今日もめくるめかない日

今日の日記

 今日は朝五時に起きることができたので、夫と一時間ほど近所を歩き、さらに大きめの公園で少し走ったのだけれども、たいへんくたびれた。
 朝の五時はすっかり夜があけていて、青空がひろがっていたけれど、風があって涼しかったのがよかった。公園には六時前だというのに、歩いたり犬の散歩をするひとが集まっていて、いろんな犬のふれあいがそこかしこで起こっていて、犬も飼い主もたのしそうな雰囲気だった。あるおじいちゃんはカメラを持って、自分の犬の写真をたくさん撮っていた。

 

 早起きは慣れていないので家に帰ってシャワーを浴びて二度寝をしていると、実家から荷物が届く。入っていたのはおもに冷凍食品やおかずの素など。普段あまり料理をしないので、せめて簡単にできるものと両親が定期的にいろいろ送ってくれるのだが、なぜか毎回マカロニが入っていて、しかしマカロニをつかう料理をまったくしないので、マカロニが今家に五袋くらいある。我が家では、マカロニをたいへん持て余している。

 

 引っ越しを計画しているので、十一時から内見。なかなかぴんとくる物件がないなか、ひとつここはぜったいにいい部屋に違いない、と間取りからすごさが伝わってくる物件があった。現在入居者がいるが今月末に退去予定、内見はできないけれど申し込みはできる、しかし申し込みをすればキャンセル不可、という賭けもいいところだが間取りを信じて申し込みの電話をすると、ついさっき別のひとが申し込みをしてしまったとのこと。新居探しはまだまだ続きそうである。

 

 昼食はネギトロ丼を食べる。昔はまぐろの赤身がたいそう好きだったはずなのに、最近はまぐろも重くなってきた。でもネギトロ丼は食べられるしとても好きなので、たいていネギトロ丼を頼んでしまう。ファミレスに言ってもネギトロ丼。蕎麦屋に行ってもネギトロ丼セット。ネギトロにくわえて、納豆とかオクラとかやまいもとか、ねばねば系が入っているのも大好きである。

 

 家に帰ってアイスを食べた。最近は、五本とか六本とか七本とか入っている箱のアイスを常備するようになった。今家にあるのはしろくましろくまアイスは、白いところもおいしいし、つぶつぶ入っているフルーツの部分もいろんな味をたのしめて、すごくお得な感じがする。

 

 外に出る予定もないのでアマプラでバチェロレッテシーズン2を視聴する。エピソード3までみて、推しが退場してしまったことにショックを受ける。残る推しは彼しかいない。また、ホラ貝の登場シーンはなかなかインパクトがあったし、「おもしれー男」の可能性を秘めている人もいたが、どちらも退場してしまった。

 

 お風呂に入って本の続きを読む。今読んでいるのは矢川澄子「妹たちへ」。エッセイ集で、精錬された文章がすっと胸に入ってくる。そのなかに「近頃、かわいいお年よりのすがたがしきりと目につくようになった。」という一文からはじまる文章があった。日記のよう。
 筆者の矢川さんが急ぎ足で家路についているとき、ひとりのおじいさんを追い抜かすと、そのおじいさんが後ろから「ああくたびれた、くたびれちゃったよう」と追いかけてきたという話だった。「お嬢さんの三倍も生きているのだからくたびれちゃった」と言うおじいさんの言動やいろいろをかわいく感じながらも、とっさに言葉が出てこず、二人できっとその場に立っていたんだろう。そんなとき、まがりかどから女の子数人があらわれ、二人の横を通りすぎていく。

まがりかどからそのとき、自転車をつらねて三人の女の子があらわれた。それこそまだわたしの三分の一にもとどかないような、正真正銘のはつらつたるお嬢さんたちが、夕空にあかるい笑い声をひびかせながら通りすぎるのを、わたしたちはだまって見送っていた。
ちくま文庫矢川澄子ベスト・エッセイ 妹たちへ」211頁)

 たぶん、ほんとうになんでもないような日常の一部だったのだと思うけれど、この一節がすごく大事ないとしいものに思えて心に残った。

 

 そうして、そうだ今日の日記を書こうと思い立ってこれを書いている。昨日はしんどくてかなしいことがあった。いや、昨日だけじゃない。かなしいことはずっと起こっていた。かなしいことが起きるたび、心がずーんとなる。笑ってはいけない気にもなったりする。自分のなにかが間違っている気になる。でもわたしは今日、こんなふうに一日を過ごして、笑いもしたし、おいしいものを食べたりもした。
 今日は楽しいことや、うれしいこともあった。夫にむかついた瞬間もあった。今日だけじゃなくて、楽しいこともうれしいこともずっと起こっていた。うれしかったら笑いたいし、おなかがすいたらおいしいものを食べたい。時間があいたら好きな本を読みたい。だれかとくだらない話をしたり、好きなことを話したり、喧嘩をしたり、深刻な話もときにはしたい。いつかは忘れてしまう一日を毎日過ごしたい。そんなふうに過ごしたいと思える自分のことを信じたい。

 

 川上未映子さんの言葉で、「今日はいつだってすべての前の日」というものがある。毎日この意識を持つことはできないけれど、毎回なにかが起こったあとに思い出したくはないと思う。かなしんだり悩んだり、どうしていいかわからなくなったりすることはこれからも絶対にたくさんあるけれど、考えることを放棄したくはないと思う。
 明日は選挙に行って、外食をして(ザ・ピース)、楽しいことをして、月曜日から仕事だとすこし憂鬱になったり、実家から届いた冷凍食品を消費したりして、そんなふうに生活をつづけてゆきたい。