今日もめくるめかない日

呪いと言わないで(一番の恋人/君嶋彼方)

 男らしさ、女らしさ。この言葉と意味するところを「呪い」と表現する場面をよく見ます。泣かない、くじけない、体力や筋肉をつける、頼りがい、甲斐性、経済力、地位、大黒柱、女性にモテる、デートはおごる、車を所有する、高級ブランドに身を包む、スマートなセックス……これまで男性として生きてきたことのない私ですが、男らしさについて少し考えるだけでも、これだけのことが思い浮かびます。
 きっともっと「男らしさ」にまつまわる押しつけは存在していると思いますが、ここに少し連ねるだけでも「わっ時代錯誤だな」と憂鬱になることばかり。これは「女らしさ」について考えたときも同様な考えが浮かぶでしょう。
 でも男らしさや女らしさについて考えたとき、憂鬱になるようになったのはいつからだっただろう。私のこの憂鬱は、憂鬱になるべきことだという刷り込みからくる憂鬱なのではないか、現在34歳の私は、少し前まで男らしさや女らしさを説かれることにたいした疑問を持っていなかった。
 呪いを呪いとして素直に受け取ること。それは自分が呪われていたこと、そして誰かを呪っていたことを認めることにもつながると思う。
 男らしく生きてきたことに大きな疑問も苦痛も伴わなかった、それなりによい人生を送ってきた一番と、「普通」のなかで生きていたいアロマンティック・アセクシャルの千凪。世間と個人を取り巻く呪いと普通についての小説を読みました。君嶋彼方さんの「一番の恋人」感想です!

 

※内容に触れているのでこれから読む方ご注意ください!
またいつもだったら版元の書籍ページのリンクをのせるのですが、6/12現在、カドカワはサーバー攻撃を受けた影響ですべてのページの閲覧ができなくなっているようです(早い復旧を願っていますが、関係者様休みなく働いているのだろうかと思うと複雑な気持ちです)。復旧後、あらためて版元のページをのせます。取り急ぎAmazonのページ…!

『君の顔では泣けない』の著者が描く、恋愛を超える愛の物語

道沢一番という名前は、「何事にも一番になれるように」という父の願いで付けられた。
重荷に感じたこともあったが、父には感謝している。「男らしく生きろ」という父の期待に応えることで一番の人生はうまくいってきたからだ。
しかし二年の交際を経て恋人の千凪にプロポーズしたところ、彼女の返事は「好きだけど、愛したことは一度もない」だった――。
千凪はアロマンティック・アセクシャル(他人に恋愛感情も性的欲求も抱くことがない性質)で、長年、恋愛ができないが故に「普通」の人生を送れないことに悩み、もがいていたのだった。
千凪への思いを捨てられない一番と、普通になりたい千凪。恋愛感情では結ばれない二人にとっての愛の形とは。

 道沢一番。「いちばん」という名前をつける、ということからして父がどんな性質を持っているのかが予想できます(兄は「勝利」という名前がついている)。男ならこうでなくては、男ならこれくらいできないと、男なら逃げるな……。そういった価値観を疑いもせず持ち続けてきた父の教育は、けれど一番を大きく苦しめることはなかった。それが一番にとっての普通であったし、父の言う「男らしさ」に応えてくることで人生いにうまくやってこれたからだ。
 そんな一番のまえに現れたのが千凪。偶然出会って、恋に落ちて、会う回数を重ねて、晴れておつきあい。他愛もない話をして、「おしり」(お仕事おわり)、「つー」(お疲れ)の二人だけが使う略語、お泊り、キス、セックス。一番の視点から見る二人はとてもありふれていて幸せそうな恋人同士、セックスをしている最中の一番の描写はなんというか、甘ったるくて陳腐にすら感じるほど。これぞ愛情の証!みたいな。
 父の期待通り結婚して子どもを授かって一家の大黒柱になる……千凪と結婚するのだろうと自然に考えていた一番に対し、千凪は一番に対して愛情を持っていないことを自覚している。一番だけではない、過去につきあった男性にも恋愛感情を持ったことがないしセックスも苦痛。一番の甘々描写とは対照的に千凪にとってセックスはグロテスクな行為。
 今までもこれからも自分が誰かに対して恋愛感情を持つことがないのだろうかという不安、今まで出会ったことがないだけで「本当に好きな人」に今後出会えるのかもしれないという気持ちを抱えていた千凪だけど、「アロマンティック・アセクシャル」というセクシュアリティを知り、自分もそうなのだと気づく。


 個人的な話をすると、私自身も性行為に対して積極的な気持ちを持っていなくて、アセクシャルなのかと言われたらそれはそうとは言えないと思うのですが、付き合うことの代償というか、必ずついてくるお菓子のおまけみたいな感じで、恋人同士や夫婦にはほとんどの場合セックスがついてくるのがけっこう疑問。疑問だけど、相手に性欲があり、そういった行為をしたがっているときパートナーとしての自分はそれを一生拒否することはできない。付き合っているのに、結婚しているのに、と思う気持ちも理解はできるし、なにより申し訳ないと思う。
 恋愛感情があることも性欲があることも悪ではない。でも一番は「自分が男だから」と悩んでしまう。
 恋愛感情や性欲がなかったら、誰かと一緒にいてはいけないんだろうか。千凪は一番のことを恋愛相手として好きにならないけど、一緒にいたいと思えるくらいに好きだと感じている。一番が千凪のことを好きだと思う気持ちと同じ種類の好きを返せないことから、ふたりは一緒にいることが難しくなる。

 

「普通」という基準は昔よりもいい意味で曖昧になっていて、男らしさと女らしさや、結婚がゴール/幸せといったことはもう普通とは言えなくなってきている。人それぞれの普通があっていいという声が世間にひろがりはじめているなか、一番たちはそれでもやっぱり昔ながらの「普通」にこだわり振り回される。
 でも私はそこに安心した。と言うと、価値観アップデートできてないな、と思われるかもしれないけれど、「呪い」はなくなったほうがいいという気持ちは前提に、そんなに簡単に考えや価値観って変えられないし割り切れなくない?とも思うのだ。
 千凪が自分はアロマンティック・アセクシャルなのかもしれないと気づいたとき、じゃあこの先ひとりで生きていくのか、周りの友人が結婚し子どもを産んでいくのにずっとひとりで生きていくのかと不安になるのも、愛しているはずの千凪のセクシュアリティを一番が受け入れられないのも、とても正直だ。


 一番の父が「周りから幸せに見えることが幸せ」だと言うセリフがあるけれど、人と違うことがどれだけ不幸なのかを実際に見てきた父親だからこそ、そう信じ切って生きてきたのだと思う。息子たちの幸せの形を信じて疑わずに、父なりの愛情を注いで。たとえばそれを突然、呪いと言われたら。幸せにするためにやってきたことが実はぜんぶ呪いになっていたら。そんなことは認めたくないと思う。
 父からのプレッシャーから逃げた兄も、父の「愛情」を呪いだと一番に言うけれど、一番が信じてやってきた努力を呪いと両断されたくないと思う場面がある。私はこの場面で、ずっとこういう話が、こんなことを言ってくれる話が読みたかったんだって思った。呪いから解放されて自由になろうよって、言うだけなら簡単だよねって私はやっぱりどこかで思ってしまうから。


 いわゆる昔の価値観を持つ人間は、今、そしてきっとこれからもどんどん非難され淘汰されていくのだろうけど、いつもその光景に違和感があった。いや、もちろん男らしさとか女らしさとか私も脱却したいしそれを押しつける気も当然ない。
 でも、私も「女は料理できないとだめ」とか「女はいつも綺麗にしなくちゃだめ」とか「女は愛嬌がないとだめ」とか「女はつねに身だしなみに気を配らないとだめ」とか「女はサラダ取り分けないとだめ」とか……きりがないけど、そういう「女らしさ」を信じていたし口にしたことだってあった。女らしさだけじゃなくて、男性に対しても、男らしくいてほしいと言ったことだってきっとあったし、恋愛しないと駄目だよとか、そんなことを言ったことだってあった。
 私は誰かに呪われていて、私も誰かを呪っていた。でもそれが正しいと信じていた。誰かを不幸にしたくて呪っていたんじゃなかった(もちろん、私と同じ世代、そして上の世代の方でも最初から呪いと気づいている人はいたはず)。
 呪いだよ、と言われて、そうだよね呪いだったねと返すだけなら簡単だ。同調するだけでいい。だから呪いと言わないでほしいとちゃんと思える一番のことを、私はとても信頼できた。

 

 マイノリティとして生きている人たちのことを私はようやく知ってきて、「そういう人」もいると理解した気になっているけれど、たとえば自分が生んだ子どもがマイノリティに属する子だったら(私に子どもはいないけど)、心から受け入れられるんだろうか。普遍的な幸せのほうが困難は少ないと思ってしまわないだろうか。
 世間と個のあいだにはきっとまだまだ溝がある。グループで受け入れるのではなく個として受け入れることをしたい。大きな世界で個を守ろうとするのも大切だけど、遠くのものを受け入れるのではなくて、まずは目の前にいる大切だと思える人を守りたい。そこにマイノリティとかマジョリティとかそういったものは入れたくない。そもそも誰かを大切だと思うことに、属性なんて関係ないのだ。

 

 一番と千凪が、関係性を壊さずにこれからずっと一緒にいられるのかは正直わからない。でも一番でなくてもいいと思えることに安心できる一番は、恋愛でなくてもいい/結婚という形でなくてもいい、ということにゆっくりと気づけていけるのだと思う。そしてそれは千凪とふたりで進んでゆく道だろうから、その道がずっと続いていけばいいなと思う。
 したいことと、しないこと。どちらも同じ分量で愛として感じられればいいけれど、それは難しいことなのでしょう。でも、愛が難しいのはどんな人間だって同じだよね。だれかと一緒にいることはすべてにおいて簡単じゃないし、普遍的な幸せなんてないのだと思った。

 

 そういえば装丁の写真は千凪とイメージだと思いますが、浸かっている歯ブラシたぶん知ってる!GUMじゃない!?

 

 そういえば②今週末、君嶋彼方さんのトークイベントに行くんですよ!(例によって大盛堂、わたし今月三回も行ってます笑)