今日もめくるめかない日

昔の日記(夏の)

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 朝顔が咲いた。

 のぼりはじめた日のひかりに照らされて、スカートみたいな薄いあおいろの花びらがゆっくりとひらいていった。見たことはないけれど、空気に抵抗するように一生けんめい咲こうとする姿は、赤ちゃんがはじめてつかまり立ちをするときみたい。夜が明けたばかりの時間は、ぼんやり白くなっていてなんの音も聞こえてこない。すごくしずかできれいな朝だった。私の二階の部屋にはひとつだけ窓がある。そこから手をのばせばすぐ朝顔にふれられた。朝顔の鉢を置いていたのは玄関外(とびらのすぐ横)。でも気づいたら朝顔は蔓をぐんぐん伸ばしていって、棒の支柱だけではもう支えきれなくて、ついにこの家ぜんぶを支柱にするようになった。

 朝顔が咲いた。

 私はそれを一階で寝ているおばあちゃんに伝えにいく。おばあちゃんはもう起き上がれないから朝顔を見ることができなくて、私はそれをかわいそうだと言った、おばあちゃんはかわいそうだと言う私のことをやさしいと言った、やさしいと言われてうれしかったからありがとうと言った、ありがとうと言った私の心をおばあちゃんはうつくしいと言った。きっと今にこの家はたくさんの朝顔につつまれる。まだふたつ、みっつしか花はひらいていないけど。この一階の部屋からも、たくさんの朝顔がみえるはず。だけどおばあちゃんは、もうみえなくてもいいのだと、口だけ動かしてそう告げた。さびしいなと思ったけれど、それは言わなかった。

 朝顔が咲いた。

 たくさんの薄いあおいろの朝顔が家の壁をかこってる。もう家中は蔓でぐるぐるだらけ。これから咲こうとしている朝顔が、きゅうくつそうでかわいそう、とおかあさんが言っていた。だからおかあさんもやさしい人だ。最初に咲いた朝顔もきゅうくつそうにみえたけど、一度咲いたのだからかわいそうではないねとおかあさんが笑った。この家はいっけんきれいにみえるけど、よく目をこらすと朝顔のなかにしおれたものや枯れたもの、しぼんで泣いているものもまざってる。ぎゅうぎゅうを我慢できなくて、せっかく高いところで咲いたのに、蔓からはなれて地面に逃げたものもある。玄関から外に出ると、実は朝顔のあたまがそこらじゅうにいっぱいだ。もともと朝顔を植えていた鉢はもう、ちょっとやそっとじゃみつからない。せっかく一階からも朝顔がみえるのに、おばあちゃんの目はだいぶ悪くなったみたいで、もうなんにも映らないのだとほほえんだ。

 朝顔が咲いた。

 二階の窓からみえる景色は、どちらも薄いあおいろだから、空なのか朝顔なのか区別がつかない。すこしだけ窓を開けて指をのばしてふれてみると朝顔だった。花びらは紙よりやわらかくて、なまあったかい。力をこめるとすぐにちぎれそうだった。

 朝顔が枯れた。

 夕方、花がらを摘みなさいと、おかあさんに怒られた。しぼんだ朝顔は花がらといって、のこしておくと病気になるのらしい。さっきまで咲いていたのにかわいそう。うったえたのに、病気になってしまう朝顔のほうがかわいそうだと言い返された。本当におかあさんはやさしい人なのか最近わからない。しかたがないから二階の窓から屋根をつたって、しゅんとしぼんだ朝顔のくびをぷちっ、とちぎった。花がらは、たいていきれいに咲く朝顔の花に埋もれていて、日のひかりなんてぜんぜんあたっていなかった。摘んだくびをバケツにぽとぽと入れていったらたくさんたまった。見たことはないけれど、死んでしまった人の骨をつぼにしまうときみたい。夕日が西に沈んで、たちまち昏くなって、あかるさと一緒に咲いていた花びらもとじていった。

 朝顔が咲いた。

 花がらを摘んだからまたきれいに咲くようになったのだと、おかあさんはよろこんだ。バケツに入れた花がらを、私は二階の部屋のすみに置くことにした。おばあちゃんに見せても、目をひらかなかった。

 おばあちゃんが死んだ。

 しわしわになった首すじに、水をかけるみたいに私は泣いた。おばあちゃんの亡がらに、朝顔を添えてあげることになった。バケツにしまっておいたものを出したら、きれいなものを入れなさい、とおかあさんに怒られた。おばあちゃんは骨になり、その骨はつるつる白いつぼへしまわれた。そのようすは、思っていたほど、花がら摘みとは似ていなかった。

 

 朝顔が咲いた。

 やさしいだれかが告げにくる。私の部屋は一階になり(起き上がれなくなったから)、日のひかりを浴びることもほとんどない。だからあとはしぼんでぷちっ、と千切れてゆくだけだ。昔バケツに入れた花がらは、なまあったかくて人の体温みたいだった。

 

 

 

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BFC3幻の2回戦作です。

 

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