今日もめくるめかない日

奇病庭園/川野芽生

 いまどんな本を読んでるの、と聞かれて「奇病庭園」とこたえると、たいてい相手は「?」という顔をする。「きびょうていえん」、音で聞くだけではなかなか変換しづらいのかもしれない。
 けれども奇病庭園、つい口にしたくなるタイトル。装丁もなにやら不穏。けれど読み終わったいまはそこに美しさも感じます。

books.bunshun.jp

奇病が流行った。ある者は角を失くし、ある者は翼を失くし、ある者は鉤爪を失くし、ある者は尾を失くし、ある者は鱗を失くし、ある者は毛皮を失くし、ある者は魂を失くした。
何千年の何千倍の時が経ち、突如として、失ったものを再び備える者たちが現れた。物語はそこから始まる——

妊婦に翼が生え、あちらこちらに赤子を産み落としていたその時代。森の木の上に産み落とされた赤子は、鉤爪を持つ者たちに助けられ、長じて〈天使総督〉となる。一方、池に落ちた赤子を助けたのは、「有角老女頭部」を抱えて文書館から逃げだした若い写字生だった。文字を読めぬ「文字無シ魚」として文書館に雇われ、腕の血管に金のペン先を突き刺しながら極秘文書を書き写していた写字生は、「有角老女頭部」に血のインクを飛ばしてしまったことから、老女の言葉を感じ取れるようになったのだ。写字生と老女は拾った赤子に金のペン先をくわえさせて養うが、それが「〈金のペン先〉連続殺人事件」の発端だった……

歌集『Lilith』、短篇集『無垢なる花たちのためのユートピア』、掌篇集『月面文字翻刻一例』の新鋭、初の幻想長編小説。

 

 角や翼、鉤爪などを失くすという奇病が大昔に流行り、失くした者同士で交配を繰り返し、角がない者からは角がない者が、翼のない者からは翼のない者、鉤爪のない者からは鉤爪のない者が生まれた。しかしあるとき失った角や翼、鉤爪を持つものが生まれ、奇病と恐れられるところから物語ははじまっていく。
 一部から四部まである長編小説、そのなかでもさらに「角に就いて」「翼に就いて」「蔓に就いて」「毛皮に就いて」「鰭に就いて」……など細かく章がわかれています。
 たとえば一部の一章目「角に就いて」。角を生やしたのはいずれも老人であり、私大のその重さに耐え切れられなくなる。嚔(くさめ=くしゃみ)をしたはずみでその頭部が外れてしまうが、その内側に結晶がびっしりついていたことからたいそう値打ちのあるものとされた。
 これがあらすじにもある「有角老女頭部」であり、ひとりの写字生がこれを持ち出し二人で旅をすることになる。
 とはいえこの二人がすべての章に登場するわけでなく、庭のいろんなところで奇病におかされる者たちのいきさつや事件、その後をひたすら描いている。
 連作短編なのかな、と最初は思っていたのですが、この作品は間違いなく長編小説。三部の「翼に就いてⅡ」から前半に出てきた謎が少しずつ解明されていきます。

 

 物事には裏と表があって、いや場合によっては二面以上の側面があり、「奇病庭園」はまさにひとつの物事をいろいろな面から描いている作品でした。
 魔物に拐かされて塔に閉じこもっている少女を助けに向かう少年、それに対してまったく助けられたいと思っていない少女。少女を助け出すのに〝ふさわしい”とされる二人目の少年。「物語」が創られてしまうグロテスクさ。
 しかしそんな物語から鳥のように抜け出していく者もおり、「脚に就いて」「声に就いて」がとくに好きでした。(あとフュルイも……)あ、あとはじまってしまうことを想像させる「繭に就いて」も、二度目はまったく別の読み口になる「蔓に就いて」も。は、きりがない。

 庭園とあるように、まったくべつべつの場所で起こっている出来事かと思いきや、それぞれどこかでつながっており、一度読んだあと、メモをしながら再読しました。そうすると、「あ、この少年ってこういうことだったのか」と、章ごとの解像度が上がり、さらに言うと二回読んだだけでは読み逃していることがかなりあると思うので、何回でも読める作品になっています。

それぞれの章に出てきた名前や出来事をまとめながら読んだ。最初の文字大きく書きすぎてあとがしんどかった

 一部から二部にかけて多くの者たちが出てくるのですが、どうやって回収していくのだろうと思っていたら、本当にぜんぶ綺麗に回収していて、読み返すのがとても楽しいです。
 そして終わり方がすばらしく、すべてのはじまりのようにもとれるし、終わったあとのはじまりのようにもとれて、いろいろなことを考えられる、とにかく奥行きのある作品になっていました。

 幻想作品でありますが、奇病は現代にも通じるものとしてあり、奇病を忌み嫌う風潮は悲しくもまだなくなっていない。「始まらないのが一番ではあったにせよ。」、序文のさいごにあるこの一文を、ずっと頭に置いています。

 はじまりの序文から引き込まれるのはたしか、そして読んでいくうちに庭園にいるのもたしかです。