今日もめくるめかない日

回樹/斜線堂有紀

 小説に100%共感は求めていないけれど、やっぱり「この気持ち…知っている…!」と思い当たる場面があれば悶絶必至、一気にその作品が好きになる。そして前の記事でも語ったけれど、私は植物×人間が好き、ふつうの生活にSFなスパイスが降りかかっているのが好き、そしてこれはあまり言ってこなかったけれど、実は、百合が好き……!
 というか基本的に人間同士の感情がごわごわ入り混じってこちらの感情まで入り乱されるくらい、感情のまじわりが描かれているのが好きなんですね。そのなかでも女女の感情が、愛情でも友愛でも憎しみでもなんでもいいんだけど、濃ゆい気持ちがあぶり出されているのが好き。
 読んだら感情どっか~~~~んと爆発してしまうような、「人間」が描かれているのが大好きなんです。というわけで、どっか~~~~~んとなった作品がこちらです!

f:id:mrsk_ntk:20230327213648j:image

www.hayakawa-online.co.jp

 斜線堂有紀さん、お好きな方多いと思いますが、ほんとめちゃくちゃおもしろい作品をどんどん発表されていて、読むたび放心してしまうのですが、「回樹」はとくに、大大大好きな作品でした。はじめて読んだのは、こちらもハヤカワの「新しい世界を生きるための14のSF」というSFアンソロジーで、そのときから好き好き好き…となっていたのですが、「回樹」含む六編が一冊の本になるなんて、それはもう買うしかないです。

www.hayakawa-online.co.jp

 ちなみに表題作「回樹」は現在無料公開されているので、まずこちらを読んでみるのもいいと思います!(いつまでかはわからないので、お時間あるならぜひお早めに…!)

www.hayakawabooks.com

 まずカバーイラストからしてもう最高なのですが(このふたりは表題作の「回樹」で出てくるよ!)、帯の文にまずうなずきすぎて頭がもげそうです。

f:id:mrsk_ntk:20230327213656j:image

真実の愛を証明できる存在「回樹」をめぐる、ありふれた愛の顛末を描く表題作ほか、誰も思いつけないアイデアと、誰でも思いあたる感情の全6篇。

「誰も思いつけないアイデアと、誰でも思いあたる感情」~~~~~~!!!!!!いや本当にこれすぎるんです。「回樹」のなにがすごいって、まずは突飛な設定。とつぜん秋田県に出現した「回樹」、樹とありますが、見た目は人型の巨大な物体で(回復体位の恰好をしている)おおよそ植物にはみえない。ただ、林業者が「これは植物だ」と言い張ったことから回樹と名付けられた(回は回復体位から)。
 調べても調べても回樹は謎につつまれているが、ある日ひとつの事件が起きる。調査員のなかのひとりが回樹のそばで持病により亡くなってしまう。その死体を、回樹がのみこんでしまうのだ。
 猫や犬の死体はのみこまない、回樹がのみこむのはあくまで人間の死体だけ。さらに驚くのは、のみこまれた人間への愛情が、回樹に転移することだ。これはつまり、たとえば夫を回樹にのみこまれた妻が、夫を愛するように回樹を愛するようになるということ。回樹そのものが夫なのだと思うようになり、夫を失った悲しみから救われていく。
 そんな回樹の性質がどんどん広まって、愛する人を亡くした者は回樹に集まり、死体を回樹にのみこませていく。
 こんな突飛な設定が物語の核にあるのですが、物語の中心にあるのは、「ありふれた愛の顛末」。ありふれた愛の顛末…!ああ……!(感極まる)

 ひょんなことからルームシェアをはじめた千見寺初露と尋常寺律のふたりは、ただの同居人から恋人へと変わっていく。うまくやっていたふたりも、時間が経つにつれ噛み合わなくなっていき、最初のころに抱いていた愛情はかたちを変え、薄れていってしまう。
 物語は律が初露の死体を盗んだ容疑を警察から問われるところからはじまる。なぜ律は初露の死体を盗んだのか、私たちが生きるこの世に回樹はないけれど、回樹がもしあったなら、律と同じ行動をする人はきっとたくさんいる、それくらい「誰でも思いあたる感情」によって、律は初露の死体を盗んだ。
 時間がたつにつれ恋人のいやなところばかりが目につくというのは、かなりありがちな事態で、でもつきあいを続けていくにあたってかなり深刻なことで、でも具体的な解決策がないまま関係を続けて、喧嘩ばかりの泥沼状態に陥る。律と初露もまさにそれで、初露がヒステリーを起こし、律がそれをなだめ、なんとなくなあなあに場をおさめる、というのがパターン化していた。

「私の誕生日が世界で一番嬉しい日だって、まだ言ってくれる?」
「言えるよ。……世界で一番嬉しいし、この世界で一番初露が好き」
 その言葉に嘘はなかった。この世界で一番、千見寺発露を愛している。
 けれど、その愛は消去法だ。他に高得点を取る人間がいないから、四十点の人間が冠を戴いてしまうような寂しい話だ。

「その愛は消去法」、この文章を読んだときびっくりた、卒倒するかと思った。それを言ってしまうんだ…という衝撃だった(ほかにも、それを言ってしまうんだ…という衝撃的場面があるのですが、ここでは言えない)。なんて残酷な真理を暴いてしまえるんだろう…そう思いたくないけど消去法で人とつきあうってことはある。消去法の愛は、「本物の愛」には遠く及ばないし、そもそもそれって愛なのか? そんなふうに思考の迷路に迷い込ませる。そもそも「四十点」と初露のことを言ってしまう律の気持ちは……ああ……。
 愛というのは、目にみえないから厄介だ。だから「愛」を証明できる回樹にすがりたくなる律の気持ちが、私にはすごくよくわかる。だけど目にみえないからこそ、陳腐な言葉だけど愛にはいろんなかたちがあって、目にみえないからこそ、信じたくなるもので、絡まりやすいものなのだと思う。回樹は解呪、死体が呑み込まれていくことで、とらわれていた呪いから解かれてゆく。だれかに抱く感情や抱かれる感情は、呪いになるんだなあと思う。
 だれかとつきあっていくのは、きれいなことばかりじゃない。むしろ自分本意なことばかりで、価値観や考えを押し付け合って、愛どころか嫌いという感情すら芽生えることもある。相手が死んでしまったあとも、自分勝手な感情を抱いてしまったことは消せない。
 でも初露の死体をかつぐ律の姿を想像すると、私はもうそのかたちが愛にしかみえない。いつか薄れていくものでも、消えるものでも、まったく違うかたちに姿を変えるものだとしても、それはもうふたりが築いてきたものだ。最初から最後まで濃厚な時間を過ごせる、「回樹」は本当に本当にいい作品です、みんな、読んで……。

 

 愛とかたましいとか、目にみえないけれどきっとどこかにあるものが、この作品集では描かれている。骨の表面に文字を刻み、言葉のちからで頭痛を治した男の話(「骨刻」)、映画には魂があると信じ、しかしその魂を輪廻転生させなければおもしろい作品ができあがらないとし、映画の葬送を行う「BTTF葬送」、死体が腐らなくなった世界で死体の行末を暴くテロリストの証言(「不滅」)など。
 墓の場所が足りなくなる、というのが何作品かに共通して描かれているのですが、「不滅」で死体を太陽に飛ばすという場面が出てきたとき、目にみえるところのいてくれる、と思える安心感というのはあるんだな、と思った。たましいというものがあったとして、それは目にみえないけれど、大切な人が亡くなったとき、そこにいる、と思えるお墓というのは、よすがになる。私たちはみえないものを信じながら、みえるものを求めている。

 私は表題作「回樹」がやっぱりいちばん好きでしたが、「不滅」もこれもまたよかった……。タイトルがいいよね、「不滅」。死体が腐らない、傷が絶対につかない=不滅としているのだけど、死体以外にも、不滅のものはさ、あるのですよ。それが目にみえないものなんですよ。いつかぜんぶなにもかも消滅したとしても、存在していたものがある……。それはいま、私が生きていて感じていることすべて……。「回樹」をおもう気持ちは不滅なんである……。

 

 そして書き下ろし「回祭」もよかったです。これはまた回樹のある世界が舞台となっており、律の名前も少し出てきたりするのですが、主人公はまた別のふたり。なんか本当に陳腐だけどさ、愛ってひとくくりにできないんだね、きっと……。憎くてしかたがなくても、自分が殺してやると思っていても、それは「回樹にすら認められた愛」、とてもわかりやすい愛として存在していて、うわ~~~~この「回樹にすら認められた愛」っていうのがもう……なんかおまえも人間だろって感じなんですけど、結局私は人間が好きだわ……。いやべつに嫌ってたわけじゃないけど、人間の愚かさと愛しさって紙一重で、私めちゃくちゃコミュ障ですけど、もっと他人の心を知ってみようかなとか思った。なに言ってるのか自分でももうわからん。とにかく「回樹」はいい作品なんだ……。

 

 回樹の性質は①死体を呑むこと、②呑んだ死体の愛情を自らに移すこと、③その存在を広く知らしめたくなる、とされているらしい。私は死体を呑まれていないけれど、たしかにこの作品になにかを呑まれて、そしてとにかく広く知らしめたくなっている。つまりみんな!!!「回樹」を読んで!!!愛は目にみえないけれど、この感想に私はたくさん愛をこめました!!!!!!!