今日もめくるめかない日

生活はわりと大変

 はてなブログのトップページにある「きょうのはてなブログ」で紹介される記事を読むのが好き。とくに読まれても読まれなくてもいいというスタンスで書かれている記事が好きで、や、それは私が勝手に感じていることで本人的には「わたしの日記読んでくれや」という気持ちで書いているのかもしれないけれど、少なくとも読んでいる側にとって重荷にならないものが好き。今日は先日書いた「午睡」の記事も紹介してもらえていて、うれしかった。ここで紹介してもらえると、本当にいろんな人が読んでくれる。読んでくれた人のブログをみにいくと、「わ、わかる」と思うことを書いている記事も多くて、類は友を呼ぶじゃないけれど、なんの情報もない状態で読むまったく知らない人間のブログでも惹かれるものがある不思議。

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 最近ずっと呪術廻戦のオープニングをみている。え~~~~んかっこよ~~~続きはつねにみたいのに、これ以上続きをみたくないよ~~~~永遠に続く平和廻戦ください。

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  引きつづき岸政彦さんの「はじめての沖縄」を読んでいる。そのなかの、若いマリーンとの会話が印象深い。授業で生徒と沖縄に出かけたとき、女子学生がマリーンにナンパされ、教授の立場からそういうのはだめだと注意したら、マリーンたちがいいやつて、話が盛り上がったという場面。

 

 そのまま路上で、女子学生を放ったらかして、若いマリーンたちと喧嘩越しの議論になった。なんで先生たちは、俺たちの基地の存在に反対するの? 俺たちが沖縄を解放して、道路や橋を作ったんだぜ?

 おお、基地のなかでそういう教育を受けてるのか。あのな、俺たちが頼んで来てもらったわけじゃないんだよ。お前らが勝手に攻めてきて、人をたくさん殺して、占領して、そのまま居座ってるだけだろ。

 でもな、俺はお前らマリーンは、好きだよ。お前もどうせ、大学の学費や、自分の家族の健康保険のために、ここに来てるんだろ。俺は基地は反対だけど、お前らひとりひとりは好きだよ。

 

 大きいものを憎んで、そのなかのひとつひとつに目を向けられず、すべてを悪しきものにしてしまうことはよくある。この、ひとりひとりは好きだよと言える勇気と理知が欠けてしまっていると感じる。

 歴史を知るのはとても大事だけど、当時生きていた人、生きてきた人のことを考えられてやっと聡明といえるのだと思う。 

 

 夫は飲み会に出かけていったが、焼きそばを作ってくれていたので助かる。9月はまるまる有給とのことで、転職活動も行なっているけれど、つい家のことすべてお願いしてしまっている。もともとわたしのほうが杜撰でずぼらで家事への気配りが足りていないんだけど、「わたしは仕事に行っているのだから家のことをやらなくてもいい」という思考になってきていて、ちょっとよくないなと思う。でも家に帰ってからご飯を準備するのはほんとうに無理すぎる。かといって朝用意しておくほどの余裕はない。みんなどういうふうに生活しているんですか。

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 フェンスに植物が絡まっているのが好きだ。