今日もめくるめかない日

ブレークポイント設定!デバッグスタート!(偶然の聖地/宮内悠介)

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 パーカーのフードを深くかぶって、伸ばしっぱなしの前髪からときおり見せる鋭い目、それじゃあ視力低下待ったなし、というくらいの真っ暗な部屋で、パソコンのモニターだけが青白く(あるいは黄緑色とかに)光っていたりして、そのモニターの前でなんかぶつぶつつぶやきながら(ここは…そうか、いや違う……ああオーケーそういうことか、的な)、キーボードかたかたかたかたかたかたかたかた……エンターキー!ターン!!!みたいなシチュエーション、「目立たないあいつが実は天才ハッカーだった」という設定にわたしはすこぶる興奮する。
 そういう、中2的なアレな心をくすぐってきたり、しかし極上エンターテイメントともいえる冒険譚に少年のように(中2ではなく)わくわくできたり、なんかバックパック背負って海外旅行に行きたくなったり(三駅先の町に行くのも面倒くさがるくせに!)、とにかくいろんな「おもしろさ」が詰め込まれたとんでもない一冊を読んだ。おもしろすぎる。おもしろすぎて途中何度もひっくり返った。

bookclub.kodansha.co.jp

 地図にはない、検索にも出てこない架空の山「イシュクト山」。それぞれの理由でその山をめざす四組の冒険譚。主要人物は全部で八人だ。
 まずアメリカに住む十九歳の怜威。失踪した祖父に隠し子がいたことが判明、その子どもが「イシュクト」にいるのだということを弁護士に聞かされる。どうにも信じられない話だけれども、現地に行って確かめてみようと友人のジョンとともに怜威はイシュクトへ向けて旅立とうとする(夏休みだった)。しかしだれもイシュクトへの道を知らない……が、ユーチューバーとしてゲーム実況配信をしていた父勇一の動画視聴者に情報提供され、イシュクト山へ行ったことのある人を教えてもらい、テレビ通話で情報を入手。そしてバックパッカーであったジョンとともにイシュクト山をめざしパキスタンへ出発する。

 そして実際にイシュクト山へ行ったことがあるというティト・アルリスビエタ。この人が怜威にイシュクト山の情報を提供した人である。イシュクト山は地図にのっていないので、さまざまな偶然が起こることによってたどりつける場所。昔ウルディンという相棒といろんな国を旅していたティトは、パキスタンのギルギットという都市にて偶然出会ったレタとフアナという旅行者とイシュクト山に登頂することになる。イシュクト山はのぼった人の願いを叶えるが、かわり大事なものを失う山とされていて、ティトは相棒のウルディンを滑落により失ったかわりにたくさんの成功を得て、レタは片足を失ったかわりにフアナの肩に触れられた(肩?ってなると思うけど詳しくは作品読んで!)。それから長い月日が経つが、運命を捻じ曲げるため、ティトとレタは再びイシュクト山をめざし出発する。

 怜威が出発したあと、なんと怜威の部屋から謎のミイラ遺体が発見される。刑事ルディガーとその相棒バーニーは、容疑者怜威を追うためパキスタンへ。自然とイシュクト山の真実に向かうことになる。ちなみにミイラを発見したのは父勇一であり、怜威が殺人を犯したなんてことは微塵も思っていない(ユーチューブでもそう配信していた)。このミイラの謎も読んでいくうちに解明されていくんだけれども、それがもうわくわくしっぱなしだった。これが…エンターテイメント…

 そしてわたしがなにより興奮した二人組、その名も「世界医」。まず世界医って肩書きが興奮を誘う。世界医って……やば……。世界医、ロニーと泰志はすごくざっくりいうと「世界に起こっているバグを修復する人」。世界に起こっているバグを修復する人~~~~~!!!!????かっけェ~~~~~~~~~~~~。最近、金原ひとみさんの「アンソーシャル ディスタンス」に収録されている「デバッガ―」という作品を読み、バグを修復する人のことを「デバッガ―」と呼ぶ、ということを知ったのだけど、そのときすでにわたしは「バグを修復する人」というかっこよさにしびれていた。そしたらまさか「世界医」なんてものが出てくるなんてね……。
 世界のバグはそれはもうたくさんあるらしい。たとえば人々を悩ませている「旅春」。秋のあとにおとずれる短い春のこと。これはたいへんなバグである。秋のあとに春がくるなんてバグとしかいえない。また、寺院でふるまわれるカレーの味に微妙な違和感があると思えばそれもバグ。バグなんだ……。

「偶然の聖地」ではプログラミングにかかわる用語がそれはもうたくさん出てくる。わたしは高校生のころ情報処理という授業を受けていたがなにがなにやら、ありとあらゆる匙を投げたくらいであり、それは今もまったく変わっておらず、なんかそういうプログラミング言語的なものは脳が理解を超絶拒否する……のだけれど、なぜ……「偶然の聖地」はばんばんプログラミング言語や理論が出てくるのに、ぜんぶわかる……わかる、というか、全部おもしろさに変換される……これわたしのバグも修復されてる……やば……。世界医は、なにもメスとかつかってバグを修復するわけではない。だってバグだもの……プログラミングをあれしてこうして修復する。「ブレークポイント設定」して「デバッグスタート」という合図で修復を開始する。
 このブログをここまで読んでくれた人……わかってくれる…?「ブレークポイント設定」「デバッグスタート」だよ!!!????かっけェ……。わたしも言いたい…。だから記事のタイトルにした……。世界医まじやべえ。

 なぜプログラミング用語がおもしろさに変換されるのか、それはもちろん大前提に内容がおもしろい、先が気になる展開という要素が相まっているのだけど、この作品のでかすぎる魅力のひとつ「註釈」の存在。註釈といえば、だいたい巻末に補足説明としてなされるあれ。しかしわたしはつねづね思っていた。巻末に註釈があると都度ページをいったりきたりしなくてはならない。しかもそのあいだに読んでいた部分のことを忘れてしまうということにもなりかねない(バグだ……いやただ集中力がないだけか?)。もちろんそのページ内に註釈を入れてくれるものもあるけれど、註釈って、なんというか事務的というか堅苦しいものばかりである。しかし「偶然の聖地」の註釈は違う。なんかエッセイになってたり豆知識や旅行の必需品を教えてくれたり、くすっと笑えるものばかり。

 

 たとえばティトが自分の説明をする場面。

ティトはそれからも自分はサンスクリット語をはじめ八ヵ国を話すことができるだの、カルタゴハンニバルの生まれ変わりを称する政治家の秘書をやったことがあるだの、(後略)

講談社文庫「偶然の聖地」16頁。傍線は原文の通り。註釈部分に入るのだ)

に対する註釈。

サンスクリット語をはじめ八ヵ国語を話す】吉祥寺の夜の路上で、見知らぬおっちゃんからそんな感じのことを訴えられたことがある。

講談社文庫「偶然の聖地」16頁)

 笑う。作者である宮内悠介さんの実体験がこのようにちょこちょこ註釈として登場する。

 

 また、怜威とジョンがパキスタンへ飛行機で向かう場面。

窓際の席が取れたはいいものの、景色は翼で遮られて見えなかった

 

【景色は翼で遮られて見えなかった】ぼくは必ずこの席にあてがわれる。

講談社文庫「偶然の聖地」130頁)

 わかる(笑)

 

 さらに、ある章タイトルに「メタフィクションにおけるダイヤモンド継承」というものがあり、いっけん、「???」となるのだけど、ここにも註釈。

メタフィクションにおけるダイヤモンド継承】この呪文についてはあとでちゃんと説明します。

講談社文庫「偶然の聖地」217頁)

安心する(笑)そして実際に説明がはじまった部分の註釈。

【ダイヤモンド継承】説明はじまります。好きなかたのみで大丈夫。

講談社文庫「偶然の聖地」222頁)

 読まなくても差し支えないよとのことだった。でも実際は図式も用いてわかりやすい言葉で説明があるので、なんとなく(あくまで私はなんとなく。もっと詳しい人や理解の早い人ならより楽しめると思う)概要をつかめて、しかもこの小説全体にかかわるメタ的なあれなので読むのをおすすめします(メタって意味はなんとなくわかるけど、いざ使おうとすると使い方いまいちわからなくなる)。

 

 このような註釈が全部で321個! 321個もあるんですよ。註釈がなくても十分おもしろい作品だと思いますが、この註釈によっておもしろさが無限大にひろがり続け、それはもうまさにバグか?というくらいとどまることを知らない。でもこのバグは修復しないでほしい。

 イシュクト山の謎、怜威のひみつ、大きなバグが修復されたとき世界に起こる影響、そして世界医二人をはるかに上回ってわたしの推しになったある人物(お、お、おまえー!!やるじゃないかー!!ってなった。この記事内にすでに名前が出てきていますがぜひ作品を読んでこの気持ちになってね)。

 そういえば、作中怜威が麻雀をする場面があり、七対子和了るんですが、七対子は対子(同じ牌をふたつ)を七組そろえなきゃいけない。つねに二人一組で動くこの作品のよう…と思ったときわたしはやはり人知れず興奮していた。

 

 おもしろさをちゃんと伝えられたのか不安だけど、とにかく読めばわかる、これに尽きる。そして読んだあとは絶対デバッグスタートって言いたくなってる。