今日もめくるめかない日

迎え撃つ(フィールダー/小谷田奈月)

 先日こんな話を聞いた。
 最近は小学生のうちからSDGsについて勉強するための授業が設けられているらしいのだが、ある生徒が目標を達成するなら人間がいなくなればいいという答えを出したということ。わたしはこの話を聞いて、極端だなあと少し笑ったあとに、でも究極そのとおりだよなと思った。突き詰めればそれがいちばん「筋が通っている」と思った。

 それからわたしはかわいいものがときどき怖い。たとえば昔、シルバニアファミリーの人形で遊んでいるとき、夢中になっていた半面で、小さくて愛らしいあの人形たちのことが怖くて、そして腹立たしかった。実はわたしは赤ん坊も少し怖い。(自分だって赤ん坊だったんだけど)ひとりではなにもできない無力なものたち、簡単にひねりつぶされてしまいそうな小ささ、力の弱さ。だけど、「かわいい」以外の感情を抱いてはいけないと思わせる、あのかわいさが怖い。

 悲しいニュースに心を痛めたとき。数日後、下手したら数時間後、もうその痛みをこの身体は感じなくなっていて、わたしはわたしの生活を送っている。そのこと自体に胸が痛むこともあるけれど、結局その痛みも消える。

 こんなふうに、あまり直視していたくない自分の感情というのはいくつかある。見て見ぬふりをしたいことが、この世界にはたくさんあるのだ。目を向けたら途端に生きづらくなる事実、起こった事実に感じる感情と行動の矛盾、ぜんぶ隠してあたたかくてやさしい言葉でなかったことにしたい。それが人間なのだから、というてきとうな言葉で納得したい。そんなずるい感情を正確に狙い撃ちしてくる作品。それが小谷田奈月さんの「フィールダー」でした。

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迎え撃て。この大いなる混沌を、狂おしい矛盾を。
「推し」大礼賛時代に、誰かを「愛でる」行為の本質を鮮烈に暴く、令和最高密度のカオティック・ノベル!

総合出版社・立象社で社会派オピニオン小冊子を編集する橘泰介は、担当の著者・黒岩文子について、同期の週刊誌記者から不穏な報せを受ける。児童福祉の専門家でメディアへの露出も多い黒岩が、ある女児を「触った」らしいとの情報を追っているというのだ。時を同じくして橘宛てに届いたのは、黒岩本人からの長文メール。そこには、自身が疑惑を持たれるまでの経緯がつまびらかに記されていた。消息不明となった黒岩の捜索に奔走する橘を唯一癒すのが、四人一組で敵のモンスターを倒すスマホゲーム・『リンドグランド』。その仮想空間には、橘がオンライン上でしか接触したことのない、ある「かけがえのない存在」がいて……。

 児童虐待小児性愛ルッキズム、ソシャゲ中毒、ネット炎上、希死念慮、社内派閥抗争、猫を愛するということ……現代を揺さぶる事象が驚異の緻密さで絡まり合い、あらゆる「不都合」の芯をひりりと撫でる、圧巻の「完全小説」!

 かなり濃密な長編小説、本の帯にはさらに「以下のあらすじは、本書の凄まじさの1割も表現できておりません」という一文が添えられている。わたしはけっこう、こういう期待値を上げる文に敏感というか、身構えてしまうタイプで、素直に感激することが少ないのですが大丈夫!!!!ほんとうに9割以上の凄まじさがありました。9割以上で日本語合ってる?

 

 というかこの作品、あらすじを説明するのがめちゃくちゃ難しい。作品自体はややこしいわけでなく、文体もかなり読みやすい。ただ、次から次へといろんな問題が投げかけられてくるのであらすじ読むよりもうとにかく本文を読んだほうがなにより早い。
 出版社に勤める橘、橘のもとへ長文メールを送る小児性愛を疑われている黒岩文子、橘が夢中になっているスマホのオンラインゲーム「リンドグランド」で一緒に戦う隊長。登場人物わりと多いのですが、主になるのはこの三人。「リンドグランド」内でヒーラーとして戦う橘は、黒岩や隊長のことも気にかける。橘がなぜ黒岩や隊長の味方であろうとするのか、助けようとするのか、その理由が明かされたとき、ぶっ倒れそうになった。それはたぶん多くの人が感じたことのある、絶対に人には言えない利己的な理由。でもその利己的さは、とても理にかなっていて矛盾がない。

 

 ケア、ルッキズム希死念慮、虐待、炎上、当事者と非当事者、「リアル」じゃないソシャゲへの逃避。先にも書いたけれど、「フィールダー」には本当にたくさんの問題が潜んでいる。そのひとつひとつをきれいに解決するような作品ではなく、とにかくあぶり出してくる。その問題のひとつひとつはすべてつながっているわけではない。ただ、虐待をされている(可能性のある)子どもと愛情ゆえ身体的な接触をした黒岩文子と、オンラインでのつながりしかない隊長の身の上を心配し味方になろうと橘の境遇はどうしても重なる。黒岩が橘に送ったメールのなかに、こんな文がある。

橘さん、あなたは心の底から誰かのことを、かわいいと思ったことがありますか。かわいい、そう思った瞬間にその子のかわいさが絶対的事実として確定し、さらに増幅し、そうしてもうただかわいい、かわいい、と思いを重ねていくほかなくなる、そんな経験がおありでしょうか。

 相手を無性に「かわいい」と思うこと、そう思えたからこそ黒岩と橘は相手のことをケアしようと思った。「かわいい」という絶対的事実の前で、正しさや善悪などというものは通用しなくなる。でも相手が救われるならそれでいいのかもしれない。ただ、「かわいい」という感情が生まれるのは全員に対してではない。その差はどこから生まれてどこへ消えていくんだろう。

 

 生きづらさ、不遇、不幸せな環境。よく、人が感じる不幸に度合いはないなんて言うけれど、たしかに客観的にみたら些細なことでも傷ついたならどれだけ不幸だと感じたっていいとは思うけれど、不幸の度合いには差がある、というか、差があるとどうしても思ってしまう。
 仮に差があろうとなかろうと、生きている人間は少なからず生きづらさというのを抱えていると思う。取り立てた不幸のない人生を歩んできていても、こんな言い方は傲慢に聞こえるかもしれないけど、それゆえ生きづらさを感じることはある。当事者ではないことが、ときどき見えない壁となって、私たちを立ち止まらせることがある。
 いくら取材を重ねても、いくら心を寄せようと思っても、フィールドワーカーのままでは「弱い」。「言葉に説得力をもた」せられない。だから橘は、当事者になろうとする、「フィールダーにならなくては」と思う。
 
 この作品は、私たちがぶち当たる問題を解決しない。「フィールダー」は都合のいい攻略アイテムなどではない。突然ドラゴンが現れて、平気な顔して私たちを狙い撃ちしてくることなんてきっとたくさんあるのだ。燃えたくないから逃げていたい。けれど私たちはこの世界に立っているフィールダーであり、そのひとつひとつを迎え撃たなくてはならない。
 凄まじい小説である。それでも絶望しきれない。引き返せないことを教えてくれるような、うしろから攻撃力を高める技をかけてくれるような、そんな小説である。きっとこの作品もまた、フィールダーとして存在しているのだと思う。

 

 本当はもっともっと感じた気持ちや書きたいことがあるはずなのに、こんなことしか書けなくて(「紙幅」は十分あるはずなのに!)、1割どころか1%もすごさを伝えられていないのではないかと思っているのですが、とにかく読んでみてほしい、間違いなくここ数年のベスト5に入る一冊でした。