今日もめくるめかない日

秋だった

 今日、目がさめたら秋だった。窓をあけたら少し素っ気ない肌寒い風、わけもなく切なくなる空気、紛うことなき秋だった。タイムラインをひらくといろんな人が秋についてつぶやいていて、各地で同じ季節を感じていることの不思議さ。

 

 昨日は夜に原稿の続きをやるぞと意気込んでいたけれど、結局夫と外に出て食事をした。行こうと思っていた店が満席で、ふらふらとさまよっていたら、なにやらおしゃれなピザ屋を発見、すこしお高めの値段設定でしたが入ってみたら、一見にもやさしく丁寧な接客をされるご夫婦が迎えてくれて、料理がすべておいしい。クラフトビールを赤ワインをいただいたあと、ピザやパスタが並ぶメニューのなかになぜかひとつだけある炒飯が気になって気になって注文した。卵と塩のシンプルな味付けで、お酒のしめにちょうどいい。とてもいいお店だったのでまた絶対来ようと夫と約束して帰った。

 

 というわけで昨日は結局一文字も書いていない(!)ので、今日は少しでも進めようとワードをひらき、なんとかかんとか10枚くらい書いて32枚になった。しかし相変わらず終わりがぼんやりしているので、とりあえず書いてるというかんじ。前提の基準とかいろいろな問題があるのでこれは無理だってわかってはいるけれど、自分が書いているもののおもしろさを数値化できれば楽なのになあとか考える。けっこうおもしろいかも、いやぜんぜんおもしろくない……いや意外とおもしろいかも、いやいやこれは……の繰り返しなので(きっとみんなそうなんだよね)、ばしっとねあなたの小説30点とかいわれればね、おもしろいのかわからないという不安からは解き放たれる気がする。でもおもしろさ30点といわれて、いや30点ならまだいい、0点とかいわれてしまったら立ち直れないのだし、結局数値化できないからこそ小説のおもしろさがあるわけなのだし、とか考えながら書いて結局詰まってひるねした(昨日もしてただろって思われるかもしれない)。

 しかしなんと夢のなかでもわたしは小説を書いていたようで、起きた瞬間、続きの文が浮かんで奇跡だった。なんか極めればみたい夢を操作できるって聞いたことあるけど、これができるなら怖いものなしなのでは……?でも夢でみることができるなら、すでに自分のなかで思い浮かんでいるということ?なんにせよ、書いて生むことは簡単ではない。

 

 去年ほどの熱はないけれど今年も大河ドラマをなんやかんやみている。信長・家康・秀吉の数奇な人生にはあらためて驚きますね。本当にこの三人実在したのよね……?それが信じられなくて、歴史の奥深さにいつも倒れそうになる。