今日もめくるめかない日

ほんものの(ペーパー・リリイ/佐原ひかり)

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ボール紙の海に浮かぶ
紙の月でも
私を信じていれば
本物のお月様

作り物の木と
絵に描いた空でも
私を信じてくれたら本物になる

 映画「ペーパー・ムーン」の冒頭で流れる曲の歌詞の一部。

eiga.com

 映画をあまりみてこない人生だったけれど、この「ペーパー・ムーン」は短大時代にたまたま図書館でDVDを手に取って、なんとなくみはじめて、そのおもしろさに衝撃を受け、今でもいちばん好きな映画だ。
 バーで働く母親をなくした9歳のアディ、母親の元恋人である詐欺師のモーゼのロードムービー。9歳とは思えぬ度胸を持ったアディを見込んで、モーゼは彼女と手を組み詐欺を働きながら旅をする。そしていつしか本当の親子のような絆が芽生えていく……というのがおおまかなあらすじ。モーゼのことを「自分の父親ではないか」と考えるアディだけれど、おそらくそこに血のつながりはない。ただ、冒頭の曲に「作り物でも信じれば本物になる」とあるように、事実か事実じゃないかは関係ない、信じればアディとモーゼは間違いなく親子なんだ、ということをじーんと感じながら楽しめる作品です。

 本当になにも考えずに手に取った一本だったから、自分のなかで特別な作品になるとは思っていなくて、でも、なんにせよ、特別になるものって、得てしてそういうものなのだと思う。特別にしようとして特別になるんじゃない。

 

 さてさて、そんな「ペーパー・ムーン」を思い出す小説が、佐原ひかりさんの「ペーパー・リリイ」です(実際、この映画のオマージュ作品だそうです。好き×好き=ヤバ好きの方程式ができあがってしまいました)。

www.kawade.co.jp

野中杏、17歳、結婚詐欺師の叔父に育てられている高校2年生。
夏休みの朝、叔父に300万円をだまし取られた女性キヨエが家にやって来た。
キヨエに返してやりたい、人生を変える何かをしてあげたい。
だってあたしは「詐欺師のこども」だから。
家から500万円を持ち出し、杏はキヨエと一週間限定の旅に出る。
目指すは幻の百合!

 まず装画からして最高じゃないですか?!?!?!ずっとみていられる……。このふたりが主人公である杏とキヨエ、しばらくはこの装画がみえるよう本棚に並べておこうと思います。タイトルのフォントもかわゆ……。

 表紙めくってとびらの紙もよい……。落ち着いた深緑の色に光沢かがやく高級感。そしてだいたい本編にあるタイトルって天側のショルダーに記されていることが多いと思うのですが、ペーパー・リリイは地のところに。ノド側というのがまた、よい……。

 いつも思うのですが、河出さんって装丁センスが抜群だと思います(装画などパッと目に入るところはもちろん、字間や行間、天地の余白などにもこだわりを感じる……)。

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 表紙カバーをめくると百合。あらすじにもあるように、「幻の百合」をさがしに杏とキヨエは一週間の旅に出る。この幻の百合は、キヨエが結婚詐欺師(杏の叔父)である京ちゃんに「むかし住んでいた場所に、お盆の三日間だけ咲く幻の百合があった。今でもその光景は忘れられない。いつか一緒に見にいこう」と言われたもの(「一緒に見にいこう」は詐欺師の嘘なのだが)。
 騙されたと気づいたキヨエが、杏と京ちゃんの家に乗り込んでくるのだが、京ちゃんは不在。杏はキヨエを見て、「仕返し」を提案する。キヨエが騙し取られた300万円をそのまま返すのではなくさらに200万円を足し、つまり500万円を持って、京ちゃんが追ってくるよう書置きを残し、二人で爆走ロードを開始する。

以下、前半はクリティカルなネタバレは避けますが、内容には触れているので未読の方はご注意ください。

 

「爆走青春ロードノベル」と帯にあるけれど本当にそのとおりで、読んでいると、爆走!青春!エモ!の連続。
 杏の物怖じしない性格、二十も年上のキヨエに対しても(というか誰に対しても)ズケズケつっこんでいく台詞回し、夏といえばの空気感がしみこんでいる文章、いろいろなところで爽快感を得られる。
 そして杏とは反対に、なにかと卑屈なキヨエ。私はキヨエのほうが年齢が近いし、実をいうと、結婚詐欺師とまではいかないが「ろくでもない男」によく引っかかっており、貢いだことも何度か……(ごにょごにょ)
 なのでキヨエの気持ちがところどころ痛いほどわかり、ページをめくるたび、「キ、キヨエー!!!」と叫びそうになった。

 たとえば途中立ち寄ったサービスエリアで、キヨエがカレー、杏がラーメンを頼む場面がある。食べている途中、杏のラーメンのほうがよくみえてきてしまうキヨエ。あまつさえ自分のカレーを「ババ引いた」とまで思ってしまう(いたってふつうのカレーなのに)。

「違うのよ。これに限った話じゃなくて、さっきもそうだったの。入ったトイレに羽虫がいた。二匹もね。うん十もの個室があって、よりにもよって二匹も虫がいるところに入る? でも入るのよ。選んじゃう。それがわたしなの。きっと、あんたみたいな子は虫がいるようなトイレを引き当てることはないんでしょうね。そういう星の下に生まれてない、って感じがする」
河出書房新社 佐原ひかり「ペーパー・リリイ」19頁)

 キ、キヨエー!!! わかる、わかるよその卑屈になってしまう感じ……!!!自分だけがいつも損していると思ってしまうその気持ち……!!

 

 また、中学生ぐらいの女の子が、ストリートピアノをしているところに遭遇する二人。めちゃくちゃうまいわけではなく、むしろつっかえつっかえの演奏。そこに通りすがりのオッサンが露骨な舌打ちをする。それに対して怒りをみせるキヨエ。杏が止める暇もなく、ピアノを弾く中学生に近づき、いきなり応援の言葉をかける。たぶん舌打ちされたことに気づいていない中学生からしたら、いきなり話しかけてきた変な女になるキヨエ。結局ひとこと、中学生から「ウザ」と言われてしまう。
 キ、キヨエ……キヨエーー!!!!!

 

 キヨエはちょっと(けっこう?)残念な女だ。結婚詐欺師に騙されるし、卑屈だし、自分に都合のいいストーリーをつくって自らの過ちを正当化したりするし(いや、ストーリーつくるのめっちゃわかるけどね……)。

 そんなキヨエに呆れたりイライラしたりしながらも、杏はキヨエに「最高の七日間」を過ごしてもらいたいと奮闘する。二人旅にとつぜん加わる人もいれば、邪魔をしてくる不届き者もいるしで、この旅からは目が離せない。

 息が合っている、とは言い難い杏とキヨエだが、二人の掛け合い、空気感がなんだかきもちいい。基本的に杏のほうが「強い」のだけど、キヨエの前ではちょこちょこ「子ども」になってしまう場面が出てきたり。それも、決してキヨエが「しっかりした大人」だから杏が子どもになるのではない、というのがまた二人の関係性を物語っているようでよかった。
 そして杏がキヨエを誘った理由が判明していくうちにつれ、帯文の「愛・罪・恩から、私たちは自由になる」という文言どおり、しがらみから解放されていくような、心地のいい「自由」を感じられる。

(以下さらに遠慮なくネタバレしますので未読の方はご注意ください)

 

 冒頭でも触れた「ペーパー・ムーン」の曲の歌詞、これは「偽物でも本物になる」ということを示している。「ペーパー・リリイ」でも、「ほんもの」「うそもの」という言葉が何度か出てきて、本作の場合は、「信じれば本物になる」ではなく、「だれかのほんものが自分のうそもの」「自分のほんものがだれかのうそもの」ということを伝えてくれる。
 つまりこれはどういうことなんだろう、と読んだあともその意味を考えている。


 杏とキヨエの旅に乱入してくる人は主に二人。パンクなヒッチハイカーえなっちゃんと、成金家庭で育ったぼんぼん息子のヨータだ。

 えなっちゃんはズケズケ系で、ザ・自由なおばあちゃん。杏はえなっちゃんに懐くけれど、キヨエはどこか一線を引いている。えなっちゃんとキヨエは性格がぜんぜん違う。えなっちゃんは自分が好きなことをし、自分が正しいと思うことをし、違うと思ったことは違うと言う。対してキヨエは殻に閉じこもっているだけだ。そんなキヨエをみて杏は「あたしはキヨエにはならない。なりたくない。えなっちゃんのように、あざやかにいきたい」と思う。
 しかしえなっちゃんは、二人が持っているお金をみて、それを盗もうと行動する。

 ここで、ほんものとうそもの、というのを考えてみる。えなっちゃんは最初からお金を盗もうと車に乗ったわけではないし、純粋なヒッチハイカーのはずだった。だから杏があこがれたえなっちゃんの姿は、うそものではないし、仮に最初からえなっちゃんが大悪党だったとしても、えなっちゃんからもらった言葉は、杏にとってはほんものだったのだと思う。三人で夏祭りに出かけて楽しく過ごした時間も。だけど、その時間はすでにえなっちゃんにとって、うそものだったのかもしれない。

 

 車を暴走させ、ひたすら知らない道を歩きくたびれて寝ていた二人のもとに現れるのが金持ちのヨータ。二人を別荘に誘い、寝床や食事を用意してくれる。
 別荘からみえる満天の星空に、杏は感動も安心もしない。杏にとって安心できる星空は、昔京ちゃんと一緒にみたプラネタリウムだ。 

 どうだろう、この本物の星空の、うそくさいこと。
 どこもかしこもうるさく響き、どうだとばかりに迫ってくる。これが本物だと、感動せよと迫ってくる。
河出書房新社 佐原ひかり「ペーパー・リリイ」142頁)

 反対にヨータは、人工ではない目の前に広がる夜空に感動している。小さいころプラネタリウムを見たときから満天の星空に憧れ、別荘まで建ててもらうほどだ。「本物はやっぱり最高だよな。人間用にできていないっていうかさ」と、ヨータは言う。
 杏のほんものと、ヨータのほんものは違う。しかし、どちらもほんものなのだ。

 

 この「ほんもの」にはいろいろと考えさせられる。たとえば旅をつづけていくなかで、キヨエの素性がどんどん判明してくる。昔から「蝶よ花よ姫よ」と育てられてきて、家族からものすごい愛を注がれてきたキヨエ。その愛情に「ちゃんとお返ししたい」という理由で京ちゃんと結婚しようとしていた(キヨエはしっかり京ちゃんのことが好きだったが、そして騙されていたが)。親への恩返しでわかりやすいのは結婚や介護だ。
 受け取ったものにはそれに見合うお返しをしなくてはいけない。親からの愛情、手作りのプレゼント、婚約者からもらった詩、詐欺師の叔父が騙し取ったお金で得ている不自由のない生活。そういうものに対して、恩返し、お返しをしないといけない。その考えは、決してうそものではないかもしれないけれど、ほんものとは遠く感じる。

 お返し、というのは私たちの生活のいたるところに散らばっている。それが小さいものでも大きいものでも。そうだ、お返しは大事だ。人と人の関係性にきわめて重要なものだ。でも、「恩」から自由になりたいと、この作品を読んではじめて具体的な感情が私に生まれた。与える側は「見返りはいらない」と思うかもしれないけれど、受け取る側は、どうしても恩を感じる。いやいや、しんどい恩なら感じなくていいんだってと、この作品を読んだ今はフラットに思う。
 中学生がストリートピアノで演奏していたのは「愛の挨拶」。詩をプレゼントしてくれた婚約者へのお返しとしてつくった曲、というエルガーのエピソードを、厄介な恩返しに絡めてくるところが最高でした。

 

 生活にはいろんなしがらみがあって、それは詐欺師に騙されなくてもあるもので、鬱陶しいしがらみ全部を投げ出して解放されて自由になりたい瞬間というのはきっとだれにでもあって、その瞬間を感じたいから、私は映画をみたり本を読んだりするのだと思う。

 そしてそんな解放感と夏はことごとくぴったりで、杏が「うそみたいに強い光でぴかぴか輝いている」月に向かってひとり歩いていくところなんて、なんと表現すればいいのか(いやそれはもう“エモ”しかないんだけど)、私たちはそのシーンを「観ているだけ」なんだけれども、観ているときに生まれた感情は、間違いなく「ほんもの」であった。

 そしてついに、幻の百合が群生する場所へと誘われる杏とキヨエ。そこでは「結婚詐欺師の子ども」でもなく「結婚詐欺師に騙された女」でもない、ただ杏とキヨエがふたり存在している。それは映画のワンシーンなんかではない。だから美しいだけのラストシーンは不要で、そしてだからこそ杏とキヨエの「ほんものの願い」がぶっ刺さる。

 

 遠慮なくネタバレしますと書きながら、もしかしたら未読の人がここまで読んでくれた可能性もなきにしもあらずだと思うので、最後の最後の展開はここでは伏せておきます。が、「キ、キヨエ―!!!!!!!!!」と叫びたくなること間違いなし。「返さなくていい」「逃げちゃうのもあり」「貰えるもんは貰っとけ」「だれかのほんものはだれかのうそもの」、しみじみこの言葉たちを噛みしめて。

 もしまた杏とキヨエが出会ったら、杏がキヨエに挨拶をするとしたら。それはきっと、なにかを返すための挨拶でも、なにかを与えるための挨拶でもない。「愛の挨拶」ではなく、杏のほんものの挨拶をするんだろう。読み終わったあとは、そんな予感がした。
 キヨエは家に乗り込んだとき、特別ななにかが始まるとは思っていなかったと思う。杏も、キヨエを誘ったとき、自分にとっての特別をつくろうとは思っていなかったはず。でも、たぶん、この一週間はふたりにとって特別な思い出で、特別って、そんなふうに予兆もなくできあがるもので、つくろうと思ってできるものではなくて、仮にうそものが混じっていても、とくべつなことに変わらないものだ。杏とヨータがひと悶着しているとき、ドアの向こう側にいたキヨエの行動はきっとほんものだったよな、と思うし(めちゃくちゃ笑ったシーン)。

 

 そういえばこれは自分では気づけなかったのですが(不覚)、佐原ひかりさんのデビュー作「ブラザーズ・ブラジャー」に収録されている「ブラザーズ・ブルー」にこんな一節があります。主人公ちぐさが本を読んでいるシーン、その内容に触れているところ。

結婚詐欺師の叔父さんと暮らす女の子が主人公で、ある夏の日、叔父さんに騙された女の人が家を訪ねてくる。その女の人に同情した女の子は、あるだけの現金を持ち出して、女の人と旅に出る。そんな話だ。
(中略)
駄菓子屋で買ったありったけのお菓子を並べて、豪遊よ、と笑い合っている。蜜漬けのパイナップルとキウイを沈めたフルーツサイダーを、陽に透かして、生きてるね、と言い合って――。
河出書房新社 佐原ひかり「ブラザース・ブラジャー」151頁)

 エモ。

 「ペーパー・リリイ」では、杏とキヨエがやはり駄菓子屋でお菓子を買い、河川敷でそれを食べる。ちぐさが「観ていた」シーンが、今ほんものになっている。そう思うと、こころが震える。こういうの全部、“エモ”っていう(「エモはふところが深い」)。ナカグロシリーズ(と勝手に呼ぶ)、よいです。
 また、この蜜漬けのパイナップルは、駄菓子屋では「蜜造パイナポー」という貼り紙のもと売られており、「密造」という言葉を想起させる。映画「ペーパー・ムーン」でもアディとモーゼが密造酒の売人を騙し、金もうけをするシーンがあるのだが、こういう小ネタもたいへん楽しい。

 

 読んでいると、この夏を思う存分味わい、旅に出たくなってみたり、不自由のない自由を手に入れたくなる、いや自由になろうよ!と駆け出したくなる。そしてこの本が自分だけでなく、だれかの特別な一冊になったりするんだろうなと思うだけで、とくべつな気持ちになれる。

 あと、結婚詐欺師を集めたリアリティショー「詐欺ラー/詐欺ロレッテ」…ぜ、ぜひみてみたい。(ぜったい地獄じゃん!笑)

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過去に書いた「ブラザーズ・ブラジャー」の感想↓

mrsk-ntk.hatenablog.com