今日もめくるめかない日

「関心領域」観た

 本日は映画「関心領域」を観てきました。内容に触れているのでこれから鑑賞予定の方はご注意ください!!!

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 1945年、アウシュビッツ収容所のすぐ隣に家を建て、幸せに暮らす家族の日常。それだけが淡々と描かれている映画ですが、歴史を知っていればこれがどんなに悍ましいことなのか想像は難くありません。
 部屋がいくつもあって、綺麗な花が咲いている大きな庭があって、家の近くには川がある。そして壁の向こうには強制収容所があり、焼却炉からの煙が見え、稼働音、うめき声、銃声が絶え間なく聞こえてきている。
 映画を観た方の多くが「音」が怖いという評をしていると思うのですが、本当にそう。もちろんひとつひとつのセリフや、背景にみえる収容所の一部がスクリーンに映るだけでもぞわっとするのですが、とくに夜のシーン、家族が寝静まったあとも聞こえてくる低い稼働音、稼働音だと思います焼却炉の。というのもこの映画、本当に収容所の隣に住む「家族」にカメラをあてているので、収容所のなかでの映像が一切出ません。音や声のみで想像させる。最近「夜と霧」を読んだばかりだったので、どんなことが行われていたかということをまざまざ想起させられて、でもそのことについて家族のなかで語られることはない(あくまで「仕事」の一部としての会話はある)。


 幼い子どもも出てくるのですが、ユダヤ人から奪って回ってきた衣服やブーツなどをたぶん履いていて、8~10歳くらいの次男?かな、途中、言葉になっていないセリフを言うところがあって、なにを言っているのかわからなかったんですけど、たぶんあれは、聞こえてくる音やうめき声の真似をしていたのではないかと観ているうちに思いました。たぶん、悪意はなく、純粋に、聞こえてきたまま口真似をしたという感じで……。
 ほかにも、看守がユダヤ人に暴力をふるっているらしき場面があり(ここもやはり声のみ)、それを部屋の窓から次男が聞いているんですけど、看守が林檎を奪い合っていることを責め、おそらく殴っているかしているんですね、で、次男がひとりで「次はやるなよ」と部屋でつぶやくんですけど、それも、看守が日ごろ言っていることを覚えていて、先読みして言っているのかなって……当然のように略奪をする大人と、そんな環境のなかで純粋に過ごす子どもたち、「おかしい」ということに気づかないというか自分たちが正義と思い込んでいるただの「ホームビデオ」が延々続く。ときおりものすごい低くて大きい音が突然ごぁーーんと流れたり(本当に怖い)、画面が真っ暗になったりもして、内臓のいちばん嫌なところ抉られるみたいな映画でした。


 最後、司令官であり家族の父親であるヒスがハンガリー作戦を前にひとり嘔吐するのですが、あれたぶん中身は出ていなくて、吐くものがないのに吐き気がある、胃液だけ出る、あの感じが司令官を「人」に見せていて空虚さを感じさせた。けれど同時に現代のアウシュビッツ博物館での様子を映すことで、そこで終わらない、ただの歴史としない、目を背けるなという現代への訴えも感じました。
 鑑賞中は本当に何度も目を背けたくなったのですが、たとえ目を閉じても「音」がつねに聞こえてくるので逃げられないです。

 

 正直何度も退席しようかと思ったし、映画館でなければ途中で観るのをやめていたかもしれません。エンドロールもまるで悲鳴を想起させるような音楽(音楽…?音…?)で、逃げ出すように退場していく人が何人もいました。あんなにエンドロール中に帰っていく人が多い映画ははじめてです、退場したくなる気持ち本当にわかります。

 

 すぐ隣で起こっていることなのに……ということではなく、この領域に距離は関係ない。べつにこの映画が、今生きている私たちにこれをしろあれをしろと明確な答えをくれるわけではないし、観た人それぞれ思うことがあるでしょう(それこそ、領域は人それぞれ)。私はやっぱり繰り返してほしくないから、忘れてはいけないことだと思うから、関心を持ち続けていきたい。
 先日、「ガザに地下鉄が走る日」を読んだときにも思ったけれど、私たちは何かの後にいるのではなく、何かの前にいるのだから。戦争も虐殺も反対、わざわざこんなこと言わなくたっていい世界になってほしい。人間が「人」になる日がきてほしい。

 

※もし映画観れそうなら、観てほしいです…(配信がきたら配信でも…)

 

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