今日もめくるめかない日

上手な悲しみ方


大人になって思うのは、悲しみ方がうまくなったなあということだ。
これから起こることに対して先んじて悲しんでおくというか、これからなにが起こって自分がどんな感情になるのか、なんとなく予想するようになった。

 

もっと昔は、つらいことやしんどいことが起こったらもう世界が終わるというくらい泣きまくって(その多くは失恋して泣いていた)、泣いても解決策が一向に見えずにまた泣いて、泣くという感情以外のものがなかったような気がする。
いまは泣いていても思考の隙間ができていて、(ま、悲しいのは今だけだし)(そのうちどうせ大丈夫になるし)(ていうか明日仕事だし)(冷静になるゾーンきた)など俯瞰的に自分を見つめる自分がいる。

 

だから絶望的な気持ちになることが今は少なくなってきていて(本当に絶望的な事態に幸いにも巻き込まれていないというのもあるけど)、それは「とりあえずこのへんまで悲しんでおこう」みたいな、悲しいという感情をコントロールできるようになったということなのかもしれない。
それが悲しみ方がうまくなったと言えるのかどうかは実際わからない。ただ少しずるくなったというだけなのかもしれない。

 

日記を書きたいと思いながらなかなか書きはじめられなかった。
自分の文章を好きだと思うことは滅多にないけれど(本当にごくたまに、いいじゃ~んと思うけどそれは一瞬で、すぐになんだよこの文章…となる)、でも、自分の日記はなんだか好きなのだ。なぜだろう。

 

今は文藝の日記特集を読んでいる。
そのなかにあった滝口悠生さんの論考「日付を書けばいい」がよかった。
私が書く日記は誰かに読まれること前提だけれど(ありがたいことに読んでくださる方がいるんだよ)、でもべつにだれかに向けて書いているものではない。でもだれかに読んでほしいとも思う。

日記は素直な文章で書けるのかもしれない。忘れたくないと思いながら書いているわけじゃないけど、あとから読み返したときに思い出せてよかったと思う。

 

阿部暁子さんの「カフネ」を読みました。

cafune.kodansha.co.jp


一文一文あまりにもやさしくて、なんて安心して信頼できる作品なんだ……と思いました。
正直なところ私は、「ごはん」で救われる感覚がわからないというか、いやもちろん食事って人が生きていくうえで大切なものだしだれかと食卓を囲むことは幸福につながることだと思うのですが、もともとそこまで食に興味がないからか、実は「ごはんもの」で胸打たれることが少ないんです。


でもカフネの食に対する感覚が身体を生きていく延長線にあるかんじで、私にとってすごく読み心地がよかったです。
生きていくためという、ある種食事を日々の機能として扱っている気がして、でもそのうえで相手のことを考えて作り出す素敵な食事というのがうつくしいと思いました。
せつなの人との距離感もよかったし、薫子の選択も本当に意志が強くてかっこいい。
100%善意というのはちょっと怖い、偽善ではなく手を差し伸べる理由があってこその善い生き方で、自分も自分の大切なひとも生きていってほしいなあと思う。
本屋大賞おめでたいね、発表のときタイムラインが超祝福ムードでなんだかとってもハッピーな気持ちになった。

 

そういえばコナンの映画を観にいった。おもしれ~~~~びっくりしちゃった。
6年ぶりに会う友人と連絡し合ってて「行かね?」みたいな軽いノリで朝10時の上映で待ち合わせた。大人になるとだれかと会う=飲みに行くになるのですが、というか食べ物とかお酒がないと場が持たない気がしてついまずは食事を選択しちゃうのですが、午前中にコナンの映画を観にいくって小学生!?最高だな~と思った。
コナンの映画はもはや推理じゃなくてアクションを楽しみにしてるとこある。あのツッコミどころ全無視でやりたい放題やってくれるの気持ちよすぎる。


あと先日離婚をした。とりあえず届を出しただけど、でも届を出すだけでできるものなのだよね離婚も結婚も。
これ書こうかどうか迷いながら、そもそもここにわざわざ書くことでもないよな~と思いつつ、でもやっぱり書いた。
この報告をしたとき、反応はまあそれはもちろんそれぞれあるのですが、不思議と止める人や後悔するよ的なことを言う人はいなかった。まあでもそりゃそうか。止めてもしょうがないもんね。でも残念がる人も少なかった。まあ、それもそうか。
父親は「え~~…これからどうするの……?」といちばん不安そうだったけど、これからも生活していくだけだ。

 

まあつまりこれが悲しむのがうまくなったと感じた理由なのですが、それでもやっぱり人と別れるというのはさびしいし悲しいし心細いことだと思う。
ただ、これから一人暮らし用の部屋を見つけて引っ越して、実際に新しいところに住んでいる自分を想像したとき、その気持ちを予想して悲しむことができてしまう。それで、大丈夫なんだろうな、とわかってしまう。
ずっと感情の前借りをしているかんじ。
たぶんこれは少しでも賢く生きるために身につけた処世術なのだとおもうけど、上手な悲しみ方って、なんだかしっかり悲しめていないかんじもするね。

 

あ、あとこんなことを書いたらみなさんやさしいので、なにか言葉をかけたほうがいいかも…?と考えてくれるような気がするのですが、なかなかなんて言っていいのかよくわからないことだと思うので(私だったらわからん)、そっといいねなどを押してくだされば、私が元気になるでしょう(ほしがり)。
悲しみは前借りできるけど、元気の前借りはできないね。

でも離婚は、互いの明るい未来のためと思えばそこまで不幸なことじゃないとも思う(しんどいはしんどいけど)。
離婚しちゃった!わ~そういうこともあるよね~!みたいな軽い会話がけっこうありがたいのであった。