今日もめくるめかない日

自分の本棚、好きな本しかない

 最近、本棚の整理をしました。ずっと著者の名前順にしていたけど、なんとなく版元ごとに並び替え。本当はもっと横に長い本棚がほしいとつねづね思っているけれど、部屋の広さ的にむり、いつか死ぬまでに書斎というものを自宅に置きたい。そうするには賃貸ではなく家を買ったりしないといけないのか…?と、果てしなく遠い夢にも感じてちょっとしょんぼり、それなら本棚のなかみを並び替えるだけでもと試してみたらなんだかすごく気分が変わる! 書斎とはいえないただの一角だけれども、家のなかでいちばん好きな場所はやっぱり本棚の前。

 

 ばばん、ビフォーアフター

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 こんなかんじにしました!とくに文庫は統一感が出るのでみていてとても楽しい感じ。わたしはとくに集英社文庫のポップな色合いが好きです。帯がない場合、全面色が敷かれているのですが、これけっこう珍しいのだなとほかの文庫をながめていて気付きました(だいたい作者の名前や記号が載っているところは別の色つかっていたりする)。朝日新聞出版文庫の赤と白の使い方も好きです。
 いちばん数が多かったのは新潮社。一回本を全部出して出版社ごとに置いてみたんですが、新潮文庫だけ高さがすごいあった。本を自分で買い始めたときは、小説といえば新潮社という断固たるイメージがあり、本屋に入ったらまずは新潮文庫のコーナーへ行っていたのできっとそれもあるのでしょう。

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 そして本棚をとてもきれいに撮る人にあこがれるんですが、まっすぐ撮ることもむずかしい。ぜんぶ部屋が狭いせいだ……。横にのばせないので奥行きで勝負するしかない本棚。単行本までなら二列重ねて入れられるので、だいぶ数をしまえるのですが、奥にしまうと当然背表紙がみえなくなるのでそれはいや、しかたがないので奥に単行本、手前に文庫という置き方にして、完全にみえなくなる問題を回避。本当は横一面にぴしーっと並べてみたいし本屋にある作家名が書いてある差し込むやつを入れられるくらい本を集めてみたい。


 本棚の整理はわりと定期的に行っていて、新しく本棚に入る本があれば手離す本もあり、何度整理をしてもずっとわたしの本棚にある本というのもあり、かれこれ十年以上の付き合いで、何度も読み返しているなあという本がこちら。

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 も〜〜〜〜〜ながめているだけで幸せな気分になる。

 

 逆にここ1、2年で購入したもので、これから先もずっと持ち続けるし何度も読むだろうという本がこのあたり。

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 これからもよろしく頼む。

 

 あとはわたし「デビュー作」というものがとても好きです。デビュー作ってなんか、独特の無敵感がある。読んでいてすごくわくわくするし、すごく大事なものって感じがする(いやデビュー作にかぎらずなんだけれども、とくに)。

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 あと新潮文庫NEXの背表紙の色がだいすき。うちにはいま三冊しかないけど本屋でこの並びみるのが好きです。

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 カドブンのカバーもいつも素敵なので超あつめたい。

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 微妙に余ってしまったスペースにはどこにも入らないものを入れていたりする。

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 廃墟が…好きなんですよね実は……廃墟ってめっちゃいい……びびりなのでもし許可がとれたとしても侵入するのはできないかもしれないけれど……。ひとりで廃墟の写真じっくりみるのはとても好きです。

 

  漫画はもうほとんど電子ですが、ずっと手放せない漫画もある。

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 新刊をいつまでも待つ漫画といえばよつばと、そしてNANA………

 

 そういえば知り合いの家の本棚にはハードカバーしかなく、ごつくてめちゃくちゃかっこよ…だった。文庫は買わないんだねと言ったら、ハードカバーを読むほうがかっこいいじゃんと返ってきて、本棚というのはすごく性格が出るものなんだなあと思った。

 

 さいごに今の積読です。太宰のは去年の六月に買って(桜桃忌だーとか考えて)一年積んでしまいました。今年の桜桃忌にあわせて読もうと思います。そろそろ芥川賞直木賞の候補作も発表されるし新刊も買いたいな〜。本棚の前で次なに読もうかページをぺらぺらめくる時間ってとても至福じゃないですか。だから積読いっぱいあるのが実はうれしいんです(自分で買ってるんだけど)。

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 自分の本棚を眺めていると、あたりまえだけど「好きな本ばっかりじゃん……」とうれしくなりますね。そしておそらくまったく同じ本棚はこの世に存在しないのだなあということも考えると、なんだかしみじみ。唯一無二の本棚がうちにあるのだ。

 

 

今週のお題「本棚の中身」

 

 

 

 

 

 

小説新潮5月号&6月号感想

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 短編は無限のちからを持っているとおもう。いや、そもそも小説自体が無限のちからを持っているといっても過言ではないのだけれど(そんなこといったら、この世の創作物すべて無限のちからを持っているはずなんだけれども)。
 短編というのは、まあ短い話なのでさくっと読めるもの。でも、その短い話にいろんな感情がたくさん詰め込まれるもの。もちろん長い時間をかけてひとつの話をじっくり堪能するのも好きだけど、短い時間で濃密な話を次々に読めるというのもこれまた至高のことである。

 

 というわけで短編集やアンソロジーなどはもちろん、いろんな作家が短編を寄せる文芸誌は最高なのです。しかもたいてい毎月出ている(冷静に考えたらすごいことだ)。そしてなによりコスパがいい。コスパがいいんですよ。1000円ほどで十人以上の作家の作品をたのしめる。小説(短編、ときには長編、そして連載)も論考もエッセイも対談も入ってる。好きな作家をみつけたいとか、いろんな作品を読んでみたいけど本をたくさん買うのはなかなか……と思っているならまずは文芸誌をぱらりとめくってみるのもいいとおもいます!

 

 それでわたしが最近読んだのが小説新潮5月号&6月号。5月号はR-18文学賞の受賞作決定(大好きな賞のひとつ)、歴代受賞者の競作とうれしい特集、6月号は「2021年に生まれた作家たち」という特集に惹かれて買ったのでした。しかし6月号の第一特集が「文豪とアルケミスト」、名前をなんとなく知っているくらいだったのですが(太宰がめっちゃきれいな人………!)、ものすごい人気コンテンツのようで、なかなか手に入らずようやく重版分を買えた。重版すごい(祝)
 というわけで5月号と6月号を読んでとくに好きだった作品の感想です。ネタバレしているので未読の方はご注意くださいませ。

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小説新潮5月号


救われてんじゃねえよ/上村裕香

 第21回R-18文学賞大賞作品。難病を抱える母。それを介護する高校生の沙智。あんまり頼りにならない浪費癖のある父親。八畳一間での三人の生活は読んでいてしんどい、介護の描写は本当にずーんとくる。
 お金がなく修学旅行の積み立ても払えず、やっと障害年金がおりてほっとしていたところ、父親がなぜか高いカメラを買ってしまう(月々にもらえる障害年金の10万円分のカメラ!)、八畳一間の狭い空間で両親が事をおっぱじめる、など状況的にはかなり地獄。
 そんな絶望的な状況を救うのはやさしい言葉をかけてくれて、なんとか力になりたいと思ってくれる大人じゃない。なにが心を軽くするかは人それぞれだよな、その場しのぎでも笑って救われるしゅんかんがあるなら、ほかのだれかは「くだらない」と思うことでも、なんというかすごく偉大なことだったりするのかもしれないなと思った。なにが沙智を救ったのかは、それはもうここでは言えないのでぜひぜひ。読み手をめちゃくちゃ突き刺してくるような作品だと思います。5月号まだ買えるよ!!

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乳首差別主義者/田中兆子

 タイトルがつよい。乳首差別主義者!! 
 主人公はスーパー銭湯「湯~ちゃん」の店長、権藤(中年男性)。湯~ちゃんのリニューアルオープンを告知するポスターの作成を部下の我妻さん(35歳女性)にまかせたところ、若い男性メインの画が登場。上半身は裸であり(温泉ですからね…)、権藤は男性の乳首ばかりになぜか目がいってしまう。この乳首は刺激が強すぎるのでは……と懸念する権藤に対し、我妻さんは「男性の乳首なんてテレビでもネットでもどこにだって出ている」と反論。いやでも、ああでもこうでもない、と論争を繰り返すうち、権藤は我妻さんに「乳首差別主義者」だといわれてしまう。
 権藤はなぜ自分が男性の乳首に対しうろたえてしまうのかを考えはじめる。ネットでいろんな男性の裸の写真を検索するが、それをみるだけでいやになる始末であるし、それを女性の身体に替えてみれば目が清められらたような気分に。どうやら男性に対して性的欲求があるわけではないと気づくが、ではなぜそんなにポスターの男性の乳首が気になってしまうのか……いろんな理由を考え我妻さんと男性の乳首に対してあれこれ議論を交わす場面がたいへんおもしろい。

 男性の乳首の歴史や、「この漫画では乳首が描かれていない」「リアリティを追求するものには乳首が描かれている」などの談義が白熱している。そして最終的に乳首差別主義者がなんと呼ばれるようになるのか……。ラストは「こういうことも起こりうるかもしれない」と思える展開、これからどうなっていく乳首……。こんなに乳首を連発したのはじめてだよ。

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ピンクの髪/小沼朗葉

 美容院に行き、「私、占い師なんです」とほんの出来心から嘘をついてしまったちはる。とくに占いに詳しいわけでもないのに、一度そう言ってしまうと口から出まかせがどんどん出てくる。担当してくれた担当の中谷さんはそれを疑うそぶりもみせず、ちはるは「もしよかったら、見ましょうか?」とまで言う(すごい度胸である…)。
 占い師などではなく普通の会社員のちひろ(でもわりと大企業)は、結婚を機に退職することになっており、恋人の航平と式場を探している最中。マッチングアプリで出会った航平は、結婚相手には申し分ない相手だ。それは大満足しているというより、「これくらいのことは我慢できる」ということの積み重ねによってできた申し分のなさにも思える。でもこまかいことを気にしたらいけないし、思うことがあっても「まあそういうものだ」と考えてしまうし、自分ではないだれかの言葉によって自分の人生が決められているような流れのなかにいても、それに抗う理由はぽんと出てこない。あきらめる理由ならいくらでも出てくるのに。
 窮屈ではないはずなのに窮屈、うまくいえない閉塞感、自由にできることの不自由さ。そういうのぜんぶわかるし、だから最後ちひろが髪を染めたことにめちゃくちゃ勇気をもらった。自分で考え自分で選択していくことはすごくむずかしいし面倒だけど、自分で考えたいってわたしも思う。

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透明な気持ち/秋ひのこ

 これはものすごい話だった。いじめを理由に自殺をした姉をもつ高校生の静香。これだけ読むと、姉が被害者という構図がすぐにできあがるけれど、実際に被害者ではあるのだけど、姉の亜利紗は生前、母と一緒に静香のことをいじめまくっていた。静香にとって亜利紗は加害者。そして亜利紗の加害者(とされる)の二ノ宮沙月。
 亜利紗の死後、「逃げるように」引っ越した沙月から墓参りをしたいという手紙ところから話ははじまり、「被害者遺族」の静香をとりまくいろんな人の声、沙月に対する中傷、母の静香に対する態度などが描かれる。
 物事というのは視点を変えるだけでまったくべつのかたちになることがよくある。そしてだれにとって正しいとか間違っているとか、だれの味方をするべきだとか、いくら考えても答えが出ない問題はたくさんある。自分が見たこと聞いたこと感じたことだけど信じるのはすごくむずかしい。けど、よく知らない人の意見に流されるだけにはなりたくないなと思える作品。静香も、自分で選んだんだなとおもえた。

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小説新潮6月号

ヴァンパイアの朝食/君嶋彼方

 うわ~~~~~~~~~~めっちゃ好きだった~~~~~~~~~!!!ゲイの文也とノンケの祥太の恋愛小説。恋愛小説!!!わたし恋愛小説だいすきなんです実は。
 このブログでそういえば恋愛小説の感想ってあんまり書いていない気がするけど、恋愛小説がだいすきなんです。というか最近、「恋愛小説」って少なくない……?わたしのアンテナが狭いだけ……?それとも年をとって無意識のうちに恋愛小説から離れている……?恋愛小説すきなんだけど、なんだろうね、もうときめくことが現実でほとんどなくなってきて、もう「恋愛」を自分事としてみれなくなってしまってどこか距離をおいてしまっている気もする…。でも!わたしは!恋愛小説がすきなんだよ!ってことを「ヴァンパイアの朝食」を読んで思い出しました。
 だれかを好きになる気持ち、だれかが自分のせいで不幸になってしまうかもしれないという不安、大切なひとのために怒れること、その相手が一緒にいたいと思ってくれること。幸福やもどかしさや切なさがまざって、しかも「ヴァンパイア」の使い方がすきすぎる……。
 とくべつなことがなにも怒らない日常をとくべつに描いている話がわたしは大好物なのですが、なにげない会話とか、いつか忘れてしまうかもしれない些細なことこそが、わたしたちの生活を築き上げているのだよね。「遅い朝食」ってすごいよね、これだけですごい、なんかいろんな幸福が詰められている。だって「遅い朝食」ですよ、わかるでしょ!!??
 君嶋彼方さんのデビュー作「君の顔では泣けない」読めていなかったのですが、この短編を読んで買おうと思いました。文芸誌はこういうきっかけをくれるんですよ!!

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一角獣の背に乗って/佐原ひかり

叔母が死んだ。一角獣に蹴り殺されたそうだ。

 冒頭の一文、びっくりする。インパクトありすぎる。「一角獣」「蹴り殺され」の組み合わせが強すぎる。一角獣から感じる神聖さと蹴り殺されの非道さ。最初にびっくりして、読み進めるうちにまた冒頭に戻ってまたびっくりする。今度はインパクトへのびっくりではなく、「蹴り殺され」の無残さにびっくりする。というのも、叔母は世話女(せわめ)としてこの一角獣の世話をしていた人間なのだ。ちなみに世話女は処女にしかつとまらない(一角獣は処女以外の人間に容赦がない)。

 読みながらいろいろと考えた。叔母は愛情をもって一角獣の世話をしていたんじゃないか、そんな一角獣に「蹴り殺され」るなんて、一体なにがあったのだ……など考えた。でもこの作品の本質はそこではない、たぶん。

「叔母」は実体がないようにみえる。いやもちろん存在はしていて、しっかり葬式もあげているしこの話で重要な人間として描かれているんだけど、最初から死んでいるからか、その実像がぼや~っとしている。それが一角獣を世話する人間という幻のような存在によりみせている。
 主人公は叔母の姪であるミサキ。叔母の葬式でハラダという男から叔母を殺した一角獣を逃がす手伝いをしてくれと頼まれる。一角獣は普段「あちら」の世界にいるが、ときどき「こちら」の世界へやってくる。それも処女のもとへやってくる。「こちら」には処女をあつめて一角獣をつかまえるバイトをさせたり、「男とセックスする権利」を奪い処女のまま世話女をやらせたり、そしてそんなふうに育て上げた一角獣を高値で売ったりする「胸クソ悪い金持ち」たちがこの世界には存在する。
 わたしは佐原ひかりさんの書く作品がとても好きなんですが、読んでいていつも思うのは「大人というものをめちゃくちゃ憎んでる…!?」ということ。「いい大人」「悪い大人」という区分ではなく、だれもが持っていそうな大人のずるいところ、クソなところをするりとみつけて「わかってるからね」と突きつけてくる。怖いのは、決して表立って責めてこないところだ。「いい大人」にもずるいところはあるだろう。だからこそ「自分の心に聞いて自分で考えてみろよ」とでもいわれているような、なんだろ、子どもに見放された大人になった気分になる(これは相当に心細いことである)。
 叔母が一角獣に蹴り殺された理由は、処女でなくなったから。ここを読んで、一角獣を神聖なものだとイメージしていた自分にぞっとした。そもそも処女の前にしかあらわれない、というだけでもぞっとする。処女じゃなくなったとたん、どうしてそこまで態度を変えられるの? なぜ勝手に美化して勝手に絶望するの? わたしには一角獣がすごく不気味なものにおもえた。
 最後のシーンは処女卒業(っていう言い方もなんとかならんのかというかんじだけど)を思い起こさせる描写にしているのだとおもうのですが、「男とセックス」する以外の方法で「なにもかもを貫き突き破って」いくミサキ。処女であるとか処女でないとか(もちろん処女をほかの何かに置き換えてもいい)、ただ一人の人間、あるいは獣として世界を走り割っていこうとする姿は、一角獣よりもよっぽどうつくしいものに思えた。
 新刊が出るらしいですよ!!

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春荒襖絡繰/藍銅ツバメ

「とくべつなことがなにも怒らない日常をとくべつに描いている話が大好物」と書きましたが、とくべつなことが起こる非日常的な話ももちろん大好物です。とくに幻想的な話!!!!
「春荒襖絡繰」は小学生の双子、藍子と紅太(この名前も好き~~)が両親につれられて山奥にある「襖絡繰」を観にいくが、いつのまにか藍子と紅太は襖のなかに吸い込まれていて……という話。
 襖絡繰というお芝居をわたしはまったく知らなかったのですが、不思議で魅惑的な襖のなかの情景描写にうっとり、姫君と若君の妖艶さといったら!そして姫君から離れられない紅太と、紅太を置いて襖から若君と一緒に抜けて出てしまう藍子。襖絡繰が終わると若君が兄になっていて、藍子の家族は父、母、兄、自分だけになっている。
紅太はどうなっちゃったの…?あわわ……と戦慄していると、そのうち紅太を思い出す藍子。再び家族で襖絡繰を観にいき、紅太を襖から救出するんだけれども、また家族のかたちが少し変わっている。
 襖の絵が切り替わっていくみたいに、藍子がいる世界が変化しているように思える。じゃあ本当の家族はどれ……どれでもないの……?と不思議でちょっとぞっとする余韻に浸れました。あとタイトル素敵。春荒襖絡繰(はるあれふすまからくり)。声に出して言いたくなるね。
 今月に単行本が出るらしいので買いたい~こんなふうに文芸誌はきっかけをくれるんですよ!!(二回目)

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 長々と書いてしまいましたが、このほかにももちろんおもしろい作品はたくさんあって、自分の好きな作品や作家さんがきっとみつかるはずです。実は文芸誌ってめちゃくちゃ多いし。結論としては「文芸誌はコスパがいい」です。

 

 

 

「鎌倉殿の13人」めっちゃおもしろくないか

 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」めっちゃおもしろくないか。ここでわざわざ言わなくても、きっといろんな人が「おもしろいよ」って思っているはずなんだけど言いたい、めっちゃおもしろい。

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 そもそもわたしはドラマを観続けるのがにがてなのだ。何曜日の何時に放送しているのかすぐ忘れてしまうし、家に帰ってくる時間も決まっていないし、22時すぎに帰宅なんてこともざらだし、一話でも見逃したらどうでもよくなるし、いまどき見逃し配信だってあるだろうと思われるかもしれないけど、見逃し配信してまで夢中になれるドラマがそもそもないのだ。
 そんなドラマに興味ないわたしが、なんかめちゃくちゃはまってしまった鎌倉殿の13人……。大河ドラマをしっかり観るのだって実ははじめてなのだ。歴史にも興味なかったし(歴史を勉強せねばなという思いだけはあった)。
 むかし「いいくにつくろう鎌倉幕府」を勉強したときは、こんなおもしろい背景があったなんて知らずに記号的に年号をおぼえただけだし(今は1192年じゃない説も出ているようです)、教科書に載っている昔の人たちはみんな同じ顔にみえるし、ぶっちゃけ頼朝がなにしたひとなのかよく知らなかったし、北条政子はたしかに記憶にあるけど、その弟の義時のことなんてすっかり忘れていたよ。

 そんなわたしでもしっかりはまったのである。三谷幸喜さんの脚本ということもあったが(三谷映画好きなので…)、最初は本当になんとなく、カジュアルに歴史を学べたらいいなーくらいの気持ちだった。

 そして放送がはじまる。オープニングかっこよくね? エバン・コール……。はじめて知ったその名前、インタビューを読むと

 

「原始的な人間の本能を感じるような曲を」

特集 インタビュー 音楽 エバン・コールさんインタビュー ~原始的な人間の本能を感じるような曲を~ | NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」


 かっけえ……。たしかに毎回わたしはこのオープニングから人間たちを感じている……その時代を生き、倒れ、乗り越え、つないでいく者たちの、激動を感じている……。「いざ」(三浦義村 山本耕史)……。

 序盤はコミカル風味で、主人公北条義時小栗旬)が兄北条宗時片岡愛之助)に振り回されたり、源頼朝大泉洋)に振り回されたり、幼馴染み後の妻の八重(新垣結衣)にちょっと引くレベルで思いを寄せたり、北条政子小池栄子)の佐殿へのおもしろアピールだったり、北条時政坂東彌十郎)のおとぼけぶりだったり(水鳥のシーンめちゃ笑った)、もちろん戦のシーンもあるけれどわりとふふふと落ち着いた気持ちで純粋におもしろくみていた。
 しかし最初の悲しみはわりと早く起きる。義時の兄、宗時があっけなく死……。「おれの夢は、北条を大きくすることさ!」とおもいきりフラグをたて、だれも知らぬうちに(戦でなく!)討たれてしまう。あのとき「観音様の像を持ってこいや」とわがままを言った頼朝をわたしはまだゆるしていない。あそこから館に帰るの大変だってわかんないのか!?
 兄上の悲しみを引きずりながらも、そのうちザ・男前な上総広常(佐藤浩市)が出てきて、うひょ~~なんだこのかっこいいとかわいいがあわさった最高な坂東武者は~~~とテンション爆上がり、もうずっと上総介をみていたい、もうあんたが兄貴、鎌倉殿でいい……と思っていたらとんでもねーサイコパスキャラの源義経菅田将暉)が奥州から合流、こりゃ~おもしろくなってきましたぜ、へへへへ……と毎週日曜日20時から20時45分を過ごしていたら、なんか知らないうちに暗雲がたちこめてきた……。 
 いや、暗雲はきっと最初からたちこめていたのだ、それはもう上総介殿が出てきたときからさだめられていたことなのだ……。だってこれは史実のこと、変えようがないこと、上総介殿の二次創作とかしないかぎり……。頼朝と上総介殿が親友になってそれを義時がほっこりながめているとか、そういうほんわか創作ください。

 

 頼朝の策略によって殺されてしまう上総介。そのロスは視聴者全員に重くのしかかり、Twitterのトレンドには放送日から4~5日たっても「上総介を偲ぶ会」とか「上総介ロス」とかいうワードがずっとあがっていた。どんだけみんな上総介好きなんだい……と思いながら全国津々浦々にこんなにも悲しみを共有できる仲間がいるのは心強い。わたしたちみんな上総介の家人だよ!

 上総介が殺された翌週、エバン・コールの最高のオープニングが流れるが、クレジットには上総広常(回想)……か、回想~~~~~~~~~~(泣)。オープニングでのクレジット順というのもひそかに興奮しているのですが、上総介(佐藤浩市)はわりと後ろのほうに名前が出ていたのですね、その順番が大御所感あったんだけれども、(回想)のときはさくっと前半に登場、今まで上総介のクレジットが出ていたところには比企能員佐藤二朗)。
 わたしは佐藤二朗さんも好きだけど、好きだけども~~~~~~~上総介殿~~~~~~のロスのせいで複雑な気持ちでオープニングを聴いたのである。
 ちなみに最近、そのあたりのクレジットは善児(梶原善)が登場していた。この善児というのは視聴者にもっとも恐れらているといっても過言ではない男、静かなる暗殺者、何を隠そう宗時を殺したのもこの男なのだ……。この男、一体どんな終わりを遂げるのか、終わりは描かれるのか、頼朝の死に際より気になるところでもある。

 

 そして上総介ロスも癒えないうちに、毎週毎週、人が死ぬ鎌倉殿の13人。しかも義のある人が殺されてゆく……。時代を考えれば人情や義に厚い人はたしかに生き残れないのかもしれない。ずるがしこくて、つねに人を疑って「自分が殺される前に殺す」という気持ちで生きていて、「こいつに逆らったらやばい」と思わせないと、生き残れないのかもしれない。でも、でもさァ~~~~~いい人が生き残ったってよかったじゃん……木曽義仲青木崇高)はものすごくいいやつだったよ……最後まで頼朝と戦わないようにしていたよ……。息子の義高(市川染五郎)だってそんな父を信じていた……父が討たれ自分も殺されるかもしれないというときに北条家が義高を逃がそうとする場面で、「自分が生きていたら必ず復讐をする」と迷いなき眼で言い放った義高。人質として鎌倉へおくられても、父のことを信じていたし尊敬していたのだ……。そのくらい、義の人だったのだ義仲は。なんて名は体をあらわす親子だよ。
 平家を滅ぼそうとしたのは、平和な世をつくるためだったんじゃないの……? 自分の家、名を全国にとどろかせるっていうのは、その時代疑うことなくだれもがみつめていた目標なのかもしれないけど、だれかひとりでも信じられる人がいるっていうのも、悪くないんだぞ頼朝……実の弟ですら信じられなかった頼朝……。

 

 実の弟、義経である……。義経のことはきっと多くの人があるイメージを持っていて、それは「悲劇の武将」という感じだと思うんだけど、登場シーンから悲劇とは遠くかけ離れていた義経
 いきなり猟師をだまし討ちなどしたり、気まぐれに寄り道したり、声めちゃでかかったり、食べ方がさつだったり、自分の意見が否定されるとむきになったり、めちゃくちゃな攻め方(しかし理に適っている)を提案したり、文字通りの暴れん坊将軍か?という感じなんだけれども、とにかく兄頼朝のために戦うという実はだれよりピュアな義経。だれも信じられなかった頼朝に対し、人を信じすぎた義経。な、泣ける……。そして梶原景時中村獅童)とのいろんな応酬。
 義経は景時を煽ったりもしたし、景時は戦の才がある義経に嫉妬したり複雑な思いを抱いたりもしていたけど、でも二人は戦をする互いのことを、認め合っていたのだ……。義経が奥州で追い詰められ、「自分だったらこう鎌倉を攻める」と義時にたのしそうに話していたあの顔、そして「梶原景時殿ならわかってくれる」という一言。それ以上の言葉があるかい……。思えば最初から最後まで少年のように目をきらきらさせていた。純粋な義経……頼朝のばか……。
 壇ノ浦の戦いが終わり目標だった平家を滅ぼした義経の「これから私は誰と戦えばいいのだ」というあの一言がほんとうにとんでもなく素晴らしく、こんなの源義経のためのセリフでしかない。予告のときから心臓がざわざわしていた。平家を討った達成感と同時にやることがなくなってしまった虚脱感。それを見事に演じた菅田将暉さんがやばすぎる。戦いのなかでしか生きられないのは、戦中は心強いけど戦が終わればただの脅威。なんて皮肉な世の中だよ……。

 ちなみにこのドラマの主人公は北条義時、まわりのキャラが濃すぎるあまりまだ目立った動きができていないけれど、しかし義時がいないとなにもはじまらない。上総介が源氏側についてくれたのも、坂東武者がなんとなくまとまったのも、伊東家が最後に三人で顔を合わせて笑い合えたことも、頼朝が征夷大将軍になったことも、上総介が最期にすこしほほえんだことも(義時に思いを託していた…)義経が最期に楽しそうにできたことも、八重が生きてこれたのもぜんぶ義時がいなかったら実現しなかった!!!!
 そうである。八重は生きてきたのに……。義経が討たれ、地獄がはじまっているとわかっていつつもあと二週間くらいはきっとまだ誰も死なないさと思っていたのに容赦なく八重を退場させる鬼の脚本。義時をこれ以上つらくさせるな……金剛と鶴丸の友情には泣いたね、八重さんにみてほしかったね……。

 それにしても毎週毎週ロスを煮込んだ鍋にぶちこまれて火にかけられているような悲しみを味わっているんですが、これすべて俳優さんたちの演技がうますぎるため。ものすごい喪失感を味わうんだけれども、実際に演じられた俳優さんたちが今健康でいてくれている事実を思い出してめちゃくちゃ救われた気持ちになっている。ありがとういつまでも元気でいてください。

 そういえばこのドラマではとくに誰かに共感するとかないんですが(思想がそもそも違うから)、亀の前事件のときに、時政が発した「伊豆に帰りてえなあ」というぼやきに、伊豆出身のわたしは心底共感しました。なんかなにもかもつかれて投げ出したいときの「伊豆に帰りてえなあ」でした。

 

 ここまで読んでくれた人がいるならそれはドラマを観ている人だと思うんですが、もし観ていないけどここまで読んでくれたという人、ドラマみてー!!!!!!!めっちゃおもしろいからー!!!これからの義時の活躍を見届けよー!!!!!!

 

 平家物語もおもしろかったよっていう感想も書きました。

mrsk-ntk.hatenablog.com

 

 

失恋の悩みを友達に聞いてもらった時間よりaikoの曲聴いていた時間のほうが長いと思う

 この世における平均失恋回数はどんなもんなのか予想もつかないけれど、わたしの失恋回数はきっと低くはないと思う。

 失恋。恋を失うこと。いろんな失い方があるけれど、恋をした数と失恋をした数はほぼ同じになるはずであり、少女漫画に焦がれ果てたわたしが実際に恋に落ちまくってしまうのももはや必然であり、何度も人を好きになっては何度も失恋を経験してきた。

 立ち直り方はいろいろあった。誰かに話を聞いてもらうとか、おいしいものを食べるとか、なにもかも放り投げて遊びまくるとか。しかし失恋というのは何度経験しても慣れないもの。たぶんあと四日後くらいにふられるな、と気づいてしまうあの瞬間。そして予想どおり訪れる絶望の時間。誰かに話を聞いてもらっても気が晴れない、おいしいものを食べても味がしない、そもそも遊びに行く元気が出ない、ということはざらだった。そういうときにわたしの支えになったもの、そう、それこそが失恋ソング……

 この世には、わたしのこと歌ってんのか?と思える歌が多すぎる。絶望の淵にいながら、「自分の歌だ…」と思い悲劇主人公思考に拍車がかかり、その思考に酔うことで失恋から立ち直ってきたところある。というわけでたいへんお世話になってきた失恋ソングの数々を発表します。わたしが主に失恋を経験していたのは10〜15年ほど前のこと、選曲もそういう感じであるし8割aiko。失恋の悩みを友達に聞いてもらった時間よりaikoの曲聴いていた時間のほうが長いと思う。

 

失恋したて、マジで無理、なにも考えられない、つらすぎる、の時期に聴く歌

 少しでも前向きになろう!とか、相手の幸せを願うのだ…とか、そういうことは一切考えられないし、マジで自分がとにかくかわいそう、だれかに「元気出して、まだまだこれからだよ!次は絶対幸せになれるよ!」とか励まされても「黙れ…」としか思えない時期に聴きたい歌。いいから絶望のままでいさせてくれ。

 

雨の日/aiko

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aiko 雨の日 歌詞 - 歌ネット

 ご存知ですかこの歌、悲しげなメロディーと音階、しかしどこかリズミカルでそのアンバランスさが余計にわたしを悲しくさせる。「さよならさよなら」の部分の歌い方がとにかく悲痛、わたしも歌に合わせて1000回はさよならと言ったし雨止むんじゃねえ…と心の底から思った。

 

親指の使い方/aiko

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aiko 親指の使い方 歌詞 - 歌ネット

 まさかこんな親指の使い方があるなんてね……。全部わたしのこと歌ってる?なにからなにまでわたしのこと歌ってる?うまく言えないの、わかる、欲ばったんじゃないのもわがまましなかったのも、わかる……でもたぶんうまく言えていたら、そもそも恋になってなかったんだよ……

 

タイムマシーン/chara

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Chara タイムマシーン 歌詞 - 歌ネット

 前奏の始まり方がすでに涙を誘うし、少し笑い声が入るじゃないですか、わたしに何かを思い出させようとしている…?あの人とのことを…?「今以上人をキライにさせないでください」…?なんでわたしの気持ちわかったの…?タイムマシーンはこなかった……わたしのところにも……

 

September/aiko

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aiko September 歌詞 - 歌ネット

 どうでもいい情報ですが、わたしは夏の終わりに失恋することが多かった。Septemberって……この歌、ひたすら「まだ好きでどうしよう」と本当にまったく答えが出ないまま最後まで歌い切るんですが、それにどれだけ救われたか……前向いていこうよという歌は、この失恋したての段階ではただの狂気だった。

 

Last Smile/LOVE PSYCHEDELICO 

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LOVE PSYCHEDELICO Last Smile 歌詞 - 歌ネット

 恋をしたらいつでも全部運命と思っていた……しかし全部other way……loser……

 

DOLLSJanne Da Arc

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Janne Da Arc DOLLS 歌詞 - 歌ネット

「」の部分ぜんぶわたしが言ったセリフか?

 

落日/東京事変

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東京事変 落日 歌詞 - 歌ネット

 好きすぎて切なすぎてどうしようもなくなる。前奏から後奏まで泣かずにいられない、日が沈むたびこの歌を聴き、白け切った夕日に君を何度思い出したか…………

 

ボクのことを知って/Chara

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Chara ボクのことを知って 歌詞 - 歌ネット

 Charaでいちばん好きな歌。いてよ、聞いて、知って……ああ〜〜〜〜!!!!!!!!

 

ソラニンASIAN KUNG-FU GENERATION

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ASIAN KUNG-FU GENERATION ソラニン 歌詞 - 歌ネット

 めちゃくちゃ好きだった人がよく聴いてた。「寒い冬の冷えた缶コーヒー」飲んではいつも切なくなった。元気してるのか……。

 

浮気をされた(浮気相手が自分だった)と知ったときに聴く歌

 かなしいことに、浮気されるというか自分のほかに本命がいたというパターンが多かった。失恋ということそのものが悲しいというのに、まさかの自分は本命じゃなかったというひどい裏切り、しかしまだ好きでしょうがない、だれもわたしも励ますな…というときに聴きまくっていた曲。

 

二時頃/aiko

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aiko 二時頃 歌詞 - 歌ネット

 なにも言わずに歌詞を見てくれ、そして聴いてくれ。この歌を聴いたときから本命の女はわたしのなかでtinyな女の子、勝手なイメージでつくるtinyな女の子に嫉妬しまくっていた。何回聴いたかわからん、ぜんぜんわからん、あの人の気持ちもぜんぜんわからん……。

 

DO YOU THINK ABOUT ME?/aiko

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aiko Do you think about me? 歌詞 - 歌ネット

 なんてこちらを消耗させる歌なんだ……消耗するのは「わかりすぎる」から……tinyな女の子に続き「イイコチャン」もわたしの敵だった。

 

カウントダウン/Cocco

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Cocco カウントダウン 歌詞 - 歌ネット

 うじうじモードから少し立ち直ったときに聴いて、自分の自信を取り戻す。それにしてもCoccoがいなかったらわたしはただただ自分で自分を傷つけて終わっていたかもしれない。Coccoがかわりに男をひどい目にあわせてくれたので、わたしは失恋相手のことを忘れてこれたんじゃないか…?

 

少しずつ立ち直ってきて余裕が出てきた、思い出を美化したいときに聴く歌

 絶望のさなかにいても、なんやかんやで少しずつ元気は出てくる。友人からの励ましも前より素直に受け取ることができてきたら、過去を美化するにかぎる。それは同時に自分のことも美化できるのだ。ときには泣くときだってある、だけどわたしは強い!と日下部まろん的な思考になったときに聴きたい歌。

 

恋人/aiko

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aiko 恋人 歌詞 - 歌ネット

 はじめて聴いたときは息が止まるかと思った。歌い出しからやばすぎる。相手のこと解りたかった。心が落ち着いちゃうような存在になりたかった。

 

ひまわりになったら/aiko

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aiko ひまわりになったら 歌詞 - 歌ネット

 別れたあとはなんとかして友達に戻りたかった。それもいちばんの友だちというやつ。そんな存在は、できなかった……。だれかのひまわりになりたかったよ……。

 

鮮やかなもの/Every Little Thing

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Every Little Thing 鮮やかなもの 歌詞 - 歌ネット

「Time gose by」でも「fragile」でもない、ELTの名曲は「鮮やかなもの」なのだ……。あの時間は決して無駄ではなかったと、わたしも何度も考えたよ……。

 

サヨナラダンス/YUKI

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YUKI サヨナラダンス 歌詞 - 歌ネット

「うまく忘れ」られたかはわからないけど、YUKIもこう言っているのだから忘れようと思えた。「期待したのは私の方だ」って、だからなんでわたしの気持ちわかるの?

 

密かなさよならの仕方/aiko

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aiko 密かなさよならの仕方 歌詞 - 歌ネット

 そう、だれもさよならの仕方を教えてくれないのである……。大きな声でさよならを言おうと決めた結果、わたしは放課後の教室から「ずっと友だちだよ~!」とか叫んでしまったのである……。

 

気付かれないように/aiko

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aiko 気付かれないように 歌詞 - 歌ネット

 すっかり忘れていた人が、とつぜんインスタなどで結婚報告をしているのを見るとめちゃくちゃ切なくなって酒におぼれるのですが、そういうときに聴きまくった歌。もうどうにでもしてくれよ……。

 

 失恋ってなぜこんなに切ないのだろう。できればもうしたくない。だけど失恋ソングはきっと一生好きである……。

 

 

ヤクルト1000はすごいのかもしれない/怠惰のための無理しない生活

 先日健康診断に行ったら体重が増えていてヤバイなと思った。いや、年々増えているなとは思っていたけど、体重計に乗るのもなんかいやだし(現実逃避)、まあまだ許容範囲であろうと自分に甘く過ごしていたら、そろそろこのまま放置しておいたらかなりヤバイ気がすると思える数値になっていた。

 しかしダイエット…?とか無理。食事制限…?適度な運動…? 考えただけでも無理み。無理みの極み。身体を動かしたり節制したりとか、本当に本当にやる気が出ない。休みの日の歩数なんて五歩のときとかざらにある。五歩ってなんだよ。七つの大罪のうちどれかひとつ与えられるなら、わたしは間違いなく“怠惰”の烙印を押される。Wikipedia七つの大罪を調べてみたら、「七つの死に至る罪」と書いてあった。死…!?

 

    健康的にもまずいということで、仕方がないので朝歩いてみることにした。しかし怠惰なので毎日は絶対に無理。週二日でもできればたいしたものよ、という気概ではじめた。長距離歩くのも絶対に無理。家から職場の往復で毎日の平均の歩数が4000歩だったので目標を6000歩にした。6時に起きるのをめざして6時半に起き、1時間歩けたらいいなという理想のもと、30分歩いている。まずはこれくらいでいいのだ、十分がんばってる。もうこれは怠惰の名折れである(名誉じゃないけど)。

 

 そんな生活を一週間(たった一週間!)したところで、会社で「最近早起きして歩いてるんですドヤァ」と報告をしたら、「健康に気をつかうのはいいことだ、よりいっそう健康になるためヤクルト1000を飲むべし」というアドバイスを上司からもらった。

 ヤクルト1000、調べてみると「ヤクルト史上最高密度の乳酸菌」「腸内環境改善」「ストレス緩和(一時的な精神的ストレスがかかる状況での)」「睡眠の質向上」「肌質改善」……となんかもう謳い文句がすごい。もちろん※個人差があります的な注釈はあるだろうけれども、なにやらものすごい自信である。値段も少し強気である。

 最初は眉唾だな……と思っていた。しかしなぜかヤクルト1000の話を聞いてから、ツイッターでもこの話題を目にすることが増えた、この引き寄せの法則たまに起こるけどなんなの。こうなったら百聞は一見にしかずということで、買ってみた。

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 わたしの生活がいったいどうなるのか、とりあえず七日間記録してみる(七本入りだから)。

 

 と、ここまでを二週間くらい前に書いていた。一日ごとの身体の状況を記録してみよう、それってなんかブログっぽ~い!とか考えていたけれど、まったく記録していない。さすが怠惰の烙印を押された女。朝雨が降っていると「今日は歩かなくていいんだ!やったー!」とか思ってしまう。ただ、ヤクルト1000を二週間続けて飲んだ現在、たしかにお通じが増え、お腹を壊すことが減り、目覚めがよくなった気がするのだ。わたしはiPhoneのアラームを5分おきにスヌーズしないと不安でたまらない人間だが、早く目が覚めたら覚めたで即二度寝かます人間でもある。しかし最近、スヌーズを待たずに起き上がれることが増えてきた(決して毎回ではないが)。これすべてヤクルト1000の効能……?

 たとえば風邪っぽいと思ったとき、お腹が痛いとき、薬を飲んだ瞬間に「治った気がするな」と思えるほどわたしは思い込みが激しい。そして仕事や環境が変わったら三か月後に必ず風邪を引くなど、わたしの身体はとにかく単純にわかりやすくできている。だからもしかしたら自分に暗示をかけているだけなのかもしれない。「話題のヤクルト1000を飲んでいるのだから身体はすこぶる絶好調になるはずである」と脳が理解し身体に信号を送っているのかもしれない。「ヤクルト1000はとにかくすごいらしい」と思えば、身体もそれに倣う気がする。いや、つまりそれって結局ヤクルト1000による効果が実際に出ているということなのかもしれないけど。

 

 とりあえず二週間続けてみて思った。ヤクルト1000はすごいのかもしれない。なにより朝ちゃんと目が覚める。5時40分にアラームをかけて、5時40分に目が覚めるし布団から出られる。この布団から出るという行為がそもそも難関で、目を覚ますだけならなんとかなるけれど、起き上がる、というのがとにかく怠惰にとっては大変な所業なのである。それが、なんかよくわからないけど、起き上がれる。意味わからん……。もしかしてもうわたし怠惰じゃない……? 怠惰はヤクルト1000で倒せる……?

 でも最近、時間をうまく使いましょうねと効率的な時間の使い方などを提言している人に話を聞く機会があって、その人は「自分が絶好調のときに目標を決めてしまうので、そもそも理想が高すぎて失敗することが多い」と言っていて、本当にそのとおりだなと思った。現にわたしは今日5時40分に起きることができたから、「5時30分に毎朝起きてもっとたくさん歩いて超健康になってもいいんじゃない…?」とか考えていた。危なかった。そんな無謀な目標を設定しようとしていた。あくまでも自分は怠惰ということを忘れることなかれ。

 

 なんにせよ、無理しないことが大切である。無理せずヤクルト1000の力を借りて、週二日歩く生活をもう少し続けてみようと思う。それにしても早起きが本当に苦手なわたしだが、朝6時に活動している人の多さにはほとほとひれ伏す。バスに人が乗ってる。コインランドリーに洗濯物を持っていく人がいる。先生が学校に入っていく。少し広い公園ではラジオ体操が行われている。犬と散歩をしている人がいる。小鳥が高い声で鳴いている。荷物を運びながら声を掛け合う人がいる。

 布団でごろごろしているのがなにより至高だが、朝の広々とした道を歩いていると、「ふーん。なかなかおもしれー空気じゃん」と思えて、まあ楽しいこともある。

 

 あと、ヤクルト1000を届けてくれるバッグ、でかすぎである。

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ああ壇ノ浦(平家物語、鎌倉殿の13人のこと)

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 歴史にはまったく詳しくないのだけれど、なぜか唐突に、2022年は歴史を知る年にしようと思い立ったのが昨年の暮れ。しかし歴史を知るというのにも、自分がどんな分野に興味があるのかもよくわからない、あてもなく歴史歴史……歴史を所望……とかぼやいていたら、アニメ「平家物語」の存在を知る。

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 これがめちゃくちゃよかったのです。最終二話など涙なしではみられない。維盛……資盛……ああ壇ノ浦……諸行無常……。平家といえば平清盛の印象が強く、わたしのなかでは「平家は悪!」みたいなイメージしかなかったんですが、実際に清盛はなかなかの悪行をしでかしているひとではあるのですが、結局清盛が亡くなったあとの平家はただただ滅びの一途を辿ってゆくしかない、というその哀れさや儚さに涙。羊文学めっちゃ聴いていました。びわ……。

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 そしてそのアニメの原作となったのが古川日出男さん訳の平家物語

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 この日本文学全集シリーズはもともとちょこちょこ集めているのですが(全巻買うまでは置き場所の問題もありかなり時間がかかりそう)、平家物語はわたしのなかでそんなに優先度が高くなくて、しかしアニメ観終わったあと即購入した。GWをつかって無事に読破でき、これはもちろんのことなんだけれど、アニメよりも平家にまつわるエピソードが盛りだくさんで、たいへんたいへん楽しんだ。
 しっかり平家物語を読んだことはなかったけれど(屋島の戦い壇ノ浦の戦いは教科書で読んだ気がするなあという記憶がかろうじて。那須与一の、ひょうふっと、が印象強いのですが、新しい訳にふれられてうれしい)、あれですね、平家にもそりゃ当然いろんなひとがいるのだよね……と思った。
 主要人物、たとえば平清盛、嫡男重盛、さらにその嫡男維盛がいて、それぞれのきょうだいがいて、それぞれの家族があって、さらに家人や乳母がいて、さらにさらにその家族がいて……と平家物語はとにかく登場人物が多く出てきて、ひとりひとりを掘り下げている。アニメではふれられていなかった流人のその後や、いろんなひとの最期、残されたひとたちのその後、実際のところの事実は今となってはわからないけれど、1000年近くもこうやって語り継がれている、ということにまず感動するし、合戦やら流罪やら粛清やら物騒なことが多いなかで、主人を敬ったり厚情をみせたりなどの人情とか愛情とかも描かれていて、歴史(それも1000年も前なのだと思うと)はフィクションのように感じられることもあるけれど、たしかにその時代に人々が生きていたのだなあと、なんだかじんとしてしまう。平家は雅な方が多いので、歌も多く残されていて、その一首一首にも、思わずはらはら涙がこぼれそうになる。

 

 それにアニメをみたあとなので、ここはあの場面だ、と情景を想像しやすく、「歴史わからん……」なわたしでも、まったく挫折することなく、むしろとにかくもっと平家のひとたちの話をくれー!というふうに読み進められた。木曾義仲が出てきたあたりからは、さらにおもしろい。

 そして壇ノ浦のつらさ。時子の言葉に手をあわせる安徳天皇……手をつなぎ入水していく平家のつわものたち……。ただただかなしい……。

 アニメでは重盛と維盛を推していた(良心があるし穏やかなひとたちだったから……)のですが、平重衡の最期を読んだとき、かなりぐっときました。お寺を(本意ではなかったとはいえ)焼いてしまい、源氏に生け捕りにされたあとは相応の罰をくだされるんですが、「こうなったら、子どもがいないことのほうがよかったのかもしれないな」と思ったりする。その時代、子を生むことは周りからも強く望まれただろうし本人も残したいと思っていたはずですが、子がいることで自分がより苦しくなるだろうし、もしも子がいたら子も苦しくなる(というかおそらく源氏に殺されてしまう)。そういうことを考えて「まだよかったな」と自分に言い聞かせるみたいな、そんなかなしいことある…?残される北の方に首を斬られる前に会える場面があるのですが、そこで「来世でお会いしましょう」と……こんなこと言ったってしょうがないんですが、源氏と平氏なかよくできなかったの…?

 

 そして今、大河ドラマも放送されていますね。鎌倉殿の13人!

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 こちらも毎週めっちゃたのしくみています。主人公は北条義時なので、源平合戦はメインではないけれど、次回放送が18話、舞台は壇ノ浦、なので今までがちょうど平家物語と同じくらいの時。なので読みながら「鎌倉殿って出てきた!」とか「義時の名前も出てきた!(ただ本当に名前がちょこっと出るくらい。時政はわりと出てきたけど行動に引いた)」とか「亀の前事件が起こっているときかもしれない」とか「きっとちょうどこのころ上総介殿が……上総介殿ー!!」とか頼朝側のことを想像できるのもよいです。

 また、鎌倉殿の13人で描かれる木曽義仲は、ただの野蛮人ではなくかなり義のある武士という感じで、めちゃくちゃ好きになったのですが、平家物語でも、なんというまっすぐな生き様なのだ……と胸打たれた。「野生があふれすぎていて滑稽なことはいろいろあった」など書かれていますが、幼いころからの仲である乳母子の今井四郎を敵に囲まれながらもさがし、互いに恥ずかしくないような死に方を選ぼうとする。どうして頼朝は義仲となかよくできなかったの……?

 そして菅田将暉さん演じる源義経がとんでもなくやばいやつで、今までの義経のイメージを完全にぶっ壊しにかかってきているんですが、平家物語を読んでいると「あれっわりと解釈一致……」というかんじでおもしろいし、梶原景時との会話にヒヤヒヤする。義経、とにかく梶原景時をめちゃくちゃ煽っていた。壇ノ浦の戦いの前、屋島の戦いなど義経はほぼ一人で片をつけるんですが、(一人というか義経の軍勢)、梶原たちは義経より少し遅れて湊に到着。そこで義経が「今ごろ着いて、いったい何にまにあうというのか。(中略)喧嘩が終わってから『はいよ』とさしだされた棒だな」とか言う。すごい馬鹿にするじゃん……。当然景時はこの言葉にものすごくムカつき、戦が終わってから頼朝に即座に報告する。なぜか弟より景時の言葉を信じる頼朝。きっと義経と景時は天地がひっくりかえってもなかよくできなかったんだろうな……。

 

 本の感想なのかアニメの感想なのかドラマの感想なのかよくわからなくなってしまったけれど、おもしろいです平家物語。このあたりから歴史の勉強していこうかな、太宰治源実朝の話を書いているので、このタイミングで再読してみようかなと思います。とりあえず「平家は悪!」のイメージでしたが、今はわりと「源氏もまったく負けてない……むしろ平家よりコワ…」という感じです。日曜日の壇ノ浦の放送がたのしみなような、しんどくなりそうな。ああ平家、ああ壇ノ浦……。

 

文藝夏季号(怒り特集、あくてえ、ふるえるのこと)

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怒ること 

 最近、家でも職場でも怒る日が多かった。夫とは喧嘩が勃発し一カ月ほど膠着状態、職場では何度言ってもわかってもらえないということが続いて、ひたすらきりきり怒っていた。
 怒る自分が嫌いである。スカッと怒るのでなく、ヒステリック気味になってしまうし、怒っているとき、嫌味が次々に出てくる。たぶん、わたしの得意技は嫌味を繰り広げることである。ぜんぜん自慢にならない。嫌味を口にするたび、なんでこんなふうにしか言えないんだろ、という自己嫌悪がすごい。しかも、なにがいやって、なんとなく、相手から「またなんか言ってるわ、やれやれ……」的な空気を感じてしまうことがいやだ。相手はそう思っていないかもしれないけれど、そういうふうに感じる。
 たぶんそれは相手がわたしと同じ熱量で言い返してこないからだと思う。まあ大人であるし、小学生のときみたいに、「ばーか!」「おまえがばーか!」みたいな言い合いはそりゃ起こらないよなと思うけれど、それにしてもただ黙って聞かれていることが多い。
 べつに自分がいつだって100%正しいなんて思っていないけれど、とくに職場でだれかに怒るときはわたしなりの正当性がある。たとえば同じことをもう百万回言ってるんじゃないか…と思っても、結局同じようなことをされる、こんな初歩的なことをどうして何度も言わなくちゃいけないのだろう、改善の余地がみられないということが何度も起こると、さすがに怒りたくなる(しかも相手はわたしよりも十も年上の上司で役職についているひとなのだ)。なにもはじめからヒステリーになってまくし立てているわけじゃない(と思う)。注意していると、相手が「はあ」みたいな反応しか返してくれないので、だんだんムキ―!となって、気づいたらどんどん怒りがわいてきて、わたしの口から嫌味がどんどん出てくる。まわりのひとだって聞いてるはずだけど、だれもとくに言ってこないのもさらに苛立たしい。「ま~たなんか言ってる」とかどうせ思ってるんだ。ただのわがままなのかもしれないけれど、わたしが怒ったら、同じように怒り返してほしい。そうじゃないなら反省してほしい。
 怒るのは疲れる。とにかく疲れる。わたしだって怒らないで済むなら怒りたくない。ただ、かわりにだれか怒ってよと思っても、だれも怒らない。こんな時代に怒って教育する、なんて下手したら炎上案件だろうけど(いやそもそもわたしが怒っている相手は教育する側なんだが)、怒らずすべてを受け止め、やさしく注意し、次は気をつけてね、でなにもかも解決するならわたしだってそうしたい。
 怒っている自分は、なんだか感情をコントロールできていない未熟な人間みたいでいやだ。できれば怒りという感情を抱かずに生きていきたい。そう思っていたけれど、文藝の怒り特集を読み、この感情も大切なわたしの一部、というかいちばん信用できる感情なのかもしれないと考えるようになった。

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まだ在庫あるよ!

 

「怒り」特集

 特集「怒り」の扉ページに掲載されている文言に、まずはっとした。以下抜粋。

感情だけはやつらに渡すな

怒りという感情に、真摯に向き合うことはこの社会では難しい。やりすごすか、コントロールを試みるか、諦めるか。
(中略)
ひたすら無力感に襲われ疲弊するこの日々に、何度でも自らの感情を立ち上げること、それがこの特集の趣旨であり、現在、我々が身を保つことができる唯一の方法であると信じる。

 すべての感情は正しいもの。うれしい、かなしい、たのしい、そうだ、それは正しいものだとわたしもわかっていた。それでも怒りは、持ってはいけないものだとも、どこかで思っていた。けれど怒りも含めて、「あらゆる感情が正当である」のだ。最近は、自分の感情が自分のものではないと感じることも多い。たとえばたのしい、おもしろいと感じること。だれかの評価をみたから自分もそう感じているだけじゃないのかと思うことがある。大げさに言うと、つくられた感情に感じる。けれど怒りは違う。ゆるせないこと、これはまさしく自分だけの感情である。だから信用できると思う。
 特集内には短編やエッセイが掲載されており、どれも怒りをはらんでいる。みんななにかに怒っている。それらの作品を読んで、怒りはパワーなんだと思った。社会的とか理性的とかそういうものに普段は抑圧されながら、でも、怒りを持つことは自分を捨てないことなんだと思った。
 夫との膠着状態が続いたある日、もう本当に我慢ならなくなって、わたしははじめて家出した。朝なに食わぬ顔で出勤して、その日は家に帰らずビジネスホテルに泊まった。連絡ひとつ入れなかった。普段帰りが遅いのもあるので、夫から電話がかかってきたのは深夜一時半くらいだった。寝ていた。さすがに罪悪感を抱いたが、わたしはちょっと「ざまあみろ、せいぜい心配しやがれ」と思っていた。そして、やっとわたしの怒りが少し届いた気がした。たいてい無難に生きることを意識しているので、怒りをあきらめていたら、わたしはこんな行動に出なかったと思う。わたしは一日だけの家出だけれど、怒り特集に出てくるひとたちは、みんな怒りからいろんな行動をとる。届かなかったとしても、怒りをまっとうしている。社会的じゃなくても理性的じゃなくても、正しく自分の感情によって突き動かされている。そのさまはどの作品でも圧巻だった。あと柚木麻子さんとゆっきゅんさんの対談めちゃくちゃおもしろかったよ。

 

あくてえ/山下紘加 

 そして、今回文藝でいちばん怒りをおぼえた/共有したのが山下紘加さんの「あくてえ」である(特集外ではあるんですが)。
 あくてえは、甲州弁で悪口、とか悪態とかいう意味。小説家になりたいゆめ、ゆめの母きいちゃん、二人と暮らす「ばばあ」。ばばあはゆめなりのあくてえで、自分の祖母のことを心のなかでばばあと呼ぶ。ばばあは父親の母で、その父親とはすでに離婚しているのに、なぜか母きいちゃんが面倒をみているという状況。
 ばばあは高齢で、いろいろなことがままならないしわがままである。けれどきいちゃんは献身的だ。たとえば高い補聴器が欲しいとばばあがねだる、いろいろ考えて購入すると、結局ばばあは「つけてても、ガアガアいってるだけではっきり聞こえん」という理由で補聴器を自ら外してしまう。理不尽ともいえる環境に、ゆめの怒りがどんどん伝わってくる。わたしまで怒り狂いそうになる。とくに途中で出てくるゆめの父親。
 ばばあが倒れ、入院したときに顔をみせ、ばばあの世話を全部押し付けているというのに「俺が近くにいたら車で病院まで送ってやれたのに」とか言う。あと会話の内容が下品だし、とにかく無責任で、登場するたび怒りしかおぼえない男だった。そんな父親に、しっかり怒りをぶつけないゆめにもときどきわたしが怒りそうになった。そして実際に怒りをぶつけてものれんに腕押しという感じの手ごたえのなさにまた腹が立った。面倒をみる必要なんて本当はないはずなのに、献身的にばばあの世話をするきいちゃんにも腹が立った(ゆめの言葉を借りれば異常な状況なのだ)。ゆめの恋人である渉のどこかずれた考えにも腹が立った。わがままなばばあにも腹が立った。怒りはパワーと書いたけれど、そのパワーがどこにも発散できないのは、本当に虚しい。怒りをみなぎらせて、理不尽な状況に立ち向かおうとするのに、自分がもつ怒りと相手に届く怒りのかたちが変わるのは虚しい。壮絶な怒りと同じくらいの虚しさを同時にたたきつけてくる「あくてえ」、ものすごい作品です。あと、ばばあの方言で、ときどき「~ら?」と出てくるのがうれしかった。わたしは静岡出身で、甲州とは離れてはいますが「~ら?」という方言を使っていたので。
 山下紘加さんの作品、今まで「エラー」「二重奏」を読みましたが、どれも生の声、というのが聴こえてくるような作品で、それはリアリティがあるとか生々しいとは少し違う気がする。とにかく、作品のなかにたしかに人がいて、フィクションだとわかっていても、ただ、声とか息遣いが聴こえてくる感じがする。濃密よりはどちらかといえばわりとさらりとした文体だと思うのですが、それでも濃いと感じざるを得ない。推し。

 

ふるえる/彩瀬まる

 それからもうひとつ、今号の文藝でよかった作品が彩瀬まるさんの「ふるえる」。短編(掌編?)なのですが、こちらも濃い読書体験になりました。彩瀬まるさんが書くちょっと不思議な話がとても好きです。「ふるえる」では、恋をする(あるいは恋とはまだいえなくても、だれかを意識する)と、身体に石ができる。相手にも石ができていたらそれを交換し共鳴することで、恋が成就するという世界観。けれど恋愛の多くがそうであるように、自分にしか石ができないときもある。そういうときは、体内にある石を取り除くことができる。主人公であるネムはシライさんに対して石が生成されるけれど、シライさんは今まで石ができたことがないという。短いお話なのであんまり書くとすべてのあらすじを説明してしまいそうになるのでこのへんにしておきますが、なんだかとても切なく、けれどほっとあたたかくなる(それこそそれまで抱いていた怒りを忘れるくらい!)、石をこの目でみてみたいと思うお話でした。長編で読んでみたい。

 

 あと、次号の文藝の特集が今からめちゃくちゃ楽しみです。ぜったい好きしかない。