今日もめくるめかない日

発表作一覧

数が多いわけではないですがこれまで発表した作品をまとめてみることにしました!
随時更新していけたらいいなと思います!

村崎なつ生(むらさき・なつき)
小説を書いています。2024年集英社ノベル大賞準大賞を受賞、2025年5月「片付かないふたり」でデビューしました。
なつ生は「なつき」と読みます。この名前をGoogle検索すると、ときどきAIが「なつお」と書いていたりしますが読み方が違っていてもあまり気にしないタイプです。伊豆出身。

 

書籍

片付かないふたり(集英社オレンジ文庫)

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デビュー作です!
ノベル大賞応募時は「いつか忘れるきみたちへ」というタイトルでしたが改題・改稿しました(なんだかんだで100枚分くらい加筆しました)
選択・決断が苦手でできればだれかの正解に従っていたい主人公。片付けコンサル会社の上司に陶酔し部屋にあるものや恋人まで捨て無駄のない生活を手に入れたはずが、身元不明の青年に「自分を片付けてほしい」と依頼される話です。恋愛的な展開がまったく起こらない男女同居の話、そしてとくべつなドラマが起こらない話が好きなので書きました。

こちらはオーディブルにもなりました。

www.audible.co.jp

作中出てくる上司だったらオーディブルを激押しすると思います。

あと受賞作の文庫化を記念して番外編を書かせてもらいました。なんと50枚分もあります。本編加筆のうえさらに新しいエピソードを書くことになるとは思いませんでした。ありがたいことだね……。
本編を読まなくても問題ないので、雰囲気をつかむのにもいいかもしれません。主人公が一切出てこない番外編が好きなので、主人公が一切出てこない番外編を書きました。
ぜんぶウェブで読めます(むしろウェブでしか読めない)。

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ハルシネーションの庭(集英社オレンジ文庫)

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2作目です!
「いつかきっと過去になる、近未来の恋愛小説」!(←考えてもらったコピーお気に入りです)。
自分の身体が加害性を持つことに気付き、他人を傷つけることに恐怖を抱くようになった主人公と、亡くなった作家の人格を引き継いだAIの恋愛小説です。
男性と女性の身体の違い、恋人同士であっても加害者と被害者の構図になりうること、自分が加害者と自覚したとき自責にかられる男性もいるのではないかということはずっと考えていたことで、そのテーマで書くことができてよかったと思います。
人じゃないものを好きになることの不毛さと、言葉をどう信じていくのかということを書いています!

オレンジ文庫の公式noteでたくさん試し読みできます(70ページ分くらい読めるはず!)

無料で読めるもの

骨を盗む日

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集英社の読書情報誌「青春と読書」で短期連載した作品です。ウェブにも転載してもらいました。全3話、無料で読めます!
「夫の家の墓に置いてほしくない」、義姉の母親の遺言を聞いて遺骨をお墓から盗み出す姉妹のお話です。
(現在の私は独身ですが)結婚後、相手の家の墓に入るのってなんか嫌かも……と思ったことがきっかけで書いた話です。

www.bookbang.jp

小説新潮に載ったエッセイです!
「もういちど会いたい」というテーマで、ほとんど会わなくなったけどときたまLINEグループが稼働する友人たちのことを書きました。

短編

www.shinchosha.co.jp

小説新潮2025年11月号「明るい絶滅」という特集に「あわよくば終わる」という短編を寄せました。好きなアニメの神の二次創作に元気をもらう主人公が、夫の友人の結婚式に参列する話です。

www.shinchosha.co.jp

小説新潮2026年9月号「家のなかで」という特集に「金魚の部屋」という短編を寄せました。「あわよくば終わる」では二次創作作家とそのファンを書きましたが、こちらでは二次創作の原作者側を書いています。

 

エッセイ

www.tsogen.co.jp

紙魚の手帖vol.26に「ごほうびごはん」というテーマで「ネオ黒糖ロール(マーガリン入り)」というエッセイを書きました。なんかいいかんじの音楽をかけお香をたき本を読み自分でつくったごはんをおうちで食べているという連絡を唐突にしてくる友人がいるのですが、その友人がこわいという話をしています。

同人誌

文学フリマに何回か出店しており、作った本をオンラインで販売したりしています。
通年開けたところで注文も入らないだろうと思っているので、基本的に文フリの前後くらいにしか開けていないですが、もし「今欲しい」という方がおりましたら、私の個人誌のほうであれば通販開けます。お気軽にお声かけてください!

tundrabudou.stores.jp

関かおるとのサークル「ツンドラ葡萄」でつくった本を置いてます。

iqb26lrjjd97lcngdnz9.stores.jp

村崎なつ生が個人でつくった本を置いてます。ここから増えるかどうかはわからない。

 

 

更新履歴
2026/7/22
2026/8/21

連載と短編の掲載


お知らせ記事です!

 

・「青春と読書」で連載していた「骨を盗む日」が全話無料で読めるようになりました。

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全3話、1話30枚程度で短編~中編くらいの長さです。
「夫の家の墓に置いてほしくない」、義姉の母親の遺言を聞いて遺骨をお墓から盗み出す姉妹のお話です。
連載中は毎回扉絵をつけてもらっていまして、zinbeiさんの素敵なイラストともにお楽しみいただけましたら幸いです!

 


・本日8月21日に発売された小説新潮9月号に短編が載っています。

www.shinchosha.co.jp

連載が続きアニメ化もした、ファンも増えた、満ち足りているはずなのになにかが足りない。焦燥感にかられている漫画家が、あるとき自分の作品の二次創作に「正直原作超えちゃってます(笑)」というコメントがついているのを見てしまい……というような話です。創作に向き合う苦しさを書きました。
挿画ご担当は芝りさこさん、らんちゅうと水中を泳ぐような透明感と、けれど息苦しさも感じる素敵なイラストです!

 

・個人誌の通販を開けました

iqb26lrjjd97lcngdnz9.stores.jp

普段は文フリの前後にしかあけていないのですが、買いたいとお声がけいただき、せっかくなので8月いっぱい開けることにしました!
7つのテーマに沿って書いたエッセイです。もしよろしければ!(別途送料をいただきます)
※8月25日から一週間ほど出かけるのでその期間のご注文分は少々発送が遅れます。

 

どうぞよろしくお願いいたします!

1月~8月に読んだ本

読書記録はReadsというアプリを使っているのですがこれがけっこうよい。ほぼ自分用の記録なのであんまりだれかをフォローというのはしていないのですが、新着順のタイムラインを眺めているとぜんぜん知らない本が流れてきたり自分の感想に反応があるとけっこううれしい。

でもやっぱりSNSというのは時間が経てば過去のものは流れてゆくので、今年に入って読んだ本をいくつかここでまとめます。書き溜めてきた感想をそのまま載せようと思ったのですが、最初の2つを書いた時点ですでに長すぎる……になったので簡単に。各作品名から私のReads感想に飛べます。もう少し詳しく書いてたりするのでご興味あれば……。

敬称略、読んだ順です。

 

 「ブレイクショットの軌跡」逢坂冬馬(早川書房)

これは!!!!超大作!!!!!!!めちゃくちゃおもしろかった!!
たくさんの人が出てくるけどひとりひとりにしっかり感情移入できた(とくに晴斗!!!!!!)
フィクションのなかのだれかとだれかが本当は別れたくないのに別れたほうがいいよ……などの会話をしていると、ヤダヤダ!!ちょっと待って!!わたしが!!!説明するから!!!!と首突っ込みたくなるわ〜〜私が首突っ込まなくても大丈夫だった!!!よかった〜!

 

 「やりなおし世界文学」津村記久子(新潮社)

私もこんなふうに読書した〜〜〜い!と思わせてくれる一冊だった。むしろこんなふうに読みたいから私は読書してるのか……!?
紹介されている作品のひとつ「夜と霧」は私も一度読んでいるのですが、読んで感じたことを言葉にしてもらえることの心強さを感じました。以下引用。
「最悪の境遇の中にも人間の心は存在すると明かすことで、戦争の無意味さを語ることに成功している。その人の何を略奪しても、命を奪っても、魂を奪うことはできないと本書は説く。」

 

「石が書く」ロジェ・カイヨワ 著/菅谷 暁 訳(創元社)

ユリイカの石特集がおもしろく、そこで何度も紹介されていたので読んでみた。石について語る言葉ってこんなにあるんだ……。これ本当に石…!!??という写真もたくさんあった。

 

「プロジェクト・ヘイル・メアリー 上・下」アンディ・ウィアー著/小野田和子 訳(早川書房)

あ~~~~おもしろかった。オーディブルで聴いたのですがロッキーがあまりにもかわいすぎる。これを読んだあと、友人との会話がしばらく、「~~? 質問?」になりました。

 

「博士とマリア」辻村七子(早川書房)

人が人じゃないものになっていく話が私は大大大大大好きなんだな〜〜〜〜!!
そしてただひとつの願いのためにたくさんのものを犠牲にし、投げ出し、しかし最後になにかを残すという切実さがわたしはと〜〜〜〜〜〜〜〜っても大好きなんだ〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!

「ツミデミック」一穂ミチ(光文社)

一穂ミチさんの小説の登場人物って、共感はできなくても理解ができるという性質の人が多い気がする。ドラマチックでありつつ思考や結末までの道筋が理路整然としている…?わかりやすさとおもしろさがナチュラルに同居していてすごすぎる……

 

「紙の動物園」ケン・リュウ 著/古沢 嘉通 訳(早川書房)

表題作「紙の動物園」がほんと、ほんとうによかった……。友人にすすめてもらったのですが、その友人はその昔、この本をバイトの休憩中に読んで感情がぐちゃぐちゃになってバイトに戻ることができなかったそうです。

 

「辺境恋愛詩」雪舟えま(soyogo books)

もういいかげん、この小説について語る言葉もないんじゃないかと思うほど何度も感想を書いてきましたけれども、何度でもいいと言い続けますね……。

 

「店長がバカすぎて」早見和真(ハルキ文庫)

おもしろすぎた。オーディブルで聴いたのですがナレーターがうますぎます。げらげら笑ってしまった。

 

「降りる人」木野寿彦(KADOKAWA)

す~~~ごいよかった。期間工として働く一年、春、夏、秋、冬、そして春隣の5章からなる長編。春隣っていいですね。友人の浜野の存在感がべらぼうによいです。

 

「十戒」 夕木春央(講談社)

犯人の!!!!!頭がいい!!!!!!!!!

 

「花と夢」ツェリン・ヤンキー  著/星 泉 訳(春秋社)

チベットのラサのナイトクラブで働く花の名を持つ娼婦四人の物語。信仰というのは生きていくための救いや希望にもなるけれど、それでも救われないことはどうしてもある……と胸がとても痛くなった。

 

「夜明けまでに誰かが」ホリー・ジャクソン 著/服部京子 訳(創元推理文庫)

自由研究シリーズとても好きなのでこちらも! やはり容赦がない……。

 

「カラフル」阿部暁子(集英社)

病気が原因で車いすユーザーとなった六花、怪我が原因で陸上をやめてしまった伊澄、ふたりともだきしめてあげたい。

 

「ギアをあげて、風を鳴らして」平石さなぎ(集英社)

宗教団体「荻堂創流会」の降り子として信徒から崇拝される癒知、転勤族で転校が多くだれにも言えないけどさびしさを抱えるクミ。小学生ふたりの切実さに何度も胸が詰まる、本当にいい小説でした。

 

ユリイカ 2026年3月号 特集=眠い -なぜこんなにも眠いのかー(青土社)

みんな眠いんだ……ということが知れてよかった。私も毎日眠いので……。

 

 「魔法使いのお留守番 シロガネ編」白洲梓(集英社オレンジ文庫)

過去編って!!とってもいい!!

 

世界 2026年6月号(岩波書店)

特集「イラン戦争後の世界」、「いきていく憲法」。SNSで飛び交う悪辣な言葉に疲弊して手に取り、丁寧に書かれた文章は冷静に読めていいなと思った。

 

「少女小説家は死なない!」氷室冴子(集英社オレンジ文庫)

めちゃくちゃハチャハチャ小説……!!!!!!!!!!!!!!!

 

「京橋骨董かげろう堂」辻村七子(集英社オレンジ文庫)

骨董店ってそういえば入ったことないかも……?だけど店内に足を踏み入れたらなにかを倒しそうで動けないかもしれない。白澤好きだわ~~

 

「私たちはたしかに光ってたんだ」金子玲介(文藝春秋)

華やかなもの、光っているものを前にしたときの!!あの気持ち!!!!

 

「佐藤の告白」藤紘(集英社オレンジ文庫)

せつなくて、こんなにいとしい小説がこの世にあること!!!!!!!!

 

「四人のナオちゃん」松本愛世(集英社オレンジ文庫)

年齢も出会う場所や時代もばらばらだけど、同じ名前、同じ顔のナオちゃんに翻弄されるホラー……?ホラーですね!!??かなり新感覚な読書でした。

 

「税理士 鮫島桐子」橘マコト(集英社オレンジ文庫)

鮫島先生は私の確定申告を請け負ってください!!!(でも怒られそう)

 

「紙の心」エリーザ・プリチェッリ・グエッラ 著/長野 徹 訳(岩波書店)

図書室の、だれも読まなさそうな本に挟んであった手紙を見つけたことから正体不明の少女と文通がはじまる書簡体小説。重いテーマながら軽やかに読めます。

 

「あくまでも探偵は」如月新一(講談社タイガ)

会話がうまい!テンポがいい!バディものって、胸が躍るのね……。

 

「わたしを庇わないで」石田夏穂(集英社)

全編キレッキレ。収録されている「世紀の善人」が本当~~~~~~に大好きで、単行本になってたいへんうれしいです。

 

「悲しい話は今はおしまい」小沼理(柏書房)

現代の社会と悲しい話以外の向き合い方を考えるエッセイ。すっっっごくよいです。悲しい話をしないということではなく、悲しい話以外でも方法はあるのではないかということ、そのとおりだと思います。

 

「急に具合が悪くなる」宮野真生子,磯野真穂(晶文社)

映画がたいへんよかったのでこちらも。運命と呼べる人との出会いがあるならば、それは偶然の連続のなかで自分たちが誠実に生きてきた証なのだと思いました。

 

「まばたきで消えていく」藤宮若菜(書肆侃侃房)

生まれることも死ぬことも取り返しのつかないこと。生も死も生活とともにあることを恐怖とは違う感情で感じる歌集です。

 

小説トリッパー 2026年夏季号(朝日新聞出版)

「泥棒」(金子玲介)おもしろかった!「当事者になりたい」という気持ちは……創作をする人にとって多かれ少なかれ思い当たるものなのではないでしょうか…金子玲介…おそろしい子!って思いました。

 

「これは経費で落ちません! 9 〜経理部の森若さん〜」青木祐子(集英社オレンジ文庫)

9巻まできたわよ!!!!!山崎がいちばん気になる。

 

「魔王のかまど ガルハールのパンと麦乙女」瑚池ことり(集英社オレンジ文庫)

かわいい~~~~~~~~~~~~です。癒されながら読んでいた、召喚してしまった魔王が穏やかな性格なのがとってもよかった。

 

「かわりに嘘」鈴木七月(講談社)

日常ユーモアおかしみ小説、ものすっごいおもしろかったです。ちょっと様子がおかしい人のディティールが最高すぎる。

 

「クローズドアイランド あなたへの誓い」羽良ゆき(集英社オレンジ文庫)

これはいい意味で言うのですが、この作品はオレンジ文庫でいいんですね!!!???極限サバイバル、息つく暇もなく襲い掛かる謎の動物……根底には権力勾配や社会的弱者への眼差しがありハラハラ感とは別に生きる力みたいなのももらえます。

 

「後宮に星空の燃ゆ」氏家仮名子(光文社文庫)

どひ~~~~~~~~~~~めっちゃくちゃおもしろかった…………皇帝の息子を産んだ女は死を賜うという悪法を廃すため、入宮した周静麗のたたかい、否応なくやってくる悲しき別れ………………私が城に乗り込めたら大暴れするのに…………。

 

今年の1月から読んだものでした、これ以外にもあるのですが全部書くとあまりにも長すぎになってしまうので……物理的な積読も心理的な積読もまだまだたくさんありますゆえ、引き続き読んでいきたいと思います。あとまとめるなら一カ月ごとにしたほうがいいということに気づきました。

八月になった

八月になりました。
まいにちとっても暑いので、寒い時期に撮った写真です。

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一瞬でも外に出ると熱気がすごい。なんか呼吸がしづらい暑さ、たまに蝉が鳴いていると、ああ今日はわりと涼しいんだな、と思うので夏に対する感覚がこの数年でだいぶ変わってきている。蝉は暑すぎても涼しすぎても鳴かないのだって。からだで温度を感じているんだね。

 

熊本の地震、胸が痛む。私が個人でできることはとても少ないですが、寄付をおこないました。
私は日本赤十字社の熊本県支部に送りましたが、義援金の募集もはじまっていたりふるさと納税、ボランティアも自治体によっては募集を開始したのことで、できる範囲でおのおのが行動できたらいいのではないかと思います。被災された方々にお見舞いを申し上げるとともに、少しでも早くおだやかに過ごせる日がくるよう祈っています。

なにかが起こったときだけではなく定期的に支援をおこなっていきたいと思いながら、どこかに寄付するとき、いつも「今回のみの寄付」にしてしまう。べつにお金がすべてを解決するなんて思っていないけれど、それでもお金があることで選択肢は増えるものだし、単純に心に余裕が生まれるなあと個人的には考えています。
物欲はそんなにないけど、こういうとき自分が大金持ちだったらなあと思う。もっと稼ぎたいなあ、とこう言うとなんか強欲というか資本主義!ってかんじ。てっとりばやくお金をためるなら、都内ではなくもっと家賃が安いところに住めばいいのだけれども。東京って家賃が高くコスパが悪い。マンションとか買う気概もないし、いまはどんどん土地が高くなって買い時じゃないみたいな話を聞いたような気もする(ここから安くなることなんてなさそうだけれども)。

 

資本主義といえば! 先日「急に具合が悪くなる」の映画を観て、これがすご~~~~~~~くよかったです。

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なぜ資本主義かといえばなのかというと、資本主義へのアンチテーゼ的映画だったからです。私は資本主義っていうものが大嫌いというわけではないし、この資本主義によって私は恩恵を受けていたり娯楽を享受したり、そもそもずっとこの社会のありかたのなかで生きてきたので、やめようぜ資本主義!と極論を掲げるつもりはないのですが、それでもこの資本主義によって貧富の差が生まれたり限りある資本/資源を人間が奪い合って、「今/ここ」さえよく見えていればいいという現状には危機感をおぼえる。
そして「今/ここ」はこれから先どんどん縮小していって、「今/ここ」にいられる人間も少なくなっていって、「今/ここ」の外側に取り残される存在に手を差し伸べないといけないと思うんだけど、この社会ってそういう善良な人間ばかりじゃないということを考えてしまって、なんだかなあ、結局個人ができることってほとんどないじゃないですか、というやるせない気持ちにもなる。
ただ、作中描かれるマリーと真理の出会いは本当にすばらしく、個人でできることなんてと思う一方で、個人と個人が出会うかけがえのなさに大きく救われる思いになるのも事実なのだった。


大きな問題点に対して自分という存在が矮小に見えるというのは、大なり小なりだれにでもあると思うけれど、矮小だからこそ自分の前にあらわれてくれた人間と向き合っていくということを大切にしていきたいね。こう書くと、そんなん当たり前じゃんとも思うけど、いがいと忘れがちなんだな、こういうこと。

 

原作と言うべきなのかわからないけれど、映画のあとに本の「急に具合が悪くなる」も読みました。宮野真生子さんと磯野真穂さんの往復書簡、こちらもほんとうに素晴らしかったです。

www.shobunsha.co.jp


映画では介護のありかたや人と人との境界線のあいまいさなどテーマを広げていましたが、宮野さんと磯野さんの往復書簡では、あくまでも個人と個人のやりとりという印象です。ただその「やりとり」の掘り下げ方がとんでもないというか、自分の思考や相手の思想を本当に本当の言葉で伝えようとする、知ろうとすることって、本当に労力や覚悟のいることだと思うし、ときにとても怖いことであると思う。
この往復書簡ではその「怖いこと」をやっていて、人と人が出会う奇跡さに慄いた。
この本を先に読んだ友人が「魂の結びつきのようなものを感じた」と言っていて、読みながらずっとその言葉を思い出していた。
その友人とは、だいたい「だから、つまり、人間をあきらめたくないね」という話に帰結する。まだなんとか希望をすっかり捨てずにいられるのは、私にこういう友人がいるからなのかもしれない。


ひとしく双方向な関係性ってたぶん滅多に生まれないものだし、それを考えるとひとりでも友人と呼べる人間に出会えるってやっぱり途方もないことで、こんな私と友人になってくれた人のことはしっかり大切にしようと思うのだった。ときどき面倒になってLINE無視するのはごめん。
しかし実は私には、人気者になりたいという夢があるのであって、その夢を話すと友人は「変な夢」と笑うのだった。

 

最近自分の身に起きた情けないこと。
渋谷で迷子になった。同じところをなぜかぐるぐるしてしまい待ち合わせ場所にまったくたどり着けず、もうあきらめて帰っちゃおうかなと思うほどどこにも行けなかった。タクシー乗り場を見つけたときは、すべての問題が解決したような感動につつまれた。

 

最近悩んでいること。
長編の原稿がいいかんじに進まない(このブログを編集さんが見る可能性は……ある!ごめんなさい)。
なので考え方を変えることにした。書けない状態のほうが私は通常、書けなくて当たり前、書けている状態のほうがおかしい。ので、書けないことで必要以上に自分を責めるでない……。
ただ書けなくなることは本当にふつうに起こると思っていて、でもそうなったとき、べつにだれも困らないんだよな、私が書かなくたって問題ないのだと思うと、わっ怖! 書かなきゃ……という気持ちになって、これはけっこう不健康な気がする。もうすこし気持ちに余裕が出るといい。

 

最近聴いているラジオ。
文化放送。

 

最近できたこと。
Xのアプリを消した。


最近食べためずらしいもの。
会社の半期おつかれさま会で、自分では絶対に行かないようなお高い中華料理店に行った。北京ダックをはじめて食べた。最初にまるごとのザ・北京ダックが出てきて、そのあと細い春巻きみたいなかんじに調理されたものが出てきて、わたし北京ダックって、あの丸ごとのものをみんなでつついて食べるんだと思っていたからびっくりしたのであった。食べられる部位ってほとんどないらしい。おいしくいただいたけれども、動物を食べるとときどきふいに、魚の踊り食いを見たときのような気持ちになる。魚は大好きだけど、踊り食いだけはできない。

 

少し楽しみなこと。
今月誕生日がある。べつにとくになんの予定もないけれど、なんとなく、誕生日って自分の日ってかんじがする。
それにしても人が亡くなると、誕生日より命日のほうがその人ってかんじがしてしまうのが不思議。

 

疑うことと信じること

そういえば昔、あれは小学生のとき、何年生のころだったか忘れたけれど、牛乳パック事件があった。今もそうなのかはわからないけれど、給食に出る牛乳パックは必ず専用に用意されている袋に入れるべしというルールがあって、教室にあるごみ箱には絶対に捨ててはならなかった。けれどある日、だれかはわからないけど、教室のごみ箱に飲み終わった牛乳パックが捨てられていた。それを発見した担任が、それはもうどえらい剣幕で怒りはじめた。
今にして思えば、なぜあんなに担任が怒っていたのかわからない、いやたしかにみんな守っているルールを一人だけ破るというのは許されざることではある。でもそれにしてもなんだかあれは、たいへんな裏切りをしたユダを見つけるがごとくの怒り方だった。


帰りの会で、牛乳パックを教室のごみ箱に捨てた者は正直に言え、名乗り出る者があらわれない限り帰りの会は終わらない、と宣告された。そしてその言葉通り、帰りの会の時間がすっかり過ぎていつもなら自由な放課後になっている時刻になっても、私たちは教室から出られなかった。
牛乳パックを捨てた者は素直にすぐ自白すれば、まだ気まずくなかったかもしれない。けれど沈黙が続けば続くほど、名乗り出ることはむずかしい。それもまだ十歳かそこらの子どもである。責めないから犯人よ正直に名乗り出てくれと、私たちは全員考えていたと思う。しかしだれも手を挙げない。ああこれはもう永遠に教室に閉じ込められる……と思ったとき、なんか私はすべてのことがばかばかしくなって、「私です」と手を挙げてしまった。
あの行動が正解だったのかいまだにわからない。正義感みたいなものはもちろんなかったけど、それでも私がここで手を挙げればこの苦痛の時間が終わるのでは? そしてちょっとヒーロー的では? なんてことは多少は考えていた気がする。罪をかぶることがヒロイズムになるとは今は思わないけど。


それで、まあとにかく私たちは永遠と思われた帰りの会から解放された。ただ、どうやら私は日ごろの行いがよかったので(!)、担任は私の自白を信じなかった。しかし私は妙なヒロイズムにとりつかれており、「いや私ですよ」と罪を否定しなかった。あとから「ほんとにあなたがやったの?」と聞いてきた友達には正直に言った気がするけど。


べつにそれで牛乳パックをゴミ箱に捨てたやべーやつみたいなレッテルを貼られることはなかったし、真犯人を今生恨む……みたいな感情もなかったけれど、でも、あの教室内に真のユダはいたんだよな、ということをときどき考える。だれかはいまだにわからない。どういう気持ちで私の嘘を聞いただろう。おっラッキー!と思ったか、それとも罪悪感があったのか。かつての同級生たちは、なんなら真のユダでさえ、そんな事件のことは忘れているかもしれない。
人間というのは、そんな幼い子どもでさえ、保身に走れる生き物なんだよな、ということを考える。

 

なんの話だってかんじなのですが、ひとりの人間を信じることって、簡単でむずかしい。疑うよりは信じるほうがいいのだろうけど、でも、信じるってある種思考の放棄でもあるよなと思う。
小沼理さんの「悲しい話は今はおしまい」を読みながら、なぜか私はそんな幼少のころのエピソードを思い出していました。

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www.kashiwashobo.co.jp

 

今だけは「明るい話」をしよう。絶望しないで話し続けるために。傷も喜びも責任も抱えながら社会と向き合った、実践のエッセイ集。

この傷だらけの時代に、希望をどう語れるだろうか? 悲しみから目を背けるのではなく、喜びを抑圧するでもなく、その関係をもっと複雑にしていくことはできないだろうか。星々の結び方を変えて、新しい星座を作るみたいに。
“これは私が喜びに罪悪感を抱くのではなく、社会と向き合う原動力に変換することを学んだ話である。そして、その近くにいたたくさんの人たちの話でもある。友人たちの前向きさや気楽さ、喜びも政治的実践も諦めない姿は、私にとって星の光だった。”
(「はじめに――緊張しながら笑う」より)
友達のクィアパーティ、ゲイアーティストとの対話、タイムラインを埋め尽くす犬の動画、パレスチナ解放デモ、プロテストのTシャツ作り、植物の世話、韓国語の勉強……。悲しい星座と明るい星座をぐるぐるしながら、暗い日々を生き延びる19編。

 


すごーーーーくいいエッセイでした。考え方が自分とすごく似ている気がして、エッセイのひとつひとつがゆっくり胸に入ってきました。

 

社会問題という大きなものに対して無力感や後ろめたさがすごくある。なにか行動しないといけないという不安や焦り、けれどなにか行動した先で疲弊・消耗すること、それでも自分は恵まれているほうなのだという事実にまた罪悪感をおぼえ、つまるところ自分を許せないという感覚がここ数年はとくにある。
楽しむのはいけないことなのかな、喜んでもいいのかな、だれかにおうかがいを立てるようにこわごわ生きている気がしている。
このエッセイの著者の小沼理さんもそんなふうに後ろめたさを感じながらデモに参加したり寄付を行ったりし、自分の生活のバランスが保てなくなってゆくということを書かれていて、その感覚がすごくわかった。とくに「許されたい」という気持ちがあった、というのが本当に痛いほどわかった。


この社会には悲しい話、それは差別であるとか権利が認められないことであるとか戦争がなくならないこととか、本当にたくさんの悲しい話があって、その悲しい話を見て見ぬふりはできないんだけれど、悲しい話ばかりだと結局希望も見出せない。
悲しい話ももちろん必要だということを前提に、悲しい話以外で問題に向き合い考えていく方法を、この本はとても丁寧に誠実に伝えてくれます。

 

悪い人間なんてそうそういない、と思うけど、善い/悪いという単純なことではないかもしれないけど、でも保身や権力によって自分のことしか考えられなくなる人間はたしかにいるのだと思う。自分(たち)が普通、正しいと思い込んで、ある層に対して差別的、排外的な言動をする人も、やはりいるのだと思う。「そんな人はいない」と信じることは、善いことではないと思う。

自分がそうでありたくないから、他人に対して、利己的あるいは差別的な人間なのか?と疑う気持ちを持ちたくないけれど、疑うこともまた、その人間に向き合うということなのかもしれない。人を陥れるつもりはなかった子が、保身のために名乗り出なかったこと。私はユダを守ったわけじゃなくて、ただ向き合うことを放棄しただけだったのかもしれない。そういう意味では、先に裏切ったのはたぶん私だった。
牛乳パックなんてすごく些末なことかもしれないけど、あのとき黙っていた子を疑って、そしてそのあと信じたかった。

 

少しずつでも他人に心を寄せる人間がもっとたくさん増えるといいと思う。そのためには、社会全体に余裕が生まれることが必要で、そうするとやっぱり社会問題に目を向けないといけない。堂々巡りな気もしてしまうけど、そうやって考えることがまず、堂々巡りの外側への一歩なのかもしれない。

私は毎日のほほんと生きたいし、楽しいことだけしていたい。でも、それは無理なんだと思う。ちゃんと悲しい話もしないといけないし考えないといけない。そのことを認めて生き続けないといけない。だからこそ、ときどき悲しい話はおしまいにして、考え続けていきたいと思いました。

連載がウェブでも読めるようになりました

お知らせ記事です!

 

「青春と読書」で連載中の「骨を盗む日」1話がウェブでも読めるようになりました。

orangebunko.shueisha.co.jp

ナチュラルホモソーシャルミソジニストの上司に日々鬱憤をためている春子。あえてSNSでミソジニー的投稿をし炎上を誘うストレス解消に興じていたある日、親の再婚によりできた姉の灯加に「実母の遺骨を盗みたい」と持ちかけられる話です。なんかあらすじ説明しようとすると情報量が多い!

全文無料です!

せっかくなので冒頭を少し引用しておきます。

 

 キャンプファイヤーというものを、一度もやったことがない。けれど燃えさかる炎を眺めて踊り歌うと、こんな気分になるのかもしれない。そろそろ眠らないと明日に支障をきたす時間帯なのに、止まらない通知に目が冴えわたる。
 何様だよ、男のほうが使えねえから、つけ上がるしか能がない生物、それが男……。ベッドに寝ころびながら、引用されていく投稿の数々を読み上げ私はほくそ笑んでいる。
〈たいした責任も負わないくせに発言だけはマジで一丁前だよな。ハラスメントだの権利だの言うなら使い物になるくらいの仕事をしてくれや。どうせたいしたことないのに生理休暇様様、家でのんびりするだけの育休様様。自分らにとって有利な「平等」を掲げる生物、女っていうんですけど〉
 課長が考えていそうなことを露悪的に書いてSNSに投稿し炎上を誘うという趣味は、決して健康的とは言えないだろう。炎上といってもフォロワーがほとんどいない弱小アカウントでは気づかれることはそんなにないし、燃えてもほんの一瞬だった。これが最近の唯一のストレス解消法だなんて、自分でも情けないと思う。それでも、一瞬だけでも投稿が批判され断罪されていくさまが、私にはどうしても快感になる。
 投稿元を擁護する声はない。世間ではこんなに正しい声が上がっている。けれどこの怒り狂っている正しい人たちに、いったいどこに行けば会えるんだろう。

 

骨を盗む日第1話

 

1話のボリュームもそんなに多くないのでわりと気軽に読めるかな?と思います。扉イラストを担当してくださっているのはzinbeiさんです。

ぜひよろしくお願いします!

 

そしてこの1話の続きが掲載されている青春と読書7月号が発売中です。

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seidoku.shueisha.co.jp

 

よろしくお願いします!

印象深かった本(2026年上半期)

ここ最近、読んだ本のまとめ記事を書いてなかったな~。最後に書いたのいつだっけ?と調べてみたら2024年の年末でした。
いつもあれも読んだねこれも読んだねとなんだかんだ10冊以上まとめっちゃったりしているのですが今回は短めにする! 
上半期に読んだ本でとくに印象的だった3冊です。
(そういえば、源氏物語下巻はずっと止まってる…………今年中に読めるのだろうか)


上半期とまとめるには時期的に少し早いような気もしますが、書こう!と思ったが吉日、読んだ順です!

(想定以上に長くなってしまったので目次を置いておきます。これをさいごまで読んでくれた方がいたら、あなたは自分が思う以上にすごい人です)

 

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雪舟えま「辺境恋愛詩」

で、出た~~!と思った方はすっかり私のブログ読者です。ありがとう!
まず!この!!書籍ページを!!!!見てください!!!!!

soyogobooks.jp

ありがとうございました…………………(完)
うそです、完しない。完しません。
なにこの作品の世界をめいっぱい表現したページ!!!!!!
辺境恋愛詩の舞台は星から星への旅、きらめく宇宙、とっても広い世界で繰り広げられる小さな小さな二人。広大な世界観と思いきや手を伸ばせば届きそうな距離にあるこの物語に、私はどれだけ胸を打たれ続ければいいのでしょう。
雪舟えまさんの作品って、根底にめちゃくちゃ「愛」があるのですけど、そもそも愛って、なかなか発するの恥ずかしいというか、愛について考えるというのもなんだかくすぐったいというか照れくさいというか、いやいや~愛って…へへっとついごまかしてしまうものではないですか、少なくとも私はそうなんです、永遠の愛とか言われても、へえ……?という反応をしちゃうことがあるんです。でも雪舟えま作品を語るとき、「愛」を語ることは避けて通れないんです。で、その描かれている愛がめっちゃきれいなのに白々しくないんです、これってすごくないですか!!!!!??????????


辺境恋愛詩に出てくるふたりは家読み(家の声を聴く仕事をしている人間)のシガと、人間をもとにつくられたクローンのナガノというのですが、このふたりには、ぶっちゃけ、障壁みたいなものがないのです。恋愛小説って、こう、ふたりが出会い、ぶつかり合い、ときには別れ、その大切さを知り、気持ちを確かめる……みたいな流れがあると思うのですが、辺境恋愛詩では、なんかずっと愛し合ってるんですよ!!!
なにごと!?なに!?ずっと愛し合ってるって!!???
このふたりが互いを嫌になる瞬間とか一度もないんですよ、ずっと気持ちが互いを向いているんですよ、そうやって聞くと(おなかいっぱいだなあ)と思われるかもしれませんが、なんか本当に不思議なんですけど、それがすごくせつないんです。すべての言葉が、きれいで、せつない!!!


どうしてせつなくなるんだろう、だれかを好きになったり大切に思ったりすることって、たぶんそんなに不幸なことではないはずで、だけどもしかしたらこの世界に「絶対」がないことをうっすら感じているから、いつか終わりがきてしまうことをどこかで勝手に予感してしまうから、せつなくなってしまうのかもしれません。
そういう意味ではこの作品がフィクションでよかったと心から思います。いやでもフィクションだからこんなに好きになれるのか……? とにかくきっとこのふたりは終わらない、少なくともこの辺境恋愛詩のなかでは終わらない。だけどシガには寿命がある、ナガノにもきっと寿命がある、というかシガの命が終わったときナガノはいったいどうなってしまうんだろう……あ!って今いきなりこんな考えが浮かんでしまったんですが、こういうことまで無意識のうちに想像してしまっているのか……!? だからせつないのか……!? 
えちょっと待ってください、またわたしめちゃくちゃ好き勝手に感想を書いてる!!!!!!!!
この感想を読んで(わ~読んでみたい~)と思わないよね!!???紹介が下手!!??
というか本当は感想書きたくないんですよ、あまりにも完成されすぎている物語なので、私なんかの言葉を関わらせたくないんですよ、あと単純にぎゃー!好きー!!という気持ちが先走ってこんなめちゃくちゃな文章になるし……。でも言わずにはいられないじゃないですか、もっともっとたくさんの人に知ってほしいじゃないですか……できるならこの世界で私だけが知っていたいです。でもそれは無理じゃないですか、なら逆にものすごく大勢の人に知ってもらうしかないじゃないですか……そしてこのせつなさの正体をだれか教えてください……。


ふたりが幸せそうであればあるほど泣きたくなってしまう、え、もしかして幸福って悲しいものだったりするんですか? 相手がいるから生まれる幸福って、実はとても脆いものだったりしますか? とても繊細で壊れやすいものだったりしますか? そんな危ういものを、このふたりは、とても大切にしてるってことですか……? それって……せつないに決まっているじゃないですか…………?(完)

 

ごめんなさいまだ完しません。短めにまとめるとか言ってたのだれ……?
辺境恋愛詩は全八章からなる長編小説です(ページ数も多い!)
で、その章のはじまりごとに短歌がひとつずつ掲載されていて、雪舟えまさんは歌人でもあるので、短歌がそらもうべらぼうによく、そもそも私が雪舟えまを知ったのは短歌からなんですけれども、そもそも短歌ってなんかめっちゃすごくないですか?(すごくあほっぽい言い方しちゃった)
たった三十一文字に、なんであんなに気持ちたくさん詰め込めるの?
長々長々長々長々……と書き連ねることでしか伝えられない私からしたら短歌はぜんぶ奇跡です。
それで、その短歌がもちろんよいのですけど、書籍ページにも紹介されている短歌があったので引用するよ、わたしが(わ!わ!ワア~~~~~~~~~~~~!)とちいかわ状態になった短歌です。

生きるとは危険なことだ毒草を誤食するとか君と逢うとか

な、な、な、な、なに!!!!!??????????????
生きるとは、危険なことだ、毒草を、誤食するとか、君と逢うとか……。え!!!!?????????????よすぎて受け止めきれない!!!!!!!!!!
ちなみにこれはシガ(人間)視点の短歌ですね(って決めつけてるけどきっとそう)。
そもそもシガはナガノに逢う(この漢字が重要)までひとりで旅をしていて、べつに孤独も感じてなくて、むしろひとり気楽~みたいなかんじだったはずで、なのにナガノに出逢ってから完全に自分の生活や考えなどなどまるごと変わっちゃってるんですよ。で、シガにとっての「危険」は毒草を誤食すること。まあわかります、毒草を誤食することは危険です。でもそれと並列にナガノと逢う/逢ってしまったことも危険だと表現しているわけです。シガはそれまで危険なこととは無縁、その日無理なく暮らしていければいいみたいなスタンスだったのに、ナガノに振り回され(ナガノは振り回してる自覚ないんですけど!←重要)、それまでの平平凡凡とした生活が一変しているわけです。
でもその危険をシガは受け入れちゃっているんですね、いやでもきっとナガノに出逢う前だったら、たぶんシガは毒草を誤食することを危険だと思ってないんですよ。誤食しちゃってもしょうがないか、まあこういう人生だな、みたいなことを考えてそのまま果てる気がするんですよ、でもナガノに出逢ってそれが危険なことになっちゃったんですよ。生きてきたから、こんなことになっちゃったんですよ。ナガノのために危険になっちゃったんですよ!!! この「危険」は危険という文字通りの意味だけでなく、それでもナガノに出逢えた喜びも感じられるんですよ。危険=喜び……? 喜びを危険と表現してしまうくらいのこと……!!!????? という背景をいくらでも想像できる短歌やばくないですか? ていうかさらりと出ているけど、「毒草を誤食」って!!この言葉選びがあまりにもあまりにもよくないですか!? 毒草という非日常感と日常がこんなに馴染んでそれでいてロマンチックでもあって、え!!すごくないですか!?もう、言葉が!出てこない!!
ちなみにこの短歌が載っている二章はナガノ視点で話が進むのですが、それでもシガ視点の短歌というのがやっぱりいいんですよ。なんかさっきから「ですよ」連発しててうざいですねすみません……。
クローンは、人間に「命の火」なるものを見出すことができるんですが、この命の火というのが人間にしかない、情熱みたいなもので、長く人間といるとクローンにも命の火が移るという迷信があり、シガが認識した「危険」というのがまさしく命の火であるのだと思います。すみません私がなに言ってるかわかりますか!!!????短くまとめるって言ったのだれ!!???もうだれも読んでないかもしれない……。でも書く……。あっあとこれサイン本……サインちょうかわいい素敵なので自慢していいですか……。

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E、mma……?雪、♾️←舟を横にしてる……? 宇宙船は、雪舟作品において欠かせないので……あの、とにかくかわいいんです!!!

 

ちなみに唐突に調子づいた夢をここで発表していいですか?
いつかユリイカが雪舟えま特集を組んだら(組んでください)そこに寄稿したいです、なんなら私が企画したいです(おまえは誰だすぎる……)。
寄稿の夢はかなわずとも「ユリイカ 特集 雪舟えま」、私はかなり本気で待っています。えっむしろまだない?まだないよね!? 
検索したらありませんでした。短歌特集で寄稿はされていました。いやでも「ユリイカ 特集 穂村弘」が先に来るか……?(私はときどき架空のユリイカ特集を想像し楽しむような人間です)

ああどうしよう、私みたいにユリイカの雪舟えま特集ないかな?と検索した人がこのブログにたどり着いてしまったら……期待させてごめん……。

あっちなみにもっとなに言ってるかわからない感想もあるからよかったら参考にしてね(とは言ったけれど参考にはならないと思う……)

mrsk-ntk.hatenablog.com

 

 

じゃあ二冊目いくね。


藤紘「佐藤の告白」

orangebunko.shueisha.co.jp


あの!!!!!!!!!!!この小説!!!本当によかったので!!!!!!!みなさん読んでください!!!!!!!!!!!!!!!!!!
小説を読んでいる途中、そして読み終わった瞬間、みなさんはどんなことを考えますか。感情に名前をつけられないことも多いかもしれませんが、私はこの佐藤の告白を読みながら、ずっとずっと「せつない」と思っていました。
「佐藤君が鈴木君に告白して振られたらしい」という噂をめぐる群像劇。全四章、そしてエピローグからなる長編小説です(連作短編ともいえるのかな?)。佐藤を好きな長谷川ひなの、鈴木の担任である岡本、佐藤の母、そして鈴木の視点からそれぞれの心情が描かれるのですが、わたしがとにかく良いと思ったのが、「佐藤の告白」というタイトルでありながら佐藤の章が!!!ないところなんです!!!!!!!!!!!!!


小説って、基本的に長い物語じゃないですか。それがたとえ短編であっても、ひとつの場面や心情に文字を割くじゃないですか。でも小説って、たぶん書きすぎてはいけないんですよ(あっまたですよって言っちゃった)。想像の余地があることでその物語の奥深さというものが生まれるのだと思うのですが、このバランスってたぶんけっこう難しくて、書きすぎもよくない、だからといって書かなすぎもよくない。なんですけど、佐藤の告白は、潔く、「佐藤の告白」を書いてないんです!!!!!!!!!!!!!!!!!

これって私が個人的に思うことなんですがめちゃくちゃすごいことで、あの、たぶん私が作者だとしたら(という仮定はおこがましいのですが)書きたくなっちゃうんですよ、佐藤の章。最後の章とかにして。佐藤の人間性って、一章の長谷川ひなのの視点からだいぶわかるんですが、でもそれって結局「長谷川ひなのから見た佐藤」しかわからなくて、それはそこから続く担任の岡本、佐藤の母、そして噂の相手である鈴木からしか佐藤のことがわからないんです。読者は、結局ずっと佐藤の内面を知ることができなくて、これって、想像の余地があるとかそういうことを超えて、ある意味で物語のなかにいるってことなんですよ!!!!!!!!!!そして読者を信頼しているということなんですよ!!!!!!!!!


もちろん、佐藤の視点でも読みたかったよ~~~と思う方もいるかもしれません、佐藤の章があってもそれはそれでやっぱりこの小説はいい小説だったと思います。でもよくよく考えてみれば私たちって、他人の心なんて知る由もなくて、仮にどんなに仲がよくてもやっぱり本当の本当のところはわからない、それでも見えるもの、感じることを信じて推し量って他人とつきあっていくしかなくて、それってふと冷静になるととても怖いことだけど、でも、それでもまっすぐさや誠実さや未熟さが他人の目を通した佐藤から見えてくるから、私たちはだれかを信じられるのかもしれません。
そしてすべてを知る必要なんてない、ふたりのことはふたりだけが知っていればいいと伝えることに、この小説は大成功しているんです……。エピローグの最後の最後、だってあんな、あんなの、「真実」を書きたくならない!!!???? いえでもそれは無粋ってやつですね、だからこそ、だからこそせつねェ~~~~~~~んです。
あっ待ってまたこれ長くなろうとしてますか? だいじょうぶですか?

 

「せつない」というのは、語弊があったら嫌なんですが、でも、なんらとくべつじゃない「せつない」なんです。私はけっこう恋愛をしてきた人間で、失恋なんていったいどれほどしたか、だれかを好きになって報われなくて、どれほどせつない思いをしたか……って話せばすごく普遍的で陳腐な思い出なんですが、でも、そのとき感じたせつなさってたしかに本物で、それは本当にただの恋のせつなさでした。
「佐藤君が鈴木君に告白した」というあらすじからわかるように、中学生男子が中学生男子に告白したという噂が流れるところから物語ははじまります。男子が男子に告白すること。今、それを「理解する」という考えが広がってきてはいるけれど、本来それは理解するものではなく、男子が女子に告白する、女子が男子に告白することとまったく同じのことのはずで、でも、どうしても、それまで自分たちの生活にあった「普通」と違うと捉えてしまう側面は生まれてしまうのかもしれない。ただその「普通と違う」という認識があることから逃げずに、でも「とくべつな理由」もわざとらしく付与せず、登場人物たちが自分と自分から見る他人をどう捉えるかをとってもとってもとっても丁寧に書いていて、その誠実さに何度も胸を打たれました。
そしてその帰着が「ふつうのせつなさ」なんです。この「ふつうのせつなさ」を描くのに、どうしてもいろいろなことを考えると思います、読む側としても少し構えるところがあるというか、いや本来は構える必要がないんです、男性と女性の恋愛小説に理由が必要なかったみたいに、どんな恋愛にだって、そこに「あえての理由」なんていらないと思う。そしてこの小説はその「理由」じゃないところで告白を描いているのだと思いました。

 

それで、これはもう私の完全なる個人的なあれなんですが、「とくべつなことがない話」って本当に好きで、だって人生ってそうそう特別なこと起こらないじゃないですか、でも日々のささいなことにどうしようもなく感情が揺れ動くことがあるじゃないですか、その小さな小さなドラマを丁寧に書く小説って本当に本当に好きなんです。
好きな場面たくさんあったんですけど、私がとくにわああああああってなったのが、ひなのが佐藤を好きになった理由です。めちゃくちゃ単純で、でも自分がそこにいたら「わかる!!!!!」って絶対になる(読みながらわかる!!!って言ってた)、他人から見たらなんにも特別じゃないことを、ひとりの人間にとってすごく特別な出来事になるということを、丁寧にしかし軽やかに書いているんですよ!!!!!!!!!!!!
もしも私が中学生のとき、彼/彼女たちがクラスにいたらどんな学校生活になっていただろう。十代のときに出会いたかったよ~~~~~~と思う作品たくさんあるのですが、佐藤の告白もまさにそうでした。
あと一章の終わりの場面もすこぶる好きです、あの~~~~黒板のところ!!!!!!
心臓ぎゅって、うう!ってなる!!!!!!!!!!!!!!!

 

この小説を、友人と約束が会った日に読んでいたのですが、待ち合わせのときもぎりぎりまで読んでいて、なんなら友人遅刻してこないかな~と思ったくらいです(遅刻しなかった)。そして即座にすすめておきました。
そしてこれも大事なことなんですが!!デビュー作!!!!!!!!!!!!!!!!!
2025年ノベル大賞、私はこの受賞作品3作ぜんぶ読んだのですが、それぞれベクトルが違うおもしろさがあり、(ノベル大賞、おもしれー賞……)と後方彼氏面してました。すみません。

 


じゃあ、3冊目いくね……。短いって…なに……?

 

ユリイカ 特集 魚喃キリコ

www.seidosha.co.jp

みなさんは、魚喃キリコを知っていますか。普遍的で陳腐な、それでいてど~~~~~~~~~しようもない恋愛をしてきた私です。そしてど~~~~~~~~しようもない恋愛をしていたとき、魚喃キリコの漫画がそばにありました。
魚喃キリコを知ったのはたぶん18、19歳のころ。田舎から上京し、ヴィレッジヴァンガードにいそいそ通っていたときに出会ったような記憶があります。
最初は絵のタッチが好きだなという軽い気持ちで手に取ったと思うのですが、たぶんはじめて読んだのは「strawberry shortcakes」かな、登場する女性たちの心もとなさ、寄る辺なさ、せつなさ、孤独さ、そして痛々しさ。自分がそこにいる、というより、自分と同じ人がいる、と思った。
お恥ずかしい話ではありますが、私は若いころ、どうしようもない男を好きになりがちで、どうしようもない恋愛をして、どうしようもない思いを抱え、どうしようもない自分に少しおぼれていた。好きでいるのが嫌だったのに、好きでいないと駄目な気がして、どうしようもなさから抜け出せない時期があった。
魚喃キリコの漫画も、どうしようもない恋愛を多く描いていて(ハギオ〜〜〜!!!)、もうなんだか当たり前のようにその世界に引き込まれて読まずにはいられなかった。

読んだからってべつに救われるわけでもない、かといって突き放されるわけでもない。ただ、自分も感じている切なさが平熱のような温度感でそこにあって、泣くほどの力もないのに、読めばいつでも泣ける準備ができるような漫画だった。

 

魚喃キリコさんが亡くなっていたというニュースを聞いたとき、悲しいとか寂しいとかショックだとか、そういう感情を飛び越えて、ただ自分の一部が欠けたような気がした。そしてその欠けはきっと二度と元通りにはならないんだろうなという感覚があって、それがなんだかとてもせつなくて、でもどうにもできなかったから、ずっとそのままになっています。
満たされなさ、どうしようもなさ、むなしさ、痛々しさ、そういったものが皮肉にも綺麗にまざったようなそんなせつなさを、魚喃キリコの漫画を読んでいたときも感じていたと思う。だから当時の自分の姿をふっと思い出した。

大人になって、10年以上魚喃キリコの作品を読んでいなかったというのに、訃報を聞いたときの喪失感といったら、なんと表せばいいんだろう。それも、一年前に亡くなっていたというじゃないですか。その一年間で私は一度でも魚喃キリコを思い出しただろうか。もしかしたら一度も思い出していないのに、どうして一年も教えてくれなかったんだと、理不尽だとはわかっていつつも関係者にちょっと怒りのようなものすら感じてしまった。
魚喃キリコがもういない、いっそその事実は一生知らずにいたかった。たとえずっと作品を発表していなくても、思い出すことがなくても、魚喃キリコがもうこの世にいないことを知っただけで、私はすでに魚喃キリコがいない世界を生きていたのだと思うだけで、せつなくてさびしい。


平成初期から中期、あのころはよかったなんてよく言われるし、私もときどきそんなふうに思ったりするけど、あのころはあのころでよくないこともたくさんあった。すごく孤独を感じたことも、寂しくてどうにかなりそうだったことも、未来が見えなくてひたすら不安になったことも、今もそうだと言われればそれはまあそうなんだけれども、でも、今とはまた違うあのころ特有の心細さがあった。
だれかがいないと不安でしかたがなかったし、そしてそのだれかが恋人であればよかった。相手から連絡がまったく返ってこないときも、鬱陶しいメールを送ってしまった夜も、「私が死んだら悲しい?」なんて聞いてしまった日も(痛々しい!!)、いつもさびしかったし、いま思い返せば抜け出せてよかった~と思うけど、でも、あのころの私には魚喃キリコの漫画があった。確実にいまよりもずっと近いところにあった。

 

訃報を聞いたとき、作品を読み返そうかと思ったけれど、結局今もまだ読めずにいます。訃報を知ったからという理由で読んだら、なんとなく、自分の欠けた一部分がまったく違う形で補われる気がして、それはなんだか嫌だと思う。


寄稿のほとんど、みなさん自分の話をしていたが印象的だった。もちろん作品の論考や表現から汲み取れるテーマなどの解説もあったけれど、それでもやっぱりみんな自分の話をしていた。
それで、共通して感じたのは、ぽっかりした寂しさだった。咽び泣いたり絶望したり、極端な感情はなく、ただ静かに魚喃キリコがこの世界にいたこと、そして今はいないことを受け止めていた。それでなんだか胸がいっぱいになって、やっぱりせつなくなって、でも読んでよかったなと思った。鮮やかに、というわけでもないけれど、時間がちゃんと経過して美化もされずに色褪せた状態で、あのころを思い出せた気がする。


作品が発表されていたのは主に90年から2000年初頭。20年以上の月日できっとほとんどの人が変化していて、けれどたしかに痛々しく生きていた自分がいたことを、魚喃キリコの作品を読むと思い出すのだとおもう。気づいたら自分の話をしたくなるのだとおもう。今も見てください、私恥ずかしげもなく自分語りを披露しちゃってます。

あのころ、魚喃キリコの漫画を読んだ人たちが今もどこかで暮らしていること。その事実が、当時の自分の孤独さを、今になってこんなかたちでやわらげている。悪いことじゃないのに、せつないね。

 

つまり私って、せつない話が好きってことなのか……?
ということに気づいた深夜0時すぎ、ここまで読んでくれた方、いるならどうもありがとう。おやすみなさい、幸福でいてね。

 

今週のお題「上半期ベスト◯◯」