今日もめくるめかない日

誕生日プレゼントは贈ってくれるな

 あと10日ほどで誕生日がやってくる。

 誕生日というのはわけもなくなんだかそわそわうれしくなるもの、とくに何をするわけでもないけれど、妙に待ち遠しくなってしまう。

 おめでとう、と言われて、ありがとう、と返す面映ゆさ。これでじゅうぶん、なので誕生日プレゼントは贈ってくれるな。

 

 私の誕生日は8月20日。そして夫の誕生日が8月24日。「こどものおもちゃ」の真ん中バースデーにあこがれた過去を持つのと、お祝い事はすべてひとまとめにしたほうが楽であろうという理由で、8月23日に結婚届を提出し、その日を結婚記念日とした(本当は8月22日にしようとしていたが、急に真ん中の日にしよう!と決めたものだから、書類が足りず役受理されなかった)。

 というわけで、めでたい三連発なんだけれども、私はこの数年で、誕生日プレゼントがいらないということに気がついた。

 

 誕生日プレゼントを用意してもらうのはありがたいことだとは思うけれど、いかんせん、夫とは食・ファッション・笑いのつぼ・趣味etc、ことごとく合わないので、プレゼントをもらっても、正直なところ「つ、使わない……」というものばかりだった。

 それならあらかじめ欲しいものを伝えてくればいいじゃないというスタンスになったが、そもそも欲しいものは自分で買えるし、なぜわざわざ欲しいものを言う→買ってもらうという手間を発生させなきゃならないのか謎だ。仮に値段が高くて手出しができないというものがあったとして、なおさらそんなものプレゼントされたくない。

 手間とかそういうことではない、というのはわかる。プレゼントは気持ち。そのひとのことを考えて買ったもの。贈りたい、という気持ちは尊ぶもの。とはいえ、いらないものはいらないし、いらないものをもらったから大切にしないといけないのもしんどいし、なにより自分が返さなくちゃいけないのは、たいへん面倒だ。

 

 こんなことを言ったらすごく薄情な気がするけれど、お返しは面倒。結婚なんてしているけれど、夫が欲しいものはいまいちわからないし、じゃあ私も欲しいものを聞いてみると、とくにないけど……みたいな曖昧な返事。 

 そうだ。プレゼントにしてまで欲しいものなんてとくにないのだ。それなのに誕生日だからといって律儀にプレゼントを用意する夫。誕生日プレゼントはいらないからねと言っても、ハンカチとか、「たいしたものじゃないけどプレゼントという体裁はとってますよ」感が滲み出ている贈り物を用意していたりする。ハンカチもういらないよ。10枚以上あるけど実際使うのはそのなかの3枚くらいだもの。

 そしてハンカチひとつでももらってしまえば返さなくちゃいけない気になるし、というか私の誕生日が20日で夫は24日なのだからプレゼントなんて買う暇なくね……だからいらないと言っていたのに、でも夫の意見は「いやお返しとかいらないから」。

 

 違うのだ。そちらがお返しいらないと心から思っていても、私はお返ししなくちゃいけない気になるのだ。しかもとくに欲しいと思ってなかったプレゼントに対して。でもこのプレゼントとくにいらなかったなあと面と向かって言える度胸はあまりない(よっぽどなら言う)。これはプレゼントの魔力。もらわなくてはいけない、そして返さなくてはいけないと思わせるちから。

 

 そうは言ってもプレゼントって素敵なことだと思うし、私だって子どものころの誕生日は何をもらえるのか楽しみでしかたがなかった。だからプレゼント文化を否定したいわけじゃないんだけど、誕生日だから、という理由でむりくりなにかを見繕っているのがしんどいのである。あげたい、と思ったときにあげたらいいじゃない。誕生日とかじゃなくたって。

 

 そういえば、夫の母もなにかとプレゼントをしたがる人で、それもことごとく私の趣味じゃないもので、でもいらないなんて言えずに、ありがとうございますとか言ってしまって、「使わなかったらメルカリで売っていいからね」とか言われて、いやそれ実質不用品押しつけてるだけじゃん……と思うけれども私はまたありがとうございますなんて言ってしまって、それが直接わたされるときもあれば夫経由で私のもとにやってくる場合もあって、夫経由だとお礼のメッセージを送らなきゃいけない暗黙のルールができていてウゲェーッとなるし、メッセージを忘れると、恩知らずねあの子はみたいな雰囲気が出るときもあって、もうそういうときは、ただただ絶望する。

 

 話がずれてしまったけれど、とにかくプレゼントは不要なのだ。こないだ「ペーパー・リリイ」を読んだときも思ったけれど、私も恩から自由になりたい。しかしお返しをしない自分がいると、やはり心の居心地がなんとなく悪い。むずかしいね。

 それで夫に「今年は本当に本当に本当に誕生日プレゼントはいらないから」と伝えた。前々から伝えていたけど、さらに本気な感じを出した。「そうは言っても贈らなかったら怒るんじゃないか?」くらいのことを夫はきっと思っているので、この頓珍漢野郎!と叫びたくなるのをこらえて、

「私は恩から自由になりてーんだッッ!」

 と、声を上げて言ったら、夫は、オンカラジユウニナル……?とはじめて言葉を知った原始人のような顔をしていた。伝えるってむずかしいね。

 

 でもなんだかんだで夫は納得してくれたようで、よっしゃ〜!今年の誕生日はプレゼントをもらうことはないのだ、そして私もプレゼントを用意しなくていいのだ、これで純粋に誕生日を楽しめるのだ、という晴れやかな気分。

 おめでとう、と言われたらありがとう、と返す。本当に、これだけでじゅうぶんなのだ。

 

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SFのよみかた

今週のお題「SFといえば」

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 SF作品と呼ばれるものを、そういえば私はいままであまり触れてこなかった。
 SFといえば、エヌ氏やエフ氏が出てくるもの、キツネが宇宙に旅だったりするもの、人類がコールドスリープを体験するもの、ロボットと人類が友情を築いたりするもの、タイムマシンを使って未来へ旅行したりするものとか、科学のあれこれを駆使した空想小説とか、そういうぼんやりとした知識しかなかったし、いまもだいたいそんな感じだ。
 ただ、「そうかこういうのもSFなんだ」と新たなとびらを開いてくれた作品は、雪舟えまさんの小説。

 

 SF、なんとよみますか。
 雪舟作品は宇宙のどこかにあるかもしれない星を舞台にしていることが多い。スペース・ファンタジー、スペース・ファンタスティック……? でも宇宙の謎、とか未知の生物との遭遇、とかものすごく壮大なことが描かれているわけではない。むしろ小さな日常、ひとりとひとりの他愛のない会話、そういうことが描かれている。
 それはこの地球ではないどこか知らない星の話。だけど宇宙のどこかにあるかもしれないと読むたび思わされる。まるで実際にみたことがあるように景色が描かれているからだ。

www.chuko.co.jp

 以前感想を書いたけれど、私たちが住む太陽系とは少し違う「タイヨウ系」が舞台のお話。惑星間では宇宙船が行き来し、月、金星、水星、火星、太陽……。それぞれの惑星での暮らしぶりがどれも最高にいい。恋愛、友愛、家族愛、こんなふうに名前はつかないけれど特別な関係を築いていく人たちの生活がつづられている。

夕方、相棒の緑と居住区外のドライブに出かけた。
居住区の端のドライバーズポートまでは、ライムグリーンの蔓ボディーのバスが出ている。俺たちの前に現れたバスは後方に向かって蔓がもじゃもじゃと伸びてきていた。
(中略)
彼がすきなのは、ニューナガタチョウやニューカスミガセキ方面ゆきの清楚な月薔薇のバスや、ニューコクブンジ方面ゆきのかすみ草と青い花が咲く、可憐な花かごのようなバスだ。
中央公論社 雪舟えま「恋シタイヨウ系/月 ナチュラルシティー」11頁)

「恋シタイヨウ系」は短編集で、そのなかの「月 ナチュラルシティー」という一篇で描かれる月の景色。月の居住区外、なんて急に言われても、不思議と「ふんふん、月の居住区外ね」とすとんと景色が浮かぶ。

 ライムグリーンの蔓ボディーのバス、月薔薇のバス、可憐な花かごのようなバス。きっと鮮やかな植物が咲いているバスなのだ。ニューナガタチョウはどんな場所だろう。ニューカスミガセキにニューコクブンジ。ごみごみしていない、きっといつも星空を大きく眺められるような街なのだ。もうこの描写だけで、しあわせな気持ちになる(本当に本当の冒頭部分なのだけど)。きっと素敵なことが起こるのだ、という予感がする。

 

www.chikumashobo.co.jp

 こちらも短編集。このなかの「とても寒い星で」という一篇がとてもすきです。家と会話ができる「家読み」のシガ。家と話をし、住人に伝えてほしいということがあれば聞き、それを住人に伝える。それがシガの仕事。
 仕事中、ある家と話しているときに、「納屋に流れ者がいるからどうにかしてほしい」と頼まれる。その流れ者は仕事をさせるためにつくられたクローンでナガノといった。雇い主から離れその星に降りたナガノはシガと行動をともにするが、ナガノには奉仕場を離れると爆発する手枷がついていて……というはなし。
 シガとナガノ。漢字にすると滋賀、長野、と日本の地名が浮かぶから、どこか親近感がわく。けれど決してここではない遠い「とても寒い星」の話でもあり、“遠すぎない”あんばいというのか、そういうのがちょうどいい。そして本のタイトルにもなっている「黒スープ」の描写が、これまた飲んだことも、みたことも、想像すらしたことがないのに、とても魅力的なスープとして描かれている。

小さな調理台に火を起こし、水を入れた鍋にかけた。から炒りした豆を挽いた黒スープ粉末のびんをあけ、ふたつの器に粉をふり入れる。豆の性質、抽出のしかたや飲みかたはさまざまながら、この黒スープ、それに類似した飲みものは近隣の星ぼしのどこへ行っても見かける。
筑摩書房 雪舟えま「凍土二人行黒スープ付き/とても寒い星で」14頁)

 とても寒い星でふたりで飲む黒スープは、ぜったいにおいしくてあたたかい。

「家読み」というふしぎな仕事が出てきましたが、ほかの作品でもまた別の不思議な仕事が登場する。

 

www.shinchosha.co.jp

「パラダイスィー8」、こちらも短編集。このふしぎなタイトルの理由はぜひ読んでたしかめてほしいのだけど、表題作でもある「パラダイスィー8」は、結婚して一年で妻をなくしてしまった弱(ジャク)が主人公。ただ、夢のなかで妻の麗と会話をしている(それもわりと具体的な内容)。思い出を語らうというよりは現在進行形の会話をしており、そのうち麗から「近いうちに私の実家へ行ってみて。あなたにいいおもちゃがもらえると思う」と言われる。
 そこでもらったのが飛行船。免許もなにも持っていない弱が飛行船を操縦できるようになるまで、死者との距離が近づくような空の旅、死んでしまった人はちょっと旅に出ているだけじゃないか、と思えるなんだかあたたかい身軽さ、弱と麗、仲間たちとの絆。そんなことが描かれている。
 飛行船を操縦できるようになった弱は、最初はただ人を乗せていただけだったけれど、空から散骨をしたいという人が増え、遺族を乗せてフライトをするようになる。

 

「未来月島」というのが「パラダイスィー8」の舞台。未来〇〇というのはよく雪舟作品に出てくる架空の街なんですが、「未来東京」が舞台になっているのが「緑と楯」。

www.shueisha.co.jp

 この作品は「兼古緑と荻原楯の恋愛小説」、これしか言えねぇ……。だってほんとうにただそれだけなんだよ、それだけで、胸がいっぱいになるんだよ……。人を好きになる気持ち、というのが雪舟作品ではたくさん描かれていて(それはもちろん恋愛にかぎらず)、いくら読んでもお腹いっぱいにならない。これはほんとうにふしぎなことです。
 緑と楯は高校生。友人同士で卒業後の話をする場面がある。

「将来月に住みたい、就職したいって人」と笑谷がいうと、ツンドラと林と水上がさっと手をあげた。
「月でツアー組んで、添乗員したい。就職はツクヨミ観光とか若鮎トラベルあたりで」と、林。
 あーいいね、と一同うなずきあう。
「おれは乗りもののデザインしたい。ペーパーバス、フラワータクシー」とツンドラがいうと、これもまたいいねいいねとみんな感心する。
集英社文庫 雪舟えま「緑と楯 ハイスクール・デイズ」106頁)

 いつか月へ住むことが現実的な世界。会話のひとつひとつはどれも高校生らしいのだけど、未来東京の高校生の会話は、どれもとくべつで、すごく「未来」だ。そして「恋シタイヨウ系」で出てきたライムグリーンの蔓ボディーのバス、月薔薇のバス……もしかしてツンドラがつくったのか。
 ちなみに「パラダイスィー8」で出てきた飛行船からの散骨、「緑と楯」にも出てくる。そういうのさあ、ああ~~~~~~もう、スーパー・ファンタスティック~~~~!!
 
 そして雪舟えまさんの本の装画、カシワイさんというイラストレーターが描かれていることが多いのですが、この方の絵がほんとうに最高で大好きです。なんかもう、線からすき。幻想的な話によく合っていて、ずっとみていられる。
 

www.alicekan.com

 文:雪舟えま 絵:カシワイ
 最高が約束されてる~~~~~~!!!
 クローンであるナニューク37922号。子どもの目にしかみつけられない石を採掘して生活しているが、大人につれ石をみつける力は弱まっていく。その力が完全になくなる前に、いなくなった仲間、23号をさがしにいく。
 採掘作業を卒業し、紅茶街で働きはじめる22号。23号はそこでニウという名で歌手活動をしていた。ふたりが再び出会って、一緒に生活していくはなし。
 ページぜんぶがひかってるのか?というくらい、どきどきした。そっと大切にページをめくりたくなる本だった。

 

 長くなってしまったけれど、わたしにとってSFといえば雪舟えまさんの作品です。
 いつも一対一の愛情、友愛、いやもうそういう言葉では言い表せないくらいの感情が描かれていて、読んでいるととても幸福な気持ちになる。

 

 SF、なんとよみますか。
 緑と楯、シガとナガノ、弱と麗、22号と23号、ほかにもたくさん。わたしは「すてきな・ふたり」とよんでいます。

 

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ほんものの(ペーパー・リリイ/佐原ひかり)

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ボール紙の海に浮かぶ
紙の月でも
私を信じていれば
本物のお月様

作り物の木と
絵に描いた空でも
私を信じてくれたら本物になる

 映画「ペーパー・ムーン」の冒頭で流れる曲の歌詞の一部。

eiga.com

 映画をあまりみてこない人生だったけれど、この「ペーパー・ムーン」は短大時代にたまたま図書館でDVDを手に取って、なんとなくみはじめて、そのおもしろさに衝撃を受け、今でもいちばん好きな映画だ。
 バーで働く母親をなくした9歳のアディ、母親の元恋人である詐欺師のモーゼのロードムービー。9歳とは思えぬ度胸を持ったアディを見込んで、モーゼは彼女と手を組み詐欺を働きながら旅をする。そしていつしか本当の親子のような絆が芽生えていく……というのがおおまかなあらすじ。モーゼのことを「自分の父親ではないか」と考えるアディだけれど、おそらくそこに血のつながりはない。ただ、冒頭の曲に「作り物でも信じれば本物になる」とあるように、事実か事実じゃないかは関係ない、信じればアディとモーゼは間違いなく親子なんだ、ということをじーんと感じながら楽しめる作品です。

 本当になにも考えずに手に取った一本だったから、自分のなかで特別な作品になるとは思っていなくて、でも、なんにせよ、特別になるものって、得てしてそういうものなのだと思う。特別にしようとして特別になるんじゃない。

 

 さてさて、そんな「ペーパー・ムーン」を思い出す小説が、佐原ひかりさんの「ペーパー・リリイ」です(実際、この映画のオマージュ作品だそうです。好き×好き=ヤバ好きの方程式ができあがってしまいました)。

www.kawade.co.jp

野中杏、17歳、結婚詐欺師の叔父に育てられている高校2年生。
夏休みの朝、叔父に300万円をだまし取られた女性キヨエが家にやって来た。
キヨエに返してやりたい、人生を変える何かをしてあげたい。
だってあたしは「詐欺師のこども」だから。
家から500万円を持ち出し、杏はキヨエと一週間限定の旅に出る。
目指すは幻の百合!

 まず装画からして最高じゃないですか?!?!?!ずっとみていられる……。このふたりが主人公である杏とキヨエ、しばらくはこの装画がみえるよう本棚に並べておこうと思います。タイトルのフォントもかわゆ……。

 表紙めくってとびらの紙もよい……。落ち着いた深緑の色に光沢かがやく高級感。そしてだいたい本編にあるタイトルって天側のショルダーに記されていることが多いと思うのですが、ペーパー・リリイは地のところに。ノド側というのがまた、よい……。

 いつも思うのですが、河出さんって装丁センスが抜群だと思います(装画などパッと目に入るところはもちろん、字間や行間、天地の余白などにもこだわりを感じる……)。

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 表紙カバーをめくると百合。あらすじにもあるように、「幻の百合」をさがしに杏とキヨエは一週間の旅に出る。この幻の百合は、キヨエが結婚詐欺師(杏の叔父)である京ちゃんに「むかし住んでいた場所に、お盆の三日間だけ咲く幻の百合があった。今でもその光景は忘れられない。いつか一緒に見にいこう」と言われたもの(「一緒に見にいこう」は詐欺師の嘘なのだが)。
 騙されたと気づいたキヨエが、杏と京ちゃんの家に乗り込んでくるのだが、京ちゃんは不在。杏はキヨエを見て、「仕返し」を提案する。キヨエが騙し取られた300万円をそのまま返すのではなくさらに200万円を足し、つまり500万円を持って、京ちゃんが追ってくるよう書置きを残し、二人で爆走ロードを開始する。

以下、前半はクリティカルなネタバレは避けますが、内容には触れているので未読の方はご注意ください。

 

「爆走青春ロードノベル」と帯にあるけれど本当にそのとおりで、読んでいると、爆走!青春!エモ!の連続。
 杏の物怖じしない性格、二十も年上のキヨエに対しても(というか誰に対しても)ズケズケつっこんでいく台詞回し、夏といえばの空気感がしみこんでいる文章、いろいろなところで爽快感を得られる。
 そして杏とは反対に、なにかと卑屈なキヨエ。私はキヨエのほうが年齢が近いし、実をいうと、結婚詐欺師とまではいかないが「ろくでもない男」によく引っかかっており、貢いだことも何度か……(ごにょごにょ)
 なのでキヨエの気持ちがところどころ痛いほどわかり、ページをめくるたび、「キ、キヨエー!!!」と叫びそうになった。

 たとえば途中立ち寄ったサービスエリアで、キヨエがカレー、杏がラーメンを頼む場面がある。食べている途中、杏のラーメンのほうがよくみえてきてしまうキヨエ。あまつさえ自分のカレーを「ババ引いた」とまで思ってしまう(いたってふつうのカレーなのに)。

「違うのよ。これに限った話じゃなくて、さっきもそうだったの。入ったトイレに羽虫がいた。二匹もね。うん十もの個室があって、よりにもよって二匹も虫がいるところに入る? でも入るのよ。選んじゃう。それがわたしなの。きっと、あんたみたいな子は虫がいるようなトイレを引き当てることはないんでしょうね。そういう星の下に生まれてない、って感じがする」
河出書房新社 佐原ひかり「ペーパー・リリイ」19頁)

 キ、キヨエー!!! わかる、わかるよその卑屈になってしまう感じ……!!!自分だけがいつも損していると思ってしまうその気持ち……!!

 

 また、中学生ぐらいの女の子が、ストリートピアノをしているところに遭遇する二人。めちゃくちゃうまいわけではなく、むしろつっかえつっかえの演奏。そこに通りすがりのオッサンが露骨な舌打ちをする。それに対して怒りをみせるキヨエ。杏が止める暇もなく、ピアノを弾く中学生に近づき、いきなり応援の言葉をかける。たぶん舌打ちされたことに気づいていない中学生からしたら、いきなり話しかけてきた変な女になるキヨエ。結局ひとこと、中学生から「ウザ」と言われてしまう。
 キ、キヨエ……キヨエーー!!!!!

 

 キヨエはちょっと(けっこう?)残念な女だ。結婚詐欺師に騙されるし、卑屈だし、自分に都合のいいストーリーをつくって自らの過ちを正当化したりするし(いや、ストーリーつくるのめっちゃわかるけどね……)。

 そんなキヨエに呆れたりイライラしたりしながらも、杏はキヨエに「最高の七日間」を過ごしてもらいたいと奮闘する。二人旅にとつぜん加わる人もいれば、邪魔をしてくる不届き者もいるしで、この旅からは目が離せない。

 息が合っている、とは言い難い杏とキヨエだが、二人の掛け合い、空気感がなんだかきもちいい。基本的に杏のほうが「強い」のだけど、キヨエの前ではちょこちょこ「子ども」になってしまう場面が出てきたり。それも、決してキヨエが「しっかりした大人」だから杏が子どもになるのではない、というのがまた二人の関係性を物語っているようでよかった。
 そして杏がキヨエを誘った理由が判明していくうちにつれ、帯文の「愛・罪・恩から、私たちは自由になる」という文言どおり、しがらみから解放されていくような、心地のいい「自由」を感じられる。

(以下さらに遠慮なくネタバレしますので未読の方はご注意ください)

 

 冒頭でも触れた「ペーパー・ムーン」の曲の歌詞、これは「偽物でも本物になる」ということを示している。「ペーパー・リリイ」でも、「ほんもの」「うそもの」という言葉が何度か出てきて、本作の場合は、「信じれば本物になる」ではなく、「だれかのほんものが自分のうそもの」「自分のほんものがだれかのうそもの」ということを伝えてくれる。
 つまりこれはどういうことなんだろう、と読んだあともその意味を考えている。


 杏とキヨエの旅に乱入してくる人は主に二人。パンクなヒッチハイカーえなっちゃんと、成金家庭で育ったぼんぼん息子のヨータだ。

 えなっちゃんはズケズケ系で、ザ・自由なおばあちゃん。杏はえなっちゃんに懐くけれど、キヨエはどこか一線を引いている。えなっちゃんとキヨエは性格がぜんぜん違う。えなっちゃんは自分が好きなことをし、自分が正しいと思うことをし、違うと思ったことは違うと言う。対してキヨエは殻に閉じこもっているだけだ。そんなキヨエをみて杏は「あたしはキヨエにはならない。なりたくない。えなっちゃんのように、あざやかにいきたい」と思う。
 しかしえなっちゃんは、二人が持っているお金をみて、それを盗もうと行動する。

 ここで、ほんものとうそもの、というのを考えてみる。えなっちゃんは最初からお金を盗もうと車に乗ったわけではないし、純粋なヒッチハイカーのはずだった。だから杏があこがれたえなっちゃんの姿は、うそものではないし、仮に最初からえなっちゃんが大悪党だったとしても、えなっちゃんからもらった言葉は、杏にとってはほんものだったのだと思う。三人で夏祭りに出かけて楽しく過ごした時間も。だけど、その時間はすでにえなっちゃんにとって、うそものだったのかもしれない。

 

 車を暴走させ、ひたすら知らない道を歩きくたびれて寝ていた二人のもとに現れるのが金持ちのヨータ。二人を別荘に誘い、寝床や食事を用意してくれる。
 別荘からみえる満天の星空に、杏は感動も安心もしない。杏にとって安心できる星空は、昔京ちゃんと一緒にみたプラネタリウムだ。 

 どうだろう、この本物の星空の、うそくさいこと。
 どこもかしこもうるさく響き、どうだとばかりに迫ってくる。これが本物だと、感動せよと迫ってくる。
河出書房新社 佐原ひかり「ペーパー・リリイ」142頁)

 反対にヨータは、人工ではない目の前に広がる夜空に感動している。小さいころプラネタリウムを見たときから満天の星空に憧れ、別荘まで建ててもらうほどだ。「本物はやっぱり最高だよな。人間用にできていないっていうかさ」と、ヨータは言う。
 杏のほんものと、ヨータのほんものは違う。しかし、どちらもほんものなのだ。

 

 この「ほんもの」にはいろいろと考えさせられる。たとえば旅をつづけていくなかで、キヨエの素性がどんどん判明してくる。昔から「蝶よ花よ姫よ」と育てられてきて、家族からものすごい愛を注がれてきたキヨエ。その愛情に「ちゃんとお返ししたい」という理由で京ちゃんと結婚しようとしていた(キヨエはしっかり京ちゃんのことが好きだったが、そして騙されていたが)。親への恩返しでわかりやすいのは結婚や介護だ。
 受け取ったものにはそれに見合うお返しをしなくてはいけない。親からの愛情、手作りのプレゼント、婚約者からもらった詩、詐欺師の叔父が騙し取ったお金で得ている不自由のない生活。そういうものに対して、恩返し、お返しをしないといけない。その考えは、決してうそものではないかもしれないけれど、ほんものとは遠く感じる。

 お返し、というのは私たちの生活のいたるところに散らばっている。それが小さいものでも大きいものでも。そうだ、お返しは大事だ。人と人の関係性にきわめて重要なものだ。でも、「恩」から自由になりたいと、この作品を読んではじめて具体的な感情が私に生まれた。与える側は「見返りはいらない」と思うかもしれないけれど、受け取る側は、どうしても恩を感じる。いやいや、しんどい恩なら感じなくていいんだってと、この作品を読んだ今はフラットに思う。
 中学生がストリートピアノで演奏していたのは「愛の挨拶」。詩をプレゼントしてくれた婚約者へのお返しとしてつくった曲、というエルガーのエピソードを、厄介な恩返しに絡めてくるところが最高でした。

 

 生活にはいろんなしがらみがあって、それは詐欺師に騙されなくてもあるもので、鬱陶しいしがらみ全部を投げ出して解放されて自由になりたい瞬間というのはきっとだれにでもあって、その瞬間を感じたいから、私は映画をみたり本を読んだりするのだと思う。

 そしてそんな解放感と夏はことごとくぴったりで、杏が「うそみたいに強い光でぴかぴか輝いている」月に向かってひとり歩いていくところなんて、なんと表現すればいいのか(いやそれはもう“エモ”しかないんだけど)、私たちはそのシーンを「観ているだけ」なんだけれども、観ているときに生まれた感情は、間違いなく「ほんもの」であった。

 そしてついに、幻の百合が群生する場所へと誘われる杏とキヨエ。そこでは「結婚詐欺師の子ども」でもなく「結婚詐欺師に騙された女」でもない、ただ杏とキヨエがふたり存在している。それは映画のワンシーンなんかではない。だから美しいだけのラストシーンは不要で、そしてだからこそ杏とキヨエの「ほんものの願い」がぶっ刺さる。

 

 遠慮なくネタバレしますと書きながら、もしかしたら未読の人がここまで読んでくれた可能性もなきにしもあらずだと思うので、最後の最後の展開はここでは伏せておきます。が、「キ、キヨエ―!!!!!!!!!」と叫びたくなること間違いなし。「返さなくていい」「逃げちゃうのもあり」「貰えるもんは貰っとけ」「だれかのほんものはだれかのうそもの」、しみじみこの言葉たちを噛みしめて。

 もしまた杏とキヨエが出会ったら、杏がキヨエに挨拶をするとしたら。それはきっと、なにかを返すための挨拶でも、なにかを与えるための挨拶でもない。「愛の挨拶」ではなく、杏のほんものの挨拶をするんだろう。読み終わったあとは、そんな予感がした。
 キヨエは家に乗り込んだとき、特別ななにかが始まるとは思っていなかったと思う。杏も、キヨエを誘ったとき、自分にとっての特別をつくろうとは思っていなかったはず。でも、たぶん、この一週間はふたりにとって特別な思い出で、特別って、そんなふうに予兆もなくできあがるもので、つくろうと思ってできるものではなくて、仮にうそものが混じっていても、とくべつなことに変わらないものだ。杏とヨータがひと悶着しているとき、ドアの向こう側にいたキヨエの行動はきっとほんものだったよな、と思うし(めちゃくちゃ笑ったシーン)。

 

 そういえばこれは自分では気づけなかったのですが(不覚)、佐原ひかりさんのデビュー作「ブラザーズ・ブラジャー」に収録されている「ブラザーズ・ブルー」にこんな一節があります。主人公ちぐさが本を読んでいるシーン、その内容に触れているところ。

結婚詐欺師の叔父さんと暮らす女の子が主人公で、ある夏の日、叔父さんに騙された女の人が家を訪ねてくる。その女の人に同情した女の子は、あるだけの現金を持ち出して、女の人と旅に出る。そんな話だ。
(中略)
駄菓子屋で買ったありったけのお菓子を並べて、豪遊よ、と笑い合っている。蜜漬けのパイナップルとキウイを沈めたフルーツサイダーを、陽に透かして、生きてるね、と言い合って――。
河出書房新社 佐原ひかり「ブラザース・ブラジャー」151頁)

 エモ。

 「ペーパー・リリイ」では、杏とキヨエがやはり駄菓子屋でお菓子を買い、河川敷でそれを食べる。ちぐさが「観ていた」シーンが、今ほんものになっている。そう思うと、こころが震える。こういうの全部、“エモ”っていう(「エモはふところが深い」)。ナカグロシリーズ(と勝手に呼ぶ)、よいです。
 また、この蜜漬けのパイナップルは、駄菓子屋では「蜜造パイナポー」という貼り紙のもと売られており、「密造」という言葉を想起させる。映画「ペーパー・ムーン」でもアディとモーゼが密造酒の売人を騙し、金もうけをするシーンがあるのだが、こういう小ネタもたいへん楽しい。

 

 読んでいると、この夏を思う存分味わい、旅に出たくなってみたり、不自由のない自由を手に入れたくなる、いや自由になろうよ!と駆け出したくなる。そしてこの本が自分だけでなく、だれかの特別な一冊になったりするんだろうなと思うだけで、とくべつな気持ちになれる。

 あと、結婚詐欺師を集めたリアリティショー「詐欺ラー/詐欺ロレッテ」…ぜ、ぜひみてみたい。(ぜったい地獄じゃん!笑)

www.kawade.co.jp

 

過去に書いた「ブラザーズ・ブラジャー」の感想↓

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今日の日記

 今日は朝五時に起きることができたので、夫と一時間ほど近所を歩き、さらに大きめの公園で少し走ったのだけれども、たいへんくたびれた。
 朝の五時はすっかり夜があけていて、青空がひろがっていたけれど、風があって涼しかったのがよかった。公園には六時前だというのに、歩いたり犬の散歩をするひとが集まっていて、いろんな犬のふれあいがそこかしこで起こっていて、犬も飼い主もたのしそうな雰囲気だった。あるおじいちゃんはカメラを持って、自分の犬の写真をたくさん撮っていた。

 

 早起きは慣れていないので家に帰ってシャワーを浴びて二度寝をしていると、実家から荷物が届く。入っていたのはおもに冷凍食品やおかずの素など。普段あまり料理をしないので、せめて簡単にできるものと両親が定期的にいろいろ送ってくれるのだが、なぜか毎回マカロニが入っていて、しかしマカロニをつかう料理をまったくしないので、マカロニが今家に五袋くらいある。我が家では、マカロニをたいへん持て余している。

 

 引っ越しを計画しているので、十一時から内見。なかなかぴんとくる物件がないなか、ひとつここはぜったいにいい部屋に違いない、と間取りからすごさが伝わってくる物件があった。現在入居者がいるが今月末に退去予定、内見はできないけれど申し込みはできる、しかし申し込みをすればキャンセル不可、という賭けもいいところだが間取りを信じて申し込みの電話をすると、ついさっき別のひとが申し込みをしてしまったとのこと。新居探しはまだまだ続きそうである。

 

 昼食はネギトロ丼を食べる。昔はまぐろの赤身がたいそう好きだったはずなのに、最近はまぐろも重くなってきた。でもネギトロ丼は食べられるしとても好きなので、たいていネギトロ丼を頼んでしまう。ファミレスに言ってもネギトロ丼。蕎麦屋に行ってもネギトロ丼セット。ネギトロにくわえて、納豆とかオクラとかやまいもとか、ねばねば系が入っているのも大好きである。

 

 家に帰ってアイスを食べた。最近は、五本とか六本とか七本とか入っている箱のアイスを常備するようになった。今家にあるのはしろくましろくまアイスは、白いところもおいしいし、つぶつぶ入っているフルーツの部分もいろんな味をたのしめて、すごくお得な感じがする。

 

 外に出る予定もないのでアマプラでバチェロレッテシーズン2を視聴する。エピソード3までみて、推しが退場してしまったことにショックを受ける。残る推しは彼しかいない。また、ホラ貝の登場シーンはなかなかインパクトがあったし、「おもしれー男」の可能性を秘めている人もいたが、どちらも退場してしまった。

 

 お風呂に入って本の続きを読む。今読んでいるのは矢川澄子「妹たちへ」。エッセイ集で、精錬された文章がすっと胸に入ってくる。そのなかに「近頃、かわいいお年よりのすがたがしきりと目につくようになった。」という一文からはじまる文章があった。日記のよう。
 筆者の矢川さんが急ぎ足で家路についているとき、ひとりのおじいさんを追い抜かすと、そのおじいさんが後ろから「ああくたびれた、くたびれちゃったよう」と追いかけてきたという話だった。「お嬢さんの三倍も生きているのだからくたびれちゃった」と言うおじいさんの言動やいろいろをかわいく感じながらも、とっさに言葉が出てこず、二人できっとその場に立っていたんだろう。そんなとき、まがりかどから女の子数人があらわれ、二人の横を通りすぎていく。

まがりかどからそのとき、自転車をつらねて三人の女の子があらわれた。それこそまだわたしの三分の一にもとどかないような、正真正銘のはつらつたるお嬢さんたちが、夕空にあかるい笑い声をひびかせながら通りすぎるのを、わたしたちはだまって見送っていた。
ちくま文庫矢川澄子ベスト・エッセイ 妹たちへ」211頁)

 たぶん、ほんとうになんでもないような日常の一部だったのだと思うけれど、この一節がすごく大事ないとしいものに思えて心に残った。

 

 そうして、そうだ今日の日記を書こうと思い立ってこれを書いている。昨日はしんどくてかなしいことがあった。いや、昨日だけじゃない。かなしいことはずっと起こっていた。かなしいことが起きるたび、心がずーんとなる。笑ってはいけない気にもなったりする。自分のなにかが間違っている気になる。でもわたしは今日、こんなふうに一日を過ごして、笑いもしたし、おいしいものを食べたりもした。
 今日は楽しいことや、うれしいこともあった。夫にむかついた瞬間もあった。今日だけじゃなくて、楽しいこともうれしいこともずっと起こっていた。うれしかったら笑いたいし、おなかがすいたらおいしいものを食べたい。時間があいたら好きな本を読みたい。だれかとくだらない話をしたり、好きなことを話したり、喧嘩をしたり、深刻な話もときにはしたい。いつかは忘れてしまう一日を毎日過ごしたい。そんなふうに過ごしたいと思える自分のことを信じたい。

 

 川上未映子さんの言葉で、「今日はいつだってすべての前の日」というものがある。毎日この意識を持つことはできないけれど、毎回なにかが起こったあとに思い出したくはないと思う。かなしんだり悩んだり、どうしていいかわからなくなったりすることはこれからも絶対にたくさんあるけれど、考えることを放棄したくはないと思う。
 明日は選挙に行って、外食をして(ザ・ピース)、楽しいことをして、月曜日から仕事だとすこし憂鬱になったり、実家から届いた冷凍食品を消費したりして、そんなふうに生活をつづけてゆきたい。

読んだ本(2022年上半期)

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 なんと梅雨が明けたらしいです(私は関東住まい)。毎日あっつい、あつすぎる。夏のはじまりはいつだって美しくきらきら輝いているイメージですが、実際外を歩いていると、まぶしいものを感じている場合じゃないよね。夏の写真とか絵とかみてるだけ、文を読んでいるだけで満足しそう。みなさん熱中症など気をつけてね、ほんとうに。

 さて暑くても寒くても私のやることはとくに変わらず、今年も仕事するか本読むか、しかやることない。そんなわけで上半期に読んでとくによかったものをまとめました。読んだ順、新刊以外もあります(というか新刊のほうが少ないかも)。


日本文学全集03
竹取物語森見登美彦訳)/伊勢物語川上弘美訳)/堤中納言物語中島京子訳)/土左日記(堀江敏幸訳)/更級日記江國香織訳)

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 言わずと知れた日本文学全集シリーズですが、みてください!この訳者の豪華さ!これは間違いないと思っていたら本当に間違いなかった! 少しお高めシリーズですが、3巻に入っているのはどれも短編〜中編(というのかな?)、読みやすくユーモアあふれる現代語訳でとてもたのしく読めるはず。「竹取物語」をあらためて読んだらかぐや姫は天上のおもしれー女、しかし最後はしっとり切なく美しく締められています。伊勢物語の和歌の訳はどれもうっとり(川上弘美さんとの相性ばつぐんすぎませんか)、中島京子さんの堤中納言物語は、登場する和歌をすべて五七五七七で現代語訳…!土佐日記は原文にならいすべてかな、慣れるまで少し時間がかかるけれどいつのまにか紀貫之がみた景色が浮かんでくる、そして江國香織さんの更級日記にはきゅん、「まどろまじ」を「絶対寝ないもん」と訳すあたりたまらないですね。

 

君がいない夜のごはん/穂村弘

文春文庫『君がいない夜のごはん』穂村弘 | 文庫 - 文藝春秋BOOKS

 エッセイ。いやめちゃくちゃおもしろいです、穂村弘さんってすごくかわいいというか、チャーミングな人じゃないですか? 食べ物にまつわるくすっと笑えるエピソードがてんこ盛り、私がとくに好きなのは「体重計に乗るときは京極夏彦さんの著作を持つ」という話。これだけでおもしろいですね。

 

父と私の桜尾通り商店街/今村夏子

「父と私の桜尾通り商店街」 今村 夏子[角川文庫] - KADOKAWA

 短編集。なんだかタイトルも表紙もほんわか、もしやほっこりするお話なんですかと思うかもしれませんがそこはご心配なく、しっかり今村夏子さんですよ。今村作品の感想をじょうずに書く人になりたい、もうなんというか、味わうには読むしかないんです。

 

はーはー姫が彼女の王子たちに出逢うまで/雪舟えま

『はーはー姫が彼女の王子たちに出逢うまで』雪舟えま|現代歌人シリーズ|短歌|書籍|書肆侃侃房

 はーはーどころか、ハヒィハヒィ……ッと息切れするような歌集。

立てないくらい小さな星にいるみたい抱きしめるのは倒れるときだ

ねえつぎはどこに住もうか僕たちはおたがいの存在が家だけど

可愛さの循環のただなかにいる 人は花 花は星 星は人

ちっちゃいころ親をなんて呼んでたの 訊かないと知らないままで死ぬ

 装画のはーはー姫のワンピース、たんぽるぽるじゃないですか?

 

鳩の栖/長野まゆみ

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 今のところ今年イチです。声に出したい文章のひとつひとつ、だけど声に出さずに静かに読みたい。感想書きました。

 

空が分裂する/最果タヒ

最果タヒ 『空が分裂する』 | 新潮社

 イラスト詩集、詩もイラストもべらぼうによいです。唯一無二感、たまりません。イラストレーター超豪華!!

混沌から生まれた言語は、やがて心に突き刺さり、はじける感性が世界を塗り替える。昨日とは違う私を、明日からの新しい僕を、若き詩人が切り開く。

 あらすじより、「世界を塗り替える」というの、とてもしっくりきます。

 

ミシンと金魚/永井みみ

ミシンと金魚/永井 みみ | 集英社 ― SHUEISHA ―

 帯にもある「花はきれいで、今日は、死ぬ日だ」、この一行はこの先わすれることがないと思う。ここに至るまでの壮絶な人生、そしてそこからをカケイさんという一人の人を崩さず描き切っているものすごい作品です。

 

檸檬のころ/豊島ミホ

檸檬のころ | 株式会社 幻冬舎

 連作短編集。みずみずしくて少し酸っぱく、檸檬のような高校時代(と、それを思い出す大人たち)の青春譚。特別なことはないけど、特別にみえる、それがいいんだよね。私の檸檬のころは振り返ってもあんまりみずみずしさはないので、やっぱりあこがれます。

 

きみだからさびしい/大前粟生

『きみだからさびしい』大前粟生 | 単行本 - 文藝春秋BOOKS

 好きな人のことは理解したい、それはそうだけどなかなか難しいこともあって、それゆえ切なくてむなしくて、そういう葛藤がたくさん書かれている。ポリアモリー(複数愛者)であるあやめ、そんなあやめをどうしようもなく好きになった圭吾の恋愛小説ですが、ほかにもいろんな葛藤を抱える多くの人物が登場したりコロナ禍での生活を描いたり、とても現代の恋愛小説という感じがします。

 

本は読めないものだから心配するな/管 啓次郎

筑摩書房 本は読めないものだから心配するな / 管 啓次郎 著

 エッセイであり読書論であり実用書であり、どういう本か?と聞かれたらうまく答えられないんだけど、タイトルのとおり「本は読めないものだから心配するな」ということを伝えてくれる本。読んだことは忘れる、でも心配するな。少なくともこの本を読んでいるあいだは、よろこびに満ちていました。装画、森のなかへ入っていくような絵ですが、まさに読めば読むほど深くに入っていく感覚だし、みたい映画や読みたい本が増えます。

 

たんぽるぽる/雪舟えま

【サイン本】 たんぽるぽる (短歌研究文庫) - 短歌研究社

 文庫が出た!という情報を入手しその日のうちに書店へ向かい無事購入、サイン本でばくれつうれしい〜!

逢うたびにヘレンケラーに[energy]を教えるごとく抱きしめるひと

黎明のニュースは音を消して見るひとへわたしの百年あげる

手を洗いすぎぬようにね愛してたからねそれだけは確かだからね

雪よ わたしがすることは運命がわたしにするのかもしれぬこと

 一生好きです。

 

あの子なら死んだよ/小泉綾子

publications.asahi.com

 第8回林芙美子文学賞佳作、小説トリッパーで読みましたがわたしこの作品だいすきです。死にたいと思うこと、生きているということ、十七歳の高校生がそれらを考えること、それ以外のことを考えてうんざりすること。これまで多くの作品で描かれてきたことなのかもしれないけれど、「十七歳の茉里奈」がここにはたしかにいて、茉里奈だからこそ感じることが書いてあって、それがあまりに切実で苦しかった。冒頭ここから読めるようです。

note.com

 

戦争は女の顔をしていない/スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ(三浦みどり訳)

戦争は女の顔をしていない - 岩波書店

 今年、手に取った人も多いのではないでしょうか。昨年、文藝の聞き書き特集逢坂冬馬さんの「同志少女よ、敵を撃て」を読んで購入したけど、結局今年まで積んでいて、そうしたら二月がきてしまいました。戦争に心から反対しています、こうやって生活している自分を申し訳なく思うときもあるけれど、そんなふうにすごす時間こそ意味がない、できることは知ろうとすること、考えることだと思います(自分の生活や心を大切にしながら)。

 

N/A/年森瑛

『N/A』年森瑛 | 単行本 - 文藝春秋BOOKS

  文學界で読みました。第127回文學界新人賞受賞作、第167回芥川賞候補作。読みはじめたら止まらなくて、夜更けまで読んでいました。どこかにおさまったり、「属性」らしく言葉をつむいだりするのは、虚しい。でもときに安心でもあると私は思ってしまう。だけどやっぱり本当の、自分だけの言葉が欲しい、そう思わずにはいられない。

 

あくてえ/山下紘加

「文藝」夏季号掲載、山下紘加「あくてえ」試し読み|Web河出

 文藝で読みました。第167回芥川賞候補作。感情を振り回される文というのがとても好きです、いろんなものがほとばしっている感じ。山下紘加さんの作品はいつも生きていて、すごく小説を読むたのしさがあると思います。読んだらぜったい感情が動くこと間違いなし、わたしは登場人物に怒り狂いました。感想書きました。

 

日本文学全集09 平家物語古川日出男

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 昨年から今年にかけて平家物語の年でしたね!アニメみた!?めっちゃおもしろかったよ。アニメもよかったし、原作となった古川日出男さんの現代語訳、正直に言うと読む前は「ちゃんと読めるのか、わたし歴史とかなにも知らないけど…いっぱい人が出てきてごちゃごちゃになりそ…あと思ったより分厚いな…」と不安を抱えていましたが、まったく大丈夫でした。平家のうつくしくかなしく儚く、しかし非道な部分もしっかりある、たいへん満足する一冊だと思います。感想書きました。(アニメや大河ドラマの話もしています)

 

南の窓から/栗木京子

栗木京子歌集『短歌日記2016 南の窓から』(みなみのまどから) - ふらんす堂オンラインショップ

 観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日我には一生

 本屋さんでみつけた短歌日記。栗木京子さんのこの短歌がめちゃくちゃ好きで、装丁もとても素敵で、目に入った瞬間購入を決めました。買ってよかったです。

もう母の唇には差さぬ紅なれどうつくし 花や貝殻の色

未来へと債務を残し海底に核廃棄物埋められゆくや

花を摘むやうに洗濯とり込みぬソックスひとつふたつ落として

雨はれて二輪草咲く野の道は夢の入り口あるいは出口

 

ついでにジェントルメン/柚木麻子

『ついでにジェントルメン』柚木麻子 | 単行本 - 文藝春秋BOOKS

 元気の出る短編集。読み終わったとき、自分の生活とか、見方とかが、少し変化するはずです。大きな変化を私は望んでいないので、押しつけがましくない塩梅で勇気や元気をくれる作品がとても好きです。菊池寛銅像がいきなりしゃべりはじめる「Come Come Kan!!」は作家をめざす人ならエールをもらえると思います。

 

小説新潮 2022年6月号

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 短編というのが好きで、いろんな作家の短編を一度に読めるものも好きで、アンソロジーというのも好きなんですけど、思い思いにいろんなジャンルの作品が集まっているものもやはり好きです。小説新潮6月号「2021年に生まれた作家たち」は、新人作家の作品、対談がぎゅっと詰め込まれておりたいへん楽しい特集でした。これを言うと、どこからの目線?という感じなのですが、新人の作品ってとてもいい意味で勢いやアラがあって、「新人にしか書けないなにか」があって、そこからうまれる筆致は他者を寄せつけない無敵感があるように思います(本当に何目線だということを書いてしまった)。とくに好きだったのは君嶋彼方さん「ヴァンパイアの朝食」、佐原ひかりさん「一角獣の背に乗って」です。感想書きました。

 

おいしいごはんが食べられますように/高瀬隼子

『おいしいごはんが食べられますように』(高瀬 隼子)|講談社BOOK倶楽部

 職場にもやもやしてる人〜!!我慢できてしまうくらいの理不尽や不条理を感じている人〜!!!弱いものがなぜか守られていることにイラついてしまう人〜!!!と、叫びたくなる一作です。「仕事+食べ物+恋愛小説」と紹介文にありますが、これだけ読むとなんだかほっこり恋愛小説なのかしらんとか勘違いする人がいそう、ほっこりではなく、ざわつきたい人におすすめです。第167回芥川賞候補作(7/20追記。芥川賞受賞しました)。感想書きました。

 

えーえんとくちから/笹井宏之

筑摩書房 えーえんとくちから / 笹井 宏之 著

からっぽのうつわ みちているうつわ それから、その途中のうつわ

胃のなかでくだもの死んでしまったら、人ってときに墓なんですね

廃品になってはじめて本当の空を映せるのだね、テレビは

ひきがねをひけば小さな花束が飛びだすような明日をください

 本を読んでいるとき、気に入った場面やフレーズがあったら写真に撮って見返せるように保存しているのですが、「えーえんとくちから」はどの短歌も本当によくて全ページ写真を撮る勢いでした。

 

四畳半タイムマシンブルース/森見登美彦

森見登美彦『四畳半タイムマシンブルース』特設サイト | カドブン

 最高ですね。「四畳半神話体系」と映画「サマータイムマシンブルース」のコラボ小説。「私」、小津、明石さん、樋口師匠、羽貫さん……愛すべき面々がタイムトラベラーになりわちゃわちゃする……といってもトラベルするのは「昨日」、それだけなのになんでこんなにおもしろいのでしょう、そして下鴨幽水荘からはじまる夏の京都!暑い!!アツい!!

 

 予想以上に長くなってしまいました。もう少し厳選するつもりでしたが無理でした…(これでも厳選したの……)。読んでくださった方ありがとうございました。よい出会いがありますように!!

書いた記事をまとめました

 ブログを書きはじめて一年ちょっと、先日やっと投稿記事が50を超え、細々とやっているこのブログも読んでくれる人が増えている気がする。ありがとうございます。
 そこで今まで書いた記事でなんとなく気に入っているものをまとめてみることにしました。本当は昨年末にやるつもりでした。

 

mrsk-ntk.hatenablog.com

だいぶ前に書いた記事なので、あらためて書き直したい気持ちもあるのですがこれはこれで。一年以上経った今でもよく読まれています。たぶんGoogleなどの検索に引っかかっている。大好きな小説のひとつ。

 

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昔、水曜日にトリビアやってたよねという話。自慢じゃないがぜんぜん読まれていない。2022年9月1日追記。はてなブログのトップページで紹介してもらい、びっくりするほど読んでもらいました。ありがとうございました。

 

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この作品めちゃくちゃよかったんですが、話題にする人が少なくてちょっとさびしい気持ちもあった(私が気づいてないだけ?)。よかったですよ!

 

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記事を公開してちょうど一年、今のところこのブログのアクセス数ナンバーワンです。こちらもGoogleなどの検索に引っかかっているようで、今でもわりと読んでもらえています。

 

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今では単行本を買っているので多少ならネタバレされても大丈夫です。夫のことはいまだにゆるしていません。

 

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はてなブログ

はてな20周年記念「はてなインターネット文学賞」はてなブログ2部門の結果発表! それぞれのインターネット文学とは? - 週刊はてなブログ

で取り上げてもらったので、ちょこちょこ読んでもらえました。やどかりの人にいつか会えたらいいなと思います。

 

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ペリカンこわい。

 

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なぜか一日一回は読まれています。みんなフルバが好きなんだね。

 

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泣いた。愛。

 

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雪舟えまさん最高です。愛。

 

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おもしろすぎてぶっとびました。ご本人がリツイートしてくれた瞬間のアクセスののびにもぶっとびました。

 

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いまのところ今年読んだなかでいちばんです。ぼちぼちこの半年で読んだ本もまとめたいな。

 

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「あくてえ」が167回芥川賞候補になってうれしいです。かなりの混戦になるのではないかと思っていますが「あくてえ」推しです。

 

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aikoはいい。aikoはいい……。

 

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どんな本棚もみていて楽しいですが、やっぱり自分の本棚って特別ですね。

 

 

 

 

 

 

おいしいごはんが食べられますように/高瀬隼子

 職場での暗黙のルールというのはいつのまにかできている。「こうしよう」とだれかが口にしたことはないはずなのに、いろいろなことが「そういうふう」になっている。「そういうもの」だと思わなきゃいけないことになっている。
 どんな職種についても思う。仕事は面倒だ。働くのは面倒だ。でも働かないと生活できないし、働いていない時間はなにをするんだろうというぽっかりと不安になる疑問もわくし、私は仕事を「絶望的に嫌だ」と思っていないから、働いている。だけどこれまでに、仕事を「絶望的に嫌だ」と感じてしまう人とたくさん出会ってきた。
 今の会社につとめて四年くらいが経つ。そのあいだに入社した人はたしか五人くらいいた。だけど全員「メンタルが……」という理由でばっくれるようにやめてしまった。長く働いていた人が突然やめることもあった。そのたびに残った人の作業が増え、残業が増え、休日出勤が増え、徹夜が増えたりした。たしかに超ホワイトな職種とはいえない、残業もあるし休日出勤もある。パワハラモラハラ、セクハラの類は当然ないけれど、職場の人間関係がうまくいかないことだってあるだろう。だから疲れてしまう気持ちもわかる。私も疲れる。
 無理させてはいけない、はひとつのルールだ。根性みせろとか絶対に言えないし(ていうか私が言われたくない)、傷つきやすい人はケアすべきだし、叱って育てるなんて時代遅れだし、言ってしまえば血反吐吐いてまで一生懸命働かなくたっていいのだ。血反吐吐く前に休んだほうがいい。疲れるのはだれだって嫌なんだから。心と体がなにより大切。
 だから「体調が悪いので早退したい」の申し出には心配するし「こっちは大丈夫だからゆっくり休んで」と言う。「調子が悪いので休みたい」というLINEにも、「無理せず休んでください」という一言と「むりしないでね」とか書かれているスタンプを送信する。「玄関を出ようとすると吐き気がするんです」と言われてしまえば私たちが間違っていたのだと相手を責めず自省する。「どうしても会社に行けない」なら「しばらく休ませたほうがいい」という判断をくだすしかない。
 そういうことに対して、文句なんて言ったらいけない。本人は一生懸命やっているし、きっとこんなはずじゃないって思った人もたくさんいたはずだ。わかっている。だれだって無理なことはある。そんなの当たり前だし責める気もない。だけど思う。どうして私は体調が悪くならないんだろう。どうして「無理しないでね」と言いながら、自分が無理しているんだろう。どうして無理しない人がいるぶん、無理する人が出てきてしまうんだろう。

 職場というのは不思議だ。同じクラスにいても絶対なかよくならなかっただろうなという人とごはんを食べたりお酒を飲みにいったりする。理解できない人がいても、我慢して、そういうものだ、で片づけることが往々にしてある。これはお互い様だとは思うけど。
 一時間に一回は煙草を吸い、定時ぴったりに帰る人。毎日のように5分から10分遅刻してくる人。給料はほぼ同じだけど、効率が悪いから作業量が人よりあきらかに少ない人。作業が終わらなかったことを忙しかったという理由だけで片づける人。いつも体調が悪くなってしまう人。人それぞれ能力の差とか許容範囲とか頑張れる度合いとか精神状態とか、そういったものが違うのだから全員を尊重したほうがいい。そういうものだ。私はべつに心配されたいとか、いつもがんばってるねとか、言われたいわけじゃない。だれかを責めたいわけじゃない。ただ、もう少しだけでもそれぞれの負担が平均的になったらいいのに、とか、弱さって強いよな、と思ってときどきいやになるだけだ。

 

 前振りが長くなってしまいましたが、そんな職場でのもやつくことを絶妙に描き出して、心をざわつかせてくれたのが「おいしいごはんが食べられますように」(高瀬隼子)です。第167回芥川賞候補作(結果は七月に発表)。

『おいしいごはんが食べられますように』(高瀬 隼子)|講談社BOOK倶楽部

 タイトルをみると、ほんわかしたお話なのかなと思います。しかしほんわか要素はないです。むしろ「おいしいごはん」にうんざりしている人たちのお話です。ネタバレしてます。

「二谷さん、わたしと一緒に、芦川さんにいじわるしませんか」
心をざわつかせる、仕事+食べもの+恋愛小説。

職場でそこそこうまくやっている二谷と、皆が守りたくなる存在で料理上手な芦川と、仕事ができてがんばり屋の押尾。
ままならない人間関係を、食べものを通して描く傑作。

 

 だれかにとくべつ嫌われることもなく、仕事ができないわけでもなく、いるととりあえず安心するよね、というような存在の男性社員の二谷。前の会社でハラスメントのようなものを受けていたらしく、声の大きい男の人が得意ではない、無理すると体調が悪くなってしまう女性社員の芦川さん。そんな芦川さんにもやつく女性社員押尾さん。芦川さんと二谷は恋人のような関係で、押尾さんと二谷はときどき二人で飲みにいき、押尾さんが芦川さんの愚痴を言ったりするという仲。

 二谷は普段、カップ麺とかコンビニ弁当とか「体に悪い」ものを食べている。そういう食べ物のほうが、しっかりつくられたごはんよりも安心するというかしっくりきている。大勢で食べる食事の場面では「おいしい」と言わなくてはいけない、野菜をいっぱい食べないといけない、栄養を摂らなくてはいけない、そういう一種の同調圧力に二谷はうんざりしている。
 芦川さんは、よく会社を早退する(ついでに研修もドタキャンする)。悪気はない。具合が悪くなってしまうからしょうがないのだ。芦川さんは優しいので、早退して迷惑をかけているからといい、お詫びの印に手作りのお菓子やケーキを頻繁に会社に持ってくる。

 最初に言ってしまうけど、私は芦川さんのような人がすごく嫌いだ。ぜったいいやだ。頼んでもないのに手作りのケーキ(しかもそのうち、芦川さんに申し訳ないから材料費として社員とパートから月に二回お金を集めようという話が出てくるのだ!あほか!)。

 こちらとしては早退してつくったケーキなど全然いらない。ケーキつくる暇あるなら仕事しろよ、ていうか体調悪いなら寝てろよと思ってしまう。考えただけで胃がもたれる。でも嫌ったらいけないことはわかっている。芦川さんは純粋な好意でやっている。そういう人に「なんかいやだな」という感情を抱きながら、まわりが「すごいね」「気がきくね」「おいしい」「ありがとう!」と口々に言っているのをきいて、うんざりして、食べたくなくて、でもそんなこと言えなくて、それはやっぱり同調圧力で、ほとほといやになる。だから押尾さんは「芦川さんにいじわるしませんか」と言うのだ。
 でも、押尾さんのいじわるは、いじわるじゃない。芦川さんを無視するとかデスクにゴミをぶちまけるとか、そういうしょうもないいじめじゃない(後々糾弾されるようなこともしてしまうが)。ただ、まわりの人が気をつかって芦川さんの負担にならないようにまわしていない仕事をまわしているだけだ。それってめちゃくちゃ普通のことだと思うんだけど、芦川さんという存在を考えたら普通ではなくなるらしい。芦川さんに無理をさせる押尾さんは悪者である。無理の基準は人によって違う。ざわつく。

「おいしいごはんを食べてほしい」と思っている芦川さんと、そんな芦川さんを見くびりながらも恋人関係を築く二谷。この話のなかで二谷はいちばんずるいところにいると思う。芦川さんのことを馬鹿にしながらもかわいいと思う感情はあって(言い方は悪いけど、それは“飼いならせる”という感情も含まれていると思う)、本音を隠しながら自分の欲だけを解消している。
 二谷は芦川さんがつくったご飯を食べたあと、隠れてカップ麺を食べたり、押尾さんから芦川さんの悪口を聞いたり(自分からは言わないのだ)、芦川さんがつくったケーキを残業後にぐちゃぐちゃにして会社のゴミ箱に捨てたりする。それでも結局芦川さんのことを「容赦なくかわいい」と思う。最後に本当のことを口にした押尾さんと比べてずいぶんずるい。でもそれは二谷が「そういうものだ」で済まされるだけの存在でしかないのかなと思った。退職を決意した押尾さんは、芦川さんのことも二谷のこともあきらめたんだなと思った。
 結局ずっと職場でもやつくのって、改善してほしい、少し変わってくれたらうれしいというような気持ちがあるからだから(本当に少しだけでいいのだ、そしたら私ももっともっと本当に優しくなれるんじゃないかって思うのだ)。でももうそれもなくなったんだなと思った。押尾さんは、だれかがおいしいと言うからおいしいんじゃなくて、自分でおいしいと思えるごはんが食べられたらいいなと思った。

 また、本作品は二谷と押尾さんの視点で話がすすみますが、押尾さんは一人称視点、二谷は三人称視点です。二谷のほうは内側をみせないようにしているというあらわれなのかなとも思いました。


 ざわつく場面がたくさんある作品です。好きな部分を引用します。

「そういえば、結婚式も飯食うんだよなあ」
 うんざりしたような表情を浮かべて、二谷さんがつぶやいた。
「人を祝うのも、飲み食いしながらじゃないとできないって、だいぶやばいな」

 たしかにやばいかもしれない。飲み食いがなくなったら、私たちはとたんに手持無沙汰になる。ごはんがないと、人と会話ができない。そういうごはんって、おいしいものだっけ、となんだか、がーんとなった。

 

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