今日もめくるめかない日

取るに足らないものの連続(旅する練習/乗代雄介)

「小説」という言葉にはもともと、取るに足らないものといった意味があるらしいですが、そんな取るに足らない小さな事象でも、鳥みたいに飛び立てるような気持ちにさせてくれるのがまた、小説なのだと思います。

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第34回三島由紀夫賞、第37回坪田譲治文学賞、ダブル受賞!
第164回芥川賞候補作

中学入学を前にしたサッカー少女と、小説家の叔父。
コロナ禍で予定がなくなった春休み、ふたりは利根川沿いに、徒歩で千葉の我孫子から鹿島アントラーズの本拠地を目指す旅に出る。
歩く、書く、蹴る――ロード・ノベルの傑作!

 芥川賞候補になり、三島由紀夫賞坪田譲治文学賞を受賞した当時もわりと話題になっていた印象のある作品ですが、タイミングなく読めていなかった「旅する練習」、先日やっと読んだのですが、これはめちゃくちゃよい小説、もっと早く読めばよかったです。

 

 どんな話かというと本当にあらすじのとおりで、亜美はリフティング、叔父は文章の練習をしながら鹿島を目指す一週間が描かれている。立ち寄った先で知る歴史、鳥の名前や生態、亜美の純真な性格、小説家である叔父の目線で衒いなく、丁寧に、見たままのことが文章でスケッチされていいく。途中、みどりさんという女性と出会い旅を共にするけれど、それ以外は大きなドラマもない。けれどだからこそ、日常の一瞬いっしゅんのまぶしさみたいなものが優しく光っている、ってこんなふうに書くとすごく陳腐に聞こえるかもしれないですが、私たちは取るに足らないことを繰り返しながら、けれど取るに足らないことのなかに大切なものを見つけながら生きてきているのだよなということを、やわらかく感じさせてくる小説だった。

 

 わたしは個人的に「ネタバレになるから感想を言えない」というのに反対派で、反対派というか、そんならネタバレにならないように説明してくれやと思ってしまう節があるのですが、この作品にいたっては、なにを言っても無粋になってしまうし、いっさいの情報を入れずに読んでほしいと思う。最後まで読んだとき、なにを感じるかは本当に人それぞれだだろうし、どんなふうに感じても、それがその人の正解なのだと思う。わたしはとても泣いてしまった。でも正直なところ、ラストの場面はなくてもよかったとも思った。うーん…すごく難しい。ただ、ラストはこの作品の本質ではないので、一場面で評価を決めてしまうのはとてももったいないことです。
 あ、ちなみにおジャ魔女どれみの話がけっこう出てくるので、世代の人はそれだけでも楽しめるのではないでしょうか。ピリカピリララ……不思議な力がわいたらどーしよ、どーする……

 

 いまさらなぜこの作品が芥川賞を受賞しなかったのだろうということも考えたけれど(そのときは「推し、燃ゆ」が受賞しました)、毒がなさすぎたのかな……。亜美、叔父、みどりさん、みんな優しいんですよ、心底安心してしまうくらい。(勝手なイメージですが)芥川賞ってなんかこう、現実にいたらやばい…距離を置きたい…と思うような人が語り手だったり登場するじゃないですか、「旅する練習」にはやばい人出てこないので、それが物足りなさに繋がったのだろうか…なんてことを思った。
 ただ、亜美たちのやさしくて力強い言葉の数々に励まされると同時にわたしたちは生きているかぎりは潜って息をして、潜って息をして、つねになにかの練習をしないといけないということも実感させられる。当たり前にありすぎる残酷さもちゃんと描いている作品だとも思う。

 

「旅する練習」を読んだ友人と感想を言い合っているとき、「鳥が川に立っているのを見るたびに、あれは羽根を休めてるわけじゃないんだなって思うようになった」「乾かしているんだよね」「次の準備だよね」なんていうことを話して、それは取るに足らない会話のひとつだったけれど、たぶんこの先わたしのなかで忘れない言葉のひとつとして刻まれていくのだと思った。
 日常は、取るに足らないものの連続、だけど一瞬いっしゅんのきらめきの連続でもあって、ときどきでもそのとことを思い出していきたいなと思える作品だった。本当によい小説でした。