今日もめくるめかない日

スカートと絶滅(スカートのアンソロジー/絶滅のアンソロジー)

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 アンソロジーや文芸誌など、一冊でいろんな作家の作品を愉しめるものが好きだ。もともと短編も好きだし。なんだかとても贅沢だし、お得なかんじがする。それでアンソロジーは同じテーマに対していろんな作品があつまるわけで、当たり前だけど(これが当たり前となるのもすごいんだけど)、それぞれぜんぜん違う作品がうまれるのは、やはりわくわくする。
 それで今回読んだのが、「スカートのアンソロジー」、「絶滅のアンソロジー」。

www.kobunsha.com

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 まず「絶滅」というワードにかなりこころ惹かれるものがある、わたしはSFとかディストピアとか、実はそういった破滅的(?)ジャンルが好きなので(絶滅が必ずしもそのジャンルになるわけではないが)、テーマからしてもうたまらん。そしてたくさんの可能性を秘めてはためかしてくれるスカート、あれまあ、こういう企画もっといっぱい欲しいです。
 とくに気に入った作品の感想をちょこちょこ(このほかにも作品は収録されています)。

 


スカートのアンソロジー

明けの明星商会(朝倉かすみ

高卒、短大卒、大卒の新卒で入社した同期3人の話。とはいっても現在の年齢は50歳すぎ。一番年上のコマちゃん(60歳くらい)が亡くなり、マリッコとアヤチョで形見分けをする。わたしはマリッコたちほど人生長く生きてはいないし、長く付き合っていた友人を亡くしたこともないけれど、「たかまり」のところはなんだかすごくわかる気がした。たぶん友情とひとくちに言ってもそこにはいろんな感情がそれぞれあるだろうし、たのしい思い出だけじゃなくて嫌な気持ちとかも積み重なってたりするんだろうし、そういういろいろが、そこまでのたかまりにならなかったり、マックスのたかまりを感じたりにあらわれていたりするんだろうけど、でも、いろいろあっても友だちは友だち。どうしてずっと友だちだったのかとか、理由とかもいらなくて、コマちゃんにとってはマリッコとアヤチョは明けの明星だった、ってことを知っているだけで、それでとりあえずいいよねって思った。

 

そういうことなら(佐原ひかり)

主な登場人物は3人。主人公の吉野。高校の制服の自由化がはじまり、スカートをはきはじめた吉野の彼氏の水谷。それから「リリちゃん」をいつも胸ポケットに入れている師匠(リリちゃんとは人形)。とりあえずこんな言葉を使ってしまうけれど、まあみんな「いろいろある」わけだ。ただ、男の子がスカートをはくこと、働いていない男の人が少なくとも中学生のころから同じ人形を持ち歩いていることは、まだ「ふつうとかそういうものの埒外」にある。多様性っていうけれど、そうじゃなくて、「多様性」という一言で水谷をまとめてしまうのではなくて、たぶん大切なのは「スカートをはく水谷」と「タイ米みたいな気持ち悪いゼロを書く」水谷は同じ水谷ということ。水谷や師匠、そして吉野を形成するいろんなことは対等であること。スカートをはく理由はどうでもいいけど、スカートをはこうと思った水谷のことはどうでもよくないこと。そういうことなら、というタイトルと「たましいのレシピ」にしびれる。わかってる感はいらないよね。いろんな一面が、水谷や師匠や吉野をつくっている。それでいいし、すべてを無理に知る必要もないと思う。目立つ一面があったとしても、その一面が必ずしもその人の価値を脅かすことにはならない。著作である「ブラザーズ・ブラジャー」を読んだときもそんな思いになりました。好き。

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くるくる回る(北大路公子)

ひとりで暮らす七十歳のマチコと、マチコをおれおれ詐欺から救ったナナヨ(本当は、マチコは詐欺だとわかっていたけど)。どこか地に足つかないようなマチコに、すこし不安になる。この妙な不安はなんだろ…と読んでいるときなんか心もとなかった。それはマチコの諦めとか後悔とかにずっとあてられていたからなのかなと思う。マチコはきっとナナヨを恨むことはしないんだろうけど、わたしは自分の両親にはいろいろ後悔させたくない、というかもしなにか悔いていることが今でもあるんだったら、とくに悔いる必要もないよと言いたい。

 

スカート・デンタータ(藤野可織

おもしろかった。藤野可織さんの書くとんでもない世界がいつもおもしろいです。デンダータってなんだろと思ったら、そういう民話があるんですね。スカートが牙をむいて痴漢の手首を食いちぎる。痴漢がスカートをおそれる、スカート用の歯ブラシも発売される、男性も穿くようになりもはやスカートは自衛、スカート穿いていないなんて危機管理能力なさすぎ。痴漢が最後、自分もスカートを買って自分でスカートの歯を磨くことがルーティンになる、というのにまったく同情できなくてよかった(今までは痴漢することがルーティンだった。あらためて痴漢はクソ!)

 

半身(吉川トリコ

おわーーー「半身」ってそういうこと……。「唯一絶対の正解をだれかに教えてもらいたい」というのすごくわかるし、周りの意見に同調して生きていくのはすごく楽。言いなりになっているわけじゃないけど、望まれていることを察してそのとおりの言動をしてしまう。子どもを自分の半身として扱っているんじゃなくて、自分の半身ということにしたい、子どもが望むことが自分の望むこと、ってそれはすごく綺麗な言い分だし多くの親がそうであるのかもしれないけど、きよみにとったら楽な生き方としての望みなのかなあと思った。

 

本校規定により(中島京子

学生の制服のスカート遍歴と生きてきたタメジ。わたしはスカートの下にジャージをはいた世代でした。なつかしい、そういえばみっともないって先生にも親にもよく怒られた。そして金八先生ではじめて知ったこともあった。だけどスカートをはくのがいやな人もいる、ということは知っても自分のまわりにそういうひとがいるかも、とまでは考えが及ばなかった。結局当時はドラマのなかだけの話だったけど、タメジみたいな先生がいたら、学校をもっと好きになる生徒がわたしのまわりにもたくさんいたのかもしれない。受け入れることを強要するのはむずかしいけど、想像することは当たり前になってほしいと思う(自分も含めて)。

 


絶滅のアンソロジー

 

絶滅の誕生(東山彰良

好きな話。絶滅とは、つまり滅びること、なくなること、だけど世界の誕生、それから嘘や愛、嫉妬の誕生……と絶滅とは反対の位置にある誕生を描いた話。「嫉妬は愛の腹から生まれたことになる」の一文が好き。絶滅の誕生過程にいろんなものが生まれるけど、結局絶滅が誕生して、それはつまり誕生の絶滅ということなのかも。

 

梁が落ちる(河﨑秋子)

なにか事故があったとき、スマホで写真を撮る野次馬が少なからずいる、はずなのにそういった人が一人もいない、それどころか黙祷をささげる人がいたり、ふらりと入ったラーメン屋で、なぜか先に入っていた知り合いでもない客が自分の分の会計までしてくれたり、「善良すぎる」人ばかりが出てくる話。明確な悪意が見えなくなったが、「何かが決定的にずれている。あるいは、抜き取られている」。ジェンガみたいに、工事現場の足場がとつぜん崩れるように、なにかが変わっている。かたちが見えない変化は不安になるし、その変化を拒否してもその変化には大抵否応なく巻き込まれていくもの。けれどわたしたちが今いる場所も、なにかが書き換わって変化した場所なんだと思う。
河﨑秋子さん、現在「小説TRIPPER」で「介護者D」という連載もされていて追いかけているんですがこちらもおもしろく、騒がしくなく静謐な不安をあおるような文章がとても好みです。

publications.asahi.com

 

〇〇しないと出られない部屋(王谷晶)

ウイルスに感染しないよう、人間が触れ合うこと、寝食をともにすることをやめて二百年ほど。感染症の研究の一環として、「謎めいた行為」であるキスの意味を探るため、ある部屋で60日間一緒に過ごすことになったDとR。研究の内容は最初の30日間は同じ空間で過ごし、互いの肉体を同質なものに近づけ、残りの30日間で徹底的に脳波や内臓器官を検査したうえでキスを行う…というもの。他人と一緒に過ごすということがすでにありえないの連続だけど、そこから互いを意識しはじめる過程を飽きることなくたのしめる。Rはツンデレ

王谷晶さん、「ババヤガの夜」もおもしろいです。

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桜を見るかい?――Do you see the cherry blossoms?(平山夢明

ああ~~~~~、桜を見るかい?って、ああ、そういうことか。笑 「ア嘘」の表記がおもしろかった(本当は嘘は反転しています。意味わかる?)。配役は置いておくとしても、完璧な人間をつくろうとするユートピアディストピアな世界において、強姦によってできた命を守ろうとするのは「桁外れに狂った」行為。でもいろいろあってみんな幸せに暮らすならいいのか、って、捨てられた命にとってはたまったもんじゃない。桜を見てる場合じゃない!!

 

 

どちらもまえがきからあとがきまで愉しい一冊になっているんですが、真藤順丈さんのあとがきにあった「物語は、小説は、あなたを絶滅させないためにあるのだ。」
かっっっっっこよ……。