今日もめくるめかない日

1月の日記

1月ももう終わりで驚く。なんか冬ってかんじがあまりない。いや毎日寒いは寒いけど、季節を感じる暇なく日々が過ぎていっている。ものすごく多忙というわけでもなく、なんだろう、立ち止まることが少なくなった。
自分の最近のカメラロールを見返すと、景色を撮ったものは正月で止まっていた。正月は実家に帰っていた。帰省するとだいたい海に行くので、だいたい写真を撮る。見慣れているはずなのにね~。で、いつも同じような写真がのこる。

こういう写真がたぶん1000枚くらいある。ありすぎ



生活していると、なんかずっと歩いている気がする。家を出て、目的地まで進み、その往復がつねに一本道で、なんというか記憶にのこらない。

 

近くに住んでいる友人と新年会をした。わたしはお酒を飲むと声が大きくなってしまうんですが、その子に毎回「声でかくてびっくりする!」と言われる。もう何回一緒に飲んでるのかわからないけど、かならず毎回言われる。私が声が小さくするか相手が慣れるしかないが、どちらも今後はなさそう。私は好きな人間と話せると猛烈にテンションが上がってしまう。

 

本の話をよくする友人と新宿で会った。西新宿のほうにあった喫茶店に入ってピラフを食べた。私が年末に墓参りをしたという話をすると、相手は「三十にもなるのに墓参り的なイベントをしたことがない…」となぜか少し落ち込んでいた。
自分がもしも今死んだとしたら、方々に連絡するのはやっぱり親だよな、でもその親ってどうやって自分の交友関係を知るの?やっぱりスマホとか見られるんだよね?恥ずかしいなあ……ということを言っていて、いや自分の子を亡くした親の立場を考えると、LINEのトークルームとか見て「おっわたしらの子どもこんな会話してたのか~ww」とかする余裕ないと思うよと伝えておいた。でもいろいろなパスワードをまとめたものはここにありますからねという共有くらいは前もってしておいたほうがいいのだろうなあと思う。大変だと聞くよね、デジタル系のあれこれ。
それにしても親が亡くなったらたしかに自分が方々に連絡することになるのかもしれず、親の交友関係とかぜんぜんわからんな。どういうふうに連絡を出すんだろう。LINEでいいのか? LINEが悪いというわけではないけどなんか軽いかんじがしてしまうね。

 

お茶を飲んだあと、となりにあった怪しい店に入った。謎の石、木彫りの仏様、お面とか、なんかそんなような怪しいものがたくさん売られているお店だった。なんだかよくわからないがなんとなく店内をじっくり見てしまう。
そのうちに店長らしき男の人が、三人組の女性客に「もっと怪しいものがあるんですよ~!」と案内しはじめて、私も友も(!?)と大きく反応してしまった。しかもそのあとお客さんから「あやし~~い!!!」という歓声が響いてさらに(!?)だった。その「あやし~~~い!!!」は、「かわいい~~!」とか「おいしい~~~!」とかとまったく同じテンションであった。そのあと続いた店長の「怪しければ怪しいほどいいですからねえ~」という説明もいかしていた。いいなあ、「怪し~~い!」、完全に心からテンション上がってるよね。

 

昔からときどき通っていたお店が閉店する。そのお店があったから会える人たちがかなりいて、そのお店がなくなったらもう二度と会わないだろうという人がほとんどだった。
会えば楽しく話すけど、そのお店以外で会うのはわざわざしなくていいやというくらいの関係性は、ほんとうならもっと大事にしたほうがいいんだろうか。しかし店の外だととたんになにを話せばいいのかわからない。
もう二度と会わないと思うけど元気でねという挨拶をすると、ドライだな~と返された。でも、きっと二度と会わないのに、それがわかっているのに、「またね」と言うのは、そっちのほうがひどい気がする。

 

「プロジェクト・ヘイル・メアリー」オーディブルで完走した。ナレーターがうますぎて最高だった。テンションが上がりすぎて友人に早く読んでよ~~~!と連絡したら文庫を買ってくれた。映画も観にいこう!!!という話をしている。ちなみに怪しいお店に一緒に入った友人です。

 

雪舟えまさんの「辺境恋愛詩」を読んだ。本当に最高だった。みんな!!!!読んで!!!!!という気持ちでブログを書き、Xにも私の感想伝わって!!という気持ちで投稿したらリンクのクリック数が3しかなくすみませんちょっとすねました(今は少し伸びました)

最初に読んでくれた3人のかたありがとう。すくわれる。

mrsk-ntk.hatenablog.com

わたし自己肯定感というものがかなり低いほうだと思うのですが、なぜか自分の好きなものはみんな好きだろ!?という大それた気持ちになってしまう。そんなわけはない。好きの押しつけよくない。よくないが、自分の好きなものをだれかが好きになってくれたらうれしい。でも一方的なのはやっぱりよくないよねとちょっと反省。私ももっとだれかの好きなものを知ろう。人間関係はまず自分が動くことからはじまる。と思う。
でも根本の自己肯定感が低いので(私なんかが話しかけてほんとうにすみません…)という気持ちに負けそうになる。そんなことを思う人は私のまわりにはいないと信じる。あと自己肯定感が低いって、なんか、勇気を出さない言い訳のようだなとも思う。

 

なんとなく街がバレンタインムード。私はあんまり甘いものを頻繁に食べることはない。なんか、ケーキ食べたあとってラーメン食べたくなりませんか。甘いもので舌を終わらせたくない。


原稿なんとか進んだ。書きはじめる前は、いや書いている途中も(本当に私が書くのか…?私が…?書けるのだろうか…)という気持ちをつねに抱えていて、いや私が書くしかないんだけれども、書き切れるのか本当に不安でいる。プロットをしっかりつくれないというのもあるのかもしれない。終わりが見えないまま書いてしまうから、なんだかよくわからない原稿ができる。
ラストシーンを前に行き詰まる。推敲しながら最初から改稿をはじめます。わからないままだからラストが決まらないんだ。自分の小説のことはせめて自分がわかっていたい。しかしわからん。小説を書くのはわかれば楽しいけど、ほぼわからないからしんどい。わかりたくて書いてるのか……?
みんなどの程度わかりながら小説を書いているんだろう。

 

右手の人差し指の関節の部分があかぎれていてとても痛い。今日インスタントのカフェオレを入れてほっと一息つこうとカップを持ったとき関節が曲がり、い、いたい!!となって熱いカフェオレを思い切りこぼした。かなしかった。

 

オーディブルも利用しつつだったので、1月はけっこう本を読めました。

感想はここに。



辺境恋愛詩/雪舟えま

いきなり俗っぽい下心もりもりなことを言ってしまいますが、このブログの記事がびっくりするほどバズればいいのに!!!!!!そして一人でも多くの人にこの小説の存在が届けばいいのに!!!!

 

しかし残念ながらわたしにそんな力はなく、というかバズらなきゃ本っていま売れないの!?そんなこと…ないよね…………という一瞬よぎった不安はさておき、みんな!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!わたしは大声で伝えたいんだけど!!!!!!!!!!!!!!「辺境恋愛詩」が最高だったよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

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publisher.soyogobooks.jp

家と対話ができる「家読み」シガと逃亡中のクローン人間ナガノ。 愛し合うふたりは家読みの仕事をしながら幸せな旅を続けていたが、 ひとつの事件がきっかけで遥かなる地への逃避行がはじまる。 とある惑星の大陸を駆け抜けるふたりが行き着いた先で見たものとは‥‥‥

歌人でもある小説家・雪舟えまが書き継ぐSF恋愛小説。
『凍土二人行黒スープ付き[増補改訂版]』(東京創元社)から連なるふたりの旅の物語を、ぜひお楽しみください。

 

すみません本当にこの「辺境恋愛詩」あまりによすぎて言葉になりません、たぶんほとんど叫んでます。叫びたいから。たぶん今回「!」めっちゃ多いです。

わかってます、わたしはずっと雪舟えまさんの作品が大好きで、大好き大好き~~!と言ってきたから、(いつものね)と思われてしまうかもしれませんが、そりゃずっと大好き大好き言ってきましたけど、辺境恋愛詩は!!!あまりにも別格すぎます!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!別格!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

いつだってわたしの最高を上回ってきたし、きっとこれからも最高の作品をつくりだしてくださるに違いない……と思ってはいますけど、あえて言ってしまいます、言っていいですか!!??「辺境恋愛詩」は雪舟えま最高傑作です。すみません私が言ってしまって!!!!!!

 

作品の主人公は家読みのナガノと雇い主のもとから逃げてきたクローンのシガ。すこしまえに凍土二人行黒スープ付きの感想を書きましたが、こちらの続編です!!!やったーーーーー!!!!!!!!

mrsk-ntk.hatenablog.com

 

まず!!!!これをまず言いますね!!!!!!!!!!!!ていうかもうこのブログ読んでくれている人は作品を読んでいるひとかもわからないですけど、もうそのへんなんにも気にせず喚き散らしますので!!!!!!!!!気になったひとはぜひ凍土二人行黒スープ付きから読んでください!!!読んでください!!!!!!!!!!!!

で、言いたいのは、ナガノ!!!!!!可愛すぎか ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄~~~~~~~~~ああああああああああああああああ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄~~~~~~もう ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄可愛すぎか ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 取り乱しました。すみません、あまりにもナガノがかわいくて。ナガノはクローンなので、もともと人間の命令絶対、無謀なことはしないといった性質を持っているのですが、シガと出会うことにより少しずつ人間(オリジナル)に似通った思考になっていき、(ナガノにとっては)なんだかわがまますぎるかも……というふうなこともばんばん発言するんですが、それが!!!!!!!!!!!!あまりにも!!!!!!!!!かわいく!!!!!!!!!!!いとおしい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!うわ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!ありがとう~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!

 

そして対するシガは鈍感なところがあるので!!!!1鈍感なところがあったのだけれども!!!!!!!1辺境恋愛詩ではナガノへの恋心をしっかり自覚していて!!!!!!!!!!!!!!!!シガもシガで翻弄されながらもしっかりナガノの求めることを受け入れ!!!!!!!!受け入れるというかシガがしたいこととナガノのしたいことがぴったりと!!!!!!!!あわさっていて!!!!!!!!!!!!!!!!1愛!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

う、うるさくてすみません!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!なんかこのふたりのかけがえのなさがあまりに胸打つもので、本当に感動とか泣けるとかぜんぜん違う場所にいながらわたしは涙を流していました。本当に胸がいっぱいになって!!!どうしようもなくなって!!!!泣くことでしか自分の感情をあらわせませんでした!!!!!!!!!!!!!!!!!!!1

 

そしてなにがいいって、章ごとに短歌があるんです!!!!!!!!!!!1ぎゃ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ありがとうございます~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!

本編と一緒に読んでこそ一首一首がかがやきますのでここでは引用しませんが(ああああああ本当は全世界の人間に教えたい!!!!!!)、私はとくに「まるで前世のこと」「ずっと愛の中」の短歌が本当に本当に本当に大好きでした。

「まるで前世のこと」この章だけナガノ視点でつづられているのですが、それがあまりに愛にあふれていて、ていうかナガノには言ってしまえばシガしかおらず、この二人行はじつはとても閉鎖的な旅でもあるのですが、それでもシガと出会っていろいろな気持ちを知る新しく生まれる気持ちが際限なくあふれており閉鎖的なんて決して言えない、新しい自分になっているのだということをひしひしと感じ、それにしても過去のナガノはなんで、なんでシガに出会ってなかったんだ~~~!!!!!!!とこちらが歯がゆい気持ちにもなり、でも今は本当にこのふたりが出会えてよかったと心から思うと同時にほかの、「出会えなかった」クローンにもこの小説では焦点を当てており、そのまなざしが、あまりにも誠実で真摯でどうしようもなくてせつなくて……すみません!!!!!!!興奮しながら書いているので文脈が!!!!!!!!めちゃくちゃです!!!!!!!!!!!!!

 

あとナガノがシガを名前を呼ぶとき、「シガシガ」とか「シーガ」とか言う!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!すき!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!かわいい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

全編、全ページ、言葉のひとつひとつ、最初から最後まで、こんなにずっと気持ちが高ぶっていることそうそうないです、小説ってどうしても途中、自分には合わない展開とか言葉のつかいかたとかがあらわれると思うんですが、私にとって「辺境恋愛詩」はすべてがきらめき輝く文章、こんなに小説を好きでよかったと思えることもそうそうない。ていうかこのふたりの世界観を言葉であらわすことがなによりすごい、小説って、小説だから言葉にしないといけないじゃないですか、でも胸がいっぱいになる場面って映像とか絵のほうが、ぶっちゃけ伝わるじゃないですか!!!!言葉って、ときに野暮じゃないですか!!!!!!!!!!!!

でも辺境恋愛詩は!!!!ぜんぶ言葉で!!!!!!!表現しているんですこのうつくしくいとおしいナガノとシガの愛を!!!!びっくりするほど野暮ったくなく、言葉以上の意味を持たさず、それなのに感情を大きくうねらせる、これって本当に本当に本当にすごいことなんですよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

ふたりが交わすやりとりすべてに愛がにじんでおり、すごくメタ的なことを言ってしまうと、他人の恋愛とかフィクションの恋愛って、結局自分のものではないというか外側から見ているじゃないですか、でも本当に不思議なんですけど、読んでいる感覚はあるのに読んでいる感覚がないというか、読まされていない……?ぜんぶ「ほんとうの言葉」なんです、ナガノとシガが発言している、どこにも嘘がない、ほんとうにこの宇宙のどこかにナガノとシガはいると無意識的に思えるようなまったく余計なものがない文章で、読む喜びってこういうことなんですか?また取り乱してますねすみません。

 

あと、互いの互いへの呼び方が好きです、ナガノはシガのことを「あなた」と呼び、シガはナガノのことを「君」と呼ぶ、ううううううわ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!心をこめて互いを呼ぶ姿がずっと浮かんでいてわたし、わたしはこのふたりの家でした、家!!!!!!!!!!!!!!!!!!ふたりを見守る家です!!!!!!!!!!!!!!!家になります!!!!!!!!!!!!!!!!

 

ナガノがシガのことをだれかにのろけたくなるとこぼしたとき、シガはなんと言ったとおもいますか!!!!???「わたしに言えばいいじゃないか」と言うんです!!!!!!!!!!!!!!!!ええええええええ~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!シガ~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!????????????

シガはけっこう落ち着いた大人でありずっとひとりで生きてきた人間なので、ふたりが旅をはじめた当初はナガノへの気持ちもまったく自覚しておらず、ぽわんぽわ~んとのらりくらり~な返答をしときおりナガノを不安にさせたりなどしていたのですが、このふたりは!!結婚という儀式を経て!!!!!魂が!!!!!!つながり!!!!!!!!!!!!!!!一方的じゃない愛って!!!!!!!!こんなに泣けるものなの!!!!!!!!!!!!!!!!????????????????????????????ドリカム!!!!!!!!!!????????????????

 

帯にもあります「愛しあう二人の言葉はすべてが詩になる」これほんとうにそのとおりすぎていま帯を見返してまた涙が出てきました。ふたりが会話をするたびに心がとてもあたたかくなりました。

こんな絶望だらけの世界において、わたしはこの小説を読めたことを心から幸福と感じます。わたしはまだ希望を持っていたい………人間に、期待したい…………

 

「ほんとうの星」めちゃくちゃ最高でした。「ほんとうの星」という言葉を思い返すだけで、その星がふたりの、ひいては人々の頭上にあらんことを願うだけで込みあげてくるものがあり、あっまたじんわり泣けてきました。

ナガノとシガ、ふたりでいればかならずほんとうの星が頭上で光っているはずです。光っていてほしい、ふたりの旅路がいつまでもいつまでも明るいものであってほしい。

 

そして最後のページのあの一行!!!!!!!!!あのせりふ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!本当に最後の最後の、あの、たったあの一言だけでもわたしはこの小説を読んでよかったと思うでしょう、でもあの最後の一行はこれまでふたりを見守ってきたからこそこんなに感動できたんです。ありがとうしか言えないよ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~そんな、醜い人間すらもゆるしてしまいそうなあまりにやさしい一言を、だれであろうナガノが言ってくれるんです、同じクローンが虐げられたり不自由になっているのを共鳴で感じながらも、シガというたったひとりの相手に出会えたことだけで、ナガノは世界を愛してしまえるんです、人間!!!!!!人間見てるか!!!!!?????????

 

どうしたらこの本の良さを伝えられるんですか!!!!???どんな言葉をつかえば伝えられるんですか!!!?????わたしには無理なのでどうかひとりでも多くのひと「辺境恋愛詩」を読んでください。あっでも凍土二人行黒スープ付きから読むのがいいです。

わたしはただ家になります、ナガノとシガの家になる、ふたりをずっと見守る………………

年末年始、ただたんに夕食を買おうと入ったスーパーで、店内一周するんかというくらいのレジ行列ができているのを見て重いため息がこぼれたとき、ふと思ったんである。

わたしはなぜ東京に住み続けているんだっけ……。

 

晦日から2日にかけて、実家に帰省していた。帰省するたび両親に言われるのは、「この家に帰ってくるのもいいんじゃない?」「帰ってくればいいのに〜」といったことだ。毎回、あ〜うんそうだね、う〜んまあそうだね、とあいまいに流していながら昨年までは私にはいちおう夫というものがあり、べつにしっかり話し合ったわけでもないけれどなんとなく夫の親のほうが優先されてしまうというか、それは私の意思はあまり介入されていなかったけれども、東京の夫の実家の近くか静岡の田舎にある私の実家の近くに住むのかといったらそれは自然と東京になったわけで、だから(夫いるしな)というべつに理由にもならない理由で両親からの実家帰ってきなよアピールをかわしていたのだけれども、今年帰ったときはもう私は独身状態で晴れて一人暮らしの身、再婚相手も意思も今のところなし、会社勤めをしているけれども絶対そこにい続けたいわけでは決してない、となると、実家に帰るという選択肢が今までより現実味を帯びてくるのである。

 

まあ実家のことはこれまでも考えないわけではなかった、親はいま元気で生きているけれどいつか必ず死ぬ、死んだあとのことをそれとなく親たちは話したそうにしている、なんか、家のこととか墓のこととか……。

や、考えないといけないことはもちろんわかっている、わかってはいるが、死後のことはすべてお任せあれと言えるくらい私はしっかりした人間ではなく、むしろそういったことはなるべく考えずに生きていきたい、一生モラトリアム的な人生を送って、ある日苦しくない死に方でぽっくり死にたいと甘っちょろいことを考えている人間なのであるからして、おれたちが死んだあとはお姉ちゃんがいろいろやるんだよ!(私には妹がいる)と酔っ払った勢いで父親に説教されても、正直なところ(困るなあ……)と頭を抱えるふりをしてじつはどこか他人事である。

 

でも今年はなんだか(困るなあ……)が妙に身に詰まされるというか、なんかこう、実感を持った(困るなあ……)になってしまった。なぜなら私はいま、実家に帰ろうと思えば帰れてしまうのだ。

 

絶対に帰りたくないというわけではないと思う。

べつに両親とは不仲ではないしむしろ仲のよいほうだと思うけれど、ただ毎日一緒にいたらお互いイライラするだろうなあというのは目に見えてるし、いや人と生活するってそもそもそういうことだし、両親であってももういい年なのだから気遣いながら暮らす必要があるんだろうし。でもこの気遣いながら暮らすというのが、一人暮らしを知ってしまった私には、なんかいろいろもう億劫なんである。

 

しかしなぜ私は東京に住み続けているんだろうという答えはとくにない。もともとはオレンジデイズにあこがれて上京を志したという陳腐なものだけど、まあなんか暮らすぶんには田舎より性に合っている気がしている。東京は田舎者がつくった街というけどね。でもまあ、東京はいろんな面で便利ではある、確実に。

 

しかし東京にこだわる必要はとくになく、まあそりゃあ便利だけれども、東京じゃないと絶対に駄目だということもなく、ただ私には田舎暮らしができない理由があって、それは運転……。車の運転……こわくてできない……。

十年以上のどこに出しても恥ずかしいペーパードライバー、冗談ではなく私が車を運転したら人を殺してしまうと思う。そんな人間に運転などさせてはいけない。でも運転怖いから……という理由で両親が「じゃあしょうがないね」と納得するわけもない………。運転が怖いという理由は、ちょっと、弱すぎるな……という自覚もある。

 

で、けっこう真剣に実家に帰って生活する自分というのを想像して、お金はたまるだろうしいろいろよくなる面もあるだろうなあというのは思う。でもなんだろう、結局、親が死んだあとである。ふたり同時に亡くなる可能性は低いとして、どちらかが先に他界したあと、のこったふたりで悲しみや寂しさをわけあいながら、それでもなんとなく励まし合いながら生活を続けてゆき、そしていずれもうひとりが他界する。や、もちろん私が先に死ぬ可能性だってあるわけだけれども、とりあえずは順当を重視してこういう想像。

ふたりとも亡くなったとき、私があの実家のもろもろをやるのかあと考えたら、それはなんだかすごく、しんどいなあと気持ちが暗くなる。いま実家に帰ったとしたら、互いに文句を言いながらも親子としての思い出が確実に積み重なるだろう。それを思い出してはめそめそしたり前向きになったりして、仏壇を掃除したり墓の管理をしたり法事を手配したり親の知り合いやらとなんやかんやの思い出話をしたり、広い家にひとりで住んで、日々のことをやっていかないといけないのかあ。家族をつくって暮らす人たちが多いあの地域で。

これはきっと多くのひとが通る道で、いい大人のくせにやだやだ言ってるんじゃないよと自分でも思うけれども、でもなんか、そういうことを考えると身体がとたんに重くなる。

それならもういなくなったときのさびしさを軽減させるべく離れて住み続け(それで軽減されるのかどうかは謎)墓もしまって家を売っちゃって、わたしは東京のどこかでひとりホームなどに入るためにお金を貯めて……など考えていると、(えっ親って死ぬんだ!?)と急にびっくりする。

 

同じく実家を出ている妹から、のこされるの嫌だから私がひとり先に死にたいと酔っ払った勢いでラインが届いたことがある。わ、わかる〜と思った。親不孝者だとなんだと言われようが、私はだれより先に死にたい。亡くなっていくひとたちを見送るたび、とても心細くなる。ほんとうは、だれのことも見送りたくない。人間に生まれてしまった以上、仕方のないことではあるのだろうけど、いつかおとずれる親の死というものを、いまだ私はしっかり考えることができない。

 

でもそろそろ、本当の本当に、考えはじめないといけないのかもしれない、親が元気なうちに準備をしないといけないのかもしれない。

あ〜嫌だなあ。でも、ひとりでこのまま東京で暮らし続ける元気がいったいどれくらいあるのか、そこも不明瞭。

さびしさを分けあえる人が減っていくというのはとてもおそろしいことだと感じる、最近は自分の死よりも人の死が怖くなった。

 

ていうか私が仮に実家を相続したとして、そのつぎは……? あ、それこそ売るのか……で、私の遺産は甥あたりに相続することになるのか……?

ひとりの人間がこの世界からいなくなること、それでもだれかの生活が続いていくこと、私が子を持たないことでなにかが途切れるかもしれないこと、途切れた先にまた違うなにかが生まれるかもしれないこと、なんかそんなことをぼんやり考えながら、東京に住み続ける理由ってやっぱりないな、ということを思ったりする。

でも実家に帰るなら家のことはもうおまえに任せたと言わんばかりの父の様子に怖気付くのもまた事実。三年くらい帰って休んでまた気ままな一人暮らしする〜🎵はどうもゆるされないらしい。

親が千年くらい生きてくれればいいのになあ、怪物か。

 

2025年

もしこの先ながく生きることができて、自分の人生を振り返ることがあったとして、印象に残っている年は……なんて考えたとき、この2025年という一年は特別なものであったと思い返す気がする。

 

年の瀬という言葉が好きです。というか「瀬」という漢字が好きです、かっこいいから。12月27日、紛うことなき年の瀬。
会社の福利厚生が終わっているせいで年末年始休暇が元旦しかなく、30日まで出勤しないといけないので(大みそかは有給をとった)締まる感じもあまりないですが今年の振り返り日記を書きます。

 

といってもちょこちょこ月の終わりに日記を書いていたし作家仕事のふりかえりも別にまとめたのでいまさら書くこともそんなにないのですが、今年は本当にいろんなことがあったよ。仕事のまとめはこっち。裏話てきなことも書いているので興味ある方よければ!

mrsk-ntk.hatenablog.com

 

去年に引き続き読書計画をしながら本を読んでいました。

読書の記録、Readsというアプリでつけはじめました。ときどき「読書計画をけっこう楽しみにしている」と言ってもらえるので、引き続きやっていきたいです。感想もちょこちょこ残しているのですが、この感想というのはいったいどれくらいの需要があるんだろう……?とときどきふいに冷静になって考えてしまうのですが、感想ってそもそも需要のあるなしで書くものじゃないよね…たぶん…!
でも本当にときどき、ブログの感想を引用してくれる人がいるとめっっっっっっちゃうれしい、あれはなんだろう、わかりあえた感…?私ひとりじゃない…!というやすらぎ……?単純に好きなものを共有できたよろこび…?布教に成功した達成感…?
まあきっといろいろあって、私はさびしがりやなんだろうな~という帰結に落ち着く。

 

文学フリマに3回出店者として参加しました。京都1回、東京2回。は~楽しかったな。私たぶんお祭りっぽいことが好きで、非日常感を味わえるあの場、本当にありがたく思います。でも小心者だからひとりでは絶対に出店参加できなくて、これはもう何度も言ってしまっていますけれども一緒に本をつくってくれる関かおるさんに最大限に感謝をしています。
あとふたりで撮った写真を見返していたら、関さんのほうが身長が高いんだ!ということにこのまえ気づきました。日常は小さな発見の連続。

 

忘れがちだけどそういえば私って今年離婚をしたんだということをときどき思い出す。
決断する前はやっぱりそれなりにいろいろ考えたし、今も、そしてきっとこの先もこの選択が120%よかった絶対によかった絶対に後悔しないと思うことはないのかもしれないけど、それでもしてしまったあとは、まあこんなもんか、という気持ちにはなった。
不安がまったくないわけではもちろんなく、生活をともにしてくれる人がいる心強さはやっぱりほしいけど、じたばたしてもしかたがないのであまり悲観的にならずに過ごしていきたい。
しかしもともと家事をするほうではないのですが一人暮らしをはじめて本当にまったく自炊などをしなくなった。大丈夫なんだろうか……と他人事のように思っている私は本当に大丈夫なんだろうか……。

 

数年ぶりに友人に再会した。いわゆる幼なじみという友人で、保育園、幼稚園、小学校、中学校、高校まで一緒(まあ田舎だからね)、互いに地元を出てから近くに住んでいたこともあるくらいの仲の良さだったけれど向こうに子供ができ、この数年は連絡をとりあうことも自然に減り、そうなるとなにかきっかけでもないと本当にふつうに人って会わなくなるね。
今年は自分の本を出せて、それを地元の友人たちにもお知らせしたのですが、けっこう知らせるかどうかは迷ったところですが、結果的によかったなと思います。それでまたちょこちょこ連絡を取り合って再会することができた。や、本当はきっかけなんてなくてもべつに、久しぶり~と連絡すればいいのはわかっているのだけど、どうして連絡をしようと思わなくなるんだろう。
それは互いの人生においてたぶんもう絶対必要な人間ではなくなっているからで、せわしなく過ぎていく日々、必死に生活をしなければいけない現代に不必要な人間関係って正直すこし面倒で、でも仲のよかったころの私たちって、必要か不必要かなんて絶対考えていなくて、いつか忘れる言葉のやりとりを楽しんでいた。
今ではすっかりきれいなだけの思い出になったけれど、きれいな思い出などいらないから、年老いても数年連絡をとっていなくても「久しぶり~」と、だれかにとって理由もなく会える人でありたいなあと思うなどしました。
と、そんなようなことを書いた小説が……あってですね……片付かないふたりというんですがね……(これは宣伝です)

 

確定申告、大丈夫。私は意外と前倒しで仕事をするタイプなので、ちゃんと今年分の経費は入力済み、あとはもうほとんど申請するだけ(のはず)なので、きっと大丈夫。確定申告って恐ろしい言葉のようにとらえられていて、じっさい私は去年はじめてこれを行い右も左もわからぬ状態で怖かったのですが、意外と怖くないかもしれない。怖いという先入観によって必要以上に怖がっていただけなのかもしれない。
でもこれ、だれも正解を教えてくれないよね、や、なんの連絡もこなければ大丈夫だとは思っていますが、でも本当に合ってるのか、確定申告関連の話題が出たとき自分の知らない言葉が出てくると(こ、こわい!!???????)となって耳をふさぎたくなります。税務署の人、おねがいだから「あなたはこれで大丈夫ですよ!バッチグー!」と連絡してほしい。
去年マイナンバーカードが全然スキャンできなくて本当に泣きそうになっていたのですが、よく見たら私はいっしょうけんめい運転免許証をスキャンしようとしていました。もっとスマートに生きたいなあ。

 

運転免許証、ただの身分証に成り果てている。なんの自慢にもならないペーパー歴10年以上のゴールド免許。実家に帰ったときちょいと練習してみるかな……という気持ちにならなくもないんですが、少し前に実家の車はマニュアル車になっていた。どうして……わざわざマニュアルを……とぶつぶつ言いながらも(ふうオートマ限定免許のおかげで運転の練習をしなくていい理由ができた、しめしめ)とも思っています。

 

ここまで書いて気づきました。これってぜんぜん2025年の振り返り日記じゃない。
でも年が変わるからといってなにかが劇的に変化することはなく、楽しいこともうれしいこともつらいことも悲しいことも理不尽なことも、今もこの先も起こり続けてゆき、あえて振り返りをするなんて本当は意味のないことなのかもしれないし、振り返るならば一日ごと振り返るべきなのであって、特別なことはまだ覚えていられそうだから本当はすぐ忘れるようなことを残しておくのがいいのかもしれないとも思う。
それでも年の瀬の空気というのはとても不思議で、とりあえず振り返っておかねばという気持ちにさせられる。
晦日という日がけっこう好きで、しんと静かで澄み渡っている空を見ていると、自分と世界だけが一対一になったような、その瞬間だけはかなしみもよろこびもない状態になれる気がする。
まあそんな、大晦日の空気を書いた小説が……あってですね……ハルシネーションの庭というんですが……(これは宣伝です)

 

楽しいことも悲しいことも疲れることもたくさんあって、なんでこんな世界で生きていかないといけないんだ……と途方に暮れることも本当にたくさんあって、それでもいまのところ私の生活は続いていく予定です。
今年はたくさんの人に出会うことができました。こんな私と出会ってくれてありがとう、だれかがいるから私も生きていけるんだと思います。などときれいなことを言ってみたり。

 

書きながら、このブログを読んでくれるだろうなあという人たちの顔が浮かんでいます(顔は知らなくても)。あなたたちのことです、いつもありがとう、たいへんお世話になりました。これからもお世話になります。

 

こないだ日高屋でラーメンを食べていたら、ビールを飲む一組の男女がとなりの席のおばあさんに「私たち、何歳に見えますっ!?」と話しかけていて、おばあさんも「え~うふふ」ときゃっきゃっと応じていて、その文脈があんなに楽しげに使われている場面にはじめて遭遇しました。
瀬という言葉には流れが早いという意味があり、年の瀬というのはあわただしい時期のことを指しますが、私はそのなんの意味もない年齢構文を聞きながら、年の瀬だなあとのんびり思ったのでした。

 

 

 

2025年のおしごと

今年は作家としてデビューした年でした。と、あらためて書くとすごいなこの一文……本当にこの身に起こった出来事なのかと、いまだどこか自分の外側から自分を見ているような気分です。

とはいえ右も左もよくわからない新しいおしごと、デビュー作が出たらもうそのまま消えたっておかしくないんだ……という不安をつねにかかえていましたが、ありがたいことにちらほら書かせてもらえました。お声かけてくださった方々ありがとうございました、今後ともどうぞよろしくおねがいします。

 

今年書いたいろいろをまとめたので、興味ある方ぜひチェックしていただけたらうれしいです。今年も一年ありがとうございました。振り返り日記はまた別に書きます。

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5月

デビュー作「片付かないふたり」が刊行されました。

orangebunko.shueisha.co.jp

2024年ノベル大賞準大賞を受賞した作品です。応募時は「いつか忘れるきみたちへ」というタイトルでしたが改題しました。加筆改稿をたくさんしたのですが、この改題にいちばん時間をつかった気がします。最後までなかなか決まらず……思いついた言葉をメモ帳に随時書いていたのですが、たぶん100個くらいあげていました。迷走に迷走しまくっていたので、「片付け」とだけ書かれている候補もありました。あきらめるな。

タイトルの最終決定まではまだ少し時間があるはず……というタイミングで編集さんから「もう今必要になってしまった……」と伝えられ、ふたりで打ち合わせをしながら「片付け…」「ああ片付け…」「片付けかあ…」「片付けだよね…」と片付けしか口に出さない時間を過ごしゲシュタルト崩壊を起こしそうになったのち、どちらからともなく「片付かない……?」という言葉がぽろりと出てきて、それまで主人公目線のタイトル付けという意識があったのですが、(おれが神)という気持ちに突然なり「片付かないふたり」というタイトルがふっと生まれました。

編集さんとずっとああでもないこうでもないと言い合っていたので、「あれっ?このタイトルいい…?」「わからないけどいい気がする…」「いいかな…?」「一晩寝かせてみる…?」とおそるおそるだったのですが、翌日「いいね!!」となって決定しました。よかったよかった。編集さん、メールの雰囲気わりとクールというかしっかりしている文面でいつも送ってくれていたのですが、タイトルこれで決まりだ!というメールには「やった~~~!!!!」と書かれていて、私も「やった~~~!!!!」となりました。一緒に悩んだり喜んだりしてくれる方がいること、本当に心強くありがたく思います。

番外編として短編も書いています、ウェブで無料で読めるのでよかったら!本編読んでいなくても大丈夫ですが、読む前と読むあとだといろいろ変わって見えるはず…。

orangebunko.shueisha.co.jp

この特集ページから、短編や選評、試し読み漫画が読めます。豪華だ~~。

あと「片付かないふたり」は年明け1月にオーディブルで配信されます!とってもうれしいです。私も最近利用しはじめたのですが、ドラマを見ているみたいでおもしろいです。

www.audible.co.jp

 

7月

小説新潮にエッセイが載りました。

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「もういちど会いたい」というテーマで、1ページのコラムを書きました。普段ブログを書いているからか、エッセイってすぐ書ける、たのしい。しばらく稼働していなかったライングループでの出来事を書きました。

 

10月

小説新潮に短編が載りました。

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「明るい絶滅」という特集に寄せて50枚ほどの短編を書きました。楽しく書けたな~と思います。私は過去R-18文学賞の最終選考に残り落選を2度経験したことがあるのですが、だから短編を載せてもらえて喜びもひとしおでした。この特集だったから生まれた作品でしたが、デビューしていなかったからこの作品で応募していただろうなと思います。いやでもこの特集だったから書けた作品だし編集さんにも読んでもらいながらだったしひとりではできあがらなかったものなので、こんなことを言うのはパラドックスですけれども……。

 

11月

2作目「ハルシネーションの庭」が刊行されました。

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まさか年内に2冊出せるとは思っていなかったのでびっくりです。なんで出せたんだろう……といまだに不思議です。ときどき「書くの早いね~」と言ってもらえるんですが、私たぶん書くのはそんなに早くないです、取り掛かるまで時間がかかるし、話の骨格をつかめないままとりあえず書いている……というかんじなので書き直すのがやたら大変です。たぶんペース配分がめちゃくちゃなのだと思います。計画的に書きた~い……。

これまでしっかりプロットをつくったこともなく、とりあえず提出してみたものの、編集さんは「今まで見たプロットのなかでいちばんよくわからなかった笑」と言っていました。通してくれてありがとうすぎる。提出したプロット自分で一度も見返してないし……(それはプロットじゃないよね……あれはいったいなんだったんだ……)

こちらも番外編を書きました。10枚くらい、短いです。無料です。本編読まなくても大丈夫ですが、本編を読んでいると違って見えるはず…(そういうの好きだから…)

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12月

紙魚の手帖にエッセイが載りました。

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「ごほうびごはん」というテーマでエッセイを書きました。タイトルは「ネオ黒糖ロール(マーガリン入り)」です。ハードルの低そうなごほうびごはんですがこれいかに……!?

 

振り返ってみると本当にありがたい一年でした。著作を買ってくださった方、読んでくださった方、感想を寄せてくださった方、私の存在を知ってくださった方、応援してくださった方、制作にかかわってくださった方々、本当に多くの人たちのお力添えがあってこそ過ごせた一年だったと思います。私はひとりではなにもできない……しかし「じゃあおまえになにができるんだ」と聞かれたとき、ルフィ的なかんじで「小説が書ける」と堂々と言える人間であれればと思います。

 

2025年に発売されたものを2026年に読んではいけない決まりはなく、著作は売られ続けてゆくので、引き続きどうぞよろしくお願いします!たいへん正直な気持ちを申し上げますと(売れてくれ~~~!)と思っています。

とはいえ大切なのは読んだ方が楽しんでくれる作品を書くことであり、そこが伴っていないことにはお話にならないので、引き続き真摯に書いていきます。ありがとうございました!

リデルハウスの子どもたち/佐原ひかり

自分がはじめて本を読んだときのことを思い出している。
といっても明確に記憶があるわけではないので、母から何度も聞かされた話を思い出すだけだ。
たぶん三歳か四歳とかそのあたり、私は大人が読み聞かせる絵本の内容を一字一句暗記するような子どもで、大人が読み間違えを少しでもしようものなら「そこ違うよ」と指摘していたらしい(どんな子どもだ)。
さらに「保護者の方へ」的な部分も読めとせがみ、その部分も暗記していたらしい(本当にどんな子どもだ)。
母いわく「字は読めないのに本を読む子ども」だったらしい。
暗記していた絵本は数冊あったらしいが、当然いまはおぼえていない。なんなら内容もあやふやだ(家にあった絵本、ド名作!というよりはややマイナーな日本昔話とかが多かった)。


それで話は変わるけれど、読書へのスタンスって年を重ねるごとに変化していく。
絵本暗記時代を経て、なんか自然と私は本好きの人間に育っていった。私以外の家族は本を読まない人間ばかりなので、私は先天的に物語というものが好きだったのかもしれない(保護者の方へまで読んでもらっていたというのはとても謎だが)。
昔はインターネットもまったく身近じゃなくて、ほとんどなんの情報もなく書店で目が合った本を買っていた。

 

だれの感想も耳や目に入ってこない、自分だけの読書体験。
今はさっとSNSをひらけばいろんな本の情報や感想が飛び込んでくるけれど、もちろんそれは悪いことではないけれど(そしてきっかけをつくるというのは今の時代、本当にとてもとても大切なことであります)、けれど自分の感覚だけで本を選び、その本との出会いを慈しむこと、自分と作品だけが一対一であること、それはそれはとても得難い経験だった。
(今だって情報をいっさい遮断して本を選ぶことはできるけど、どうしても話題になっているものを優先的に選びがち……)。

 

で、大人になった今は積読というものがあふれかえり、ここからは読書が好きという前提で聞いてほしいのですが、それでも「ふう。積読解消しなきゃ」「ふう。読まなきゃ」「この作品に書かれていることはつまりこういうことであろう」「どういうふうに感想を言おうかな」ということを考えながら本を読むことが増えた。
ちょっとマイナスな言葉をつかってしまうけれど、読書が少しずつ義務的なものになっているような気がしている。

 

もしかしたら私はもう「純粋な読書」というものができないのかもしれないとさえ思う。それは単純に脳みその容量が埋まってきたというか、考えることが増えたということでもあるのかもしれない。本を読んでいても、どこかで別のことを考えたりしている。
読書のスタンスは人それぞれであり正解も間違いももちろんないのだけれど、でも、でも私は昔のように純粋な読書がしたい、一字一句暗記するほど夢中になっていたときの気持ちをもういちど味わいたい。

 

なんてことを毎日真剣に考えているわけでもないんだけれど、なんか今!私!読書が楽しい!って思えた小説に出会ったのでした。
いつも前置きが長くてごめんね!

 

「リデルハウスの子どもたち」佐原ひかり

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金色にかがやく草原の果てに佇む、緑に囲まれた白亜の校舎。全寮制の名門校リデルハウスには、奇妙な制度があった。特別な才能を認められた生徒は「ラヴ」と呼ばれて、普通の生徒が知らない場所で学園生活を送っている。そして、かれらはリデルハウスからの“制約”の見返りとして、在学中に一度だけ「ギフト」を行使できる。「ギフト」は、実現可能な望みであればなんでもひとつ、叶えることができるという──。
新鋭が紡ぐ、懐かしくも新しい少年少女たちの物語。

佐原ひかりさんの作品をけっこう読んできたほうだと思うのですが(少なくとも単著はすべて読んでいる)、これまでいちばん好きだったのが「ペーパー・リリイ」、しかし今回「リデルハウスの子どもたち」を読んで、こ!!これは!!!!!!!!!!!いちばんになったかも!!!!!!!!!!!!!と思いました。
(ここから作品内容を遠慮なくしゃべるので未読の方はご注意くださいね)

 

赤毛のアンあしながおじさん小公女セーラ……など古典的で名作といわれる数々の児童文学、少女小説が思い出される作品。とはいえ実は私はその作品をほとんど読んできていない(冒頭で幼少のころから本好きエピソードを披露したのに!)。
どちらかというと私は本当は怖いグリム童話などを好む闇の子どもだった。


王道児童文学を通ってきた方たちはきっと、「おっ、これはあの作品の…ふふふ」となるような要素がおそらく作品内にちりばめらていることでしょう。
でも!私のような闇の子ども時代を過ごした者だからこそ、大人になった今、あこがれの物語の世界へとあらためて誘われていったのです。
あっ、でも「ひみつの花園」はめちゃくちゃ好きだったよ。

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ま~まず装丁が素敵だね~。緑に囲まれた鳥かご、各々過ごす子どもたち、ひらかれた扉、そして青い鳥……。あっ私そういえば「青い鳥」も好きだった気がする。あれ!?意外と読んでる!?
作品を読み終わったあと再度この表紙を眺めると、あ~この子がギーディーね、タキっぽいわね~~とにこにこできます。
作品に出てくる主な子どもだちは六人、そのうち四人が「ラヴ」と呼ばれる特別な子ども。ラヴは普段、一般生徒とは違う場所で学園生活を送っている。

 

私はスピン連載中のときにも「金曜日のゆううつ」「水曜日の誘拐」を読んでいたんですが、やっぱり一気に読むとわくわく感が違いますね。
そう、わくわく感です。読む前、そして読んでいるとき、なんなんだこのわくわく感は……と気持ちが高揚しました。
だって緑に囲まれたとくべつな寄宿学校、そこに謎につつまれたラヴという生徒と接触していく……など、そんな、そんな物語……わくわくしないことあるかい。

 

「金曜日のゆううつ」

金曜日はフライデーと読みます。主人公は祖父を亡くし身寄りがなくなったアモニカ。路頭に迷いそうになったところを、謎の「フライデー」なる篤志家に救われリデルハウスに入学することになる。
フライデーは入学の条件として「ラヴ」のことを教えてほしいと毎週金曜日に手紙を送るようアモニカに指示をする。
本作品、三人称で書かれているのですが、この言い方が合っているかわからないけど、文体が!かわいい!!
アモニカの応援したくなる愛らしさ、好奇心強めなところ、ズルをするか正しいことをするか等身大に悩むところ……。フライデーに手紙を書くの正直面倒くさがっているところなどアモニカを形成するものが少女小説の主人公というかんじでとてもよい。
そしてラヴへつながる通路やひとつひとつの景色が心をときめかせるものばかりなので、自然とアモニカと一緒にリデルハウスに入学した気持ちになれます。
噴水、庭園、抜け穴、雑木林、そして薔薇が咲く温室でのお茶会!!!ぎゃー!!!入学させて!!!!
あっ待ってもしかしてこの温室って!!!「ひみつの花園」的なかんじなんじゃない!?ぎゃー!!!
とこんなふうに物語そのものに加えてリデルハウスの情景を思う存分たのしめる作品であります。
連載時に読んでいたから話のあらすじも最後の展開もわかっていたはずなんですけど、あらためて読んで「ギ、ギーディー!!!!??????????」としっかり驚いていた。
謎の篤志家の正体がこんなに近くにいるって……そんな、そんなの……わくわくしないことあるかい!

あと、金曜日のゆううつはアモニカが金曜日に手紙を書くことがゆううつの種になっていることからこのタイトル…とおもいきや、その名の通りの「フライデーのゆううつ」になっていくことも、ぎゃー!!!わたしが大大大好きな小説の仕掛け〜!!!!!!!!

 

「水曜日の誘拐」

最初に言いますね、私は!!リデルハウスの子どもたちのなかで!!!タキがいちばん好きです!!!!!!た、タキ…………(いままた表紙を眺めつつ)。
私はなんというかアウトローというか、戦隊ものでいえば黒とか銀とか仲間とわいわいせずちょっと離れた位置にいつつ、悩みをうまく隠し生き、実は親目線で仲間を見守る一面を持ち得る不器用な男の子が……むかしから好きですので……。
タキは音楽に愛された子ども。でも不真面目。音楽講師として派遣されたエレインとリデルハウスを抜け出す(誘拐される)ところから話がはじまる。
物騒なこと言いますが、私!誘拐って!好き!いや、合意のもとでされる誘拐が好き!!
だから駆け落ちとか心中とかも好きで……(この話では心中とかないですよ)
そしてアウトローな大人も好きなので…「水曜日の誘拐」はめちゃくちゃツボに入りました。
エレインは真面目だけどはちゃめちゃな大人、最初にちらっと書いたけど、「ペーパー・リリイ」のキヨエを思い出します。自分など特別なものはなにもなく「普通」の大人だと普段わきまえているようで、いざというときとんでもないパワーを発揮する大人が……大好きなので……。
タキとエレインの関係性めっちゃよい~。報酬を得るためにタキの歌声を怪しさたっぷりのダート卿のものとへ連れていくのですが、ダート卿はなかなかいやらしい大人。映画「エコール」のような理不尽さや不穏さも感じつつ……。子どもの純粋な才能を手中におさめようとする、あ~~~!いやらしい!いやらしいです!!怒!!
で、リデルハウスからタキを誘拐したエレインが、ダート卿から二度目の誘拐、はひ~~~~~~~~ありがとうございました…………………。
タキの最後のセリフで私がどれだけにやにやしたかわかりますか!?
エレイン、あなたはタキを……守ってくれ…………(拝)

 

「木曜日は真夜中に」

この話を読むまで私は正直油断していた。いや油断というのは、よくないな。それはある種、世界で起こっている不幸を見ないふりしていることにもつながると思うから。
でも、三話目でこの話がきたときとてもびっくりした。金曜日と水曜日みたいにハートフルな流れがくるものだと思っていた。
いま私たちが生きている世界って、ぜんぜん美しくなくて、歴史から学んでいることがあまりにも少なくて、理不尽に残虐に失われているものがたくさんある。
個人にできないことはなにもないとは言わないし、実際できることはあって、たとえそれが大きなことではなくても、たったひとりを救うだけのことだとしても、自分ができることというのは、きっと間違いなくあるのだということをこの話を読みながらずっと考えていた。
木曜日の夜中にだけ鳴る鐘、その音に誘われて出会うミーシクとリリ。訛りを無理になおす必要はないとリリに諭していたミーシクの突然の豹変。それがリリのためであったとしても、ふたりがあのまま二度と再会することはなかったのだと思うと、罪も人も憎みたい……。
「記憶の遺志」はヒウーフの民だけでなく、われわれにもあるものだと信じたい。記憶の遺志、それは歴史の継承でもあって、過ちをもうおかさないように私たちは…生きているんじゃないんですか……?
今この瞬間からまた時間は流れ続け、失われるもの、忘れ去られていくもの、もとからなかったものになってしまうもの、今あるのに消えるものがあること、すでに私が知らない事実が存在していること。自分が想像すらできないところで踏みつぶされていく土地や歴史があることはとても悲しい嫌だと思う。
「今日はいつだって何かが起こる前の日」ということを強く思いました。

 

「木曜日のページ・ボーイ」

マミアン……………私はマミアン好きだな~~~。ただただ一生懸命で、虚栄と一緒に生きているマミアン……。そして素直でもあるマミアン……。
マミアンだけに限らず、子どもの本質を見極めて理解して寄り添うって、難しいことだと思う(本質を見極めるって、大人に対してもそうだけど)。子どもは大人が思うよりもずっと賢いのに、それを隠したりうまく伝えられなかったりする。そして子どもは、やっぱり子どもだから、自分のなかにある可能性や力を手段としてつかえなかったり、教えてもらわないと不安だったり、純粋がゆえに大人の言うことをまるごと信じてしまったり……。
でも子どもって、大人が思うよりぜんぜん子どもではなく、むしろ大人よりも大人のことを見ていて、そのことに気づけない大人は、自分も子どもだったことを忘れてしまっているんだ……。
マミアンのいいところは、決してペジーを馬鹿にしたりしないところなんだ……。いや言葉の選び方はときおり素直すぎるきらいがあるけれど、でもどんな言葉をつかっていてもマミアンの心が気高ければ、それはペジーにもちゃんと伝わる……。だからこそペジーはマミアンとの関係をあきらめなかったのだし、目的のために用意された存在であってもそこにはたしかにたましいのつながりがあるのであった……。
そしてマミアンって、その境遇を思うと同情的になってしまうというか自由になれ!みたいなことを考えてしまいがちなんだけど、でもマミアン自身が窮屈さを感じていないというか、なんというのか、マミアンってとても人を信じることができる子どもなんだ。
それは危ういことでもあるけれど、その信じる心に惹かれる仲間がきっとこの先たくさんできるはずだから、というかそうであってほしい、それはきっと美しい世界だよ。心の赴くまま、信じられる友人たちとマミアン、胸を張って生きろ……。

 

「日曜日の魔法使い」

リデルハウスの謎に迫る最終話。シェニーがここで!!!!!登場する!!!!
リデルハウスの舞台って閉鎖的な印象があるのですが(だからエコールを思い出したのかも)、でも読んでいるとまったくそんなことはなく、むしろ何百年という時代を描いた大作。それでいて「今」を生きる子どもたちひとりひとりの心のうちに光をあてる希望の話でもあるのです。
時の流れは残酷だと感じるのは人間だけで、どうしてそう感じるのかといったら、たぶん永遠がないことを知っているから。
かつて仲の良かった友人たちと、私たちはどれくらい一緒にいられるだろう。変わらない関係性のまま、いつまでも一緒にいられることなんて、ほとんどありえない。それは社会や世界そのものが変動していくからでもあるけれど、でもその社会や世界を変えているのはやはり人間でもある。そして私たちがどうしたって抗えない、いつか必ずおとずれる死。
一生友達、ずっと一緒、むかし言い合った友人ともうしばらく会っていない。たぶんこれからも会わない。私は大人になって、いろんなことを割り切れるようになったけど、いまこうやって書きながら思ったことは、割り切れないのがセオだったのかもしれないということだ。
ずっとリデルハウスにいて子どもたちを護る。この理由だけ聞くと立派なものにも思えるけれど、セオの望みは本当はたったひとつ、ひとつの土地に住まいその土地の友人たちといつまでも仲良く暮らしていくこと、もっと言えば、ずっと友人であり続けたいということだったんじゃないかと思う。それはまさに、これまで数多くの物語のなかで描かれてきた「めでたしめでたし」。
作中、セオが発した望みは明確には書かれていないので、読者それぞれがセオの望みに思いを馳せることになる(そしてそれは読書の尊さでもある!)。
セオはリデルハウスの子どもたちと友達になったのだと思う。魂が望むまま、笑って泣いて歌って怒って怯えて、どこにでもいく。

そして二度と会えなくなった友人たちのもとに帰ってはいけないことは決してない。わからないけど、たましいって、きっとどこにもでもいける。

生きていると孤独を感じることばかりがあるけれど、だれもがだれかの帰る場所になれるなら、生きてきた意味みたいなものがあるんじゃないかと、そんな意味を見つけられるなら生きてみたいと、本を閉じながらそんなことを思いました。


例によってまた長文の感想になってしまったんですが、こ、ここまで読んでくださった方はいるんですか……!?
いらっしゃったらとてもありがとう、大好きです。
べつに読まれるためだけに感想を書いているわけじゃないけれど(いや読んでもらえたらそりゃ嬉しいけどさ…)、この感想というのもまた、だれかの純粋に読むという行為になれたらいいなあとは思います。

私が住んでいる地域では今日はとても晴れています。
自分以外のことを考え、この世界のことを想像し、外に出て、書店に行き、なんにも知らない本を一冊買ってみようと思っています。
無責任に美しさを褒めそやすことは、美しくないものを排除しているようでもあると考えていますが、それでも美しいものはあると信じて生きていきたいと、私はそんなふうに思うのでした。

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ちなみに私が持っている「ひみつの花園」はこちらです。むかし、鍵は…鍵は落ちてないか……と家のまわりを探索しまくった記憶があります(もしも鍵が落ちてたら届けようね)。「鍵」というものになにかあこがれを持っているのはこの影響かもしれません。

 

11月の日記

 

11月が終わる。あとひとつきで2026年になるらしいですが、月や年が変わったところで移ろっていくのはいつだって一日ずつ。わたしは毎晩(えっまた一日が終わった…!?)と慄いています。

 

11月はいろいろありました。
上旬、友人と3人で鬼滅の刃の映画を観に行った。はじめての4DX。
友人が日付をまたいですぐチケットをとろうとしてくれた。チケットを取る前から「こことここの映画館がねらい目」と連絡をくれたけど、わたしは正直(え~公開からそれなりに時間たってるし、チケット取りにそんなに気合必要…?)と思っていた。
しかしアクセスのよい映画館は軒並み席が埋まっており、わたしは自分の認識をあらためたのでありました。
鬼滅の刃って!めっちゃ人気!
で、4DXはたのしい。ずっと無限城でうごうごやってほしい。一時間以上無限城内を落下するシーンでもだいじょうぶ。でも自分が無限城に招かれたらわ~~~!?となってどっかの壁にぶつかって終わる。
善逸のものすごい技くるぞこれ……ってときのタメの振動に興奮した。動くのが楽しすぎて猗窩座の回想シーンでは(もっと……もっとだ……もっと激しく戦ってくれ~~~!!!)と血気盛んなことを考えてしまっていた。最後はなんかいいにおいがした。
あと本編がはじまる前、スクリーンに大きく「集英社」とロゴが表示されたんですが、(いつもお世話になっております!!!!)と反射的にあいさつをするようになってしまった。

きれいだね~

コーヒーを飲んだ

映画は豊洲で見た。はじめておとずれた。夕方の東京湾がきれいだった。歩いて月島まで行きもんじゃ焼きを食べた。一緒に行ったふたりは退職した会社の人間だけど、退職後のほうがよく遊んでいるのがとても不思議だ。

 

翌週、べつの友人とチェンソーマンの映画を観にいった。わくわくがいっぱいか?
私は第一部の原作を最後まで読んでいるけど、友人は「原作はレゼ編までしか読んでない」とのこと。ネタバレOKだからどうなるのか教えてと言われ、(そ、そんな重い責任をわたしに押しつけるな)と思った。
結局わたしからはネタバレせず、映画の前日に第一部を一気読みしたらしい友人、さぞ絶望的な顔で待ち合わせ場所にあらわれるだろうと思っていたらめちゃくちゃけろりとしていて怖かった。満点か?
前週4DXをもろに楽しんだおかげで、映画本編はおもしろかったんですが、(ゆ、揺れないのか~)と物足りなさを感じてしまう。


ときどき勝手に落ち込む。
Xを見ているとふいにとても乱暴的な投稿が目に入ってきて、自分に言われたわけでもないのに(むしろ自分宛じゃないからなのか?)とても傷つく。
べつにつねに甘ったるいことだけ言っていればよいというわけでもないし、忌憚なく発言するというのも大事だけれど、誠実さも敬意も想像力もまったくなく、悪意のかたまりみたいな言葉はたとえ正論であっても暴言だと思う。
ネットから離れることを定期的にしたほうがいいとわかっているのに、しかしわたしの指はついSNSをひらいている…………。
ただ、乱暴的な投稿の背景にはストレスなりなにか事情があるのかもしれんなあ……と、社会全体に感じる余裕のなさになんだか重いため息がもれる。

 

さいわいなことに昔から体がタフ。健康に気をつかっているわけでもないのに(むしろ不健康なほう)、ほとんど風邪をひかない。今年の夏おそらくはじめてコロナにかかった(インフルエンザにもかかったことがない)。
友人に「体どうなってるんですか?」と若干引き気味に聞かれる。わたしも教えてほしい。わたしの体ってどうなってるの?
健康診断もいまのところたいへんな異常はない。いつかとんでもないツケが回ってきそうで怖い。少しずつ風邪をひきたい。


2作目が出た。
11月19日、「ハルシネーションの庭」発売しました。ありがとうございます。

かわいい~すてき~~


発売から一週間たった今でも、(え、ほんとに出た…?)とまだちょっと信じられていない気持ちです。
書いているときの記憶があまりはっきりしていない。なんか猛烈に直しまくりました。
しかし、とりあえず今言えることは、いい小説が書けました。自分で言うなってかんじですが、自分が納得いっていない作品を売ってるんかい…という話でもありますので…。
人間とAIの恋愛小説です。人間がAIを好きになろうとします。
SF要素はありますが、だいぶ日常溶け込みSFです。
いままでいただいたご感想を拝見していると、やさしい話と言ってもらえることが多い印象ですが、父親からは「近未来こういうことが起こりそうだけど少し怖いとも思ったよ」と感想が届きました。
本当に読み手にとっていろんな気持ちが生まれるのだなと、自分自身も読書の尊さをあらためて感じる次第です。
どんな読み方でもわたしはとても嬉しいです。
文庫で発売中です、ぜひどうぞよろしくお願いします!あとエゴサをしまくる作者ですみません、本当にうれしいんです!!このうれしさ、ちゃんと伝わってる…?

そうだ、2章まで無料公開してます、70ページ相当です。お得だ~。たぶんずっと公開してます。

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文フリに出店した。
11月23日、文学フリマ東京41に今回も関かおるさんと出店してきました!
京都も含めて、なんだかんだで4回目のサークル参加です。
新刊は「架空文通」!
今回は今までとは少し様相を変えてさくっと読めて気軽に買えるもの、という視点もまぜてつくりました。
A5サイズのパンフレット形式、蛇腹折りになっていて表紙・奥付含めて14ページの冊子です。

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か、かわいい~~~~。
匿名の文通サービスという設定だけ考えて、互いの人物の素性も教え合わずにただ手紙を送りあうという書簡体小説にしました。
たくさんの方がブースに立ち寄ってくださり、手に取ってくださり、ありがとうございました。
そして差し入れをくださった方も、本当にありがとうございました。
わたわたして満足に挨拶ができなかったときもありましたが、ひとりひとり同じくらい感謝しています。
通販を12月12日まで受け付けています!試し読みもあります。
サイン入り、サインなし両方あります。為書きご希望の方は備考にお名前を記入してください。
発送は12月14日以降にまとめて行います。

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そして今回は反省点もいくつかあり……
次回参加するときは、もっと周囲に気を配っていきたいと思います。
イベントが大きくなって当然いろんな意見が出ていますが、個人的には業界全体にいい影響があるといいなあと思います。
以前、文學界だったかな? 文藝だったか……? 五大文芸誌のどれかだったと思うんですが、5000円か一万円を持って作家が買い物してみたみたいな特集があったような……ああいうのもっといっぱいやってほしい(最近チェックしきれていないのですが特集自体はあるのかもしれない。GOATで特集を組んでいたような気も…する…でも勘違いかも)。
結局、業界が先細っていくと発表できるものもできなくなるということも起こり得ると思うので……。
とりあえず私の気持ちとしては、どこでなにを書くとしても、読みたい、ほしいと思ってもらえるような作品/読んでよかったと思ってもらえるような作品をつくっていくぞ~~というかんじです。
そしてそこからどんどんまた輪が広がっていったらとても最高じゃん~~と思います。

 

そういえば今月はけっこう友人に会えたのですが、本を読む友人というのはあまりいなくて、でもふだんSNSに入り浸っていると本の話ばかり流れてくるので認知の差にけっこうバグります。
いやこの作品は知っていて当たり前でしょ!?みたいなタイトルも、友人は「????」という反応。
(こ、こんな有名な作品すら知られていないんだ……)と絶望的になることもありますが、裏を返せばそれは、まだまだこれから新しい読者を開拓できるってことでいいですか? ポテンシャル!
よくよく考えてみれば、自分が知らない界隈の有名人を言われても、やっぱりそれは知らない人なんだろうし。

あと先日は、お誘いいただいて素敵なランチをしました。素敵なランチです!ありがとうございました。

 

12月が間近。寒いね~みなさん元気でいてね~~