今日もめくるめかない日

サンゾウは私たちを裏切らない(世紀の善人/石田夏穂)

 たまに実家に帰って親戚の集まりなんかに出席すると、知らないじいさんに「子供いないの?子供はイイゾ~こさえろこさえろ」と大声で言われることがある。恥も外聞もなく堂々とした口調で言えるじいさんを前にして、怒りはわいてこない。むしろ安心するような、少し切ないような……。「ほ、ほんとうにこういうじいさんいるんだ!」という一種の感動、あれはそう、絶滅危惧種やレアポケモンに遭遇したときの気持ちだったんだなと、石田夏穂さんの「世紀の善人」を読んで思った。
 それにしてもなぜ親戚の集まりというのは必ず知らないじいさんがいるんだろう? そしてなぜ「子供はイイゾ」と言ってくるのは決まってじいさんなんだろう?

 

 今をときめくお仕事小説の書き手といえば石田夏穂さん、働いていると必ずと言っていいほど降りかかってくる理不尽を毎度ユニークにコミカルにアイロニカルにキレキレな文章で描いてくれます(それにしてもどうして理不尽が必ず起こるのだろう)。
 キレキレ具合にいつも笑いながら作品を読んでいるのですが、キレの限界値どこまでも突破しちゃった最新作「世紀の善人」、みなさまもう読みましたか、本当にいますぐ読んでほしいです!すばる1月号です!

subaru.shueisha.co.jp

yoi.shueisha.co.jp

 本当に声出してゲラゲラ笑える小説って実は少ない、文章で笑わせることのなんと難しいことか。しかし私は「世紀の善人」を読みながら本当にゲラゲラと笑っていた。とにかくひとつひとつの皮肉や比喩がおもしろすぎる、絶妙すぎる。

 サンゾウの音がする。サンゾウが近づいて来る。
「これ皆に配っといて」
 ドン。その出現に予兆はない。突然に「これ皆に配っといて」と来る点はラブストーリーと同じだ。安井のPCの脇に白い紙袋が置かれた。

 冒頭、ナチュラルに笑わせてくる。ラブストーリーは突然にじゃないんだよ。サンゾウがグループ会社からもらった「差し入れ」を安井の席に当たり前のように置いてくる場面からこの作品ははじまる。
「三國造船」という会社で働く女性社員の安井。彼女のまわりには時代遅れのパワハラモラハラ昭和生まれのおっさん社員たちが蔓延っている。安井は彼らをひとまとめに「サンゾウ」と呼び直視しないようにしながらなんとかやり過ごしていた。そんなとき、社員のケアという観点からサンゾウのチェックシートをつけろという仕事を与えられる……。
 チェックシートを使いながらサンゾウたちの性質を観察していくことで、サンゾウをバーチャルではなく実体として見られるようになっていくんだけど、そのおかげで怒りとは違う感情が生まれていくのがいい。


 サンゾウたちはマジでなにもしない。「差し入れ」をわけるのは安井の仕事(とサンゾウは当然のように思っている)。たとえば差し入れの中身がバウムクーヘンだったとき、安井は卒倒しそうになる(カットしなくてはいけない!)。カットしたバウムクーヘンをサンゾウたちに配っていると、サンゾウのひとりがバウムクーヘンを食べてむせる。

「このバウムクーヘンの切り方がいけないんだよ!」
 ムセゾウが八つ当たりすると、全サンゾウが安井を見た。
「何でこんな変な形になったの?」
 サンゾウは極めてデリケートな生き物だ。安井は怒ったり悲しんだりするより先に、自分にこう教えた。サンゾウはイチョウ切りにカットした食材で死にかけることがある。サンゾウはイチョウ切りにカットした食材で死にかけることがある。

 サンゾウはとても繊細な生き物、まるで赤ん坊なのだ!
 また、サンゾウは編集用ファイルをPDF化することができないので、なぜか作業を安井に頼む。

「おおい、皆!」
 上陸する島を見つけた船長のように叫ぶ。
「編集用ファイルのPDF化は、もうぜんぶ安井に回しちゃって!」
「おおおお!」
 パチパチ、パチパチ。安井は惨めなクリックを始めた。パチパチ、パチパチ。ああ、こちとらクッソ忙しいのに。サンゾウは編集用ファイルをPDF化すると死ぬ。サンゾウは編集用ファイルをPDF化すると死ぬ。

「おおおお!」じゃないんだよ。こいつら海賊なんかよりよっぽど厄介。でも笑ってしまう。安井がサンゾウの性質を知っていくたび、普段かかえているストレスが昇華されていく。


 あるとき安井は「同じ女性として」退職を考えている別部署の田中さんの相談に受けてくれないかとクミゾウ(組合リーダーのサンゾウ)に頼まれる。その田中さんが自分とはまったく違うアプローチの仕方でサンゾウに関わっていることを知り、むらむらしはじめる……。
 観察するだけでなくもっと直接的にサンゾウの生存に関与していきたいと考えるようになってからもキレキレ具合が爆発、最初から最後まで勢いがあって一ページたりとも飽きさせません。「世紀の善人」、今年のベスト3に突如食い込んできました。

 

 あとサンゾウたちにつけるあだ名が単純かつ絶妙でおもしろい。むせたら「ムセゾウ」、「ヒラ」のサンゾウは「ヒラゾウ」、専務は「センゾウ」、あくびをしたサンゾウは「ネムゾウ」、運動不足解消のためサッカーボールをもらい社内でシュートを決めたサンゾウは「イナゾウ」(社内でイナズマイレブンするな!)
 サンゾウはどこまでいってもサンゾウ、極限状態になってもサンゾウ、サンゾウは私たちを裏切らない。それは絶望でもあるし、はたまた希望なのかもしれない。

 現状すばるでしか読めないですがすぐ単行本化されるだろうし次の芥川賞候補になるでしょう!!(やや短いので単行本化にあたって願わくば書き下ろしとか…あればいい……)

 ぜひ芥川賞きてほしい!アクゾウ!!そしてたくさんの人に読んでほしい!もはや私はヨメゾウ!!!!

 

奇病庭園/川野芽生

 いまどんな本を読んでるの、と聞かれて「奇病庭園」とこたえると、たいてい相手は「?」という顔をする。「きびょうていえん」、音で聞くだけではなかなか変換しづらいのかもしれない。
 けれども奇病庭園、つい口にしたくなるタイトル。装丁もなにやら不穏。けれど読み終わったいまはそこに美しさも感じます。

books.bunshun.jp

奇病が流行った。ある者は角を失くし、ある者は翼を失くし、ある者は鉤爪を失くし、ある者は尾を失くし、ある者は鱗を失くし、ある者は毛皮を失くし、ある者は魂を失くした。
何千年の何千倍の時が経ち、突如として、失ったものを再び備える者たちが現れた。物語はそこから始まる——

妊婦に翼が生え、あちらこちらに赤子を産み落としていたその時代。森の木の上に産み落とされた赤子は、鉤爪を持つ者たちに助けられ、長じて〈天使総督〉となる。一方、池に落ちた赤子を助けたのは、「有角老女頭部」を抱えて文書館から逃げだした若い写字生だった。文字を読めぬ「文字無シ魚」として文書館に雇われ、腕の血管に金のペン先を突き刺しながら極秘文書を書き写していた写字生は、「有角老女頭部」に血のインクを飛ばしてしまったことから、老女の言葉を感じ取れるようになったのだ。写字生と老女は拾った赤子に金のペン先をくわえさせて養うが、それが「〈金のペン先〉連続殺人事件」の発端だった……

歌集『Lilith』、短篇集『無垢なる花たちのためのユートピア』、掌篇集『月面文字翻刻一例』の新鋭、初の幻想長編小説。

 

 角や翼、鉤爪などを失くすという奇病が大昔に流行り、失くした者同士で交配を繰り返し、角がない者からは角がない者が、翼のない者からは翼のない者、鉤爪のない者からは鉤爪のない者が生まれた。しかしあるとき失った角や翼、鉤爪を持つものが生まれ、奇病と恐れられるところから物語ははじまっていく。
 一部から四部まである長編小説、そのなかでもさらに「角に就いて」「翼に就いて」「蔓に就いて」「毛皮に就いて」「鰭に就いて」……など細かく章がわかれています。
 たとえば一部の一章目「角に就いて」。角を生やしたのはいずれも老人であり、私大のその重さに耐え切れられなくなる。嚔(くさめ=くしゃみ)をしたはずみでその頭部が外れてしまうが、その内側に結晶がびっしりついていたことからたいそう値打ちのあるものとされた。
 これがあらすじにもある「有角老女頭部」であり、ひとりの写字生がこれを持ち出し二人で旅をすることになる。
 とはいえこの二人がすべての章に登場するわけでなく、庭のいろんなところで奇病におかされる者たちのいきさつや事件、その後をひたすら描いている。
 連作短編なのかな、と最初は思っていたのですが、この作品は間違いなく長編小説。三部の「翼に就いてⅡ」から前半に出てきた謎が少しずつ解明されていきます。

 

 物事には裏と表があって、いや場合によっては二面以上の側面があり、「奇病庭園」はまさにひとつの物事をいろいろな面から描いている作品でした。
 魔物に拐かされて塔に閉じこもっている少女を助けに向かう少年、それに対してまったく助けられたいと思っていない少女。少女を助け出すのに〝ふさわしい”とされる二人目の少年。「物語」が創られてしまうグロテスクさ。
 しかしそんな物語から鳥のように抜け出していく者もおり、「脚に就いて」「声に就いて」がとくに好きでした。(あとフュルイも……)あ、あとはじまってしまうことを想像させる「繭に就いて」も、二度目はまったく別の読み口になる「蔓に就いて」も。は、きりがない。

 庭園とあるように、まったくべつべつの場所で起こっている出来事かと思いきや、それぞれどこかでつながっており、一度読んだあと、メモをしながら再読しました。そうすると、「あ、この少年ってこういうことだったのか」と、章ごとの解像度が上がり、さらに言うと二回読んだだけでは読み逃していることがかなりあると思うので、何回でも読める作品になっています。

それぞれの章に出てきた名前や出来事をまとめながら読んだ。最初の文字大きく書きすぎてあとがしんどかった

 一部から二部にかけて多くの者たちが出てくるのですが、どうやって回収していくのだろうと思っていたら、本当にぜんぶ綺麗に回収していて、読み返すのがとても楽しいです。
 そして終わり方がすばらしく、すべてのはじまりのようにもとれるし、終わったあとのはじまりのようにもとれて、いろいろなことを考えられる、とにかく奥行きのある作品になっていました。

 幻想作品でありますが、奇病は現代にも通じるものとしてあり、奇病を忌み嫌う風潮は悲しくもまだなくなっていない。「始まらないのが一番ではあったにせよ。」、序文のさいごにあるこの一文を、ずっと頭に置いています。

 はじまりの序文から引き込まれるのはたしか、そして読んでいくうちに庭園にいるのもたしかです。



グッドガールを応援したい/自由研究シリーズが最高のミステリ小説だった

 普段海外の小説はあまり手に取ることがないのですが、今回夢中になって読んだ作品がありました。話題作なのでご存じの方も多いと思いますが、そうです「自由研究シリーズ」です!

f:id:mrsk_ntk:20230827103429j:image

 そもそもミステリ小説すら全然読まない私ですが、このシリーズはほんと、もう、めちゃくちゃおもしろくて、三部作でどれもなかなかの厚みなんですが、とにかく一気読み。すぐ読んでしまいました。続きが気になって気になってしょうがない。あと登場人物がとにかく魅力的。

一作目:自由研究には向かない殺人

www.tsogen.co.jp


高校生のピップは自由研究で、自分の住む町で起きた17歳の少女の失踪事件を調べている。交際相手の少年が彼女を殺して、自殺したとされていた。その少年と親しかったピップは、彼が犯人だとは信じられず、無実を証明するために、自由研究を口実に関係者にインタビューする。だが、身近な人物が容疑者に浮かんできて……。ひたむきな主人公の姿が胸を打つ、傑作謎解きミステリ!解説=若林踏

 ミステリ小説の感想って、なかなか難しいですね、どこまで書いていいのやらなのですが、この主人公ピップをとにかく応援したくなる! だいたい自由研究のテーマで過去起きた事件の真相を解明するというこの設定が好きで……。ミステリ詳しくないですけど、たぶんこんな設定ないですよね?(高校生が事件を解決するというのはすごくありそう)
 ピップはあくまで高校生で、すごくしっかりした性格ではあるのですが、やっぱり子どもなので、警察のような本格的な捜査はもちろんできません。ただ、ピップだからこそできる(関係者へのインタビュー、SNSを駆使した捜査、無謀な家宅侵入!などなど)、型にとらわれない彼女だからこそ見える道筋があり、徐々に真実に近づいていく緊張感とスリルがたまらない。
 ピップは正義感がありまっすぐ、でもちょっと天然という本当に本当に愛すべき主人公。少し向こう見ずなところもありますが、そんなときは頼れる相棒がうまく舵を切ってくれたりなどする(相棒ラヴィとの掛け合いも本当にたまらないのよ~~~~)。
 そしてこれはシリーズ通してそうなのですが、インタビュー形式の掛け合いが何ページもあったり、SNSでのメッセージのやりとりの図版を見開きまるごとで使っていたり、現場の写真が載っていたり、証拠であるノートのメモが載っていたりと、図版などが多いので、分厚いなと思っても、実は文字数的にはウッ…となるような作品ではないのです。読みやすく内容を追いやすい工夫がそこかしこにあるので、あんまり長いのはちょっと…と言う方もぜひトライしてみてね。

片手で持つとけっこう重い
二作目:優等生は探偵に向かない

www.tsogen.co.jp


高校生のピップは、友人から失踪した兄ジェイミーの行方を探してくれと依頼され、ポッドキャストで調査の進捗を配信し、リスナーから手がかりを集めることに。関係者へのインタビューやSNSも調べ、少しずつ明らかになっていく、失踪までのジェイミーの行動。やがてピップの類(たぐ)い稀(まれ)な推理が、恐るべき真相を暴きだす。『自由研究には向かない殺人』に続く傑作謎解きミステリ! 解説=阿津川辰海

「自由研究には向かない殺人」で見事事件を解決したピップは有名人(事件の概要やインタビュー音声をポッドキャストで公開しているので、フォロワーが多いのです)。そんなピップを頼って、友人が自分の兄をさがしてほしいと依頼をしてくるのですが、ここで私はさらにピップを好きになります。
 第一部で危険な目にあい、実際に身近な存在を危険な目にさらしてしまったピップは、ちゃんと自分が無力な子どもであることを承知しています。向こう見ずな性格は少し冷静になっており、理論的に自分ができることを考える。
 なんかひとつ事件を解決したら、自分は名探偵だ!みたいな気になって次々依頼をこなしていく……というのもまあエンタメですしおもしろくはあるんですが、このシリーズは全体的にピップの心情をとてつもなく丁寧に描いています。犯人探しや暗号の解明など、もちろん従来のミステリ要素はあるんですが、ピップの友人たち、被害者の家族、そして容疑者/犯人の家族に対してどこまでも真摯に向き合おうとする作風で、私はそこがとても信頼できるなと思いました。
 そしてその信頼がなければ、衝撃の三作目を真っ向から読めなかったように思います。なので、これから読もうと思っている方、できれば!できれば第一作目から読んでみてください!!!!!!!!

三作目:卒業生には向かない真実

www.tsogen.co.jp


大学入学直前のピップに、ストーカーの仕業と思われる出来事が起きていた。無言電話に匿名のメール。敷地内に置かれた、首を切られたハト……。それらの行為が、6年前の連続殺人の被害者に起きたことと似ていると気づいたピップは、調査に乗りだす。──この真実を、誰が予想できただろう? 『自由研究には向かない殺人』から始まる、ミステリ史上最も衝撃的な三部作完結編! 解説=吉野仁

 この三作目に対して、感想を言うのはあまりにも難しすぎます(読んだ人ならこの気持ちがわかるはず……!)え、ていうかこういう展開ミステリ界ではけっこうあるんですか? 私はめちゃくちゃびっくりしました。「ミステリ史上最も衝撃的な」って本当に納得してます。
 正しいか正しくないか、ということや善悪の見極め、とても繊細で本人でしか答えが出ない「真実」が「卒業生には向かない真実」に描かれています。「自由研究には向かない殺人」「優等生は探偵に向かない」を読んでピップを応援してきたからこそ、「卒業生には向かない真実」の展開に対して真剣に考えることができました。
 解説にもあるんですが、賛否両論起こる展開。賛に手を挙げるのも、否に手を挙げるのも、どちらにしても覚悟と勇気がいります。でも私はピップの選択を応援したい。うん。応援したいと思います。最後のページ(これももう本当に!!!!!!!な終わり方なんですよ)を読んだときの気持ちは、いろんなことをすっ飛ばして、ピップのための心を持てたので。
 そして第一部で出てきた情報がまさかこの三部作目につながっているなんて!!!??? 思いもしないよね~~~いったいどこからどこまで構想を練っていたのだろう……。そして原題が「As Good As Dead」(死んだも同然)うおおおおおおおおお~~~~~い!このタイトルのやばさは読めばわかるんですよ……。一作目、二作目の原題には「Good Girl」がついているんですけど、三作目にも「Good」が入るの天才すぎない?どういうこと?すごくない?


 第一部は全体的にわくわくとした気持ちで読めるのですが、それはピップが取りかかる事件が過去のものだから(もちろん事件そのものは風化させてはいけないものですけど)。ただ、二作目、三作目はリアルタイムで事件が起こっていくので、一作目に比べて緊張感がすごいです。とくに三作目、私の心臓ほんとうにずっとばくばく鳴っていました。
 時期的にも夏休みなのでみなさまぜひ~~~~(もう少しで終わる方もいると思いますが…もっと早く感想書けばよかった)

歩きスマホとそれをよけてあげる人(いい子のあくび/高瀬隼子)

「心」は物体ではないけれど、たしかにかたちがあると思う。それも決まったかたちじゃなくて、接する人によって変わる。それはつまり社会で生きていくための処世術なんだけど、あれ、じゃあ「本当の私」ってなんでしたっけ……? とかときどきふと考えちゃう人、きたよきたよ。違和感を惜しみなく描いてくれた高瀬隼子さんの「いい子のあくび」がきたよ。

 

www.shueisha.co.jp

芥川賞受賞第一作。
公私共にわたしは「いい子」。人よりもすこし先に気づくタイプ。わざとやってるんじゃなくて、いいことも、にこにこしちゃうのも、しちゃうから、しちゃうだけ。でも、歩きスマホをしてぶつかってくる人をよけてあげ続けるのは、なぜいつもわたしだけ?「割りに合わなさ」を訴える女性を描いた表題作(「いい子のあくび」)。

郷里の友人が結婚することになったので式に出て欲しいという。祝福したい気持ちは本当だけど、わたしは結婚式が嫌いだ。バージンロードを父親の腕に手を添えて歩き、その先に待つ新郎に引き渡される新婦の姿を見て「物」みたいだと思ったから。「じんしんばいばい」と感じたから。友人には欠席の真意を伝えられずにいて……結婚の形式、幸せとは何かを問う(「末永い幸せ」)ほか、社会に適応しつつも、常に違和感を抱えて生きる人たちへ贈る全3話。

 

 スマホを操作しながら自転車に乗ってくる男子中学生が前方からやってくる。語り手の直子はそれをみて「ぶつかったる」と思う。そして実際に避けずにぶつかる。中学生は体勢を崩してよろける。そこに車がやってきて中学生が軽く轢かれる。
 このような冒頭ではじまるんですが、悪いのは車で中学生を轢いたおばさん? ながら運転をしていた中学生? それともながら運転をしているとわかっていながらよけなかった直子? といきなりもや~っとする疑問を躊躇なくぶち込んでくる「いい子のあくび」は、いろんなことが「割に合わない」と思っている人にとことん刺さる作品です。

 歩きスマホをしている人はぶつかる相手を選んでいる。一瞬だけ顔を上げて、ぶつかってもいいと思う相手ならそのまま歩く。そんな人たちをよけて「あげる」直子。割に合わない。だから「よけない」ことにした直子だけど、よけないことで起こるさまざまな悪意、現象があまりに理不尽すぎて、ぞわっとしました。
 普段口には出さないこと、あえて言語化してこなかったこと、でも確実に自分のなかに積もっていた違和感や不満を高瀬隼子さんはおそろしく見事に描いています。

 

「うそ、当たった?」
 と中学生を指さしながらわたしの方を向いて聞いてきたので、頷く。うそもなにも、ぶつかったのが分からないはずもないのに、目を丸くしている。
(中略)
「止まる直前で、ちょん、て感じでしたけど、ちょっとだけ当たってました」
 うそ、とおばさんが繰り返す。うそ、って言うのがきっと口癖なんだろう。全然うそじゃないことが分かっているのに反射的に「うそ」って言う人。うそじゃないよ、と周りの人たちが言ってあげてきた人。

 仕事とかで、なにか間違いを指摘したとき「うそ」とか「ほんとですか」って言われることがよくあるんですけど、そのたびに「うそじゃないよ」「ほんとだよ」って言っちゃって、なんかそんな些細な会話のやりとりにいちいちイラついたりはしないんですけど、でも毎回うそじゃないよって言うのって案外ストレスがたまって、結局イラついてるんだ、ってこの一節を読んだとき思いました。流せばいいんだとも思うんですけど、うそじゃないよって、なんでわざわざ言っちゃうんだろうね。わたしだけじゃなかったんだって思えることに少しだけ気持ちが軽くなる、少し軽くしてもらえている。

 

 友人の望海、圭さん、恋人の大地。直子は昔から「いい子」と言われてきている。それはなにかに気づくのが人より少し早いから(会社の切れていた茶葉にいち早く気づき購入したり)、それから相手に合わせて相手が望む態度をとれるから。
 大学時代からの友人である望海の前ではおもしろおかしくだれかの悪口を言ったり結婚式って意味わからないと吐き捨てて笑いをとる一方、圭さんの前では結婚式にあこがれる発言をしたり、悪口など絶対に言わない。どちらが本当で嘘か、とかではなく、すべて自分の気持ちであるはずなのに、自分の原型がわからなくなる。

 

 心は、どうしてこんなにばらばらなんだろう。ばらばらで、全部が全部本当であるために、引き裂かれるというよりは、元々ばらばらだったものを集めてきて、心のかたちに並べたみたいだった。

 

 大地の家族と会った日にかぶっていた猫は、着ぐるみどころじゃない。この世に存在するありとあらゆる愛らしい猫ちゃんの皮をはいできて継ぎ足して、それでも足りない部分はキティちゃんやおしゃれキャットマリーちゃんで補強して作った、最強猫ちゃんで、そこにはわたしの要素はひとつもなかった。ついでに言うと着ぐるみの方はいつもかぶってる。大地の前でもかぶってるし、会社でもかぶってるし、家族の前でもかぶってるし、なんなら一人の時だってかぶってる。元の顔なんて、着ぐるみの中で蒸れて擦れて潰れて変色もしちゃって、原型がない。

「一人の時だってかぶってる」という言葉に泣きそうになった。そうなんだよ、だれがみているわけでもないのに、なんで一人の時でも「かぶってる」と感じるんだろう。原型ってなんだっけ、「わたし」ってなんだっけ、小さいころから何度も浮かんでは答えが一生出ない自問自答の闇にはまるんですけど、猫かぶって前方からの人を「よける」直子がとった行動が、「ぶつかったる」なんですよ。
 この「ぶつかったる」は割に合わないこと、理不尽なことに抵抗できる行為で、わたしだってよけないでいられるなら立ち止まってぶつかってやりたい。それでスマホをみながら歩いていたおまえが悪いって糾弾したい。でも実際は、よけなかったほうが悪い、という雰囲気になる。あまりにも割に合わない。

 

 割に合わないことが本当に多すぎる。スペースの狭い「くだり」の階段をわざわざのぼってくる人を正しくくだっている私がよける。満員電車の出入り口に立って頑なに動かない人のために乗降が滞る。いったんホームに出たら並んでいる人がドアのぎりぎりに立っているから最後尾になりナチュラルに抜かされる。頑なにホームに降りなかった人が悠々と開いた席に座ってる。スマホをみながらのろのろ歩いている人の足を踏んでしまって舌打ちをされる。そういうやつら全員にぶつかってやりたいし、前見て歩けと怒鳴りたいし道をあけろと説教したい。
 でもそれができずにあくびをかみ殺しているので、スマホ歩きをしている人は全員この作品を読んでください。歩きスマホをやめよう!なんてポスターを張っても歩きスマホをしている人の目には入らないし、あのポスターで歩きスマホをやめる人が何人いるのだろう。もうぜんぶ「いい子のあくび」の広告を全面にはるかむしろいっそ駅構内でくばってください。きっと歩きスマホ人口減ります。よける人がいればそのぶんよけない人がいる。割を合わせていこうよ。

 

 東京では、駅に近づけば近づくほど人が人に憎しみを持ち、怪我をさせても不快にさせてもいい、むしろそうしたい、と思うようになる不思議がある。同じ人混みでも、混雑した店の中や祭り会場とは違う。駅の人混みだけが、人の悪意を表出させる。

 あまりに真理で、私はもう、「いい子」でいたくありません。でもまた月曜日がきて、駅に行って、だれかとぶつかる前によけてしまうんだと思います。せめてひとりでも、お互いによけてくれる人と会えますように。

 

源氏物語を読んでる(須磨~澪標)

 引き続き源氏物語を読んでいます! 七月になってもまだ上巻を読み終わっていないのですが本当に今年中に読み終わるのでしょうか。

 

須磨

f:id:mrsk_ntk:20230710213607j:image

 官爵をはく奪され、光源氏須磨へ。かつて自分が「このようなわびしい家に住んでいるのはどんな人だろう」などと好き勝手言っていたようなわびしい場所へ行かされる皮肉。でもせっせと愛しい女たちに手紙を送るし、なんだかんだでだれかが訪ねてきてるし、最初はちょっとかわいそうだなーって思ってたけど、絶望的な感じでもない。自分がいないことをさびしがってくれる人がいるだけで…。頭中将も来てくれたし!

 

 

明石

f:id:mrsk_ntk:20230710213620j:image

 また不憫な人出てきちゃった。その名も明石。うわさ話が出たときから思ってたけど父親が厄介すぎる。めっちゃお節介!どうしても娘を高貴なお方に嫁がせたいと願っている父(なんと十六年も祈っている…)、光源氏も最初は紫の女君がいるしよくないよな浮気は…などと思うけれど、父の説得によりあっさり会うことを承諾(そういうとこ!!)

 光源氏が明石と手紙のやりとりなどしているとき朝廷は不穏な空気。朱雀帝と弘徽殿大后が病に。弘徽殿大后、心配! 私は芯が通っている人が好きなので、最初から今までずっと性格の悪い弘徽殿大后がいちばん好きです。

 手紙のやりとりだけしていると思ったら証はいつのまにか懐妊してた。源氏物語、けっこう「い、いつのまに!?」みたいな展開が多く、いや、自然な流れとしているのかもしれないけど、ときどき展開はえ~~~~~ってなります。

 

澪標

f:id:mrsk_ntk:20230710213643j:image

 光源氏が帰京。朱雀帝はけっこういいやつです。朧月夜おまえまだ光源氏を引きずってるのか~~~~と思ったら光源氏もまだ朧月夜のこと思い出してるのか~~~~~~~~ていうか忍び歩きはやめましたし…みたいな空気出してるけどナチュラルに女に会いに行ってる~~~~~~なんか光源氏に対してだらしないという印象しかなかったんですが、ここまできたらもうあっぱれというか、もう逆にほとんどの女のことを忘れてないのだからいっそ一途なのか…?となる。でも葵の上のことぜんぜん思い出さないよね……。死してなお不憫だよ……。

 明石に送った「みをつくし恋ふるしるしにここまでもめぐり逢ひけるえには深しな」という歌がとてもよかったな~~。和歌ってすごく韻を踏んでるじゃないですか、「身を尽くし」と「澪標」で踏んでいるのとっても洒落てるな~~と思いました。

 久しぶりの六条御息所の登場。なんか最後まで報われない人だった。ひとりぼっちになってしまう娘を光源氏に頼みつつ「恋人の扱いはするな、ろくなことにならない」と釘をさすんですが、それがわかってるなら光源氏に頼んじゃだめだ…。

 でも誘惑に負けそうになるたび御息所の言葉を思い出したり紫の女君のことを考えたり、ちょっとずつ成長(?)しているのかもしれない。がんばれ光源氏!!!負けるな光源氏!!!

 

mrsk-ntk.hatenablog.com

 

今まで書いた本の感想まとめ(2021)

夏ですね



 このブログをはじめて二年も経ちました。投稿数90、飽きっぽい私にしてはかなり続いているほうです。そしてありがたいことに読者の方もなんと99人・・・!(すごい!ありがとうございます!!)

 一度書いたら年に一度軽くまとめるくらいで昔の記事はもうほとんど埋もれてゆくだけなので、いままで書いた本の感想をここで少しまとめてみることにしました。今年書いたものは最近上半期でまとめたのでそれ以前のものにします(本当は2022年までまとめようと思ったのですが意外と数があったので2021年に書いたものにしました)。

 2022年のものはまたいつか…。

 

 振り返ってみると稚拙な文章だらけで恥ずかしいものがほとんどなんですけど、だいぶ熱を入れて書いた記事もいくつかあるので、まただれかの目にとまると(あわよくば購入につながると)いいな~と思います。

 

 

mrsk-ntk.hatenablog.com

 このブログをはじめる前に書いたものなので、記事は2021年4月に投稿されているけどそれよりさらに前に書いたものだと思います。川上未映子さん好きはたびたび言ってきたけれど「ヘヴン」はとくに大好きです。

 

mrsk-ntk.hatenablog.com

 これもだいぶ前に書いた感想だと思います。柚木麻子さんの作品も大好きで、「ナイルパーチの女子会」はとくに印象深い、しばらく抉られた場所がずきずき痛みました。

 

mrsk-ntk.hatenablog.com

 不思議・不穏・ぞくり・少しおだやかな短編集。表題作「レースの村」が大好きで買ったのですが(初読は「ことばと」)、ホラーみ満載の「幽霊番」もかなり好みでした(ホラー基本むりなんですが!文章だと案外いけるのかな…!?)

 

mrsk-ntk.hatenablog.com

 文藝で読みました。単行本にはなっていないみたい……すごく文体が好みで、話も好きだったのですがあまり名前をお見掛けしない作家さんなので、次回作をめっちゃ待ち望んでいます。

 

mrsk-ntk.hatenablog.com

 晴彦~~~~~!!!!自分のなかではめちゃくちゃ感想を言語化できたと思っていたのですが、後半「うお~~~~~」みたいなことしか言ってないですね……。

 

mrsk-ntk.hatenablog.com

 主に九段理江さんの「悪い音楽」羽田圭介さんの「Phantom」について書いてます。「悪い音楽」は文學界受賞作、九段理江さんは「schoolgirl」、そして「しをかくうま」も読みましたが、ふり幅がめちゃくちゃ広くてすごいなと思います。「しをかくうま」は馬に夢中(という言葉では足りないくらい馬のことしか考えてない)な男の話なのですが、変な人しか出てこなくてなに言ってるのかよくわからない場面もあるのに、なんというかすごく読ませる文章でした。「Phantom」はお金と幻の話。テーマ的には重いのに爽やかに恋人を怪しい団体から救おうとする活劇が爽快でした。

 

mrsk-ntk.hatenablog.com

 クララのことを思い出すとき、太陽のもとへ進む場面と最後の場面なのですが、どちらもくるしくなります。でも私がくるしくなったってしかたがないよね。クララ、うまれてきてくれてありがとう……とこれからずっと思います。

 

mrsk-ntk.hatenablog.com

 美し短文集。とくにわたしは「ペリカン」が!「ペリカン」が好きです。熱い昼下がりに悪夢を見てしまったような不気味な雰囲気、そこにペリカンを選んだのは天才だと思いました。

 

mrsk-ntk.hatenablog.com

 私は吉本ばななさんが好き、とくに!「キッチン」、いやキッチン以上に「ムーンライト・シャドウ」がたまらなく好き、生きているかぎりは生きていきます。

 

mrsk-ntk.hatenablog.com

 アンソロジー好き!!!アンソロジー好き!!!!!!!!つねに求めてる!今後読みたい→「ディストピアアンソロジー」「植物(×人間)アンソロジー」「廃墟アンソロジー」!!

 

mrsk-ntk.hatenablog.com

 おねがい!!!!!!読んで!!!!感想というか作品を!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

mrsk-ntk.hatenablog.com

 めっちゃ好きすぎて、たしか8000字くらい感想書いちゃった(長いよ…)

 

mrsk-ntk.hatenablog.com

 出産にかんしてとくにいろいろ考えるようになったのは間違いなく「夏物語」がきっかけです。たぶん一生答えは出ないんですけど、今のところまだ私には「うむ」覚悟は足りてないです(このまま決まらず一生が終わる気がしてきました)。

 

mrsk-ntk.hatenablog.com

 この世界はバグだらけなんです!!!!そしてそんなバグを修復するのが「世界医」なんです!!!!!カッケェ~~~~~~~!!!!!

 

 

 冒頭にも書きましたが2022年も入れるとけっこう長くなりそうなのでそれはまた今度(需要があれば)まとめます。

 

読んだ本(2023年上半期)

 

これはすこし前の本棚



ついに2023年も折り返し(早いねえ)、みなさまいかがおすごしですか。
世界がようやく夏の様相を呈してきました。好きな季節です。

4月に一度読んだ本でよかったものをまとめたけれど、やっぱりこの時期にもまとめたい!ということで、だいたい同じ本の紹介になりますが、上半期のベストもまとめます。読んだ順です。

mrsk-ntk.hatenablog.com


月面文字翻刻一例/川野芽生



www.kankanbou.com

誰もが探していたのに見つからなかったお話たちが、
こうして本に育っていたのをみつけたのは、あなた。
────────円城塔

 第65回現代歌人協会賞を受賞した歌集『Lilith』など、
そのみずみずしい才能でいま最も注目される歌人・作家、川野芽生。
『無垢なる花たちのためのユートピア』以前の初期作品を中心に、
「ねむらない樹」川野芽生特集で話題となった「蟲科病院」、
書き下ろしの「天屍節」など全51編を収録した待望の初掌編集。

昨年川野芽生さんの「無垢なる花たちのためのユートピア」を読みその世界観に見事撃ち抜かれたわけですが、本作を読んでいる時間の多幸感といったら。掌編集というのがまたよいですね。表題作「月面文字翻刻一例」(このタイトルからして最高じゃないですか?)の冒頭、こんな一節からはじまります。

月の面に文様を彫る仕事をしている。(中略)
楽な仕事ではない。世のはじめから受け継がれた同じ文様を、線の一本も違えずに彫らなければならないのだから。

たまらないですね。
「月面文字翻刻一例」、「廃世」、「やわらかい兄」、「本盗人」、「薔薇の治世とその再来」、「抽斗」、「夏より夏」あたりがとても好きでした。うつくしく退廃したイメージ、BGMはドビュッシーの「月の光」でした。幻想小説は作品によって合う合わないが顕著に出ると思うのですが、川野芽生さんの描く幻想はとても肌に合う感じで大好きです。

 

君のクイズ/小川哲

publications.asahi.com

生放送のTV番組『Q-1グランプリ』決勝戦に出場したクイズプレーヤーの三島玲央は、対戦相手・本庄絆が、まだ一文字も問題が読まれぬうちに回答し正解し、優勝を果たすという不可解な事態をいぶかしむ。いったい彼はなぜ、正答できたのか? 真相を解明しようと彼について調べ、決勝戦を1問ずつ振り返る三島はやがて、自らの記憶も掘り起こしていくことになり――。
読めば、クイズプレーヤーの思考と世界がまるごと体験できる。人生のある瞬間が鮮やかによみがえる。そして読後、あなたの「知る」は更新される! 
「不可能犯罪」を解く一気読み必至の卓抜したミステリーにして、エモーショナルなのに知的興奮に満ちた超エンターテインメント!

本屋大賞にもノミネートされた小川哲さんの「君のクイズ」。あるクイズ番組の決勝戦、相手の本庄絆が問題を一文字も聞かずに回答、正解し優勝するという「なんで!!?????」な展開からはじまるエンタメミステリ現代ドラマいろいろ詰め込まれた「おもしろい小説」。
問題文を聞かずに正解をするなんて八百長にもほどがある、しかしでもそんなわかりやすい八百長があるか? 荒唐無稽な冒頭からどんな着地になっていくのかと読み進めていくうちに真実が解き明かされていき、ラストは「やられた!」という爽快感。そして真実に至るまでの過程も飽きさせない。クイズプレーヤーとして生きてきた主人公三島の人生、そして私たちの人生も、クイズと大きくかかわっているのである……!!


黄色い家/川上未映子

www.chuko.co.jp

十七歳の夏、「黄色い家」に集った少女たちの危険な共同生活は、ある女性の死をきっかけに瓦解し……。人はなぜ罪を犯すのか。世界が注目する作家が初めて挑む、圧巻のクライム・サスペンス。

600頁の大長編ですがページをめくる手が止まらず一気読み。60歳の吉川黄美子が若い女性を監禁していたというネットニュースを目にした花、黄美子という名前に強い心当たりがあった花は動揺しながらも、自分が黄美子と暮らし生きていた20年前のことを思い出していく。
母とふたり貧しい暮らしをしてきた花、そこへとつぜん母の知り合いだという黄美子さんがやってくる。紆余曲折ありながらも花は家を出て黄美子さんとスナック「れもん」をはじめて共同生活を送るようになる。
花、黄美子さん、それから花と同年代でやっぱり孤独をかかえる蘭と桃子の三人の少女たちの同居生活は、奇妙でもあるけれどときにまぶしくて、そのままみんな生きているという感じで、川上未映子さんの小説を読むといつも思うのですが、本当に目の前に彼女たちがいる、と思わされます。
お金がないというシンプルな理由から少しずつ犯罪に手を染めていく様や花がおかしくなっていくところは、怖いし悲しいしでどうしようもないんだけど、こうするしかないよな、こうなるしかないよなと腑に落ちてしまう。ひとつひとつの夏の景色とか夕方のきれいさが彼女らの青春の一部で、一方で金の価値の生々しさもあぶり出されています。
金だけど金じゃない、金の奥にあるもの、物体としての札束、金についての描写がいくつも出てきますが、それはやっぱり金で、生きるのに絶対必要で、それでも金がなくても花は誰かと一緒にいたかったのだろうし、黄美子も同じだったのかもしれない。過去を正しく思い出した花が最後にとった行動は私にとってよいものでした。

 

ディスタンス/湯浅真尋

gunzou.kodansha.co.jp

群像2月号で読みました。
ウイルスのストレスにより家から出られなくなった主人公に届く隣人からの奇妙な手紙。そこには「佐伯律子の背なかを蹴り飛ばし、階段から転げ落ちていく様を見届ける」ことが願いだと書かれています。
主人公にとって佐伯律子なんて知らぬ存在で、それどころか隣人の顔も名前も知らない。だけど隣人とのシンパシーを感じていて、それは互いの引きこもりにいたる理由などが似通っているから。
文通形式(それが一方的に送られるものでも)の作品好きなので楽しめました。話が進んでいくうちに自分という存在が曖昧になっていき、隣人と自分が重なるどころか隣人が自分になっていくという不可解な心理も気づけば納得させらます。きもちわるさや、作中出てきた「嫌な感じ」がずっと漂っていて、読み終わったときは主人公と一緒に疲労を感じていたんですけど、この空気感がずっと漂っているのはすごいなあと思います。


うるさいこの音の全部/高瀬隼子

www.bunshun.co.jp

文学界2月号で読みました。
いやこれは!!!!ほんとうに!!!!名作ですよみなさん!!!!!
読み終わったとき、いや読んでいるときからずっと「うわ~~~~~~!!!!」って叫びたくてしょうがなかった。
受賞して小説家になった長井朝陽。小説を書きながらゲームセンターでも働いているのだけど、「長井朝陽」と小説家としての「早見有日」は別の人間(人格)であるのに、周りからは長井朝陽の小説として読まれ、長井朝陽に興味を持たれる違和感が描かれています。「長井朝陽」と「早見有日」は別の人間(人格)であることは周囲にうまく伝わらない。ただその葛藤を重点的に描いているわけではなく、その違和感をだれしも持っていることを前提に、「うるさい音」のなかで長井朝陽がどんなふうに小背を書いていくか、どんな小説を書いていくかが描かれます。
その小説も、完全なる創作であったはずなのにどんどん現実が侵食してきて、長井朝陽の思想としてとらえられてしまう危うさも。
作品に出てくる考え=作家の考えと100%紐づけるのは間違っていて危ういことなのですが、そう感じられてしまうこともめちゃくちゃあるということが「うるさいこの音の全部」には書かれていて、だから友人の穂波の作家の人間性にはまったく興味がなくあくまで作品が好きという主張を「まっとう」と思う朝陽の気持ちは共感しかなかったです。
純粋に作品をたのしむ、ってこれからどんどん難しくなるのかもしれません。だけど純粋に作品を楽しみたい気持ちはあります…。

 

自由研究には向かない殺人/ホリー・ジャクソン(訳 服部京子)

www.tsogen.co.jp

高校生のピップは自由研究で、自分の住む町で起きた17歳の少女の失踪事件を調べている。交際相手の少年が彼女を殺して、自殺したとされていた。その少年と親しかったピップは、彼が犯人だとは信じられず、無実を証明するために、自由研究を口実に関係者にインタビューする。だが、身近な人物が容疑者に浮かんできて……。ひたむきな主人公の姿が胸を打つ、傑作謎解きミステリ!解説=若林踏

さいっこうにおもしろかったミステリ小説。普段海外の小説あんまり読まないのですが訳もすごくわかりやすくておもしろくて……主人公ピップのキャラクターはとても愛せるし本当に応援したくなります。
真面目で公平、ユーモラスでチャーミング。基本は慎重で賢いのですが、容疑者の情報をつかむためSNSのタイムラインを遡っているとき、間違えて「いいね」を押してしまい、これじゃネットストーカーみたい汗汗と焦る一面などもある(わかる!!!)
失踪した少女アンディ、アンディの恋人の少年サル・シンが自殺したことから、サルがアンディを殺したというのが真実として残っているけど、それを信じていないピップと、サル・シンの弟ラヴィがとてもいいパートナーで、とにかくふたりをめちゃくちゃ応援していました。ふたりとも大好き。
容疑者リストがどんどん増えていくけれど犯人はぜんぜんわからず、こいつか?いやこいつか…?と犯人を当てる楽しさ、暗号解読の楽しさ、そして二転三転していく展開が続くので長編ですが中弛みがないのでまったく飽きません。邦題もいいですよね、「自由研究には向かない殺人」!

 

花に埋もれる/彩瀬まる

www.shinchosha.co.jp

彼氏よりもソファの肌触りを愛する女性。身体から出た美しい石を交わし合う恋人たち。憧れ、執着、およそ恋に似た感情が幻想を呼び起こし、世界の色さえ変容させる――イギリスの老舗文芸誌「GRANTA」に掲載された「ふるえる」から、単行本初収録となるR-18文学賞受賞作までを網羅した、著者の原点にして頂点の作品集。

生活!!!SF!!!!幻想!!!!!!!!!!!がほどよいバランスで入った短編集、そんな、そんなのって良いに決まってるじゃないですか。
だれかを思うことでうつくしい石がうまれる身体、とつぜん白木蓮になってしまった夫、おはじきのようなかたちで身体からこぼれ落ちる記憶、花が咲いて最期には朽ちてゆく人たち。この設定だけでごはん三杯以上食べられますね。そしてそこに彩瀬まるさんのやわらかでやさしく、でもときに残酷さもまじる文体ときては、良いに決まっていますね。
感情と身体、いつか忘れてゆく気持ち、でもたしかに〈いま〉ここにある気持ち、そのひとつひとつをとても丁寧に掬い取っている短編集です。
感想書きました。


化け者心中/蝉谷めぐ実

www.kadokawa.co.jp

その所業、人か、鬼か――規格外の熱量を孕む小説野性時代新人賞受賞作!
その所業、人か、鬼か――規格外の熱量を孕む小説野性時代新人賞受賞作!
江戸は文政年間。足を失い絶望の底にありながらも毒舌を吐く元役者と、彼の足がわりとなる心優しき鳥屋。この風変りなバディが、鬼の正体暴きに乗り出して――。

あ~~~いいないいな、「心中」っていいな~と歌い出したくなってしまいます(誤解をうみそうですが創作のなかでの心中が好きなんですよ)。
時代小説などほとんど(むしろゼロ?)読んでこなかった私ですが、「化け者心中」はたいへん読みやすく出てくる人物全員好きになってしまう「化け者小説」。なんでもっと早く読まなかったの私~~~!!
「だれが鬼なのか?」という謎解き要素ももちろん楽しみのひとつなんですけど、私はそこよりも役者たちの生き様に惚れこみました。


回樹/斜線堂有紀

www.hayakawa-online.co.jp

質・量ともに最高の短篇を生み出し続ける作家、初のSF作品集

真実の愛を証明できる存在をめぐる、ありふれた愛の顛末を描く表題作、骨の表面に文字を刻む技術がもたらす特別な想い「骨刻」、人間の死体が腐らない世界のテロリストに関する証言集「不滅」、百年前の映画への鎮魂歌「BTTF葬送」他、書き下し含む全6篇

もう、とくに説明はいらないと思いますが……ひとこと言っておくと「最高」です。ことあるごとに感想言ってきたので、もうなにも言うことが出てこないくらいですが……「ありふれた愛の顛末」ああこの言葉をみるだけで……私はこの作品に会えただけで今年に未練はない……。いやしかしなんでこんなに回樹に夢中になったのか冷静に考えたこともあります。
私は生活感のある話が好き。おおげさすぎない話が好き。自分のようなちっぽけな存在にも寄り添ってくれる話が好き。思い当たる気持ちが出てくる話が好き。植物が好き。不思議が好き。切ない話が好き。やるせない話が好き。すっきりする話が好き。爽快感のある話が好き。ままならない話が好き。そういうことでした。

感想書きました。

 

狭間の者たちへ/中西智佐乃

www.shinchosha.co.jp

保険営業所に勤める藤原は、通勤電車で見かける少女に日々「元気」をもらっていた。ある日、同じ少女を盗撮する男との奇妙な交流が始まり――。痴漢加害者の心理を容赦なく晒す表題作と、介護現場の暴力を克明に刻む新潮新人賞受賞作を収録。愚かさから目を背けたいのに一文字ごとに飲み込まれる、弩級の小説体験!

私は新潮2月号で読みましたが単行本出てるのですね!
ずっと寝不足続きのだるさを感じるような、疲労感が滲んでいる作品だと思いました。「元気が欲し」くて朝の電車で一緒になる女子高生の近くに立ち、こっそり匂いを嗅ぐ四十歳の藤原。これだけでわかると思いますがきもちわるいんですよ、もうずっときもちわるい。語り手のことをまったく好きになれないのですが、なぜか気持ちがわかってしまう場面も多く、彼の疲労感がそのまま移ってくる感じでした。
希死念慮とまではいかない、だけど毎日がなんだかしんどいって現代人は少なからず持っていると思います。死ぬまでの時間はあとどれくらいあるのか考えたら途方もなくなって、元気もなくなる。
起きて働き妻のヒステリーにつきあって(いや藤原自身も悪いんですが)、子どもの世話をして、寝て、また仕事に行く。そんな毎日の中で「元気が欲しい」と漠然と感じる気持ちはわかり、なにも救われない気持ちに私も崩れそうになりました。
女子高生を隠し撮りしたりほぼストーカー行為を働くもう一人の男との奇妙な連帯や職場での居心地の悪さ、全て宙に浮いているような、流されて生きている曖昧さが鮮明に描かれています。

 

ハンチバック/市川沙央

books.bunshun.jp

私の身体は、生き抜いた時間の証として破壊されていく
「本を読むたび背骨は曲がり肺を潰し喉に孔を穿ち歩いては頭をぶつけ、私の身体は生きるために壊れてきた。」
圧倒的迫力&ユーモアで選考会に衝撃を与えた、第128回文學界新人賞受賞作にして、第169回芥川賞候補作。
井沢釈華の背骨は、右肺を押し潰すかたちで極度に湾曲している。
両親が遺したグループホームの十畳の自室から釈華は、あらゆる言葉を送りだす——。

上半期の話題作といえばこの作品でしょう。無傷では読めない作品でした。障碍者を「生まない」という健常者がいるなら、障碍者である自分が子供を妊娠し殺す(中絶)することでバランスを取る、という思考に行きついたときに、誰が誰を咎められるのだろうと思いました。
私は健康体であり本をふつうに読める、紙の本をめくることができる体を持ちますが、そんな「本好き」への痛烈な言葉に、私は正しい感情を持てませんでした。
ラストについてはいろいろ言われておりますが(もしかしたら単行本になったとき加筆などされているかもしれません)、私は文學界に掲載された時点での感想です。釈華の創作、あるいは「コタツ記事」であると直感的に思いました。でもそれは、そうであってほしいと思ってしまう私のずるさなのかもしれません。

 

結晶質/安田茜

www.kankanbou.com

雪山を裂いて列車がゆくようにわたしがわたしの王であること
第4回笹井宏之賞神野紗希賞受賞の著者による第一歌集。

【収録歌より】
冬にしてきみのすべてに触れ得ないこともうれしく手ですくう水

髪に闇なじませながら泣きながら薔薇ばらばらにする夜半がある

戴冠の日も風の日もおもうのは遠くのことや白さについて 

死者にくちなし生者に語ることばなしあなたに降りそそぐ雪もなし 

石英を朝のひかりがつらぬいていまかなしみがありふれてゆく

心身はときに不確かで自分の存在すらあやふやになることがあります。けれどこの「結晶質」はそんな曖昧な世界にいながらも、根を張るような生活感を詠んでいるように思います。ここに在ることをやさしく実感することができるような歌が多く素敵でした。
私が好きだったのはとくにこのあたり。

ねむりとは身体のふちをめぐる舟ひとのまぶたは三日月だから

窓ガラスていねいに拭く 身が粉になるなら瑠璃色がのぞましい

月にまつわる歌をあつめたカセットを月のひかりに曝しておいた

 

あなたの燃える左手で/朝比奈秋

www.kawade.co.jp

ハンガリーの病院で左手の移植手術を受けたアサト。だが麻酔から醒めると、繋がっていたのは見知らぬ白人の手で――。自らの身体を、そして国を奪われることの意味を問う、傑作中篇!

麻酔から覚めると、見知らぬ他人の手になっていた。

凄い! 肉体の無意味な分断と不自然な結合が、現実の世界に重なる。
入念な構成の冒頭から最後まで、1㎜の緩みもない。凄い!
――皆川博子氏(作家)

切断され、奪われ、接ぎ合わされるのは、体なのか、国なのか、心なのか。
これは「境界」をめぐる、今まさに読まれるべき物語。
――岸本佐知子氏(翻訳家)

喪って初めて大事さが判る。身体、そして故郷。自分とは何かを問う小説だ。
――杉江松恋氏(書評家)

文藝で読みました。
左手を切断され、ハンガリーで手の移植手術を行ったアサト。理不尽に身体の一部を失う/接続されることで自分と他人の境界を探ったり、クリミア侵攻(あるいはさらに昔の歴史)~現在をなぞりながら領土を奪う/奪われることについて描かれています。故郷、祖国といった言葉はなんだか他人事のように感じることもあるけれど、それはまだ奪われたという経験がないだけだからなのかもしれない。
時間軸が行ったり来たりするので初読は少し混乱しますが、読んでいくうちに辻褄が合っていき、また最初から読みたくなります。植物少女でもでしたが「そのまま」を書く作家さんだなあと。誇張しすぎない、どこか淡々としていて、でも説明的ではなく、胸に迫ってくる力もある文章で、とても好きでした。

 

それは誠/乗代雄介

books.bunshun.jp

生の輝きを捉えた芥川賞候補作
第169回芥川賞候補作に選ばれた、いま最も期待を集める作家の最新中編小説。修学旅行で東京を訪れた高校生たちが、コースを外れた小さな冒険を試みる。その一日の、なにげない会話や出来事から、生の輝きが浮かび上がり、えも言われぬ感動がこみ上げる名編。

文學界6月号で読みました。
すごいですよこの作品は。なにがすごいのか私のちっぽけな語彙力ではまったく伝えられないのですが、読めばきっとこの作品が持つゆるぎない世界観に引き込まれるはずです。
ひとつひとつの場面の描き方がすごい、目の前にあるみたいというか自分もそこにいるみたいな描き方。高校生の修学旅行冒険譚。
すでに旅行が終わっていて、語り手の佐田が旅行前、旅行中のことを振り返りながら書き起こすという進み方になっているのですが、それがおもしろい。リアルタイムであったことを自身がすぐに振り返ることによって、冷静に物事を説明できている。
とはいえ誰かに対する心情や自分に向けられる言葉/微妙な気持ちなどはあまりに濃くてリアルで、あくまで修学旅行の話なんですけど修学旅行の話でとどまっているからなおいいのだと思います。とくに終盤の夕焼けの描写に痺れました。目の前に情景がひろがるって、こういうことをいうのですね。あと私は短大生のころ日野に通っていたので、坂道のくだりは共感でした。

 

 

というわけで上半期のよかった本でした!5、6冊くらいにおさめるつもりが気づいたら14作品…。いつもより文芸誌は追えた感じがしますがそうすると結局新刊が追いつかない&積読がいっこうに減らないジレンマ、どうして身体はひとつしかないのだろうと思います。

 

今週のお題「上半期ベスト本」

今週のお題「上半期ベスト◯◯」