今日もめくるめかない日

本当のことを書くとは

 10時起床。……本当は9時って書いてちょっとだけ見栄を張ろうとしょうもないことも考えていたのですが(そもそも9時起床も遅いと思う)、以前エッセイについての文章のなかに「本当のことを書く」ということが書かれていて、それに感銘を受けた記憶があるので本当のことを書きました(「本当のこと」ってそういうことじゃないと思うけど)。

 

 20ページほどで読み終わりそうだった本を起き抜けで読んでから本を返却するため図書館へ。そういえば先日芥川賞の選評を読んだのですが、とりわけ川上弘美さんの評がよかった。

たいがいの作家たちには、「伝えたいこと」という結論めいたものは、ない、ような気もします。小説で何かを伝えるのではなく、小説を書いている間に何かを考え、その考えによって小説が進み、小説が進むとまた違うことを考え、いろいろ考えて何がなんだかわからなくなりながらも、わからなくなっている自分に対してわかったふりはせず、慎重に書いてゆく。というような、すっきりしない、ぐるぐるだらだらもにょもにょした時間に耐えて、みんな小説を書いている、のではないか。

 芥川賞を受賞した「東京都同情塔」もまさに思考をやめない小説だと思いました。
 それにしても川上弘美さんほどの人でも、「ような」とか「気がする」とかってやっぱり書かれるんだなって、ちょっと安心してしまいました。や、もちろん断言型の選評もそれはそれで力強くていいのですが。

 

 昼ごろから夫が家の掃除に精を出していた。私は家事のなかで掃除がいちばん嫌い、というかいちばんやる気が出ない。料理と洗濯はしないと生きていけないからするけれど、部屋が多少汚くても、ま、べつにいっか……というずぼらさで、ひとり暮らしをしていたころからよっぽどにならないとなかなか手をつけてこなかった。でもなんか、自分がしたくないことを人がやっているというのは罪悪感が生まれるもので、ああなんでそんなにしっかり生きてゆけるのだと勝手に心細くもなり、頼むから私と同じ駄目人間になってくれと、まったくしょうもない祈りを捧げてしまった。

 

 今日は「本屋さんのダイアナ」(柚木麻子)と「玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ」(木下龍也/岡野大嗣)を読みました。

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「大穴」と書いてダイアナと読むトンデモドキュンネームを名付けられ、小さいころから周りにからかわれてきたダイアナ。そんなダイアナの名を「赤毛のアンの友達の名前で素敵」と言ってくれた彩子。当たり前のように惹かれ合い親友になったふたりの友情と、人生を生きていく勇気の話。自分は特別じゃない、ドラマチックなことなんて起きないと気づいたときの心細さや寂しさに共感を覚えながら、それでも自分の人生を生きていこうとする姿に何度も目頭が熱くなりました。

 少女小説ほとんど通ってきてないんですが、「ひみつの花園」は大好きだった。鍵がかかっているひみつの場所を見つけたくて近所を探検した記憶があります。

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 歌集によるミステリー。木下龍也さん、岡野大嗣さんによる共著で、それぞれ男子高校生の目線で短歌を詠んでいます。小説とは違い詳らかな描写はなく、短歌のみで7/1~7/7の出来事が展開されているので、かなり想像力が働く。何度か読み返し、そのたびに「アッこの短歌はそういう意味か…!」と気づいたり謎が残ったり……。たくさんの楽しみ方ができると思います。
 舞城王太郎さんが寄せているふたつの掌編もよく、歌集の主人公である男子高校生のクラスメイトの目線で描かれた小説だと思うのですが、さりげなく痕跡を出されたふたりのちょっとした姿が、想像力を掻き立てるのに一役買っていました。でもできれば、このふたりをメインにした小説も、私読んでみたい……!!!!