今日もめくるめかない日

「君たちはどう生きるか」観た

君たちはどう生きるか」を観てきました!
※※雑感ですがネタバレしています※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 そもそも私は熱心なジブリファンというわけではなく、金曜ロードショーで放送してたら観てみるかレベルなのですが今回の映画は話題性もすごくて映画を観た方の感情(感想ではなく感情)が強い感じで流れてくるので、「ど、どんな映画…?」と気になって観に行った。
 なのでなんだろ、「宮崎駿全開」みたいな所感は正直私にはわからないのですが、とにかく創りたいものすべて創って詰め込んだんだな、と思いました。

 

 おもしろいかおもしろくないかの一言でまとめるにはあまりにも難しい映画だと思うのですが、私は上映中、うすぼんやりと、一種の「気持ち悪さ」を感じていました。
 うまく言えないんですけど、登場する女たちが理想的な存在に仕立て上げられすぎているというのか、眞人のために存在しているような気がしたのかな。や、主人公である眞人を中心に話が進んでいくのは創作なのでそれはそうなんですけど、全体的に「役割を与えられている」という感じがしました。
 そもそも眞人も主人公の役割を与えられてしまっている。実母をうしなってその妹であるナツコが母になるのなんて複雑で受け入れがたい現実だと思うのですが、ナツコがいなくなったとき、眞人は勇敢に森のなかへ入っていきます。ナツコと父が睦まじくしているところを見て引いていたはずなんですけど、「自分がナツコさんを助けなくちゃ」と当たり前のように思うところは、あの世界で生き方を選べない生き物たちと被りました。
 そしてキリコが「本当はナツコお嬢さんがいないほうがいいと思っている」と眞人の気持ちを言い当てる場面がありますけど(言い当てていると私は思ってます)、自分の気持ちを理解してくれる、味方でいてくれる、わかりやすい女性像があの若いキリコで、あの家に住んで一緒に魚をさばいてわらわらたちを送り出す…という生き方も選ぼうと思えば選べたのかもしれない。でも結局眞人はおばあちゃんの人形に触れて物語を動かした。
 ペリカンが「わらわらを食べることでしか生きていけない」みたいなことを死に際に残しますが、生き方を選べない、そういう生き方しかできないのはペリカンだけでない。たとえば出征する兵士もそう。戦地に赴いてだれかの命を奪い、だれかに奪われる。
 ヒミが炎を出してペリカンを追い払ったとき、犠牲になったわらわらがいました。眞人はやめろとヒミに叫んだけど、キリコは「ああしなきゃわらわらは全滅するところだった(だからヒミのしたことは正しい)」と言った。犠牲のうえに成り立つ命がある世界でどう生きるかと問いかけられて、なんと答えればいいんですか。

 

 主人公の役割を持った眞人は、大叔父に「おれのあとを継げ」と唐突なことを言われます。私はこの場面で「そ、そんな急になに言ってるんですか、あなただれよ…」と思いましたが、そもそも私たちが誕生することだって唐突で避けられなかったことなので、大叔父の言葉を理不尽だと感じたけれど、生まれてきたことも理不尽だよね…ウッあんまりこういうこと考えるとどうしようもなくなってくるので考えたくはないんですけど、どうしたってこの映画、「生まれてきちゃったね。で、どうする?」みたいな問いかけをされている気になる。でも決して答えはくれないんですよ。眞人が友だちをつくります、と前向きで主人公っぽいことを言った瞬間、インコ大王が乱心して世界ぶっ潰すし。やけくそになるなってこと?
 ヒミと大叔父のもとへ向かっているとき、無数の石の上を歩いていくけど、あれはやっぱり墓標なのかな。

 

 悪意のない石13個をつかって新しい塔をつくれと言われたり海が割れたり、世界を創造できる力をきっと血統である眞人は持っていたのでしょうけど、結局眞人は現実に戻っていく。そしてアオサギが言っていたようにそのうちおぼえていることも忘れていく。最後の場面、眞人はなんにもおぼえてないんじゃないかなあと私は思いました。だっておぼえていたら生きやすくなるというか、生き方に対して考える余地が出てくると思う。
 この映画じゃなくても、なにか死生観を揺るがす作品でも事件でも、遭遇するとしばらくはそれを忘れず生きていきますけど、結局いずれ忘れていって、ドアノブを再び握ることはできなくなる。
 この世界がだれかに創られた132番だとしたら、あとどれくらい世界は持つのでしょう。だれが壊すんでしょう。常にぐらぐら揺れているような世界のなかで、「君たちはどう生きるか」なんて問いかけ、海に突き落とされた気分です。もちろん私には都合よく助けなんてこないので、自分で泳いでいくしかないんですけど。


 あと主題歌が「地球儀」って……カヘーーーッ