今日もめくるめかない日

「個性」が欲しくてしかたがなかったころ

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 投稿するということはまったくなくなったけれど、ときどき思い立ってFacebookを開くことがある。するとたいていの確率で、「○年前の思い出です!」というポップアップが、自分が投稿した写真とともに表示される。そこに写っているのはたしかに自分なんだけれど、まったくの別人のようにもみえる。

 なんだか目がきらきらしているし、肌のハリもよいみたい(当時の写真だから画像は荒いのに、肌がきれいにみえる謎)。そして今だったらぜったいにしないようなポーズをしている(舌とか出しちゃったり、目線をわざとはずしたり、頭の上でピースしていたり。なんだそのポーズは)。未知なる自信にあふれているよう。そういえばこのときは、「個性的に」「自分らしく」生きるということに必死になっていたし、そんな自分にこそ価値があるのだと信じていた。


 個性的、自分らしさ、唯一無二のアイデンティティ、独特、奇抜、などなど。十八くらいから二十代前半だろうか、「個性を大事にせよ」という教えがどこからともなくやってきて即座に蔓延、無個性というレッテルを一度貼られてしまうと、「個性的」というなにやら曖昧で厄介な、しかし多大なる支持を得る呪いに押し潰され、なんてつまらぬ人生を送っているのかと嘆かれた。
 個性的であるとか自分らしいであるとか、そういったものが苦手で仕方がなかった。だって個性って結局なによ。自分らしさとは? これを聞かれるのは趣味を聞かれることと似ている。趣味をすっと答えられてそこから話が盛り上がる人は本当にコミュニケーションの鬼。
 わたしは「趣味は?」と聞かれたらなにも答えられない人間だった。趣味、ない。人に堂々と「趣味です!」と言えるほど夢中になれるものがなかった。読書は当時から好きだったけど、なんとなく言えなかった。面倒な性格ゆえ読書が趣味と言えるほどの読書量じゃないとかそのときは考えていたし、仮に読書が趣味と言ってその場が盛り上がったことは皆無。そうなると「えーと......まあ、いろいろ......」とかまったく答えになっていないことをぶつぶつ言ってその場を白けさせることが多かった。

「料理が趣味」「映画が趣味」「ライブに行くのが趣味」「サーフィンが趣味」「カラオケが趣味」「勉強が趣味」はたまた「読書が趣味」......なんでもいいけれど、趣味と言うからにはどんな質問にも堂々と迷いなくばばんと答えられる、気になることがあるのならなんでも聞いておくんなまし、という態度を取れる人だけが「趣味は〇〇」と明言してもいい、という考えがあった。なにか質問をされたとして、それに答えられなかったらどうしようという不安も相まって、ゆいいつ趣味といってもいい読書というのも口にできなかったのだ。
 そんな感じでのらりくらり趣味を答えずにいると、まわりからは「あ、そうなんだ。早く趣味が見つかるといいね」と同情的なお言葉。さも趣味がないなんて人生損してる、という物言いに、趣味って必ず持っていたほうがいいの?と思ったことは数知れず。たしかに趣味は海外旅行なんぞ言っている人たちはとても充実した人生を送っていそう。行動的な人も尊敬する。でも、「趣味は持っていたほうがいい」というあの押しつけがましい感じが、どうしても嫌だった。だからこそわたしはますます趣味を言えなくなった。だってたとえば「寝るのが趣味です!  24時間ずっと寝ていたい! ごろごろしていたい!」と言ったとしても、「あ、そうなんだ、はやく本当の趣味が見つかるといいね」とさとされるのが関の山。本当の趣味ってなんじゃい。いいじゃないか、寝るのが趣味だって。なかには「無個性っていうのもひとつの個性だよね」とか言ってくる人もいた。

 で、でた。無個性っていうのもひとつの個性論。趣味が言えない=無個性にするのもゆるせなかったし、なんなんだ、 あの無理やり個性を見出そうとしてくる感じは。趣味があるない問題と似ていると感じたのは、「個性って必ず持っていたほうがいいの?」という疑問が生まれるからだった。

 

 そもそも個性とはなにか。Wikipediaによると、特有とか持ち味とかいうもの。無理やり形成するものではなく、備わっているもの。というか生きてるあんたがもう個性。それだけで個性。だってわたしたちみんな、「個」ですもの……と思うのだけど、どうもそうとはいえない雰囲気が。

 たとえばわたしは人見知りで小心者である。それも概念から言えば個性のはずだが、実際「ああ、そういうのも個性だよね」とか妙なしたり顔で言われることもしばしば。そのたびにインドアネガティブ人間のわたしは光属性の個性に対して引け目を感じ、「ケッ、な〜にが個性的で素敵な人じゃい。ただ髪を赤くしてるだけだろがい」と心のなかでめちゃくちゃ悪口を言っていた。

 しかし十代から二十代前半、影響されやすく流されやすいわたしに、確固たる「個性」がないと、まわりの「個性」に押し潰される!という窮屈な思考が誕生した。 個性に引け目を感じていたけれど、「個性がない、フツウの人」と思われることのほうが苦痛だった。


 わたしの個性はいったいいずこといわゆる「自分探しの旅」ではないけれど、自分が好きなものを見つけにゆこうと行動するが、さすがはインドアネガティブ人間。探しにいったのは八王子市中(当時そのあたりに住んでいたから)。八王子で自分が見つかるかい。しかしわたしは田舎からの上京組、ちょびっと変わったものでもあればOKでしょ!てなかんじで出会った小さな古着屋で自分をさっそく発見(時間をかけるのが面倒だったのだろう)。「古着を着こなす自分って、かっこいいじゃんかわいいじゃん」ということで、サブカル方面に自分を探しに行った。
 サブカル方面に狙いを定めしたことといえば、まわりがnon-noやmina、SWEETなどを読むなか、ZipperやFRUiTS、CHOKi CHOKi、TOKYO GRAFFITIなど「ちょっと違う雑誌」を読むこと。ライダースジャケットに甘かわ白ブラウスにごっついブーツとか履いちゃうこと。ヴィレッジヴァンガードに通うこと(はじめてこの店に入ったときは、東京スゲェ…と心酔した)。彼氏にフラれて煙草を吸いはじめること(ベランダなどに出て、空を見上げながら煙を吐いていた…か〜っ!しかもセブンスター。ベタベタのベタである)。浅野いにおの漫画を集めること。音楽CDはすべてヴィレヴァンで購入すること。髪を赤く染めること(結局である。しかし思い通りの色にはならなかった)。おしゃれな洋画を探すこと(TSUTAYAでいろいろ借りた記憶はあるが、覚えているのはアメリペーパームーンだけ)。高円寺や下北沢、裏原などに行ってみること(竹下通りではなく裏原というのが重要だった。なにをするわけでもなかったのに緊張した)。カラオケでLove PsychedelicoやEGO-WRAPPIN'を悦に入りながら熱唱すること。なんだか動悸が激しくなってきた。でもあのころのファッションや読んだ漫画、観た映画、音楽、やっぱり今でもいいと思う。だから出会えたことはとてもよかった。ただ当時のことを思い出すと動悸が止まらない。こんなことでサブカル気取っていた自分......大丈夫大丈夫、かわいいよ!


 友達に誘われ、古着屋で買ったオーバーオールを着て六本木のクラブに行ったときも「まわりとは違うわたし」にご満悦。それもトランスのクラブだった。当時の交友関係謎すぎる。まわりがトイレにこもったり持ち帰ったりなどなにやら乱れも飛び交うなか、声もかけられず500円のオーバーオールで朝までひとりへっぽこな踊りをしていたわたし。それでも「自分」を持った気でいたので、むしろそれも個性だと糧になった。もはやなにかのお化け。
 そしてこれまた友達に誘われ、新宿歌舞伎町のホストクラブに行ったときも(例によってオーバーオール)、「なんかホストに来そうな子じゃないね」と言われて「わたし、人とは違いますから!!!」とご満悦(いったいなにが違うというのか)。思いっきり「わたしは付き添いで来ただけなので、ホストには興味ありませんので、つん!」というような態度を取っていた。嫌な客すぎる。当時接客してくれたホストたち、ごめんなさい。本当は楽しかったです。

 

 しかしわたしの「個性」はなんだか中途半端だった。好きな映画はアメリと答えておけば間違いなしと思っているようなところとか、趣味は古着屋や雑貨屋巡り(巡りってそもそもなに?)とドキドキしながら答えていたところとか。しかもバイトばかりしていたので(短大生だったとき、朝コンビニ、空き時間にコールセンター、夜は居酒屋と苦学生かといくらい働いていた。個性.....)、いったいサブカルおしゃれを目指したいのか、働きマンを目指したいのか、学校を無事卒業したいのか、夢ってなんなのか......みたいな感じだった。
 あのころ、必死に「個性的な自分」になりたかった。まわりにフツウと思われたくなかった。フツウと思われることは、若者のあいだで落第生だった。わたしが勝手に思っていただけかもしれないけれど。ただとにかく、「自分にしかないもの」を手に入れたかった。
 個性的だと思われたいという理由で個性を手に入れようとしているのだから、もちろんその個性はハリボテだった。その証拠にそんなに時間が経たないうちに、「え、あった? そんなのわたしのなかにあったのん.....?」という具合にサブカル個性は消滅。大人になるにつれ苦痛で仕方がなかった、いわゆる無個性になるが、なぜか今はそちらのほうが安心する。人と同調しているほうが、ほっとする。出る杭は打たれる、と思っているのかもしれない(出るほどの杭があるかどうかは置いておいて)。個性の呪いはいつのまにか解け、それは多分だけど、まわりが「まわりと同じ」になっていったから。
 尖って見えていたみんなの個性はどんどん丸みを帯びていき、集団、社会に溶け込んでいった。あのころ「個性的」と言われていた人も、いろんな投稿に埋もれてタイムラインの奥に消えていく。けれどわたしのタイムラインから消えたとしても、そこにはたしかにその人がいて、つまり個があって、会話があって、思想があるのだよな、と当たり前のことを思う。


 個性的、自分らしさなんてものはくそくらえだよと、当時の自分に言えるなら言いたい(たぶん聞く耳を持たないだろうけれど)。欲しくてしかたがなかった個性、個性的と言われるほど価値があると思っていた自分。けれどわたしはずっとフツウだった。そしてずっとわたしだった。今のわたしに「自分にしかないもの」があるとは思えないけれど、これから見つかるかもしれない。やっぱり見つからないかもしれない。けれどそれでも無価値ではないよと、せめてそれだけは自分に言い聞かせてゆきたい。