今日もめくるめかない日

憧れの「おもしれー女」

 現実と妄想の区別がつきにくかった少女時代、わたしは「おもしれー女」に憧れていた。脳のすみずみまで少女漫画が浸透されていたのだ。脳内メーカーをおこなえば、「恋愛」「おもしれー」「おもしれー とは」しか表示されなかっただろう。

 言わずと知れた「おもしれー女」、あるいは「おもしろくねー女」(不思議なのだが、このふたつはだいたい同じ意味である)。わりとネタ的に扱われることが多いし、今でこそわたしもおもしろがって使うけれど、現実と妄想の区別がつきにくかった少女時代は本気で「おもしれー女」になりたかった。

 おもしれー女の条件といえば、

・思いどおりにならない
・鈍感
・強気
・モテ男になびかない
・家庭の事情でめっちゃバイトしてる
・家庭の事情でめっちゃ家事してる
 ……などなどが挙げられる。

 まあいわゆる主人公なので、モブの枠にはおさまらない、そこいらの女とひとあじ違う特徴を持っているのがおもしれー女。というわけで、おもしれー女になりたければあらゆる少女漫画を参考にし、上記条件などをクリアすればよい……というわけでもないよう。それだけではおもしれー女は成り立たない。そういう「おもしれー女」を発見する男の存在が必要不可欠なのだ。

 おもしれー女となった自分を見つけてくれる、言ってしまえば「おもしれー男」。そんな男に出会わなければ。少女漫画が浸透されたわたしの脳は、勉強とか部活とかめっちゃどうでもよくて、そんなことばかり考えていた。
 しかしおもしれー女なくしておもしれー男は誕生しない。そこでばりばり恋愛に興味を持ちはじめた思春期、とにかく意中の相手をつくりアプローチをしようと手紙を書く(ケータイもそんなに普及していなかった)。また、手紙という手段も「おもしれー女」の条件であると感じていた。ジョージ朝倉先生の「恋文日和」が大好きだったし(もちろん今も)、手紙=なんか文学的=図書室=おもしれー女がよく行く場所だと思っていた。クソの役にも立たない方程式である。
 今思えばぞっとするが、当時は恋愛=友人に話すものとしてインプットされていたので、手紙を出すことも手紙の内容もすべて共有。度胸がすごい。内容はどうだっただろう、「〇〇くんのこと、好きかもしれない…」などという意味深を演出しようとしたものだった気がする。なにが「好きかもしれない…」だ。そしてその手紙は郵便で出すのではなく(いや郵便でもそれはそれで…だが)、なぜか意中の相手の男友達に手渡してもらった(本当になぜ?)。
 もしふられたとしても手紙のやりとりがはじまるかもしれないと意味不明なポジティブさを発揮しながら返事を待っていると、仲介人の男友達から「ごめんだってー!(笑)」と言われた(たぶんものの30分くらい)。これではおもしれー女ではなく、おもしろがられているだけの女である。

 

 しかしなぜかわたしはめげなかった。本当に謎なのだがめげなかった。授業中に視線を感じる気がするなと思えば、鈍感なふりをして物思いにふけっているふうに窓から外を眺めてみたり(もちろん頬杖をついて。しかし本当に気のせいなので、だれも見ていないのである)。放課後、図書室へ行き、わたしに片思いをしているだれかが髪をさらっとさわってくれるかもしれないと寝たふりなどしてみたり(もちろんそんな男はいない。そしてもしも実際にいたら、ただのやべー男である)。教室のすみで「かわいいよね」などと聞こえてくれば、わたしのことか!? と盛大な勘違いをしつつ髪をいそいそと結び直してみたり。
 ついぞできた彼氏としかし別れ話になったとき、放課後の教室の窓を開け、グラウンドに向かって「わたしたち、ずっと友達だよーっ!」とか叫んでみたり(これはもはやわたしの伝説である)。彼女とうまくいっていないのだと思わせぶりなことを言ってきた男に夢中になり、これはどうにかなってしまうのではないか?という雰囲気がただよっていたメールのやりとりをしているとき、「ねえ、今なに考えてるの…?」などとポエッたメールをしてしまったり(ちなみに引かれたのだろうか。なにマジになってんの?汗という返事があった。翌日わたしは学校を休んだ)。これでは少女漫画的ニュアンスが一切ない、哀れなおもしれー女である(もはや道化)。

 

 そんな中学高校時代を経ても、やはりわたしはめげなかった。本当に謎である。田舎から都会に出てきても相も変わらず少女漫画が浸透、というかもう脳のあのひだっぽいところに完全に入り込んでわたしの一部になっていた。めげなかったのは、少女漫画の主人公がだいたい前向きだからなのかもしれない。そしてきっと、「少女漫画の主人公ようにいつか自分のことも好きになってもらえるはず」というよくわからない自信があったからだ。おそろしすぎる。
 そんな自信を携えていたので、「つきあおう」という一言を口にしない男とやんやあっても、「いつか必ず報われる」と思っていた。
 風邪を引いたので週末遊ぶのはなしにしてとメールがくれば、当時居酒屋でバイトをしていたわたしは営業時間終了後の始発で彼の家へ向かい(おそろしいことにアポなしである。つきあってない)、さすがに朝方呼び鈴を鳴らすのは迷惑であろうと、買っておいたゼリーや市販の風邪薬をドアノブにかけ帰宅した(怖い。なにを考えているのだ。おもしれー女とはほど遠いが、少女漫画の主人公気分であったのだろう)。その後お礼のメールがきてわたしは「役に立てた!」と喜んだけれど、引かれたのだろうか、そこから連絡はほとんどこなくなった。

 

 いったいどうすれば「おもしれー女」になれたのだろう。どういうふうに過ごしていれば、意中の男子と会話したあとに「フン、おもしれー女」乃至は「チッおもしろくねー女」と思われることができたのだろう(そもそも意中の男子と意識していることが、すでにおもしれー女とかけ離れている)。
 過去を思い出していけばいくほど思う、わたしは「おもしれー女」でも「おもしろくねー女」でもない、ただのやべー女だったのだと。