今日もめくるめかない日

開き直って絶望する

 昔からよく他人と自分を比べてしまう。
 私には突出した特技というものがないし、なんというかとても平凡、むしろ平凡より下……? とか思う。
 かがやいている人を目の当たりにしては劣等感を抱いて「どうせ私は…」とうじうじしながら生きてきた。

 小説の新人賞の選評なんかを読んでいると、「自分にしか書けないものを書きなさい」「書くしかなかったと思わせるなにかをぶつけなさい」といったことがけっこう書かれている。私はそんな言葉を読むたび怖気づく。
 自分にしか書けないもの……? そんなの私にある……? 私が考えることはすでにだれかが考えていることだし、私がわざわざ言葉にしなくてもだれかが私以上の筆力で作品にするだろう。私が作品をつくらなくたって世界はなんら困らない。
 書いては応募、書いては応募を繰り返しながらそういったことを考えて絶望している。おもしろい作品を読んでは打ちのめされて絶望している。だから私は基本的に毎日絶望している。
 それでもどうして書こうとしているのか、もうこれはたぶん意地だ。格好のつく理由は、てきとうに言葉を並べ立てればなにかしら出てくるだろうけれど、いまいち気持ちとはまらない。書くことでなにかを伝えたいとかだれかを救いたいとか、そういう高尚な気持ちは持っていないと思う。単純に、すごいって言われたい、認められたい。はじまりはそれで、その気持ちがずっと根底にあって、意地にしがみついている感じ。ただ意地でもなんでもどうせ書くなら望まれた場所で書きたい。だれにも読まれなくたって自分を信じて書いていこう的な気持ちはいっさい持てない。自作を愛しているのが自分だけでもいいじゃないかとか言われてもまったく響かない。人と比べて生きてきたので、人からの評価がないと私は自分を評価できない。小説は基本的にひとりで書くものだと思うけど、私は独りでは書けない。

 小説だけでなく音楽や漫画、絵、キャッチコピー、デザイン、建築、広告、家電、番組、映画、ゲーム、料理、彫刻、服、バズるツイート、とにかく多くの作品が、人の心を射止めるなにかが毎日毎分毎秒うまれているわけだけど、数えきれないほどの作品がすでにたくさんあるのに、まだ新しいものをつくろうとする人って本当にすごいよな、みんな私みたいに絶望しながらつくっているのかな、それとも「自分がやるんだ!自分がやらなきゃだれがやる!」と自信に満ちあふれたりしているのかな、後者だったら本当にすごいな、格好いいな、ということをなんとなく考えていたら、こんな雑文を書いていた。
 人と比べることなかれ、というのが正しい意見だと思うし、人と比べたってしょうがないという考えもわかってはいる。自分にしかないものというのが、もしかしたらだれにでも、私にもあるものなのかもしれない。けれど私はどうあがいても劣等感を抱き続けながらこれからも生きていくと思うので、もう開き直って絶望しながら書いていく。意地が勝つか絶望に負けるかの勝負になるんだろう。

 これが新年一発目のブログ、まったく前向きではない抱負を垂れ流しながらもあいさつを。みなさまあけましておめでとう。
 なるべく風邪をひかずに息災で過ごしてね。