイヤホンを外したが、左耳はタイミングを逃し装着したままである。流れてくるのはCoccoのカウントダウン。スマートに道案内ができず、左耳からめちゃくちゃ急かされているような、鬼気迫る状況である。仮に道案内ができなくても鼻はへし折らないでくれ。

 

 わたしが少しでもわからぬ雰囲気を出すと、道をたずねてきた人は不安になってしまう。わたしは道を聞かれた者としての責務を全うしたい、必ずやこの女性に○○幼稚園までの道を教えてしんぜよう。そしてなぜか道をたずねてきた女性も女性で、「この人に聞いたのだからこの人が道を示してくれるまで待つ」という引き下がれない感を出してくれているような気がしなくもない。
 とにかく聞いた者、聞かれた者の責務のため、わたしたちは○○幼稚園への道を二人で探したんである。
 
 まあその時間は実際三分程度で、結局最後はGoogleマップで幼稚園を検索したんだけれども。あ、この角を曲がってまっすぐ行けばあるはずですと説明できてたいへん感謝された。よかった。

 

 人と(物理的に)距離を取りなさいといわれるこのご時世、それでも思いやりは忘れずに生きてゆきたい。道や乗り換えを聞かれたらそれはもちろん力になりたい。
 先日は幸いにも自分が住んでいる町でのことだったので、なんとかなった感があった。しかしわたしははじめて行く土地でも道を聞かれることが多い。どこに行っても地元民面をして歩いているのだろうか?(Googleマップを手離せないはずなのに!)とにかく話しかけられ率が高い人間として、少しくらい地図は読めるようになりたい。Googleマップを使わずとも東西南北、ハイヨユー!てな感じで道案内をしたい。地図が読めることは、もはや思いやりなのだ。
 ただしかし、道案内をするよりGoogleマップをインストールしてもらったほうが万事スムーズにいくのではないかと思わなくもないけれど。