今日もめくるめかない日

「段入れますか?」の段って結局なに

 美容院で髪型の注文をするのが苦手すぎる。モデルなどの写真を見せてこんな感じで……と注文するのも恥ずかしすぎてむり、かといって見本がないとなにひとつ自分がどうなりたいのか伝えられない、なんか結局いつも「えーと、さっぱりしたかんじで…」などと曖昧な注文をしてしまい、美容師さんに「じゃあこうしてああしてこうするのがいいですかね?」と訊かれて、全然イメージが浮かばないのに「ア、ハイそれで」と言ってしまう。まあそれで極端な失敗ヘアーになったことはほとんどないのと、同じ美容院にもう長く通っているのでそんなかんじの注文の仕方でいいかと思ってはいるが、それでも昔から気になっていることがある。いまだになんのことかわからないがなぜか必ず訊かれる「段入れますか」。

 段ってなに。


 同じ美容院に長く通っているとはいうが、一年に三回行けば多いほう、美容師の指名とかもしたことないから、カットしてくれるひとはいつも違う。違うのに、皆ぜったいに訊いてくるのだ、段入れますか。この美容院の特徴なのかとも思ったけれど、違う美容院でも昔から当たり前のように訊かれていた気がする、たぶん美容師業界では挨拶レベル、カットされる側としても一般常識なのではないかと思われる言葉だが、正直に言うとわたしは全然「段」がわからん。髪に段ってなに。段入れるとどうなるの。なにかいいことあるの。わたしの髪型どうなるの。

 

 いや、正直に訊けばいいじゃないかと思う気持ちもある、「段ってなんですか」と訊くだけでいい。しかし、段入れますか、が当たり前のように飛び交うなか、張るだけの見栄と意地なら人並み以上というわたしは今さら「だ、段って結局なんなんですか…?」とは恥ずかしくて訊けない、代わりに「あ、ハイ、段ですか、ハイ、うん、そうですね」と段のことならなんでも知っている体を装い、入れるのか入れないのかわかりかねる回答をし、大抵それは肯定の意として先方に伝わり、「じゃあ入れますね」と結局段が入っているらしいけど、だから段ってなに! アイスティーのミルクとガムシロ入れますかの質問とは違うんだよちんけなプライドを守るだけのわたしに段の説明をしてくれ頼む。
 しかし段の説明をされたことはない。皆知ってる前提で話を進めてくる。段入れますかは何度も訊かれたけど、段知ってますかは訊かれたことがない。もしかしてわたし以外の人類全員段を知ってる? もし段の説明からしてくれる美容師さんがいるなら永久指名するよ。


 言葉からして段、だから段になっているのだと思う、ググってみると、つまり表面が短くて奥の髪が長いとそういう……? いや理屈はなんとなくわかる気がするけれど、その、段を入れると結局どういう効果があるの、なぜ「段」が必須の質問になってるの、ていうか自分のカット後の頭さわってみても、「段」の感じぜんぜんわからんし、わたしの頭のかたち的に段を入れたほうがいいの入れないほうがいいのどっちがいいの、だんだん謎は深まるばかり、段だけに……とかこんなしょうもないことしか考えられなくなる段。擬人化したらちょっと意地悪そうな顔してるだろう段。

 

 最近どうですか、とか、暑いですね、とか、今仕事なにしてるんでしたっけ、とか、昼飯は蕎麦食べました、とか、いろいろ大変ですよね、とか、そういう話になるのはわかる、だけど結局いつも同じことを言うのだから段について話してほしい、というかこれを機に日ごろ思っていたこと言っちゃうけど、わたしは会話が苦手なクソコミュ障、饒舌になれる場所といったらブログとTwitterしかないという哀れな人間なので、着席してマントみたいなのかけられた瞬間持ってきていた文庫を開いて読書タイムにいざ突入、わたしあんまり話す気ありませんからという失礼な雰囲気を出してしまう(段の話をしてくれるなら聞くけども)。
 いや自分は客、つまり神様ですからとか思っているわけじゃない、それだけは信じてほしい、だけど会話が苦手すぎるから人を拒絶してしまう、わたしはいくつになってもヤマアラシのジレンマを抱えているシンジくんなんだよ、うまく話せる自信がなくて素っ気ない態度をとってしまうというわけ。だれかわたしのDSSチョーカー外して宇部新川駅から連れ出してくれや……。

 とにかくそういう、「わたし本を読んでいますから」という態度をとっているのに「今どのあたり住んでるんでしたっけ」って訊いてくるメンタル強すぎない? わたしがどのあたりに住んでたっていいじゃんか、10年近く同じ美容院通っているんだからずっとこのあたりに住んでるよ。
 ほかにも「結婚したんでしたっけ?」「はい」「だんなさんいくつですか」「六つくらい上です」「え~!すごいですね~!」……一体なにがすごいんじゃ。歳の差がすごいのか? 結婚したことがすごいのか? わからん。なにもかもわからん。どうやらその美容師さんも結婚していて妻のかたが10くらい上だという。ここでたとえばわたしが「すごいですね~!」って言ったとしたらなにが?ってなるじゃん。もし強制的に会話をしろと言われているならそのルールは見直してほしいしわたしも態度悪くてごめんだけど。
 だからもうそんなふうに話しかけてくれること、いっそあこがれるよ。ただせめて「なんの本読んでるんですか」と訊いてほしいとは思う。しかし昔それで「吉本ばななのキッチンです」と答えたら「あ〜!サラダ記念日」と言われて、「いや…それは俵万智です」と「詳しくないなら黙れ小僧」みたいな雰囲気を出してしまい、いうなればちょっとマウントとり気味で訂正してしまったことがある。ばなな、キッチンときたらたしかにサラダ記念日が浮かぶのかもしれない。なんの本を読んでいるのかと訊かれたら、わたしはまたマウントをとってしまうかもしれない、わたしはそういうしょうもない人間なんだ……と気落ちする可能性があるからやっぱり訊かないでくれてよかった。だけど、段のことを訊けないくせにマウントばっかり取ろうとしやがるわたしみたいな人間にもフレンドリーに話しかけてくれる美容師さんには、本当は本当は感謝してるんですいつもありがとう、「ああ間違えちゃったなあ!」と底抜けにあかるく美容師さんが笑ってくれたからあの日はマウント記念日……いややかましいよ。

 

 カットが終わり、どうですかと三面鏡をばばーんと広げてくれるときも、後ろから見た仕上がりにわたしは良いも悪いも評価をつけられない。三面鏡に映るわたしの後頭部には段というものが入っているらしいけれど、「で、どれが段ですか」なんて訊けた試しがない。本当は仕上がりじゃなくて、どれが段なのかを見たい。しょせんわたしは「かゆいところないですか」に対して「ないです」としか答えられない人間よ。
 ワックスつけていいですかと訊かれれば家に帰るだけのくせにつけてくださいと言ってしまう。そのとき「こうやって毛先を遊ばせるようにワックスつけてくださいね」と教えてもらうが、毛先を遊ばせる?????? ワックス×毛先の遊ばせ方なんていくつになってもわからんのだが。たまにワックス買ってみても二日使ったらあと放置で三年後とかに埃かぶって出てくるよ(なんかめちゃくちゃハードワックスになってる)。段にしろ会話の内容にしろ毛先を遊ばせるにしろ美容師言語はもう少し具体性を持ってもいいと思うんだよ。それともみんな当たり前にワックスで毛先を遊ばせてるの?

 

 まあなんやかんやでニューヘアスタイルになると気持ちもわくわくするもので、会計が終わり外に出たらスキップでもしちゃいそうな気分、わたしは前髪も自分で切れないド不器用な人間なので、美容師さんいつもありがとう! 来たときよりもちょっと世界がたのしくみえる、コンニチハ新しいわたし! とうきうき帰路につくんだけれども、結局段については知らないままのわたしである。どこが新しいわたしだ。

 それで、段って結局なんなんですか。