今日もめくるめかない日

日曜日の好きなもの

 

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 コインランドリーの古い洗濯機、歩道橋から見下ろすどこかにつながる道路、小さな神社がある帰り道、住宅街をまたぐ電線。見た瞬間に圧倒されるような絶景も好きだけれど、生活のなかに溶け込んでいる、けれどつい足を止めてしまう景色も好きだ。

 月曜日から仕事がはじまる身にとって、日曜日というのはさびしい。毎日が二度とおとずれないものなのに、日曜日はとくに「この日にもう戻ってこれないんだ」と思う気持ちが強くなる。休みが終わる日曜日は憎たらしいけれど、そんなせつなさを含んでいるところはむしろいとしい。

 夕方、西日が射してくる時間帯が好きだ。あたたかいオレンジ色のひかりは、まるで時間を止めているみたいだと思う。西日にさらされた景色を見ていると、無性にせつなくなってくる。理由もなく泣いてみたいな、と思ったりもする。
 日曜日は終わるのが早いくせに、夕方だけゆっくりしている。コインランドリーも、歩道橋も、神社も、電線も、夕方のなかにあるといっそう際立つ。ずっとそこにたたずんでいたい、閉じ込められてみたい。見たままを残したくて写真に撮ってみても、感じているせつなさは映せなくて、少しもどかしい。

 西日のせつなさが好き、と昔ともだちに話したことがある。だけどそのともだちは、西日はせつなくなるから嫌い、と言っていた。感性というのはひとくくりにできないもなのだなと、当たり前のことを思った。
 好きなものと嫌いなものにさらされながら同じところにいたあのともだちにはしばらく会っていないし、この先もたぶん会うことはないと思う。けれど、日曜日の夕方がおとずれると、あの子のことをときどき思い出す。
 いまもまだこの夕方のなかでせつなくなっているんだろうか。そういうことを思い出してしまうのも、あたたかなひかりのせい。わたしはそんな日曜日の夕方が好きだと思う。