今日もめくるめかない日

光る小説(ムーンライト・シャドウ/吉本ばなな)

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 小説は、ときどき光る。まばゆく光るのではなくて、ぼんやり暗がりのなかできれいに光る。もちろんこれは比喩だけれど、でもそういう一冊が、本棚のなかにいくつかある。何度も読み返したくて、きっと簡単には手放せないものなのだろうなと思う。

 

 そんな本のうちの一冊が、吉本ばなな「キッチン」。有名ですね! はじめて刊行されたのは1989年……わたしが生まれた年だ。三つの作品が収録されている短編集(表題作である「キッチン」がデビュー作)。ちなみに下記のリンク先は新潮社で、通常の文庫の表紙だけれど、この記事の写真に使ったわたしが持っている文庫は福武文庫&2021年新潮文庫の100冊で買ったプレミアムカバーのものです(福武文庫、97年刷りだった…)。

www.shinchosha.co.jp

 収録されているのは「キッチン」、「満月 キッチン2」、「ムーンライト・シャドウ」。「キッチン」と「満月」は連作、「ムーンライト・シャドウ」は「キッチン」とは独立している短編だ。ただ、どれも共通していることがあり、それは大切な人との死別を経験したあとの話になっているということ。

  

 実は「キッチン」だけでなく、吉本ばななさんが書く作品の多くは、死や別れを扱っている。この世界にはそうしたものを扱う作品がそれはもうたくさんあり、それぞれの作品における最適解(必ずしも答えではなく)が書かれていると思う。どんな作品のどんな最適解が自分にぴたりとはまるのかは人によってもちろん違う。わたしの場合は、「キッチン」がずっと最適解だ。

 死や別れを扱っている……なんて暗いのでは? と思われそうだけれど、読んだあとにどよーんとした気持ちにはならない。ただ、「明日に向かって生きていこう!(キラキラ)」みたいな前向きすぎる答えがあるわけでもない(ときにはそういう前向きさも必だけれど)。

「キッチン」をはじめとして、わたしにとって吉本ばなな作品は、最初に書いた「ぼんやり暗がりのなかできれいに光る」ような、なにかに迷ったときや元気がなくなったとき、ちょっとした目印になることが多い。そしてそれは、とても「ちょうどいい」ものだ。

 

 今日ひさしぶりに読み返した「キッチン」、というのも収録されている「ムーンライト・シャドウ」が映画になるらしいじゃないか、観たい〜〜めちゃくちゃ観たい。の気持ちがふくらんだので、読み返したのである。「キッチン」、そして「満月」も、本当に本当にだいすきな作品なんだけれども、今回は「ムーンライト・シャドウ」について(映画のリンクは下記にて)。

moonlight-shadow-movie.com

 

 突然、恋人の等を事故で失ってしまった大学生のさつき、同じ事故で恋人のゆみこを失ってしまった等の弟の高校生の柊、そして謎の女性うららの三人がメインとなる短編。等、さつき、柊、ゆみこは四人でなかよく遊ぶことが多く、その事故はたまたま等がゆみこを車で家まで送っていた途中の出来事だった。

 恋人を失ってジョギングをはじめたさつき。ゆみこの形見であるセーラー服を着て学校に行く柊。二人はそれぞれの方法で悲しみを紛らわしている。

 うららとの出会いは唐突で不思議だ。さつきがジョギングの最中、等との待ち合わせにもよく使っていた川で熱いお茶を飲んでいると、うららに声をかけられる。面識のない女性に声をかけられびっくりしすぎて水筒を川に落としてしまい、後日うららが水筒を弁償する、という約束が取り交わされ二人は知り合いに。

 

 なんだかこう書くと、「なにその怪しい人……」感が出るかもしれないけれど、なぜか当たり前のようにうららの存在を受け入れられる、それが吉本ばななの真骨頂、わりと突飛なことが起こっても、不思議と「こういうことありそう」とすんなり思えるのだ。作品全体の雰囲気がそうさせるのかもしれない。

 大切な人を失った悲しみを互いに理解しながらも、たとえばさつきは柊とおいおい泣き合ったりはしない。どんなに悲しいことがあっても、その悲しみと共生していくのはただ自分だけしかできないのだということを、読んでいると思う。

 吉本ばなな作品はやさしげな作風のイメージもあるかもしれないけれど(実際文体はやさしく感じる)、すごく残酷でつらいことも書かれている。だからこそ、柊とさつきが互いを大切に思い、力になりたいと考えていることも伝わるし、自分以外のだれかに感じるいとおしさとか美しさが、たんなる綺麗事に見えないのだと思う。

 

 うららに誘われて朝五時に出かけた川で、さつきはある光景を目にする。百年に一度、いろんな条件が重なって見えるかもしれないといわれた光景。それは本当にかなしくて、つらくて、いとしくて、美しい。

 

「キッチン」に収録されている三作品に共通することがもうひとつある。それは、おいしいものを食べていること。「キッチン」ではラーメン、「満月」ではカツ丼、「ムーンライト・シャドウ」ではかきあげ丼。おいしいものを一緒に食べることで、気持ちがつながったり、すこし前向きになったりする。わたしたちが生活するうえで、すごく大切な行為だと思う。

 

ひとつのキャラバンが終わり、また次がはじまる。また会える人がいる。二度と会えない人もいる。いつの間にか去る人、すれ違うだけの人。私はあいさつを交わしながら、どんどん澄んでゆくような気がします。流れる川を見つめながら、生きねばなりません。

(「ムーンライト・シャドウ」より引用)

 

 

 とてもかなしいことがあったとき、再び歩き出すことはすごく難しいことだ。無理に歩き出す必要はないし、歩き出せるタイミングはきっと人それぞれだろうし、歩き出せない人だっていると思う。ただわたしはこの言葉を、ひとつの答えとしてずっと抱いてこれからも生活してゆきたいと思う。暗いところで迷ったときに、きっと光ってくれると思うから。