今日もめくるめかない日

悪と正義(勇者たち/浅野いにお)

f:id:mrsk_ntk:20210515183605j:image

 浅野いにおといえばもはや説明不要の人気漫画家、うみだされる数々の作品に多かれ少なかれ影響を受けたひとは多いだろう。もちろんわたしもそのうちのひとりであり、出会ったのはもう十年以上前。上京後、自分という存在をサブカル方面にさがしにいってヴィレッジヴァンガードに入り浸っていたときのことである。

 サブカルと言ったけれども浅野いにお作品をサブカル漫画なんてことばで片づけてしまうといろんなひとに怒られるだろう!(ていうか結局サブカルってなに?)衝撃的、独創的、文学的、社会(風刺)的などなど漫画の枠を飛び越えていくような評され方も多く、エッジが効いた、などと言えばそれすら軽薄な言い方だろうか、とにかく読めばその魅力にとりつかれること間違いなし、わたしも「素晴らしい世界」をはじめて読んだとき、あまりのおもしろさにひっくり返った。

 それまで王道少女漫画が主な読み物だったわたしにおとずれた衝撃たるや、えっ、絵うま……絵うまいし、かわいい絵すき! 絵うま!!……え……このヒワイそうなかたちのものは……? 女の子かわいい……!!! 熊のおじさん!!!! お金ェェていうかおもしろすぎて吐くんだが!!??? たぶんこんなかんじだったと思うけど、自分さがしの果て(八王子のヴィレッジヴァンガードに行っただけ)にたどりついた浅野いにおという指標に、自分かくあるべき、しばらくそこに腰を据えようと、当時は浅野いにお作品に手を出しまくっていた。あまりに好きになりすぎて、浅野いにお作品が好きだという男の子がいればそれだけで恋に落ちる勢いだった。

 

 素晴らしい世界、ひかりのまち、虹ヶ原ホログラフ、世界の夜明けと終わり前、有名すぎるソラニン、そしておやすみプンプン……(デデデデデ…は未履修)。読んでいたのはこのあたり。おやすみプンプン、実は途中であまりにもしんどくなって離れたんだけど、完結後結局一気に読んだ。やっぱりしんどかった。

 というのも浅野いにお作品は、かなり皮肉がきいているというか、こちらのこころを思う存分えぐってくるというか、わりと心して読む覚悟が必要というか、まあとにかく読めばわかると思うんだけど(あらすじの説明が面倒というわけではなく笑)。ただ歳をかさねてゆくうちに、漫画の新刊チェックに気がまわらなくなり、浅野いにお作品からも離れていったんだけれども、2018年、久しぶりにその作品にふれることとなる。

 前置きが長くなってしまったけど、今回取り上げたいのがその作品、「勇者たち」である。すごくネタバレしてるので、試し読みでおもしろそうとなったら、先に作品を読むことをおすすめします(なんと一巻で完結! すぐ読めるね!)。

comics.shogakukan.co.jp

暗黒に挑む、平成末期型異世界冒険譚
世界を闇へと導く「暗黒」の王。
種族も、姿形も異なる勇者たちが、怒り、憎しみ、悲しみ、恨み、嫉み、dis、炎上を乗り越えてその討伐に挑むが…?
全ページカラー! 鬼才が描き出す、平成末期型異世界冒険譚、開幕!

 平成末期型異世界冒険譚、ってめちゃくちゃ意味わからんけどめちゃくちゃおもしろそうだし、いにおせんせ~~~!!!!ってなる。漫画アプリ「マンガワン」で、2018年に連載されていた。それにしてもアプリで無料で漫画を読めるなんて、すごい時代になったものだ……。

 2018年にアプリで読んで、当時も「さすがだ……」とやはりそのおもしろさにぶったおれた。それが昨日ふと読み返したくなり、電子書籍を購入した。このたとえが合っているのかわからないけど、わたしはショートケーキとかなどの甘ったるいものを食べたあとに必ずラーメンが食べたくなる人間で、昨日金曜ロードショーでやっていたタイタニックでえぐえぐ泣いて、ちょっと落ち着いたときに「そういえば……勇者たちを読みたい!」となったのだった。

 

 ループものという紹介のされ方をよく見かけるけど、わたしはすこし違う気がする。ループものって、そのとおり繰り返し。登場人物たちは、ループしていることに気づいていない、あるいは気づいているからこそそのループから抜け出そうとする、という作風が多いと思う。

「勇者たち」も、たしかに繰り返しである。ゆめちゃんたち勇者たちが、暗黒の王を倒すところから話ははじまる、それでめでたしめでたし……ではなく、暗黒が倒されたあとの世界を描く話である。しかし些細な言い合いから仲間同士で諍いが起こり、ついに仲間のうちのひとりが暗黒に魅入られ次の暗黒の王になってしまう……繰り返すのはこの部分。暗黒を倒しても新しい暗黒が一話ごとに誕生する。なので最初のほうは、話のはじまりは必ず「暗黒(かつての仲間)が倒されるところから」になっている。

 たしかにループといえるけど、実際にはループしているわけではない。新しい暗黒が生まれることは必然的になっているが、暗黒が生まれる過程はつど違う。勇者たちは、それまで倒してきた暗黒のことをちゃんと覚えているし、それまでがあるからこそ、新しい暗黒が生まれている。ループではなく、しっかり進んでいる。

 

 当時マンガワンで読んだときは、毎話コメントが寄せられて、それを読むのもたのしみだった。勇者たちの会話はSNSの縮図、というのがあり「なるほどな~」と思った。そのときわたしはTwitterなどをやっていなかったので、「なるほどな~」どまりだったんだけど、Twitter経験済みの今読み返すと、「なるほどな~」どころではない。三杯酢めちゃくちゃクソリプしてんじゃねーか……。試し読みの一話を読めばこのあたりの感覚はわかるであろう!

 

「勇者たち」のどこが好きかというと、正義と悪の関係性。悪を倒すために正義はあるけど、その正義って本当に正しいのか、ということを考えてしまう。悪があるから正義があるのか、正義があるから悪があるのか。人間同士が憎しみ合うのは、いつも悪が滅んだあと。悪が存在していれば、みんな悪のために心をひとつにするし、憎しみ合うことはない。「すべてを無に還すまで、暗黒の魂は不滅」と、暗黒が倒されるたびに言い残すのだけど、まさにこのとおりでだれかが必ず悪になってしまう。

 ゆめちゃんたちのパーティーは、一人ひとりいなくなっていく。最後に残されたゆめちゃんもついに暗黒になってしまい、新しい勇者が討伐、王都は勇者たちを褒めたたえ、平和になった世界を喜び、勇者は愛するひとと結ばれる。このとき、ゆめちゃんは人々にとって完全なる「悪」になっている。だれもその悪を疑わない。読者はずっとゆめちゃんを主人公として見ていたから、平和を喜ぶ王都の大衆のほうが悪に見える。だけど、その世界でそれを悪とするのは、悪になる。

 とんでもない話だ。こころのなかぐっちゃぐちゃになるこの作品が、たったの一巻で読めるよ。読んでほしい~~~!

 

「勇者たち」のなかで異質なのがウサ公の存在。一見勇者パーティーの一員にも見えるんだけど、ウサ公は一度も口を開かない。だれともかかわらない。ただずっとゆめちゃんの肩に乗っているだけ。ウサ公は読者そのもの、とかゆめちゃんの心情をあらわしているとか、そういう考察も多かった。わたしは浅野いにおさん自身なのかな…と思う。

 最後の場面、悪であるゆめちゃんを見世物にして自分たちの地の祝福を願う大衆に対して、ウサ公はすごく怒っているように見える。そのまま憎しみにつつまれて暗黒になっていくのだろうと思わせるラスト。だけどわたしはここのウサ公が、なにかを妬んでいるように見えた。

 ゆめちゃんを倒した「勇者」と身分違いながらも結ばれる町娘エマ、あまりにも茶番なこのふたりのための物語を、ウサ公はとても白けた目で見ている。綺麗な部分だけ見せる物語を、「うつくしい」となにも疑わずに絶賛する群衆を妬んでいるのかなあなんて。

おやすみプンプン」もそうだけど、生きているひとって、生きているあいだにそれぞれ苦しいことがあって、でも他人からはなんでもないように見えて、簡単に「才能がある」とか「すごい」とか「人生イージーそう」とか「しあわせそう」とか「よかったね」とか、最後の場面だけを見て決めつけられる/決めつけてしまうことがあると思う。そういうのってけっこう本人からしたらもやもやするというか、でもわざわざ抗議することでもないし、それが最後のウサ公の表情なのかなとか思ってみたり(と考えたときウサ公の表情見たらめちゃくちゃ闇深そう……)。

 

 悪は簡単にうみだされていくし、正義もしかり。だれから見ても間違いのない正しさのかたまりであったブラパンダも、正しさを貫いたゆえに悪をうみだしてしまった。そういうことだ。

 正義は必ずしも正義じゃないし、悪もしかり。でも、多くのひとにとってそこはたいした問題じゃない。たぶん一生、悪は滅びないだろう。人が人であるかぎり。

 

 これはすごく余談だけど、「うみべの女の子」にブラパンダのキーホルダー出てくるのうれしい。いやキーホルダーがブラパンダになったのか。ブラパンダ好きだったけっこう。野生にかえってしまったけど。うみべの女の子は映画観たい。

 

 あとこれも余談だけれども、わたしがいつまでも前髪ぱっつんにしたがるのは、間違いなくaiko浅野いにおの影響だ。本当に余談だった。