今日もめくるめかない日

サプライズされたときの反応にいつも困る

 サプライズされたときの反応にいつも困る。最近はだれかと飲みに行くなんてこともなくなったからこの問題は発生しなくなってきているけれども、少し前までサプライズというものには悩まされてばかりだった。

 サプライズはそんなに頻繁に起きるものではない(なにしろサプライズだから)。就職祝い、結婚祝い、あとは年に一回の誕生日。友人たちと飲みに行ったとき、「おめでとうございま〜す!」と店員さんが花火刺さったケーキを持ってくるあれである。あれが登場したときの反応にいつも困る。

 

 わたしは反サプライズ主義というわけではないけれど、サプライズはとくに考えてもらわなくて結構という思想でいる。うれしくないわけではないけれど(祝われることはうれしい)、とにかく反応に困るからできればせずにいてほしい。ワァー(喜)!と喜べばいいんだと思うが、サプライズされること自体に魅力を感じないのでワァー!という反応ができない。しかもサプライズということは、事前に知らされていないということなので、とっさの反応が必要になる。

 とっさに反応、正直むりである。戸惑うしかできない。とっさにワァー!と反応できる人ほんとうにいるの…?と思うけれどこれがいるのだ。わたしもそれなりに生きてきて、サプライズされるする側どちらの立ち回りも担ってきたけれども、ワァー!と瞬時に喜べる人は実際にいる。素直な性格をしているのだ。うらやましい。というのもサプライズはされる側はもちろん、するほうも相手の反応によって一喜一憂するもの。「きゃ~!」乃至は「え~うそ~…うれしい~(泣)」というちょっと感動した雰囲気がされる側からにじみ出ればもう万万歳、サプライズ企画者冥利につきるというもの。
 しかしサプライズをされたときの反応に困る人間にうっかりサプライズを仕掛けてしまうのは由々しき事態。「おめでとうございま~す!」とケーキが運ばれてきて、わたし以外の人間がなにやらにやにやとしているのを「えっあ~、ああ、えっあ、あは…」と、ワァー!も(泣)もできず、まじでどうしていいかわからん「あは…」という中途半端な笑みを浮かべながらばちばち花火が消えていくのを眺めてしまうので、あまりに不完全燃焼な空気が漂う。い、いたたまれないあの空気。するとすかさずだれかが「ほら!誕生日だったじゃん!花火消えちゃうじゃん~(笑)ほらほらおめでとう~!」と場を取りなし大皿にのったケーキをわたしに持たせ、すかさずスマホで写真を撮るあの店員さんとの連携プレー、主役になっているはずなのにサプライズされたことの波にのれず、できあがった写真はいつも笑ってんだか笑ってないんだか中途半端な表情で「サプライズされた感」がまったくない。こんなにサプライズしがいのない人間もいないだろう……。


 急に店員さんがケーキを運んでくるパターンはまだいい。戸惑っているあいだに写真を撮るまでの連携プレーが発揮され、なんやかんやでサプライズが完了する。容赦のないサプライズは店内が突然暗くなりバースデーソングが流れてケーキが運ばれてくるあれだ。

 こ、これはまさか…一週間前に誕生日を迎えたわたしのためのあれ…と気づいた瞬間、周りの友人がにやにやしている……ここからサプライズされる側は試されている。「えっもしかして?え〜わたし?えっやだ~も~!!」というような雰囲気を出さなくてはいけない。な、なにが「え〜わたし?」だ。むりである。せいぜいが、「や、やべえ、くる、あれが…くる…っ」と覚悟を決めることしかできない。
 さらにこのバースデーソングサプライズの厄介なところは、一日に二度流れることがあるということだ。どういうことか、つまり同じ日、同じ店、同じ時間帯に、誕生日を迎えた二組の客がいるということ……。最初にバースデーソングが流れ、「や、やべえ、わたしのところにくるかもしれない……」と思っていると別の客のところにケーキが運ばれていき、わ~!おめでと~!の拍手が巻き起こり、「自分じゃなかった、よかった」とほっとするのもつかの間、なんとまた頭からバースデーソングが流れるのである……。「ちゃーんとあんたの分も用意してますよ☆」みたいな顔やめてくれ……ついさっきまで「ドモホルンリンクルをいつから使うべきか」「将来介護される側になったときのため全身脱毛をしておくがよい」といった話をしていたくせに、サプライズがはじまった瞬間、無垢な少女みたいな顔しやがって……。

 

 ときどき漫画などで、天然な登場人物がサプライズを仕掛ける本人に間違えてサプライズの内容をメールで送ってしまい、主役が「どう反応すればいいのやら、ヤレヤレ」……となる展開があるが、覚悟を決める時間やどういった反応をするべきか考えられる時間がおおいに用意されるからむしろうらやましい。

 反応に困るといっても、わたしはサプライズされることが嫌でたまらないわけではない(まあできれば避けたいが)。せっかくいろいろ用意してもらったのだし気持ちはありがたいので、やはりこちらとしても喜びたい。しかしむずかしい。サプライズじゃなくて、普通におめでとうと言ってもらえれば普通に喜ぶのに。例の花火ケーキが登場するとマジでどうしていいかわからなくなり、そそくさととにかくケーキを食べようとフォークをぶっさすがその瞬間「え、写真撮らないの…?」とちょっと悲しそうな顔までさせてしまう。いやさっきみんなで撮ったじゃん…と思うけれど、たしかにケーキ単体は撮っていない、しまったこれではサプライズ企画者冥利が…とする側の気持ちを汲みたいあまりにこっちが傷つく。サプライズって、知らんけど、もっとハッピーなもののはずでは? 

 あとここでしか言えないから言っちゃうけど、お酒飲んだあとに甘いものをあんまり食べたくないんだよ、お茶漬けでしめさせてくれ。

 

 自分がサプライズをされるような人間ではないとつねづね思っているところも大きい。いつだったか、夫がクリスマスの朝、わたしの枕元にプレゼントを置いていたことがあったが(夫はベタなことを愛している節がある)、わたしはそのプレゼントに気づかずそのまま出社し夜眠るときに気づいたということがある。結婚してはじめてのクリスマス、ドン引きされた。わたしはまた企画者冥利をずたずたにしてしまった。本当にサプライズしがいがない人間だ。とにかくそれくらいサプライズをされることを想定せずに生きているのである。

 別に毎日「わたしサプライズ興味ないから」とか言い歩いているわけじゃないけれど、なんというか雰囲気的に「あの人サプライズ興味なさそう」と思われるような言動はしていると思っていた。でも違うらしい。自分が思うより他人は自分に興味がないし、サプライズはだれでもうれしいものという刷り込みも起こっている。なんてこった。


 ちょっと前にフラッシュモブという現象が流行っていたけど、あれを発言小町とかヤフー知恵袋とかで読むたび背筋が凍った(ていうかほんとに国内で起こってたの?)。背筋が凍る人の人口比率のほうが大きいと思うんだけど(発言小町でも引いたんですが…という悩みが多かった)、当時わたしのまわりに「フラッシュモブにあこがれる」と言っていた人はたしかにいた。なんてこった。
SEX AND THE CITY」でビッグが結婚式前夜、キャリーに「これは二人のための結婚じゃないのか?」というような疑問を投げかけていたけれど、フラッシュモブをされた日にはビッグの気持ちがわかりすぎてしまう(いやしてもらったことないけど…)。あの映画は最終的に親友がいればもっと最高!というハッピーなしめくくりになったけど、フラッシュモブは親友でもなんでもない、ぜんぜん知らない人が踊ったりなんやかんやしているらしいじゃないか…(だってモブだもの…)。でもそれだけお金や労力をかけてその舞台を用意してプロポーズして……ってたとえそのフラッシュモブが嫌だったとしてもその場で断れる勇気を持つ人がどれくらいいるのだろう。サプライズはされる側が主役だけれど、される側にとってもする側の面子を潰してはいけないという考えが少なからず働くと思う。サプライズは、実はする側も同時に主役になっているのでは?
 つまりなにが言いたいかというと、サプライズ=必ず人が喜ぶというのは大間違いで、サプライズするのはいいんだけど、サプライズを純粋に喜ぶ人にしてあげてほしい。でもなんか「わたしサプライズされるの苦手で」とかわざわざ言うの、まあ、変というか、逆に期待している?と思われてしまう可能性もあるし、かといって「あなたサプライズされるの嬉しい人?」とか聞くのも計画破綻の第一歩である。なんとかなってほしいこのサプライズ問題。

 

 コロナ禍によってなしになったが、もともと自分たちの結婚式には友人を招く予定だった。そのときいちばん付き合いの長い友人が、「もしかしてサプライズムービーとかつくったほうがいいの?」とか聞いてきたので「こいつ、わかってるな…」と思った。そもそもそんなことをたずねてくる時点でもうサプライズは破綻しているのだけれど、わたしはその質問に対してサプライズと名のつく一切のものは企画しないでほしいと頼むことができた。

 ただでさえ反応に困ることが予想される結婚式、さ、サプライズムービーなんてどんな顔をしてみればいいのだ……。サプライズということはわたしもその内容を知らないわけで、そんなビデオを親戚も、夫の親族もいるなかで見る……?むりである…親への手紙も絶対にやりませんとプランナーに伝えていた。親への手紙なんてサプライズを受けた両親の気持ちを考えるとなんかもういろいろむりである……。もしかしたら超喜んでくれるのかもしれないが、でもそれならあとでこっそりお礼言えばいいだけじゃん……わざわざ大勢の前で読むことなかろう。だいたいテンプレになりすぎて親への手紙もサプライズじゃなくなってるし、むしろ読まないことがサプライズなのでは……?

 まあつまり、ごたごた言っているけれど、わたしは極端な照れ屋なのだと思う。

 

 贈る、受け取る、を互いにひとしく同じ気持ちでやりとりするのはむずかしいのだ。サプライズありなしにかかわらず。ただ、喜ばせたいという気持ちはやはりいちばん大事。サプライズしたいから、が先行してしまうのはまあよろしくないだろう。サプライズは相手を喜ばせたい、のあとについてくるオプションだ。相手の性格などを考えてサプライズを喜ぶかどうかを見極めたいところ。

 

 まあつまり、長々と書いちゃったけれども結局なにが言いたいかというと、「SEX AND THE CITY」でキャリーがルイーズにヴィトンのバッグをサプライズでプレゼントするシーンがあるけど、あれめっちゃよかったよねってこと。

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