今日もめくるめかない日

午睡

 今日は夫の友人の結婚式に呼ばれていたため朝から外苑前へ。さすが青山は結婚式場の宝庫(?)、ひとめで結婚式にゆくのだなとわかる格好の人が多く、向かうところとは別の式場の人にさえ微笑みかけられるなど、どうぞ佳き日を迎えてくださいね、と言わんばかりの天気と空気だった。
 結婚式は幸福なもの、幸福でないといけないもの。穿っているわけではないし、祝福の気持ちをじゅうぶん持って参列しましたけれども、挙式での誓いの言葉などを聞いていると、愛は呪いでもあるとはよく言ったもので、神父に「あなたたちは二人の愛の誓いを今見届けましたね」なんて念押しされるように笑顔で言われてしまうと、ほんの少し、「お、重い」なんて思わないでもない。まあ形式あってのものだし、私が勝手に感じているだけのことだけど、愛を誓い合うというのはなかなかどうして、覚悟のいることよな。自分も結婚しているけれど、誓いますか、はい誓いますと宣言したときの心許なさは、だれでもあったりするんだろうか。それともなんの不安もなく誓えたりしているんだろうか。
 高瀬隼子さんの「末永い幸せ」を思い出しながら拍手を送るわたしは、結婚式に呼ばれていい人間ではない気がして、少しだけ申し訳ない気持ちになった。

 とはいえ披露宴は料理もおいしく、お酒も飲んで、各テーブルにインスタントカメラ写ルンです懐かしい!)が置いてあり、ご自由にお撮りくださいとのこと、なんかね、披露宴は挙式よりももっと気楽に楽しめるのでけっこう好きです。ただパフォーマンスとしての両親への手紙はどうしても苦手で(手紙を送ること自体は自由にやったらいいと思う、人前で読む必要ある?ってどうしても思う)、しかし今回は花束と一緒にメッセージカードを添えたのであとでお読みくださいというふうになっていて、そう、そうなのよこれがよかった! と思った。おめでとうございます。

 

 そういえば挙式で賛美歌をうたう場面があったのだけど(私はいつも歌うふりをしてしまう)、それが312番、もしや「君たちはどう生きるか」の132番って賛美歌からきてる…!?と思い132番をググってみるなどしたけれど、関連性はよくわからなかったし無数にある考察記事のどれにもそんなことは書いていなかった。わたしは考察下手マンです。

 

 家に帰ったらもう眠くて眠くて、シャワーを浴びてすぐ午睡。休日の午後ってどうしてあんなにきもちがいいのか。

 

 朝、会場に向かうまでの電車のなかと、帰ってきて微睡みながら眠りに落ちるまで、yoyoさんの日記本「今日は思い出す日」を読んでいた。自分とは違うだれかが自分とは違う一日をすごしていろいろなことを考えていることを、あらためて知る機会というのは案外少ない(とてもとても当たり前のことなのに)。「写真は星のひかりのようだ」という一文が好きで、今日私が思ったこと感じたことも数年後、数十年後にべつのひかりになって届いたりするのかなあとか、自分の日記なのだからなにを自由に書いたっていいのだよねという気持ちになった。

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