今日もめくるめかない日

無垢なる花たちのためのユートピア/川野芽生

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 今年はまだ三か月も残っていますが、読んだ瞬間に私の今年のベスト3に入った小説がありました。感想をうまく書けるか自信がなかったのでブログでは紹介してこなかったのですが、やっぱり多くの人に読んでほしいという気持ちが日に日に増していくので、書く!
 その名も川野芽生さんの「無垢なる花たちのためのユートピア」です!

無垢なる花たちのためのユートピア

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地上からはるか遠く離れたところにあるという楽園を目指し、天空を旅する一隻の船。
そこでは花の名前をつけられた少年たちが、導師と呼ばれる大人たちのもとで寮生活を送っていた。最も大切なのは心の純潔さであると教えられた少年たちの暮らしは慎ましく清らかで、船の中はこの世界のどこよりも楽園に近い場所と思われた。
ある日、白菫という少年が舷から墜落する。皆が不慮の事故としてその死を悼んだが、親友の矢車菊は白菫が落ちる直前の様子を知り、彼がみずから身を投げたのではないかと疑問を持つ。だが、希望に満ち溢れたこの美しい船に、いったいどんな不幸があるというのか――親友の死のほんとうの理由を探して、矢車菊は船内の暗い場所へと足を踏み入れる。幻想文学の新鋭による初の小説集。

 

 歌人でもある川野芽生さんの短編集。まずどこを読んでも言葉がうつくしすぎる。冒頭を引用しますと、

 真っ逆様に堕ちてゆくとき、天使はもっともうつくしく見えるのかもしれない。

 

 白菫がまだ生きていたころ、授業や食事や礼拝の時間も忘れてどこかで物思いに耽っているこの親友を探しに行くのは矢車菊の役目だった。ひとけのない聖堂でベンチに寝転がり、窓から差し込む光を見上げていることもあれば、だれもいない教室で机に腰掛け、足をぶらぶらさせながら窓の外を眺めていることもあり、廻廊の出窓の凹みに細い躰を収めて、窓硝子に頬を寄せていることもあった。
(川野芽生「無垢なる花たちのためのユートピア」/東京創元社 7頁)

 二段落目、この長さで二文しかない。一文が長いと読みづらさを感じることがあると思うのですが、全然そんなのない……。むしろするっと情景が浮かぶ。白菫(しろすみれ)と名付けられた少年が、うつくしい景色のなかで寝転んだり物老いに耽っている姿を思い描くことができます。私はもうこの冒頭を読んだだけで倒れそうになりました。うつくしい文章、大好きです。
 白菫、矢車菊(やぐるまぎく)など、「無垢なる花たちのためのユートピア」に出てくる少年たちには花の名前がつけられている。ほかにも銀盃花(ぎんぱいか)、蛇苺(へびいちご)、冬薔薇(ふゆそうび)、忍冬(すいかずら)……。どうですか? 私はここに書き写しただけで泣いてます。だってうつくしすぎるから……。


 しかしこの作品のよさは、「うつくしいだけではない」というところ。むしろ、うつくしい…とうっとりするための内容ではないのです。うっとしていると、こてんぱんにやられます。物語の構造にぶん殴られます。私は読んでいるときに、市川春子さんの「宝石の国」を思い出したりしていたのですが、人間にとってうつくしいものって、ただ「うつくしい」と思われるためだけに存在しているような気がする。それは身勝手につくりあげたうつくしさだから、その裏側にあるものや、存在までの過程や、「うつくしさ」そのものの考えなんかを突きつけられると、もうどうしていいかわからなくなる。ただ矢車菊や冬薔薇が苦しくないように願うしかできなくなってしまう……。

 

 親友である白菫が突然自死し、その理由をさぐっていく白菫。ある日「毒草」という名前が与えられた少年のもとへたどり着く。毒草は、もとから毒草という名前だったわけではなく、矢車菊たちのような花の名前がついていたが、あることによって名前を失ってしまった。純真で無垢な少年たちは、だれかを疑うことはしない。けれど矢車菊は、毒草と話しているうちに、やがてある事実に辿り着く。
 最後まで読んだとき、もう一度冒頭の一文を読み返すと、本当に苦しくなる。堕ちてゆく、と、もっともうつくしい天使。一見正反対に思える言葉で、たしかに正反対と思う感性は正しいのだと思う。だけど読み終わったあとは、この一文に矛盾などひとつもなく、まったくそのとおりだと思えてしまう。うつくしくなくていいから、ここにいてほしかった。切ないやらどうしようもないやら抱きしめたいやら、きっといろんな感情が渦巻くはずです!

 

人形街

 六篇の短編からなる「無垢なる花たちのためのユートピア」ですが、もう一篇、とくに好きだったのが「人形街」という作品です(六篇どれも本当によいです)。以下、「人形街」の冒頭。

 検疫隊が踏み込んだとき、街に生きた人間の気配はなく、死んだ人間の気配もなかった。物音一つしない大通りに、しかし数多の人影は溢れ返りつつ、微動だにしなかった。近付いてみて、街が死よりも静まり返っているわけを彼らは知った。人影と見えたものは命を持たない人形だった。
(川野芽生「無垢なる花たちのためのユートピア」/東京創元社 135頁)

「恐ろしいほど精巧」な人形たちがその街にはいた。市場で物を売り買いしていたり、父親の手を振り払って走り出すところだったり。人形の手にある林檎は腐りきっている。遺伝病により一斉に人間から人形になってしまった住人たちの成れの果てである。ただそのなかに一人だけ、生き残りの少女がいた。「ほとんど畏怖を抱」くような美貌を持つ少女は、隣市の司祭のもとへ預けられ……という話。
 容姿も心もうつくしい少女に司祭は惹かれてゆくが、狂気じみた考えに侵されていってしまう。少女はただ一人、人間として生き残ったから、悲劇のなかの幸いのことのように思う。けれど人間として生き残ってしまったから、傷いたりだれかを憎んだりしてしまう。そんな少女の心を「うつくしい」と言うのは簡単だけれど、そんな言葉で片づけていいことではないはずだ。

 どこに行けば人形になれるだろう。どうすれば心を持たないままでいられるだろう。怨むことも憎むことも知らずにいられるだろう。どうすればきれいなままでいられるだろう。どうすれば人間にならずにいられるだろう。
 泣いてはだめ。泣いたら人間になってしまう。動いたら人間になってしまう。見られるためだけの眼でものを見たら、朱いだけの唇で喋ったら、細いだけの足で歩いたら、からっぽなだけの心で考えたら、お人形には、二度と、戻れなくなってしまう。
(川野芽生「無垢なる花たちのためのユートピア」/東京創元社 150頁)

 泣きたくなる。

 幻想小説などお好きな方ならぜったいに好きだと思います! そしてうつくしさと表裏一体にあるきたなさ、ずるさ、そういったものが好きな方も…!(私は大好きです)

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