今日もめくるめかない日

読んだ本まとめ(2024年上半期)

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 早くも2024年の折り返し、悲しいこともつらいこともあった半年だったと思いますがみなさまの生活はいかがですか。笑ったり喜んだりがたくさんあったならいいなあ。
 都民の私は都知事選のことも考えておりますゆえ、玉石混合?清濁入り混じる……?玉や清がどれだけあるのかわからないですが、おれの一票ぶちこんできます!
 

 そして6月最終日の本日は、上半期に読んだ本をまとめました。1月から順に振り返ってゆきましょう~。

1月 

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 今年最初に読んだのは三島由紀夫の「金閣寺」。むかし一度読んだきりでしたがなんか急に「そうだ、金閣寺を読もう!」となったみたいです。文章がやっぱりかっこいいんですけど、主人公の溝口の金閣寺に対する病的なまでの愛がところどころでおもしろい。ことあるごとに金閣の幻を見てしまうのですが、ときには女性の乳房も金閣に変貌してしまう、それはさすがに難儀じゃない?
 国書刊行会の「魔女」、読み応えすごかったな~。魔女狩りの歴史、忌むべきものとされていた「魔女」のイメージから現代におけるポジティブな魔女のイメージまで。このあたりの歴史は興味あるのでいつか勉強したいです。
 国書刊行会つながりで「湖畔地図製作社」スコープから覗く小さな世界と長野まゆみさんの文章があまりにドンピシャすぎて最高だった……。眠る前に読んで素敵な夢を見たいです。
うしろめたさの人類学」、これは人から借りた本。うしろめたさにはずいぶん長いこと悩まされているますね……。でもうしろめたさからの解放の本というよりは、世界にもっと目を向けていこうということに重点を置いている本でした。
私の盲端」、これがデビュー作って朝比奈秋さんはすでに作家として人生三週くらいしてるんですか!?というくらいガツンときました。「」(小池水音)、まさに文章そのものが息しているような空気感がよかった。
 あと「私が鳥のときは」(平戸萌)、書影をあらためて見ると本当に綺麗なブルーでいいですね。とくに勉強会のシーンからラストにかけて本当に何度でも読みたい。たいへん心に残る小説でした。
 感想書いてます。

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2月

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 新潮に掲載された「ボート」(内村薫風)、はじめて名前を聞く方だったのですが、この作品めちゃくちゃよくて「何者この人!!!??????」となりました。安楽死のない国で死を待つ肺がんの父と、安楽死が認められている世界で自分の命の終わりを決めるロッテさん。生きることと死ぬことは直結しているんだよな…なんてことを考えました。芥川賞候補になると思ったんですが…ならなかったね……。
玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ」(木下龍也,岡野大嗣)男子高校生ふたりの七日間が短歌によって紡がれています。何が起こったか、どうして起こったか、ふたりの気持ちをいくらでも想像して揺さぶられる歌集でした。
 文フリで買った「非実在神様」これもよかった、神様にまつわるアンソロジー。いるかもしれない/いないかもしれない怪奇な存在、いいよね…。
 フランクル夜と霧」、この先もずっと読み継がれていくべき本だと。心理学者の視点から描かれる限界状況における人間の姿。非道なことが行われていた、という事実をまた違う側面から考えられるのだと思います。
 

3月

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そら頭はでかいです、世界がすこんと入ります」(川上未映子)もう何度読み返しているかわからない大好きなエッセイ。エッセイというか随筆集…?頭のなかの思考まるごと文章にしたというような(そしてこれがいかに難しいことであるか)素晴らしいそのまま感、めちゃくちゃクセになります。
 ユリイカ特集「奇書の世界」、この世にはまじでたくさん本があるんですね。みなさんどうやって奇書を見つけているんだ…。この本なに!?需要どこ!?というような本も、まあ需要はあるんですね~。
 文學界2月号で読んだ「海岸通り」(坂崎かおる)、だいぶ昔から私はこっそりと坂崎かおるさんファンなのですが、現代を舞台にした作品は新鮮で、爽やかな読後感もよかったです。ラストは本当に海岸を走っているような、そこにないのに情景が浮かぶ一種のカタルシス
絞め殺しの木」(河﨑秋子)、本当に河﨑秋子という作家は、重々しく迫力のある文章を書かれます。その土地の空気感、温度感、におい、湿った/乾いた土の感触など、訪れたことがないのにすごくリアルに想像できるのですよ。これからも追い続けたい作家さんです。
ガザに地下鉄が走る日」私たちができることについて考えさせてくれる一冊。個としてできることは少ないかもしれないけれど、想像すること、思考を放棄しないこと、声を上げること、忘れないようにしたい。

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4月

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パラソルでパラシュート」(一穂ミチ)これに出てくる矢沢亨という男が沼すぎてやばかったです。捉えどころがなく、優しいのか冷たいのかわからん性格、そして関西弁……。すみませんミーハーで……。
かわいいピンクの竜になる」(川野芽生)こちらのエッセイもよかったです。ロリィタやドレス、メイク、美しいものへの魅力や自分のための服という感覚を知れるのが楽しい。美しさ一辺倒ではなく、美しいものがある=美しくないものの存在を認めることでもあるんだな、それを知っているから私は川野芽生さんの作品が好きなんだなと思いました。
 ちくま書房から復刊されたという「山梔」(野溝七生子)、装丁からして好きな感じだな~と思ってまずは図書館で借りたのですが、自分用にも買おうかと思っています。少女、女性であるだけで不自由な時代、それでもその時代に生きていた少女たちのまなざしが綺麗で切なく…長編で一度読んだだけではいろいろと見逃している個所もあると思うので、またゆっくりと読み返したい。
 あと「旅する練習」(乗代雄介)これちょっと、いい小説すぎる……。未読の方ぜひ読んでください…。文庫も出てます。

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5月

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 自由研究シリーズの前日譚「受験生は謎解きに向かない」、シリーズ三部作に比べるとページ数は少ないですが、それでもワクワク感は健在……! むしろ純粋なゲームとして謎解きを楽しめるのがいい。とはいえ前日譚なのでしっかりと本編につながる布石もあり……。これからの夏のお供にいいのではないでしょうか!
 5月は文フリで買った本が多めですね。架空の文藝誌というコンセプトがいいな~「魚は銃をもてない」(リンクこれでいいのかな…?)、「夢でしかいけない街」テーマが素晴らしいな~。文フリってやっぱりいいな~。私も今年出たいと思ってるんです!ふふふ。

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 あとはやっぱり「タラチネ・ドリーム・マイン」(雪舟えま)、絶版になっているので手に入らず、でもどうしても読みたかったので国会図書館に行ってきました。復刊の可能性は…ないんですかね……?

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6月

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鉱石倶楽部」(長野まゆみ)、鉱石をモチーフにつむがれた短編集(掌編集?)すべてのページがきらきら光っているよ~~~~!!!
恋に至る病」(斜線堂有紀)。愛、狂気、青春、死……。創作の楽しい要素ぜんぶ入ってるじゃん~~~~!?それにしても斜線堂有紀さんの作品ってなに読んでもおもしろいんですがすごくないですか。
 西荻BREWBOOKSという本屋が好きなのですが、そこでジャケ買いしたのが芝木好子小説集「新しい日々」。装丁が本当に素敵です。シリーズ4冊出ているようなのですが、どう考えてもほしい。

 短編集で、春夏秋冬の景色をそのまま切り取ってきたような描写に惚れ惚れしました。女性の主人公が多く、恋を選んだり捨てたり光を求めたり、繊細さと力強さの塩梅がいいなあと。
 そして6月は3回も作家のトークイベントに行けたのですが(渋谷の大盛堂です)、ぜんぶ楽しかったな~。作品の内容や裏話、普段どんなふうに作品をつくっているのか考えているのか、飼っている猫の話とかだれだれと飲みに行くんですとかちょこっとプライベートな話も聞けたりして…作家って昔はすごく遠い存在のようで、むしろ存在してるのかな?くらいに思ってたんですけど(ゴーストライター的なものを疑っているんじゃなくて、小説を書くというのがどんなふうに行なわれているのか想像できなかったのだと思う)、今はイベントもたくさんあって小説が前よりもっと身近に感じる機会が増えてきているなと思います。

 イベントに行ったのは「鳥と港」(佐原ひかり)、「何度でもうまれる」(彩瀬まる)、「一番の恋人」(君嶋彼方)でした!「何度でも生まれる」は(たぶん)史上初のチャボ小説、あたたかく優しい小説で穏やかな気持ちで本を読みたいときにいいんじゃないかな~と思います。語り手の桜さんの「~ですよう」という口調がかわいくてツボでした。
 ほかにも感想書きました。

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 こんなかんじの上半期でした。いつもはだいたいベスト10冊でまとめているのですが、振り返りという形にしてみました(どっちのほうがいいのかな?)。
 相変わらず消化しきれていない積読がたくさんあるので下半期もばんばん読んでいきたいと思います。ではみなさんひとまずよい夏を~!

 

過去のまとめはこのへんです。

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ツンドラ葡萄の活動記録①設立からサークル名が決まるまで

 この記事は関かおる・村崎なつ生のサークル「ツンドラ葡萄」が本をつくったり文フリに参加したりすることを目標に活動する軌跡を書き残す、とっても楽しそうな記録です。不定期更新ですが、更新のたびにできるだけ我々の短文作品を載せていこうと思っています。ツンドラ葡萄にぜひ興味を持っていただけたら嬉しいです!
 第一回目はサークル設立からサークル名が決まるまで、最後に私たちのちょっとした作品を載せますので、よければお付き合いくださいませ~。

きっと次回お披露目できるサークルのロゴ。関さんがデザインしてくれました!

自己紹介

簡単に私たちのプロフィールです。

関かおる
「みずもかえでも」で第15回野性時代新人賞受賞。ほかにも第14回野性時代新人賞奨励賞、第22回R-18文学賞最終候補など。
朝はパン派。もふもふ素材が好きすぎて、夏でも薄い毛布をかぶって寝ています。
Twitter(X):@seki_kaoru

村崎なつ生
第21回、第22回R-18文学賞最終候補、第14回野性時代二次選考通過など。このブログを書いてます。
ホラー映画や番組、怖い話などはその場を白けさせるレベルで拒否しますが幽霊が出てくる小説は大好きです。
Twitter(X):@mrskntk3511

 私と関さんが交流をするようになったのは一緒に第22回のR-18文学賞の最終候補に残ったり同じ年の野性時代の選考に互いの名前を見つけていたからなのでした。その後関さんは見事に野性時代新人賞を受賞されました、今後の活躍が楽しみですね!

 

お誘い

 2024年6月某日都内某所、私たちはあるイベントに参加するため初めて直接会いました。イベント前にお茶しましょうとお話ししていて、互いの近況や読んできた小説などの話題で緊張しながらも盛り上がっていると、関さんから突如「文フリに出ませんか」というお誘い。
 文フリに出る……!客として行き、それだけでも鼻血出そうなくらい楽しいのに、自分が出る!?そんなの出たいに決まっていますね、それも戦友の関さんとだなんて……その日はじめて関さんと顔を合わせ、好きな作家のトークイベントに行くということだけでもびっくりするほど楽しいことだったのに、まさかのお誘いにぶっ倒れるかと思いました。悩むことなど何もなく、出たいと即答。そして私たちはサークルを作ることになったのでした。

 

 サークル……!それは学生時代憧れていたけど入り方が全然わからず結局どこにも所属できなかった私にとって輝かしい響き(入部届的なものもないし、誰に何を言えばいいのかわからなくない?)。
 もしかして関さんも同じタイプなのかなと思ったのですが、私は決めたらけっこう即行動したいタイプで、文フリ出よう!次の文フリ東京を調べよう!あ!ここから申し込める!申し込もう!という超スピード流れ、たいへんありがたい。
 しかし申し込み画面に進むと入力必須の項目が……そうですそれがサークル名。その日初めて会って数分前に文フリ出ようよ!となった私たち。わからないけれども大体は、いったん家に帰ってサークル名の案出しますかとなるような気もするのですが……ならない!その場で決める気満々!!超スピード!好き!!

 

サークル名を決める

 まずは取っ掛かりがないとサークル名も決まるに決まらん、関さんが「好きな色」「好きなもの」「好きな概念」……など項目を挙げてくれてそれに私が答えていく……というやりとりをしながら、そういえば私は矛盾する語がけっこう好きで、という話を出し、じゃあ好きなものに対して矛盾するものを挙げていこうとなりました。
 矛盾する語というのは、私が昔住んでいた駅にあった喫茶店の名前が「夜の午睡(よるのひるね)」という名前なのですが、つまりはこういうことです。いやなかなかこの店名に敵う語を見ないんですよね、センスすごくないですか。ちょっと完璧すぎる。
 ということで我々も、矛盾語録を探してみようということで、好きな概念や好きな言葉の響き、なんかかっこいい言葉……などを出していく。
 夕方(にしないこと=歯磨き!?白湯を飲む!?)とか、海(にないもの=梯子!?)とか、青(くないもの!?)とか……(歯磨きも白湯も夕方やる人もいるんじゃない?笑)。いいかも、ふんふん、なるほどね……としているうちに関さんが、なんか急に「ツンドラ……」と言ったのです。

 

 ツンドラ!?私はしばしその素敵な響きに夢中になりました。そのときは言わなかったけど実は(ツンドラ…なんか雪舟えま感ある…!)とテンション爆上がり。そしてふたりでツンドラと検索してみると、「永久凍土」という言葉がヒットし、我々の中二病心は思う存分くすぐられたのでありました(だって永久凍土よ!?妄想はかどる)。
 永久凍土、その魅力的な響きにほかの言葉の輝きは薄れていき、いつしか私たちのなかでツンドラを使うのが決定的になっていき、ツンドラと矛盾する語は?と考えたときに、浮かんできたのが果物でした。だって永久凍土に果実は実らないんじゃない…!?
 たしかツンドラの魅力に取り憑かれる前に、長野まゆみ的漢字かっこいいという話になっていて、関さんが持ってきていたメモ帳には「苹果」の文字が。ただツンドラと合う語感の果物は「葡萄」なのでは……?となり、ツンドラ葡萄…!ツンドラ葡萄?なんかいいかも…ツンドラ葡萄!ツンドラ葡萄!いいんじゃない!?ということで、私たちのサークル名は「ツンドラ葡萄」となったのです。
 ちなみに最後まで迷ったのは「海の梯子」。しかしこれは私も身に覚えがありすぎる、ブログ名を決めるときにも感じるあるあるなのですが、あまりにかっこつけたサークル名だとそのうち自意識が私たちにすり寄ってきて恥ずかしくなってくるのでは……?という懸念。その点「ツンドラ葡萄」はかっこつけすぎず、でもなかなか思いつかない命名で、自意識も邪魔してこないのでは…?ツンドラ葡萄、真面目にもギャグにもどっちにも振れる!!!!という私たちのそのときの自意識がツンドラ葡萄を推したのでした。

 

サークル名が決まった!

 というわけで、出会って数十分で文フリ参加を決め、その後おそらく30分ほどでサークル名を決め、そのまま申し込み。このスピード感、私とっても大好きです。このとき私たちはとてつもなくテンションが上がっており、事務局からのメールの詳細をしっかり見ていなかったので本気で普通に参加できると思い込んでおりましたが、12/1開催の文フリ東京、数があふれたら「ツンドラ葡萄」は抽選対象です。でも仮に落ちても本はつくります!(ほとんど何も決めていないのにこの日すでに部数や通販、無配ペーパーの話まで出していた私たち。夢いっぱいか)
 さて私たちは無事に文フリに参加できるのでしょうか、どんな本ができるのでしょうか、本はできあがるのでしょうか……!(まだお互い一文字も書いてません)見守っていただけたら嬉しいです!
 

 最後に「ツンドラの風景」をテーマにふたりで短文を書きました。活動記録を書く際に私たちの文章を載せたら興味持ってもらいやすいんじゃない!?と提案したのですが、その実私が関さんの新しい作品を読みたいという下心からの提案でした(関さんのファンの方、私を褒めて!)
 テーマだけ決めて内容は各々自由に書いたのですが、それぞれ雰囲気が全然違いつつも植物と弔いの要素が見事にかぶったのがおもしろかったです。あと「さいご」、どちらもひらいているのもいい!
 次回は「ツンドラ葡萄」のロゴができるまでを書く予定です、それではそれまでごきげんよう

 

短文作品

ツンドラの木/関かおる

水遣り番/村崎なつ生









呪いと言わないで(一番の恋人/君嶋彼方)

 男らしさ、女らしさ。この言葉と意味するところを「呪い」と表現する場面をよく見ます。泣かない、くじけない、体力や筋肉をつける、頼りがい、甲斐性、経済力、地位、大黒柱、女性にモテる、デートはおごる、車を所有する、高級ブランドに身を包む、スマートなセックス……これまで男性として生きてきたことのない私ですが、男らしさについて少し考えるだけでも、これだけのことが思い浮かびます。
 きっともっと「男らしさ」にまつまわる押しつけは存在していると思いますが、ここに少し連ねるだけでも「わっ時代錯誤だな」と憂鬱になることばかり。これは「女らしさ」について考えたときも同様な考えが浮かぶでしょう。
 でも男らしさや女らしさについて考えたとき、憂鬱になるようになったのはいつからだっただろう。私のこの憂鬱は、憂鬱になるべきことだという刷り込みからくる憂鬱なのではないか、現在34歳の私は、少し前まで男らしさや女らしさを説かれることにたいした疑問を持っていなかった。
 呪いを呪いとして素直に受け取ること。それは自分が呪われていたこと、そして誰かを呪っていたことを認めることにもつながると思う。
 男らしく生きてきたことに大きな疑問も苦痛も伴わなかった、それなりによい人生を送ってきた一番と、「普通」のなかで生きていたいアロマンティック・アセクシャルの千凪。世間と個人を取り巻く呪いと普通についての小説を読みました。君嶋彼方さんの「一番の恋人」感想です!

 

※内容に触れているのでこれから読む方ご注意ください!
またいつもだったら版元の書籍ページのリンクをのせるのですが、6/12現在、カドカワはサーバー攻撃を受けた影響ですべてのページの閲覧ができなくなっているようです(早い復旧を願っていますが、関係者様休みなく働いているのだろうかと思うと複雑な気持ちです)。復旧後、あらためて版元のページをのせます。取り急ぎAmazonのページ…!

『君の顔では泣けない』の著者が描く、恋愛を超える愛の物語

道沢一番という名前は、「何事にも一番になれるように」という父の願いで付けられた。
重荷に感じたこともあったが、父には感謝している。「男らしく生きろ」という父の期待に応えることで一番の人生はうまくいってきたからだ。
しかし二年の交際を経て恋人の千凪にプロポーズしたところ、彼女の返事は「好きだけど、愛したことは一度もない」だった――。
千凪はアロマンティック・アセクシャル(他人に恋愛感情も性的欲求も抱くことがない性質)で、長年、恋愛ができないが故に「普通」の人生を送れないことに悩み、もがいていたのだった。
千凪への思いを捨てられない一番と、普通になりたい千凪。恋愛感情では結ばれない二人にとっての愛の形とは。

 道沢一番。「いちばん」という名前をつける、ということからして父がどんな性質を持っているのかが予想できます(兄は「勝利」という名前がついている)。男ならこうでなくては、男ならこれくらいできないと、男なら逃げるな……。そういった価値観を疑いもせず持ち続けてきた父の教育は、けれど一番を大きく苦しめることはなかった。それが一番にとっての普通であったし、父の言う「男らしさ」に応えてくることで人生いにうまくやってこれたからだ。
 そんな一番のまえに現れたのが千凪。偶然出会って、恋に落ちて、会う回数を重ねて、晴れておつきあい。他愛もない話をして、「おしり」(お仕事おわり)、「つー」(お疲れ)の二人だけが使う略語、お泊り、キス、セックス。一番の視点から見る二人はとてもありふれていて幸せそうな恋人同士、セックスをしている最中の一番の描写はなんというか、甘ったるくて陳腐にすら感じるほど。これぞ愛情の証!みたいな。
 父の期待通り結婚して子どもを授かって一家の大黒柱になる……千凪と結婚するのだろうと自然に考えていた一番に対し、千凪は一番に対して愛情を持っていないことを自覚している。一番だけではない、過去につきあった男性にも恋愛感情を持ったことがないしセックスも苦痛。一番の甘々描写とは対照的に千凪にとってセックスはグロテスクな行為。
 今までもこれからも自分が誰かに対して恋愛感情を持つことがないのだろうかという不安、今まで出会ったことがないだけで「本当に好きな人」に今後出会えるのかもしれないという気持ちを抱えていた千凪だけど、「アロマンティック・アセクシャル」というセクシュアリティを知り、自分もそうなのだと気づく。


 個人的な話をすると、私自身も性行為に対して積極的な気持ちを持っていなくて、アセクシャルなのかと言われたらそれはそうとは言えないと思うのですが、付き合うことの代償というか、必ずついてくるお菓子のおまけみたいな感じで、恋人同士や夫婦にはほとんどの場合セックスがついてくるのがけっこう疑問。疑問だけど、相手に性欲があり、そういった行為をしたがっているときパートナーとしての自分はそれを一生拒否することはできない。付き合っているのに、結婚しているのに、と思う気持ちも理解はできるし、なにより申し訳ないと思う。
 恋愛感情があることも性欲があることも悪ではない。でも一番は「自分が男だから」と悩んでしまう。
 恋愛感情や性欲がなかったら、誰かと一緒にいてはいけないんだろうか。千凪は一番のことを恋愛相手として好きにならないけど、一緒にいたいと思えるくらいに好きだと感じている。一番が千凪のことを好きだと思う気持ちと同じ種類の好きを返せないことから、ふたりは一緒にいることが難しくなる。

 

「普通」という基準は昔よりもいい意味で曖昧になっていて、男らしさと女らしさや、結婚がゴール/幸せといったことはもう普通とは言えなくなってきている。人それぞれの普通があっていいという声が世間にひろがりはじめているなか、一番たちはそれでもやっぱり昔ながらの「普通」にこだわり振り回される。
 でも私はそこに安心した。と言うと、価値観アップデートできてないな、と思われるかもしれないけれど、「呪い」はなくなったほうがいいという気持ちは前提に、そんなに簡単に考えや価値観って変えられないし割り切れなくない?とも思うのだ。
 千凪が自分はアロマンティック・アセクシャルなのかもしれないと気づいたとき、じゃあこの先ひとりで生きていくのか、周りの友人が結婚し子どもを産んでいくのにずっとひとりで生きていくのかと不安になるのも、愛しているはずの千凪のセクシュアリティを一番が受け入れられないのも、とても正直だ。


 一番の父が「周りから幸せに見えることが幸せ」だと言うセリフがあるけれど、人と違うことがどれだけ不幸なのかを実際に見てきた父親だからこそ、そう信じ切って生きてきたのだと思う。息子たちの幸せの形を信じて疑わずに、父なりの愛情を注いで。たとえばそれを突然、呪いと言われたら。幸せにするためにやってきたことが実はぜんぶ呪いになっていたら。そんなことは認めたくないと思う。
 父からのプレッシャーから逃げた兄も、父の「愛情」を呪いだと一番に言うけれど、一番が信じてやってきた努力を呪いと両断されたくないと思う場面がある。私はこの場面で、ずっとこういう話が、こんなことを言ってくれる話が読みたかったんだって思った。呪いから解放されて自由になろうよって、言うだけなら簡単だよねって私はやっぱりどこかで思ってしまうから。


 いわゆる昔の価値観を持つ人間は、今、そしてきっとこれからもどんどん非難され淘汰されていくのだろうけど、いつもその光景に違和感があった。いや、もちろん男らしさとか女らしさとか私も脱却したいしそれを押しつける気も当然ない。
 でも、私も「女は料理できないとだめ」とか「女はいつも綺麗にしなくちゃだめ」とか「女は愛嬌がないとだめ」とか「女はつねに身だしなみに気を配らないとだめ」とか「女はサラダ取り分けないとだめ」とか……きりがないけど、そういう「女らしさ」を信じていたし口にしたことだってあった。女らしさだけじゃなくて、男性に対しても、男らしくいてほしいと言ったことだってきっとあったし、恋愛しないと駄目だよとか、そんなことを言ったことだってあった。
 私は誰かに呪われていて、私も誰かを呪っていた。でもそれが正しいと信じていた。誰かを不幸にしたくて呪っていたんじゃなかった(もちろん、私と同じ世代、そして上の世代の方でも最初から呪いと気づいている人はいたはず)。
 呪いだよ、と言われて、そうだよね呪いだったねと返すだけなら簡単だ。同調するだけでいい。だから呪いと言わないでほしいとちゃんと思える一番のことを、私はとても信頼できた。

 

 マイノリティとして生きている人たちのことを私はようやく知ってきて、「そういう人」もいると理解した気になっているけれど、たとえば自分が生んだ子どもがマイノリティに属する子だったら(私に子どもはいないけど)、心から受け入れられるんだろうか。普遍的な幸せのほうが困難は少ないと思ってしまわないだろうか。
 世間と個のあいだにはきっとまだまだ溝がある。グループで受け入れるのではなく個として受け入れることをしたい。大きな世界で個を守ろうとするのも大切だけど、遠くのものを受け入れるのではなくて、まずは目の前にいる大切だと思える人を守りたい。そこにマイノリティとかマジョリティとかそういったものは入れたくない。そもそも誰かを大切だと思うことに、属性なんて関係ないのだ。

 

 一番と千凪が、関係性を壊さずにこれからずっと一緒にいられるのかは正直わからない。でも一番でなくてもいいと思えることに安心できる一番は、恋愛でなくてもいい/結婚という形でなくてもいい、ということにゆっくりと気づけていけるのだと思う。そしてそれは千凪とふたりで進んでゆく道だろうから、その道がずっと続いていけばいいなと思う。
 したいことと、しないこと。どちらも同じ分量で愛として感じられればいいけれど、それは難しいことなのでしょう。でも、愛が難しいのはどんな人間だって同じだよね。だれかと一緒にいることはすべてにおいて簡単じゃないし、普遍的な幸せなんてないのだと思った。

 

 そういえば装丁の写真は千凪とイメージだと思いますが、浸かっている歯ブラシたぶん知ってる!GUMじゃない!?

 

 そういえば②今週末、君嶋彼方さんのトークイベントに行くんですよ!(例によって大盛堂、わたし今月三回も行ってます笑)

 

ことばと生きたい(鳥と港/佐原ひかり)

 もうずっと昔、インターネットをはじめたころに学生があつまる掲示板みたいなとこで小説を投稿していたことがある。そうとう稚拙なものだったと思うけれど、自分で話を考えて文章を組み立てて読んでもらうというのは、単純にすごく楽しかった。
 私もほかの人の小説をたくさん読んでいたのだけれど、今でも忘れられない作品がひとつだけある。読んだとき、完璧な小説だと思った。文章が上手で言い回しのひとつひとつがおもしろくて、私もこんな小説書いてみたいと思った。もうその掲示板は封鎖されてしまってきっと二度と読むことはできない。当然データなんかも持っていないし、書いていた人の連絡先だって知らない。内容も完全におぼえているわけではない。でも私がいまも小説を書いているのは、少なからずその作品の影響がある。本人はもしかしたらその作品のことを忘れちゃっているかもしれないけれど、思いがけず他人が受け取ったことばというのは、不思議と本人のまったく知らないところで生き続けていくものだよね、ということを「鳥と港」を読んで思いました。感想です!

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※内容に触れているのでこれから読む方ご注意ください!買おうか迷っている人へ、初回配本は特典で著者からの手紙がついているので早めの購入が吉です!(王様のブランチで紹介されるらしいから売れるんじゃないかな!!?)

www.shogakukan.co.jp

“これから”の働きかたの物語
 大学院を卒業後、新卒で入社した会社を春指みなとは九ヶ月で辞めた。所属していた総務二課は、社員の意識向上と企業風土の改善を標榜していたが、朝礼で発表された社員の「気づき」を文字に起こし、社員の意識調査のアンケートを「正の字」で集計するという日々の仕事は、不要で無意味に感じられた。部署の飲み会、上司への気遣い、上辺だけの人間関係──あらゆることに限界が来たとき、職場のトイレから出られなくなったのだ。
 退職からひと月経っても次の仕事を探せないでいる中、みなとは立ち寄った公園の草むらに埋もれた郵便箱を見つける。中には、手紙が一通入っていた。
「この手紙を手に取った人へ」──その手紙に返事を書いたことがきっかけで、みなとと高校2年生の森本飛鳥の「郵便箱」を介した文通が始まった。
 無職のみなとと不登校の飛鳥。それぞれの事情を話しながら「文通」を「仕事」にすることを考えついたふたりは、クラウドファンディングに挑戦する。
『ブラザーズ・ブラジャー』『人間みたいに生きている』の新鋭が描く“これから”の働きかたの物語!

 これまでも佐原ひかりさんの作品は読んできたのですが、正直なことを言うと、実は読むのに覚悟が必要だったりします。というのもそれはたぶん私が「大人」だから。佐原ひかりさんの作品はですね、なんというか、大人への憎しみや怒りが滲んでいると感じるのです(これは読む人にとってはまったく感じないことであると思います、だからこそ覚悟が必要)。
 直接的に大人を攻撃しているわけではなく、「こども」を媒介にして大人を責めるわけでもない。ただ、ひたすらにこどもの味方である作品を書かれる方だと思います(こどもというのは年齢だけで区切られるものではないですが、主に十代の子たち)。
「大人」は基本的には正しい。正しいというのは、「こうしておけばまあだいたい間違いはない、とりあえず大丈夫」と言えること。
 すべての大人はかつて「こども」でした。こどものころ、大人の言っていることが全然理解できなかったり理不尽だと感じたり反抗したり、そのたびに押し込められて納得いかなかったり……という経験は多かれ少なかれあると思いますが、そんな経験がありながら、それでも思考が自然と「大人」になっていく。だって大人にならないと生活できない。働いてお金をもらう、嫌なことを我慢する、納得いかないことに納得する、「しんどいのは自分だけじゃない/自分よりもっとしんどい人がいる」、そんなふうに納得させて、私たちは生きている。
 そんなふうに生きているから、いつかそんなふうに生きていくだろうこどもにも、大人の思考を押しつけてしまうのかもしれない。こどものためを思って、という大義名分を掲げながら。こどもにとっては柔らかいことばで、大義名分を持つ大人にとっては鋭いことばで、包み込んだり突き刺してくるのが佐原ひかりさんの作品だと思っています(同じ「ことば」なのに不思議)。だから本当は、十代のころに出会いたかったなあというのが本音です。
 長くなってしまいました、そんなわけで「大人」な私はいつも読む前に大きく息を吐いて覚悟を決めているのですが、「鳥と港」は「大人」をも包み込んでくれている小説のように思いました。これも大人のエゴだったらどうしよう!?

 

 新卒で入った会社を9カ月でやめたみなと。上司の田島課長の「高学歴のくせに」といったねちねち言葉、強制ランチ(胃もたれしそうな大盛定食…)、朝礼で発表される社員の「気づき」のまとめ作業、い、嫌だ~~~~~~っとなる事象のオンパレード。我慢できなくなって限界がきて、ついにみなとは会社をやめる。
 この会社の辞め方がとてもリアルで、ほかにやりたいことがあるから退職したのではなく、やりたくないことが多すぎたから、が退職の理由(これを認めることにどれだけ勇気がいることか)。

 仕事なんてそもそもやりたくない前提なのだから、その会社を組み立てる要素のなかにさらにやりたくないことがあるなら、やっぱりそれは無理よ。わたしも最近転職をしたけれど、前の会社は社員総会で美人コンテスト(!!!!!!!!!!!!!!)みたいなのを開催したり忘年会でコーラ一気飲み(!!!!!!!!!!!!!!!!!!!)させられたりと、太古にタイムスリップしちゃいました…?と思うようなことが頻発したので辞めました。いいんだよ、嫌だから辞める、でも。だってやりたいことなんてそうそうあるわけないのだもの。
……とはいっても仕事に前向きなほうが大人としては正しいし、というか生きていくための手段なので嫌だ嫌だばかりではたちゆかない。わかっていても動けずにいるみなとの前に現れたのが「あすか」の手紙です。

 

 私もかつてはボトルレターに憧れていた少女のひとりでありました(海に行くたび探した。見つけたことはないけれど)。なので見知らぬ相手と文通をするというのはやっぱりわくわくするシチュエーション。見知らぬ、というか自分のことを知らない相手というのがやはりいいのかもしれない。なんにも知らないからこそ言えることはたしかにある。みなととあすかは文通をしているうちに実際に出会い文通屋をはじめるのですが、ふわふわとしたものではなくクラファンを使ってしっかり事業として成立させているのがとてもよいなと思いました。
 物語の力に頼りすぎていないというのでしょうか。小説って現代が舞台だとしてもある程度は非現実的な設定があってもいいと思うのですが、「鳥と港」はありそうでない、ではなく、なさそうである、もちょっと違って、あるうえで憧れる、という理想と現実のバランスがいい。
「鳥と港」の認知度を上げるために飛鳥の父の知名度を利用したりもするのですが(父が小説家!理想と現実のバランス!)、ネームバリューを利用する/しないの葛藤、高校生の飛鳥の顔出しについてをみなとのほうが深刻に考えているのも、リアルな「大人」の側面。
 飛鳥(こども)を守るのは大人の使命ですが、こどもにとっての正しい守り方ってやっぱり難しくて、少しでも間違えると飛鳥を傷つけてしまうかもしれない、取り返しがつかなくなるかもしれないと考えるみなとの危うさが、全編で漂っている。文通を純粋に楽しく思う瞬間と、「仕事」になってしまった瞬間、みなとと飛鳥がすれ違う瞬間、みなとが苦しむ瞬間、飛鳥が大丈夫なふりをする瞬間、どれも「なまもの」であって、物語を読んでいるというよりは、ドキュメンタリーを読んでいるような感覚もありました。

 でも終盤に向かっていくにつれてひろがるドラマチック性は素敵な物語でもあって、やっぱりバランスがいいんだろうな、小説ということを忘れそうになるけど最後はしっかり小説としてのおもしろさを思い出させてくれる、読んだらこの感覚がわかると思うのですが、あんまりない読書体験です。

 

 仕事ではない文通/仕事としての文通。好きなことを仕事に、という考えのもと働きはじめた人なら感じることが多いかもしれません。あんなに好きだったのに、やりがいのある仕事だったのに、楽しく仕事ができるはずだったのに、いつのまにかただの義務になって結局不満ばかりが溜まって、無償でも好きなことだからできていたのに、無償ではもう動けない。「やりがいのある仕事という幻想」という本もありますが、やりがいのある仕事なんて幻想なんですよ、いやなかには幻想じゃない人もいるかもしれないけれど、ずっと同じ気持ちを持ったまま働くことはやっぱりできない。「働く」って本当に一筋縄ではいかないのです。
 じゃあ「鳥と港」のサービスをあきらめてただの思い出のひとつとするのか、自分たちができる範囲での運用方法に変えるのかといった難題に当たったとき、二元論化するのではなく、間にあるとても現実的な方法をふたりが見つけたのがよかった。
「みなと」と「飛鳥」どちらか一方のための鳥と港ではなく、ふたりの間にあるやり方を模索する。それは「鳥と港」ということばのイメージにある飛び立っていくこと、そして受け入れることどちらも体現しているように思える。まんなかに、わたしたち「大人」も入れてくれる、読みながら嬉しいと思える小説はなかなかないです。

 みなとはこれから形式ばった「大人」ではなく、「こども」と対等の「おとな」になっていくのではないかなあ、なってほしいなあと思った。


 ことばというのは誰かを喜ばせることも傷つけることも容易にできる。反対にまったく響かないことばというのもある。ことばは良くも悪くも「手段」だけど、狙っていないときほど届いたりもする。

 自分のことばが思いがけず誰かの心にずっとずっと残るかもしれない。それは怖いことでもあるけれど、言葉を選び抜いて発信するようになってきている現代の、ひとつの希望でもあるのだと思う。
 ずっと昔に受け取った、何者でもなかった人の小説をこの先もきっと忘れないように、わたしが発したことばが誰かの心で生き続けていることがあるなら、そこに恐怖を感じたくない。春の真夜中を怖がっていた飛鳥が、海からくる春を自然に迎え入れるようになったように、ことばと生きていきたいと思う。読んだあと、ことばにすればするほどよさに気がつく小説です。

 

 あっ、あと冒頭にも書きましたが初回配本分は著者からの手紙がついていますよ、私もばっちし読んだのですが、なんだか本当に自分に送られているような、形式ばっていない「手紙」でした。宛名のないこんな手紙をもし自分がみなとのように見つけたら、お返事書きたくなっちゃうな。

 どうやら王様のブランチで紹介されるらしいので、初回配本なくなる前に気になる人はぜひ購入したほうがよいと思います!!(絶対売れる思う、売れたあとは、ほらね!ってドヤらせてください!←嫌な大人!)

 買ってない人がここまで読むことはないだろうなと思ったので、とりあえず冒頭に書いておきました。笑

 

 先日トークイベントも行ってサインをもらいました。「ことばをあなたに」、よいですね。f:id:mrsk_ntk:20240607132037j:image

mrsk-ntk.hatenablog.com

トークイベント行ってきた

 雲がなくまぶしいお天気、本日は佐原ひかりさんのトークイベントに参加するため渋谷の大盛堂へゆきました。

dps.shogakukan.co.jp

 新刊「鳥と港」発売記念のイベントでした(これから読みます)、おととしも「人間みたいに生きている」のイベントに参加したのがとっても楽しかったので!

mrsk-ntk.hatenablog.com

 

 イベントは15時からだったのですが、お昼ぐらいに関かおるさんと待ち合わせ! 関さんは第15回野性時代新人賞を受賞された方なのですよ、とても素敵な文章を書かれる方なのでお名前みつけたらみなさんぜひチェックしてほしいです!
 以前関さん宛てにしたためた文章↓(気持ちが燃え上がってる)

mrsk-ntk.hatenablog.com

 

 この熱量を感じ取ってくれたならきっと伝わると思うのですが、ずっとお会いしたかった方だったので楽しみと緊張、うまく話せるだろうか、つまらないことばかり言っちゃったらどうしよ……といろいろ考えていたのですが、対面したあとは不思議と自然に話せて、というのも関さんがお話上手でした。わたし自分から話題ほとんど振れていなかったような気がするのですが(ごめんなさい)、関さんはちょっと沈黙になったら質問を投げかけてくれて、なんだかすごく話しやすいし、プレゼントまでくださり、もともと好きだったけど、もっと好き~~~~~~~となりました。
 そして「一緒に文フリ出ませんか」とうれしいうれしいお誘い、ここ最近一般で参加していて、わたしも本つくってみたいな~出店してみたいな~と思っていながら一人だと心細いな……の気持ちだったので、一も二もなくぜひ!!!!でした。その場で申し込んで、サークル名を決める勢いのよさ、好きだわあ。

 完全に出れる気でいますが、あとからよくよく申込内容読んだら、参加数が多かったら抽選だった……!(抽選でしたよ…!)いやでも12月はビックサイト開催だし、い、いけるんじゃない……?と謎の自信持ってます!祈る!

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 そういえばお茶したお店は渋谷の「森の図書室」というところだったのですが、静かで雰囲気がよくよいお店でした。壁がすべて本棚になっており、エンタメも純文も海外文学も用意されていて、フリードリンク、滞在時間で料金が決まるシステムなので長居もしやすそう。あとカステラがめちゃくちゃ大きかったです。

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morinotosyoshitsu.com

 

 そして大盛堂3Fへ、15時からイベントがはじまっていろんなお話が聞けました。とくに装丁の話で出てきた「鳥」のフォントを変えてもらったというエピソードにおお!となったのですが、鳥のてんてんの部分がつながっているの、やわらかさ(かわいらしさだったかな…!?)を出すために調整したんだって!表紙見ると、本当だ!てんてんつながっていてかわいい!カモメみたい!

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 たくさんいろんなお話ができて&聞けて、わたしも書くことに対してモチベーションが上がってきました。というわけで書くぞ~~

 

 あっあと無事に転職先決まったので長い休みは明日で終了、お仕事小説の「鳥と港」読みながらまた働いてきます!!!

 

「関心領域」観た

 本日は映画「関心領域」を観てきました。内容に触れているのでこれから鑑賞予定の方はご注意ください!!!

happinet-phantom.com

 1945年、アウシュビッツ収容所のすぐ隣に家を建て、幸せに暮らす家族の日常。それだけが淡々と描かれている映画ですが、歴史を知っていればこれがどんなに悍ましいことなのか想像は難くありません。
 部屋がいくつもあって、綺麗な花が咲いている大きな庭があって、家の近くには川がある。そして壁の向こうには強制収容所があり、焼却炉からの煙が見え、稼働音、うめき声、銃声が絶え間なく聞こえてきている。
 映画を観た方の多くが「音」が怖いという評をしていると思うのですが、本当にそう。もちろんひとつひとつのセリフや、背景にみえる収容所の一部がスクリーンに映るだけでもぞわっとするのですが、とくに夜のシーン、家族が寝静まったあとも聞こえてくる低い稼働音、稼働音だと思います焼却炉の。というのもこの映画、本当に収容所の隣に住む「家族」にカメラをあてているので、収容所のなかでの映像が一切出ません。音や声のみで想像させる。最近「夜と霧」を読んだばかりだったので、どんなことが行われていたかということをまざまざ想起させられて、でもそのことについて家族のなかで語られることはない(あくまで「仕事」の一部としての会話はある)。


 幼い子どもも出てくるのですが、ユダヤ人から奪って回ってきた衣服やブーツなどをたぶん履いていて、8~10歳くらいの次男?かな、途中、言葉になっていないセリフを言うところがあって、なにを言っているのかわからなかったんですけど、たぶんあれは、聞こえてくる音やうめき声の真似をしていたのではないかと観ているうちに思いました。たぶん、悪意はなく、純粋に、聞こえてきたまま口真似をしたという感じで……。
 ほかにも、看守がユダヤ人に暴力をふるっているらしき場面があり(ここもやはり声のみ)、それを部屋の窓から次男が聞いているんですけど、看守が林檎を奪い合っていることを責め、おそらく殴っているかしているんですね、で、次男がひとりで「次はやるなよ」と部屋でつぶやくんですけど、それも、看守が日ごろ言っていることを覚えていて、先読みして言っているのかなって……当然のように略奪をする大人と、そんな環境のなかで純粋に過ごす子どもたち、「おかしい」ということに気づかないというか自分たちが正義と思い込んでいるただの「ホームビデオ」が延々続く。ときおりものすごい低くて大きい音が突然ごぁーーんと流れたり(本当に怖い)、画面が真っ暗になったりもして、内臓のいちばん嫌なところ抉られるみたいな映画でした。


 最後、司令官であり家族の父親であるヒスがハンガリー作戦を前にひとり嘔吐するのですが、あれたぶん中身は出ていなくて、吐くものがないのに吐き気がある、胃液だけ出る、あの感じが司令官を「人」に見せていて空虚さを感じさせた。けれど同時に現代のアウシュビッツ博物館での様子を映すことで、そこで終わらない、ただの歴史としない、目を背けるなという現代への訴えも感じました。
 鑑賞中は本当に何度も目を背けたくなったのですが、たとえ目を閉じても「音」がつねに聞こえてくるので逃げられないです。

 

 正直何度も退席しようかと思ったし、映画館でなければ途中で観るのをやめていたかもしれません。エンドロールもまるで悲鳴を想起させるような音楽(音楽…?音…?)で、逃げ出すように退場していく人が何人もいました。あんなにエンドロール中に帰っていく人が多い映画ははじめてです、退場したくなる気持ち本当にわかります。

 

 すぐ隣で起こっていることなのに……ということではなく、この領域に距離は関係ない。べつにこの映画が、今生きている私たちにこれをしろあれをしろと明確な答えをくれるわけではないし、観た人それぞれ思うことがあるでしょう(それこそ、領域は人それぞれ)。私はやっぱり繰り返してほしくないから、忘れてはいけないことだと思うから、関心を持ち続けていきたい。
 先日、「ガザに地下鉄が走る日」を読んだときにも思ったけれど、私たちは何かの後にいるのではなく、何かの前にいるのだから。戦争も虐殺も反対、わざわざこんなこと言わなくたっていい世界になってほしい。人間が「人」になる日がきてほしい。

 

※もし映画観れそうなら、観てほしいです…(配信がきたら配信でも…)

 

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「なぜ旅に出るの?」-津軽弾丸旅行記

「ね、なぜ旅に出るの?」
「苦しいからさ。」

 と引用したのは太宰治津軽」本編冒頭。苦しいわけでもないけれど、わたしも旅に出ました!

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 有給7日目。5/21〜22で弾丸青森へ。

 有休消化期間中にぜったいどこか旅行しようと思っていて、しかし基本出不精のわたしは旅行の計画とか苦手だし自分が行きたいところもこれといってない、でもどこかに行きたい!というやる気があるのかないのかわからない感じで、なんか聖地巡礼とかしてみたいかも〜という軽い気持ちのもと、津軽を選んだのだった。

 津軽といえば太宰治が生まれた土地、金木にある斜陽館という太宰治の生家を目指していざゆかん!

 

 朝8時18分東京駅発、はやぶさ新青森駅まで。ひとりでこんなに遠出するの人生はじめてなので、国内旅行といえどちょっと緊張、東北もはじめてなので不測の事態があったらいけないと気合い入れたら30分以上前に東京駅に着いて暇だった。にしても朝早くとも働きはじめる人の多さよ。そのぶん帰りは早いんだよね……!? あと修学旅行生とかもいた、見てるとみんな荷物少な! 学生のころってそんなもんだっけ……!? 

 三時間ほどで新青森駅に到着、はやーい。途中停まる駅が大宮、仙台、盛岡しかなかった。あと新青森新函館北斗東海道新幹線を利用する人から「静岡まじ長え〜」とつど言われる静岡出身の身からすると、はやぶさの偉業よ……。

 

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 うおー!青森だー!とホームに降り立つと、さ、寒!!!!!!!めちゃくちゃ寒!!!!風つめて!!

 東京のノリで思い切り半袖でいたんですけど東北をなめていましたすみません。上着持ってきていて本当によかった。同じ国内とは思えぬ寒暖差、ふつうに冬でした。

 そしてここからさらに「五所川原駅」というところに行かねばならない、次の電車は……一時間後、うんうん、私も静岡の田舎出身、こんなことはよくあります。

 しかし駅前なにもなかったので(もっと歩けばなにかあったのかもしれない、でも駅から離れすぎるのは怖くて確かめられなかった)、駅内にあったドトールで休憩。ホットココア飲んだ。冬か。

 

 時間がきたので奥羽線をつかって五所川原駅へ、入るときの改札はSuica利用できたのですが目的の五所川原奥羽線ではなく途中で乗り換えて五能線。そこはSuica使えないとのことで切符を購入。久しぶりだ切符。ちなみに「津軽」でもこれと同じルートが書かれてました、太宰の場合は蟹田から船で青森に戻り、そこから奥羽線をつかったようです。

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 電車乗ったらボタンでドアを開閉するタイプ。電車空いてる〜🎵と思ってゆったりしていたら、乗車客がボタン閉めてくれていた。あれって乗った人が閉めなきゃいけなかったのかな!?ごめんなさい!!

 次に川部駅というところで乗り換え、降りるとき緊張した。ボタン押すんだボタン押すんだ……と心のなかで言い聞かせる。形から入るタイプなので、太宰治の「津軽」を持っていって読んでたのですが、なんか、ボタン押しても開かなかったらどうしよ!?と不安で読んでる場合じゃなくなっていた。でも五所川原駅で降りる人けっこういたので大丈夫でした。仲間がいることの安心感……。

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 そしてついたー!五所川原!顔ハメが無駄に多い!ひとりだったのではめることはできませんでした。わたし実は観光地の顔ハメ大好き、ついはめたくなってしまうのです。いったんホテルにチェックインして斜陽館へ!

 

 今度は津軽鉄道五所川原駅から出発。この津軽鉄道も「津軽」に書かれていました。ここからさらに北上します。

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 わ〜すごい、駅が昔のままって感じで素敵だった。ストーブあった。伝言板も……(今は利用されてるんだろうか…?)切符は厚紙っぽい素材でちょっと固め。

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 お客さん全然いなくて貸切だー!!!とホームで写真を撮りまくっていた。そして電車がきた!オレンジ色の電車…ゆっくりゆっくり近づいてくる……駅員さんが線路に降りて旗で誘導してた。

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走れメロス」って書いてある!

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 電車に本置いてある!!!(でも太宰治の本はなかった笑)GW後の平日ということもあるのでしょうが、本当に人いなくて最高でした。このあと私のほかに一人乗ってきたくらい。

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 理想的な車窓の景色すぎて感情が大変でした。田園風景が本当に好きなので……。涙出そうになるくらい景色が美しく……そして人もいない静かな車両……ごとごと長閑にゆっくり進んで…とてもいい。こういう電車だとあれですね、上京してゆく友を走りながら追いかけ「頑張れー!!」ができますね。

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 30分ほどで金木についた!駅から降りると数十メートル間隔で案内板があったのでGoogleマップをひらく必要ないね! 丁寧なことにお店の窓にも案内が。

 この金木に到着した時点で15時くらい、斜陽館のほかにあと一つ、この駅でまわりたいところがあったのですが、16時10分の電車に間に合いたい(電車、一時間に一本程度なので逃すとやばい)、というわけで走った。奇しくも道はメロス坂通りと……。

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 ついた〜〜!太宰治の家かっけえ〜!そして二階まであり広い!館内は一部を除き撮影OK、ネットに上げても大丈夫とのことでバシバシ撮りまくり。施設の方「どんどん撮っちゃってください」と鷹揚な感じでほっとする。ここが金襖の部屋か〜!とか、この部屋で太宰が生まれたのか〜とかひとつひとつの部屋の説明を読みながら順路を進む。楽しい。あとここもとにかく人が少ない、まじで人の写り込みが一切ない。

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 太宰マント貸し出ししてたから写真撮ってもらった。頬杖ついたりなどのポーズとればよかったのに恥ずかしさが上回りなんかこんなふつうのポーズ、自分よ、旅の恥はかき捨てだぞ、恥の多い人生でよいではないか……。

 そして撮影禁止なのは太宰治にかんする資料などの展示部分。直筆の手紙や原稿、川端康成へあてた手紙(かの有名な!)、家財や下駄など太宰ファンにとったらここが宝島か?となる展示の数々、斜陽館たいへんおすすめです、ムービーとかも流していたよ。

 そしてもうひとつ、私が見たかったのが新座敷!

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 斜陽館とは数百メートル離れてるんですが、もともとは土地が繋がっていたようで、それを考えると太宰の家めっちゃくちゃ広い、お金持ちの家だったんだもんね……とはいえそんな家が好きではなかった太宰、作品でもたびたび語られておりますね。といった話を詳しく教えてくれた館内のお兄さん。例によって客がわたし一人だったからか、ひとつひとつの部屋の説明をしてくれて、「ここがあの「思い出」に出てきていた座敷で、この襖から嫂をこう、ちらっと見たんですねえ……」などめちゃくちゃ太宰の作品好きなんだろうな…と思わせる語りを披露してくれてありがとうございました。情景を知るのと知らないのでは、作品を読む楽しさもまた変わってくるよね! 実際、「津軽」を読み直しながら移動していたのですがもっと好きになりました。「思い出」も読み返そう。

 ここも写真OKなんですが、動画は禁止になったとのこと。どうやら勝手にここで生配信とか始めちゃうユーチューバーが過去にいたらしくお兄さんが困っていた。もしも太宰がいたら自分の家を生配信する人間をどう思うのだろう、やはり無粋だと思うのだろうか、「君、お願いだから何処かへ行ってくれないか。」とか言うかもしれないね。

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 ここで太宰は執筆をしていたのこと。と思うとやっぱり感慨深い。「ここに座ると文章が上手くなるといわれていて……」とお兄さん、「座ってください!写真も撮ります!」とこちらが頼む前に言ってくれる。な、なんてサービス精神旺盛なんだろう、ひとり旅になんて助かる……

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 正面、左右、斜めからなどいろんな角度から撮ってくれて、見返したら10枚くらいあった。さらにポートレートモードとかも使ってくれていて笑う。本当に、ぜひ楽しんでいってね!という雰囲気全開で、とてもいいなと思った。

 あとこれは偶然だったのですが、太宰が「津軽」を書くためこの土地に取材にきたのが5月上旬、まさしく5/21に金木を訪れていたとのこと、1944年から2024年、80年越しに自分が後に書く「津軽」を持って生家が見たいとやってくる当時のあなたと同い年の女がやってくるなんて考えもしなかったでしょう、と考えるととても不思議でよくわからなくて、どちらかというと「お、同じ日ですよ!!!」とお兄さんのほうが興奮していた。

 

 そして無事に電車に乗ることができ次は芦野公園駅

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 金木駅より一駅の無人駅。太宰もよく散歩に来たらしい。

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 旧駅舎を利用しているというカフェで休憩、ラストオーダーが16時半ということで、ぜったい電車に乗りたかったのでした。アイスコーヒーとりんごケーキ、やっぱり青森きたからにはりんご! 入ったらわたししかいなくて、もうね〜平日最高ですねえ。

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 公園。だ、だれもいね〜〜〜! かなり広かったのですが、地元の人すらいね〜〜〜! ここが代々木公園とかだったら大変なことになってるよ。

 17時10分くらいの電車に乗るため公園をあとにしました。そして誰もいないといいながら、実は五所川原駅からわたしとまったく同じルートを辿っているであろうおばちゃんがひとりいました(電車の本数が少ないから必然的にかぶる)。無人駅のホームで二人きりになり、勇気を出して写真を撮ってもらった。「電車待ってる風に撮ってほしくて…」「電車待っている風ですね」というやりとりをして撮ってもらった写真。

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 ありがとうおばちゃん。やっぱり太宰ファンで斜陽館立派でしたね〜うふふと少しお話しして、帰りは逆方向。わたしが乗る電車がきて、お元気で、よい旅を、ふふふ、と挨拶をしながら乗り込もうと思ったら電車の扉が開かない、そうだった、ボタンを押さないといけないのだった、かき捨てかき捨て……。

 

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 五所川原駅に戻ってきて、居酒屋にふらりと入ったらすごく美味しいお店だった!↑の写真お通しです、お通し!!?(豪華)

 というわけでなんとか予定通りに動けて初日終了。

 

 2日目、湖が見たいと思って五所川原駅からバスに乗り、十三湖というところへ出発!

 バスで1時間20分くらいかかる道程だったのですが、その間乗ってきた人ほとんどいない。津軽にはとても大きなイオンがあって、たぶんほとんどそこの利用者がバス乗っている感じ、ていうかイオン以外にスーパー的なもの全然なかったけど、あのイオンなかったらいったいどうやって生活すれば……

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 中の島公園入り口というバス停に到着!湖は目前に広がっています。そしてバスの本数少ねえ。30分くらいしか滞在できない。

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 湖大きかった〜!そしてやっぱり人がいない!近くに小さな海の家みたいな売店があって(湖の家?)しじみ汁を飲んだ。おいしい、いっぱいしじみ入ってた。この十三湖しじみが有名のようで、本当はしじみラーメンが食べたかったのですが、さすがにバスの時間が……。

 泣く泣く帰りのバスにも乗り五所川原駅へ戻り、雰囲気のいい喫茶店でカレーを食べ、行きと同じルートで新青森駅へ。無事に帰りのはやぶさに乗り、こたびの津軽旅は閉幕したのでありました。

 

 とにかくどこへ行っても景色がいい。広大で、のどかで、おっとりしていて……。電車やバスから景色を眺めていると、田んぼの水面がきらきら光っていました。あと写真を撮りそびれたのですが、津軽には岩木山という山があり、広い田園の向こうにそびえるその景色はそれはそれは立派でした。岩木山津軽富士とも呼ばれているのだって。

 太宰いわく、「したたるほど真蒼で、富士山よりもっと女らしく、十二単衣の裾を、銀杏の葉をさかさに立てたようにぱらりとひらいて左右の均斉も正しく、静かに青空に浮んでいる。決して高い山ではないが、けれども、なかなか、透きとおるくらいに嬋娟たる美女ではある。」とのことです。

 

 あと感じたのは、出会う人みんな優しいということ。施設やお店の方、朗らかに丁寧に対応してくれました。十三湖しじみ汁を出してくれた人は、売店から少し離れているのにバス停のほうを見てくれていて、きっとあれはバスちゃんとくるかな〜まだかな〜とやってくれていたのだと思う。ひとりでバス待っているわたしを気にかけてくれていて、なんだかほっとしました。バスがきたときは手を振り合った。

 というわけでみなさま、津軽おすすめです。「津軽の旅行は、五、六月に限る」と太宰治も残しております。

 

 さて長々とここまでおつきあいいただきありがとうございました。最後に「津軽」の末尾を引用してこの旅行記を締めることにします。

「さらば読者よ、命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬。」

 

 ではごきげんよう

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