今日もめくるめかない日

1/25 二次落ち

 6時45分起床(♪)

 

 野生時代新人賞に応募していたんですが、その二次選考が発表されていて、今年は一次まででした。今回はなんだか結果がふるわず、や、どこまで選考が通っても最終的に落ちればそれはやっぱり落選なのですが、ついどれくらいの選考に残ったかということを心の支えにしてしまう。だから選考にもれると自分に価値がないような、そんな気になってしまって、もっとシンプルに悔しい気持ちだけを持ちたい。そして価値がないと思ってしまうのは、小説のほかにとくに目指しているものがないからなので、傾倒しすぎもよくないとわかってはいるのだけれど、傾倒でもしないと書き続けられないよね実際。
 でも落ちてなにも思わないよりはなにかを思えるくらいのほうが、自分がそれだけ気持ちをこめて書いたんだなとあらためて実感できるので、そういうふうに書ける自分がいることをせめて誇りに持とう。とはいっても結果がほしいというのが正直なところではありますね……。

 

 このまえNANAの記事を書いたときに8巻と9巻を読み返したんですが、いま最初から読み返している。スーパーで幸子を偶然見かけてしまう場面が昔からつらくて……章司のアパートでごはんつくるのかな…って想像してしまうハチが切なくて…。

 

 昨夜「なれのはて」(加藤シゲアキ)を読み終わった。一枚の絵をめぐるミステリー。現代、1960年代、1940年代を行き来し、多くの登場人物が出てきます。絵に残されたイサムイノマタというサインしか手掛かりがない序盤からどんどん真相が解明されていき、突っかかりなく読んでいけます。

 仕事、芸術、そして戦争。たくさんの要素が詰め込まれているので、場面によってはもっと深く読みたかったなというところもあったんですが、秋田に爆撃があったこと(それも終戦一日前に!)を知らなかったので、その事実と時代背景を知れたのがよかった。戦争反対です、断固反対。

 正しさについて、だれかを突き刺す矛ではなく、だれかを守る盾でもあるというふうに書いてあったのですがそこが印象的。最近は正義を振りかざして攻撃するということが増え、腑に落ちない正しさにうんざりすることも多いのですが、正しさはもともと人を守るためのものであったよね。正しい正しさを持っていたいよね。

 小説現代に掲載されたものを読んだのですが、ほかにインタビューなども載っていてとてもよかった。戦争を書く/エンタメ化するということに対しての罪悪感や勇気、そういったものを乗り越えて「書きたい」と思ったものを書く、加藤シゲアキさんの覚悟がインタビューにはあらわれており、作家としての「なれのはて」という意味にもとれるのだなということを思った。